*哀憶回想*

幸せの雫
境界の澱
深淵の言
現世の霞

◆ ◇ ◆

 野宿の時は皆で火を囲んで歓談するのがいつしか恒例となっていた。
 一日の終わり。
 魔物の襲撃に対する警戒を解いたわけではなかったが、この時ばかりは皆、肩の力を抜いてリラックスしていた。
 ――たった八人で世界の命運を背負っている。
 深く考えると身に余る重圧だったが、なるべく考えすぎないよう誰ともなく決められたのか、こんな時は皆、ひどく陽気になる。
 いつものようにマーニャがライアンやトルネコをからかう。ライアンは引きつった顔で応対していたが、トルネコは親父ギャグで返し、場を凍り付かせる。いつの間に手にしたのか、お酒の入った器を空にしたアリーナが爆笑し、クリフトは傍でオロオロとうろたえている。ミネアは呆れたように横目で見ながらブライと魔法談義に花を咲かせ、気を取り直したマーニャがそこへ飛び込んでいく。一方でトルネコが目的地に関する観光情報他、うんちくを語り始め、クリフトが熱心に聴き入っている。ライアンもトルネコの言葉に耳を傾けながら、剣の手入れをし始めた。
 ユイリは穏やかな気分でそれらを眺めていた。
 いつもの光景。
 あまりにも心地よくて、かつて失ったものに想いを馳せずにはいられないけれども。
 それでもこの大切な刻を、少しでも皆と一緒に居たいと、深く祈る。
(……ごめんね)
 ふいにそんな言葉が内側からわき上がってきて、ユイリは困惑する。
 自分でも何に祈り、何に謝っているのかわからなかった。
 面影は山奥の村。
 村人たちは皆善良で、楽しい人たちだったけれども、一度も、こんな風に、集まってキャンプをしたりすることはなかった。
(ああ、だから謝っているのかな?)
 自分一人だけ、とても安らかな気分で居られることを申し訳なく思っているのだろうか、と。
「ユイリ♪ なぁに一人で黄昏れてんにょぉ?」
 ろれつの回っていない口調で陽気に話しかけてきたのはアリーナだった。
 気づいて、ユイリは微笑むと、アリーナはにんまりと邪悪な笑みを浮かべて抱きついてきた。
 ――驚く。
「ほりゃほりゃ。飲んでいつものよーにぽよぽよしてなさひ!」
 手に持ったコップをユイリの口に押しつけて、強引に中身を飲ませようとする。痛いくらいにコップを押さえつけられ、ユイリは顔をしかめる。強く押さえつけられるだけで、中身は流れてこない。アリーナは完全に酔っぱらっていて、器が空だと気づいていないようだった。
 唇に触れた部分から伝わってくる、コップの縁にわずかに残ったデンプン質の甘み。
(……米酒?)
 ブランカ地方で広く栽培される穀物から精製されるお酒だ。
 ブランカ地方――すなわち、故郷だ。
 一瞬、涙が出そうになるのを、ぐっと堪える。
 自分が普段から無口でいることに、感謝した。何か声を出してしまえば、たちまち涙声に変わってしまいそうな――そんな予感がする。
「あなた達、相変わらず仲がいいわねぇ」
 からかいの声を掛けてきたのは当然マーニャだった。
 この人は、人をからかうのが生き甲斐みたいな人だ。
 いい加減で、金遣いも荒く、お酒にも男にもギャンブルにもだらしがなくて、一番のトラブルメーカーだけれども。仲間に対する思いやりの気持ちは一番強くて、どこか芯の部分ではひどく冷静かつ計算高い人だということを、ユイリは知っていた。
「にゃはははっ。飲みなさぁい!」
 普段ならばちょっとしたからかい言葉にもすぐに反応して赤面してしまうアリーナは、酔って初めから赤面しているから、というわけでもないのだろうが、マーニャの言葉に何の反応も示さず、ユイリに絡んでくる。アリーナの力は強い。純粋に力比べならばライアンやトルネコ、クリフトにさえ劣るかもしれないが、瞬間の破壊力は、誰も彼女には敵わない。
 そんな彼女が力を込めて抱きついてくる。
 しかも酔ってて、制限がない。
(えっと……殺されるかも)
 ユイリは本気で生命の危機を感じた。
 常ならば、こんなアリーナを真っ先に止めるはずのサントハイム従者の二人を探して、ユイリは視線をさまよわせた。
(クリフトは……あ、ダメだ)
 見ると、トルネコの講義を真剣に聴いている――ように見えて、その頭は縦に小さく上下していた。
 眠っている。
 酔っぱらっていてクリフトの様子に気付かないのか、トルネコは蕩々と観光案内を続けていた。ライアンもいつの間にかその場を離れ、ミネアと二人で静かに会話をしていた。
 そのミネアと話していたはずのブライはどこに?
