其の男は強かった。
其れが男の不幸でもあり、幸福でもあった。
男は新たな主を好み、良く尽くした。
主も男を信頼していた。
だが主の腹心は、此れを快く思っていなかった。



   ― この野郎 ―



韓玄を殺めて蜀に降った魏延は、諸葛亮から冷遇されていた。
魏延の配下武将を劉備から命じられたは、諸葛亮からよくよく気を付ける様言われていたが、魏延の実直さを好んでいたので余り気にも留めなかった。
寧ろ、実践第一の叩き上げの武将魏延と机上の論理を得意とする軍師諸葛亮では、気が合わないのも無理が無い事だとは配下の者と笑って話していた。
明朗なは、比較的早くに魏延と打ち解け、やがて深い仲になっていった。
魏延は、其の厳しい要望とは裏腹に大層を愛しみ、其れは傍目にも微笑ましかった。大柄な魏延が、を肩に座らせて歩く様は蜀では極当たり前の光景に成っていった。
しかし諸葛亮は此れを大層嫌がり、再三に縁談の話を送ってよこした。しかし名門家の出身であるは、其れを利用して何とか縁談を断り続けた。
実の所、にとって名門であるとか無いとかは如何でも良い事であったが、諸葛亮が黙って引き下がるのならば其れもまた良しと思っていた。けれど諸葛亮はが反骨の相に毒されたのだと思い込み、2人を厳しく監視し始めた。



「文長、諸葛軍師は最近特に警戒の色を強めておられるな。」
夜半、寝所での睦言も尽きたは真面目な声で魏延に話し掛けた。
「…我…裏切ラヌ…」
魏延は、を抱き締めながら呟いた。
「其れはそうであろう。だが諸葛軍師は最初から彼方を嫌っていたからな。お身体の具合も大分悪い様だし、蜀の未来を案じるが故に神経質になっておられる様だ。」
魏延は、少し困った顔をして首を振った。
「文長、此れは不用な心配かもしれないのだが、少し身辺に気をつけた方が良い。」
不思議そうな魏延には決定的な一言を言った。
「諸葛軍師が彼方に反骨の相有りと思い、何か企んでいらっしゃる様だ。」
魏延は、一瞬鋭い眼光を放ったが直ぐに頷くと、に腕枕をしながら眠りに付いた。



第五回北伐が失敗に終わると、諸葛亮は心労と過労により病の床に臥し、その侭帰らぬ人となった。
魏延は変わらず蜀へ使えるつもりであったが、諸葛亮の後継が楊儀に決まると不快を露にした。
「…好カヌ…」
も何処か矮小な感じのする楊儀を嫌っていたので、快くは思っていなかったが、其れを露にすれば魏延の立場が悪くなるので何も言う事は無かった。
しかし事態は悪化の一途を辿った。諸葛亮と同じで魏延を嫌っていた楊儀は、尽く魏延を軽んじ、遂に魏延の怒りは頂点に達した。
「……支度ヲ!」
戦支度 ― 魏延は楊儀の手緩いやり方に痺れを切らし、同じく楊儀に不満を持つ馬岱と魏に打って出ると言うのだ。
は馬岱のこの動きを怪しんだが、魏延に逆らえる訳も無く、仕方なく念入りに戦支度をした。



出立前寝所で寄り添う二人は、妙に赤い月を眺めていた。
「文長、例え魏を破っても蜀には帰れぬかも知れぬよ?」

の意図する事が解らぬ魏延ではなかったが、軽く首を振り頷いた。
「ソレデモ…我ハ闘ウ。」
は諦めた様に眼を瞑り、此れが今生の別れとばかりに激しく魏延を求めた。
そして悪い感は得てして当る。



魏延は、馬岱と共に蜀軍の退却路にある桟道を焼き払い、其処で楊儀を待った。
此れを見た楊儀は、魏延に薄く笑いかけた。
「諸葛軍師は、そなたが反逆を起こすと言っていたが…魏延、そなたに馬上で「誰かわしを殺してみよ」という勇気があるか? もしそなたが3回唱える事が出来れば、漢中をくれてやろう。」
其れを聞いた魏延は、唸り声と共に大きな声で叫んだ。



「誰カ我を殺シテミヨ!」



「文長!」
の叫び声と
「俺が殺してやるわっ!」
馬岱の声が重なった。



屍累々。死して亡骸拾う者無し。








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全く持って難の救いも無い話。多分に演技ベース。
私は、魏延には反骨の相など無かったと信じています。そう意味で諸葛亮は嫌いです。あっさり加担しちゃう馬岱も嫌な奴です。
勿論馬岱が悪い訳では無いのですが…。正史では魏延は反逆者扱いで無いのが救い。
なんか暗いお題夢ばかりですみません。

2004.01.03 viax