信じている
彼が助けに来てくれると、信じている。
だから、私は彼が来るまで此処を守っていれば良い。
例えこの命尽きようとも私は阿斗様を守り通してみせる。
そうしなければ、私を信じて此処へ向かっているだろう趙雲に申し訳が立たない。
救援
戦場には似合わない幼子の鳴き声が響いていた。既に幼子の母は古井戸に身投げをし、残されたのは護衛兵長のだけだった。
は本来は趙雲の護衛兵であり、其の武は他に劣るようなものでは無い。しかし、傷ついた身体では、幼子を無傷の儘劉備の元に連れて行くことは難しかった。幼子は阿斗、劉備の嫡子である。何かあった場合、の命では詫びきれるものではない。
「阿斗様……お泣き止み下さいませ……」
は疲労をにじませて阿斗を抱き締めた儘座り込んだ。此処へ来るまでに既に護衛兵は討ち死にし、甘婦人も深手を負い、足手纏いになる事を恐れて自害したのだ。とて敵陣の真っ只中を突っ切ってきたのだから、致命傷は無いものの手負いである。
「子龍……助けて……」
の脳裏には優しい恋人の姿しかなかった。いつも彼を守って死にたいと思っていたが、矢張り守られていたのはなのだと痛感した。は俯いて阿斗を抱く手を見詰めた。肉が抉れ、白い骨が覗いている。かつて戦で此処まで傷ついた事はなかった。
「でも、阿斗様は守ります。此れは、子龍が……趙将軍が私を信頼して託されたご命令!」
は物陰から出てきた敵兵を切る為、躊躇無く槍を振り上げた。手は愚か肩も軋み、何時もより動きが緩慢になる。此処で敵将が現れれば、阿斗を守りきる自身は無かったが、弱音など吐ける状況でもない。槍は血で切れ味も落ち、に余分な力を強いる。は阿斗を左手に抱きかかえ、右手のみで槍を振るう。余りに不利だった。
頬を矢が掠めたが、弓兵が何処に居るのか解らない。其れが遠くから狙撃された所為なのか、眼が翳むからなのか、其れさえも最早解らない。唯ひたすら眼前の敵を斬る。阿斗の泣き声さえ、五月蝿くは思わず、寧ろ生きている証だと嬉しかった。
しかし、当然にも限界がある。槍を弾かれ、手が痺れる。普段なら大した事の無い其の衝撃に、は槍を落とした。素早く拾って反撃せねばならない事は解っていたが、もう一歩も動けなかった。
「子龍……!」
は最後の力で阿斗を抱き抱えると、地面に蹲り助けを待った。こうして阿斗への攻撃さえ防いでいれば、阿斗さえ守っていれば、趙雲が必ず助けに来ると信じていた。
肩に剣が打ち立てられ、余りの苦痛に叫び声も出なかった。それでも、決して阿斗を放したりはしない。の美しい髪はバラバラに切られ、首筋に刃が当てられた。は歯を食いしばって蹲った。
「……!」
其れは正に天の声だった。が首を挙げた瞬間、辺りの敵兵が薙ぎ払われた。中には何故自分の胴が裂かれたのか解らぬのか、不思議そうな顔で死んでいる者もいた。
「……子龍……」
趙雲は馬を下りてに近付くと、肩に刺さっていた剣を引き抜いた。其の痛さに、安心したは呻き声を上げた。
「相当痛むか? 我慢できるか?」
趙雲は慌ててを抱き上げる。何も解らぬ阿斗だけが、趙雲を見て一層泣き声を大きくした。は元気な後の様子に安心して、心底可笑しそうに笑ったが、其の声には力が無かった。
「あー……私……眠い……」
そして、は其れだけ言うと倒れる様に趙雲の腕の中に崩れ落ちた。慌てて趙雲が確かめると、気を失ったのか浅い呼吸を繰り返していた。致命傷という傷は無いが、一つ一つの傷が其の身体に負担を掛け、結果的には相当弱っていた。また、精神的にも極限を向かえたのだろう。
「……、有難う。此処からは、私が必ず!」
趙雲はを抱き上げて鞍に載せると、阿斗を懐にしまった上で二人を抱き抱えた。
一騎当千に適う者は無く、阿斗は勿論、も劉備の元で手厚い看護を受けた。は甘婦人の死を自分の所為だと悔やんだが、誰一人として攻めるのもは居る筈無く、劉備は乙女でありながら傷だらけになったを気にしていた。
「殿が……大層心配しておられた。早く治ると良いな」
見舞いに来た趙雲は心配そうにの顔を覗きながら、切り揃えられたの髪を撫でた。
「はい、殿は勿論、子龍にも迷惑を掛けて申し訳なく思っています」
は何とか自由に動く左手で趙雲の手を触ると、愛しそうに眼を閉じた。
「私のことは、何も気にする必要は無い。私はを愛している。何処へでも助けに行くのは当然の事だ」
当たり前の様に言われた台詞に、は少し頬を赤く染めた。
「嬉しゅう御座います」
微笑んだの愛らしさ、今度は趙雲が頬を染め、溜まらず唇を寄せた。久しぶりに触れた恋人の唇は、生きている証にとても温かかった。
貴方を信じているから、貴方を助けに行く。貴方は必ず、待っている。
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趙雲には、信頼や正義が良く似合う。しかも嫌味じゃなくて、ちょっと素敵過ぎる(笑)。
2004.10.10 viax
BGM : J.A.シーザー [バーチャルスター発生学]