 探そうとしてユイリは、すぐ自分の真後ろに立っていたブライに気付き、ぎょっと体を強ばらせる。
(いつの間に――?)
 驚きを隠せない。
 いくら仲間とはいえ、後ろを取られるなんてここしばらくなかった事態だ。
 それも、ライアンのような一流の剣士にならばともかく、気配やら身のこなしやら運動やらとはほど遠いはずの、ブライにだ。
「――姫様」
 低く抑えた声音。
 一瞬硬直したユイリの体を感じ取ったのか、アリーナはブライの顔を認め、陽気に微笑んだ。
「ふりゃーブリャイ! じゃみゃしにゃいでみょー」
 最早何言ってるのさっぱりかわからない。完全にろれつが回ってない。
 ブライの目が、細くなった。
(叱られる!)
 なぜか自分が叱られるような、そんな脅威を感じてユイリは身を縮める。小さくなったユイリの体に覆い被さるようにアリーナが乗っかってきた。
「……あんまり羽目を外しませんように」
 だが、意外にも、ブライの口から漏れた言葉は柔らかく、優しさといたわりに満ちていた。
 ぽかんと、口を開けてブライを見た。
 完全に酔っぱらっていたはずのアリーナまで、表情を驚きに固定させて、ブライを凝視していた。
 この場面。この状況。そして、何よりアリーナが関わっていて。
 説教を始めないなんて、あまりにもブライじゃない・・・・・・・
「……ええと、ブライ、さん?」
 恐る恐る様子を窺うように尋ねたのは、マーニャだった。普段は呼び捨てにしているのだが、なぜか敬称を付け足すように口にしている。
「どうしたの?」
 真顔で、完全に酔いが覚めた口調で、アリーナが聞いた。
 ブライは少し息を吐き、ゆっくりと重なり合ったユイリとアリーナの隣りに腰を下ろすと、焚き火に目を向け、ぼんやりと呟いた。
「いやなに。少し昔を思い出しましてな」
「……昔?」
 尋ねるのは、マーニャ。
 犬猿の仲であるはずのマーニャに対して、だがブライは何故か懐かしげな視線を向ける。
「遠い過去。このように旅の仲間たちと焚き火を囲んだことがあった、とな」
「……」
 旅を、していたことがあるという。
 遠い昔。
 ユイリたちが生まれる、ずっと以前。
 ブライはユイリとアリーナを眩しそうに眺め、未だに延々と誰も聞いていない講義を続けるトルネコに視線を投げかけ、そしてマーニャへ、視線を戻す。
「……どんな旅だったの?」
 普段と違うブライの様子に調子が出ないのか、非常に普通な調子・・・・・でマーニャは問い返す。
「今と似たような旅ですじゃ。探索とも、逃亡ともつかぬ、魔物との戦い。最も、あのころは地獄の帝王の噂など、ありませんでしたがな。しかしよく似ている、と思ったのですじゃ」
 何と?
