司馬懿は軍師であるが、其の才が求められるのは机上だけでは無い。軍を率いるのも仕事の内で有り、当然の様に前線に布陣される事も少なくない。最初は青息吐息だった司馬懿も慣れてきたのか、最近では護衛兵そっちのけで敵中へ突出する程である。
そうなると、また心配が絶えない。
頑張りすぎないでよ
「……と云う訳で御座います。どうか様からも司馬軍師に進言して頂けないでしょうか?」
司馬懿の護衛兵長である恰幅の良い男が小柄な女人に跪く姿は、ともすれば非常に滑稽であるが、しかし相手がで有れば其れは誰が見かけても自然な様子になる。
「成程……あの馬鹿めがは、陣中で和を乱して貴公達の命を危険に曝しているのですね?」
は穏やかな微笑みを浮かべてはいるが、其の声には有無を云わさない物が含まれており、護衛兵長は怯えた様子で頷いた。
「あの、まぁ危険と言うと、大袈裟ですが……その、司馬軍師は魏に無くてはならぬお方、万が一があっては……と思いまして……」
「解りました。良く言って聞かせます。御進言有り難う御座いました」
の口元は愛用の鉄扇で隠れていて解らないが、加虐的な微笑みを浮かべている事は想像に容易く、護衛兵長は司馬懿の女の趣味には付いていけないと改めて思うのだ。
護衛兵長が扉を閉めて去っていくのを確かめると、は深い溜め息を吐き出した。も軍師見習いで有るから戦場に幕舎を張って布陣する事はある。しかし、其れは戦力を期待されてではない。戦場で敵の動きを読み、実際の兵という物を理解するためであり、策略が机上の論理で終わる事を避ける為である。其れをに説いたのは、他ならぬ司馬懿である。
「手の掛かる方だ……」
は何時もの不適な笑みではない、心からの微笑みを浮かべると真新しい紙を文箱から取り出した。其れには司馬懿の行動を窘める言葉が列挙される。恐らく司馬懿は、誰がばらしたのか怒りながらも、自重して単身陣中へ行く様な真似はしなくなるだろう。
「この身体全て、司馬仲達の盾にする為に存在するのだと伝えたら……貴方はどうするだろう……」
そっと目を閉じながら司馬懿の代わりに書簡を抱き締める。自分の言葉が、少しでも愛する人を守れる事を祈りながら、其れでもそんな事はおくびにも出さず侍女に渡しに行く様命じる。
言わないのは、言えないからじゃない。貴方は、私の心の大切な部分を漏らさず掬う事が出来る人だから、言葉にはしない。
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久しぶりの司馬懿夢。この二人はお互いの中でだけ分かり合えている感じ、を目指しています(笑)。
2005.07.06
BGM : RICKY MARTIN