 ユイリの視線だけの問い掛けに、ブライはうなずく。
 遠く、過去へ、過去の世界へ、魂を回帰させるように。
 やがて語った。
「あの時代にも、勇者と呼ばれた者が、いましたのじゃ。その者と、わしら旅の仲間。導かれたのか、どうかはわかりませんがの」
 そしてブライは、アリーナを見る。
「エリーゼ姫」
 トルネコへ視線を流し。
「ヒルタン」
 マーニャへと移し。
「ティルネ」
 そしてユイリに戻し、言った。
「……リバスト」
 その言葉は、ひどく懐かしかった。
 温泉街アネイル。
 その街にあった、銅像の英雄の名。
 だが、この身の内から来る懐かしさは、ただそれだけが理由ではないように感じられた。
 焚き火に照らされたブライの横顔は、ひどく静かだった。
「……懐かしいのぉ」
 静かに、呟いた。

◆ ◇ ◆

 陽が落ち、ずいぶんと時間が経つ。
 いつ来るとも知れぬ、魔物の襲撃と撃退の繰り返し。
 連日連夜、繰り広げているとなると、身体にいくら疲労の影が重なろうとも、気が張って、睡魔はなかなかやって来ない。交代で仮眠を取ることにしていたはずの者たちも、眠れなかったのか、いつしか寝床代わりのほろを出て、焚き火の周りに集まってきた。赤い炎に照らされる人影は五つ。
 誰かの放った枯木が、一際大きな音を立てて爆ぜる。
 それが合図になったのだろう。
 一人の青年が、のしかかるような沈黙を払い除けるように、声を発した。
「そろそろ、攻勢に出ようと思う」
 口調はどちらかと言えば軽く明るいものだったが、その意味するところを掴めず、一同は訝しむような目を青年に向ける。
 青年は、不適な笑みを浮かべ、仲間を見る。
「魔物に追われるだけでは、切りがない。この運命を終わらせるには、こちらからの攻撃が必要だ」
 言葉の意味するところは、ゆっくりと浸透していった。
「リバストさん。言いたいことはわかります。いいかげん、この暮らしにも飽き飽きしてましたから」
 パーティの中で最も小柄な影、眼鏡を掛けた真面目そうな少年が、憮然として青年――リバストの言葉に応じる。
「でも、攻勢って、どうやるんですか? 魔物はどこからともなくやってきます」
 少年の言う通り、魔物はどこから来るのか、わからなかった。
 魔女王ディルノヴァツに目を付けられたアネイルの英雄リバスト。以来、毎日のようにどこからともなく命を受けてきた魔物たちが、彼の命を狙ってきた。このままでは故郷の皆に迷惑を掛けることになる。そう考えたリバストは、一人アネイルの街を出て、逃亡の旅を始めたのだった。
 そして、襲撃、戦闘、逃亡を繰り返し、いつしか、リバストのパーティは五人と増えていた。
 魔物に命を狙われている身だ。長く、人の街にはいられない。
 しかし、魔物に命を狙われているのはリバストのみ。他の仲間は、それが自らが望んだ結果だとはいえ、巻き込まれているにすぎないのだ。本来はリバストだけの問題だ。リバストから離れれば、仲間は日常に戻れる。
 リバストは重い責任感に縛られていたのだろう。
 一刻も早く仲間を日常に帰さなければと、焦っていたように思う。
 方法はいくつかある。
 リバストがパーティを抜け、一人旅立つ。
 ――そんなこと、仲間が許すはずもないし、よしんば仲間を出し抜き、うまくパーティから抜け出せたとしても、すぐに見つかってしまうだろう。
 魔女王ディルノヴァツと和解する。
 ――考えることすら、論外だ。
 ディルノヴァツを退治する。
 ――パーティの誰もが、幾度となく、その可能性を検討しただろう。ひょっとすると、一番多く検討していたのはリバスト自身だったのかもしれない。
 だが。
「ディルノヴァツはどこにいる?」
 魔物に命を出す、魔女王の居場所は不明だった。
 魔界にいるとされ、地上から魔界へ行く方法はわからなかった。
「ヒルタン」
 リバストは少年、ヒルタンに優しく語りかけた。
「噂を聞いたんだ」
「……噂?」
 白い肌の小柄な女性が、顔を上げた。動きやすい簡素な服に身を包んでいるが、どこか気品のようなものを漂わせている。
「ええ、エリーゼ姫。遙か南方の島で、魔物たちが拠点となる国を作ろうとしている、と」
「あ、その話なら、私も聞いたわ」
 陽気に声を上げたのは、やたらと露出の多い服に身を包んだ褐色の肌の女性だった。先ほどの女性――エリーゼ姫の肩越しに、覗き込むように身を乗り出してきている。
「ああ、ティルネ。おそらくディルノヴァツも、それに噛んでいるだろう。なら、逆にこちらから乗り込んでいって、交渉してやる」
「――交渉って、あなた」
 呆れたようにティルネは呟いた。
「やるかやられるか以外の解決があるって、まだ思ってるの?」
「それ以外に解決策がないなんて、どうして思うんだ?」
 ティルネの言葉に、リバストは驚くほど素早く反論した。
「魔物は何も、人間を主食としているわけじゃないんだ。ならば、共存の道も、どこかにあるはずさ」
「そう? 光と闇の二元主義。対立原理。世界の法則そのものが、魔物と人間の共存を否定しているように思えるけど」
 二人の意見の対立は、いつものことだ。
 見慣れた口論に、今更口を挟む者はいない。
 だが。
「まあ、共存できるかどうかは将来の課題にするとして……」
 珍しく、二人の会話に割って入るようにエリーゼが呟いた。
 呟きながら立ち上がり、足下に置いていた炎の爪≠右腕にはめる。
「目の前の障害は、いつものようにちゃっちゃと片してしまいましょうか」
 その言葉で、二人は口論を止め、ヒルタンと『私』も立ち上がり、それぞれ手早く戦闘の準備を整える。
 夜の闇は深い。
 見通しのよい、街道の傍にテントを張っているとはいえ、道は起伏に富み、いくらでも隠れる場所はありそうに思えた。
 だがその魔物たちは、隠れる様子などまったく見せず、街道を我が物顔で練り歩いて現れた。
「ウケーッケッケ! 見つけたぞ、リバスト!」
 青い毛並みの牛型モンスターの背に、小柄な悪魔型モンスターが座っている。その背後に付き従うように、三体のボーンナイトが歩いてきていた。
「まったく、しつこい」
 私は溜め息をつき、杖を構えた。
 その声が聞こえたわけでもなかったのだろう。
「ウケーッケッケ! 魔王軍第十七リバスト追跡隊隊長ルブンル様から逃れられるとでも思ったか!」
 悪魔は一頻り哄笑し始めた。乗り物にしていた青い牛も嬉しそうに高いうなり声を上げる。
 奴らの視線がその瞬間、同時にこちらから離れた。
「――先手、必勝っ!」
「バイキルトッ!」
 私の声と、エリーゼ姫の始動は、ほぼ同時だった。
 私の杖の先に灯った淡い翠の光は、一瞬早く駆けだしていたエリーゼ姫に追いつき、その全身を包む。
「なっ、なああああぁっ!」
 悪魔は驚愕の声を上げるが、体勢を立て直そうとするよりも早く、エリーゼ姫は飛び上がり。
「はぁっ!」
 気合いのこもった声を上げ、悪魔に跳び蹴りを食らわす。
 悪魔に蹴りをたたき込みながらそのまま青い牛を飛び越し、着地すると同時に右腕を大きく振る。炎の爪は宙に赤い軌跡を描きながら青い牛を襲った。
「ぐるるぅっ」
 だが、その攻撃はわずかに牛の体毛を薙いだだけだった。
「ちっ」
 エリーゼ姫は舌打ちする。
 思ったより敵の動きがいい。青牛は飛び退き、エリーゼ姫へ向けて突進の構えを作る。三体のボーンナイトも姫を囲もうと迫ってきていた。
「させるかっ!」
 闇夜を切り裂くように、三つの光の矢が飛び、ボーンナイトの動きを封じる。
 戦闘を行う私たちからわずかに離れ、ヒルタンが矢を放ったのだ。つい今し方放ったばかりだというのに、手にはすでに新たな三本の矢が握られていた。同時にリバストも剣を構え、駆けだしていた。エリーゼ姫へと体を向けていた青牛の背に、振り下ろす。
「ぐぎゃぁっ!!」
 甲高い悲鳴が上がる。エリーゼ姫ばかりに注視し、無防備だった背中への一撃だ。相当なダメージだろう。
「やるわね」
 にやりと楽しげに、ティルネが笑う。
 踊るようにくるりと右腕を大きく払う。
「メラッ!」
 一呼吸で、三つの火球が生まれる。生まれた火球は初めはゆっくりと、次第に速度を上げながら三体のボーンナイトを襲う。
「ひゅうっ」
 思わず口笛が漏れる。
 ティルネの連装魔法。同時に発現する魔法の数は毎度違い、安定しないが、私では何度試そうとしても一度も成功しなかった。ティルネだけの、特殊な才能だろう。
 相手が浮き足立つのがわかった。
 この調子だとさほど苦労することなく勝利できるだろう。
 私が勝利を確信した、その瞬間だった。
 膨れあがる魔力を感じ、私は一瞬動きを止めた。
「きさまらぁ、舐めるなよぉっ!」
 甲高い――だが、恨みのこもった声がこだまする。
 エリーゼ姫に蹴り飛ばされた悪魔が立ち上がり、三叉の矛を構えていた。
「ま、まずっ――」
 私が警告の声を上げるより、それは早かった。
「ベ」
 悪魔の小柄な体の中から、一体どこに蓄えられていたのか、莫大な魔力が、矛の先端に集まっていくのが見えた。
「ギ」
 集まった魔力は熱を持った光に変わる。
「ラ」
 光は次第に大きくなり。
「ゴーン」
 一気に放たれた。
 閃熱――。
 吹き荒れる光と熱に、防御は間に合わなかった。
 なんとか倒れることだけは堪え、目を開く。
 ボーンナイトたちが、剣を掲げ、向かってきている。
 避けよう、とするが、痛みで体が動かなかった。
(避けきれない――)
 大ダメージの覚悟を決めた時だった。
「……ベホマラー」
 静かな声が響き、痛みは急激に消える。
 一人、どうやってか無傷だったエリーゼ姫が回復の呪文を掛けたのだった。
 体が動く。
 一体のボーンナイトの攻撃を避け、モンスターたちからやや距離を取る。
「今度はこちらの番だなっ!」
 宣言するように杖を構えた。
 気力は十分に充実している。
 もちろん魔力も申し分ない。
 ゆっくりと、唱えた。
「氷刃よ、集え……」
 風が吹き、焚き火の炎が揺れる。
 周囲の温度が少しずつ下がり始める。
 モンスターたちは、戸惑うように動きを止めた。
 何か違和感に気付いたようだが、その違和感の原因まではわからなかったのだろう。
 周囲を見回し、その視線が私の構える杖の先端を横切った時、奴らの表情は凍り付いた・・・・・
 空気の凍る、音がする。
「吹き荒れろっ! マヒャドッ!」
 雪と氷の嵐が、モンスターたちを包む。
 それは一瞬。
 一瞬だったが、強烈な冷気にさらされ、モンスターの動きは完全に静止した。
 ヒルタンの矢は、三体のボーンナイトを確実に射抜き、その体を破壊した。
 リバストの剣も、確実に青牛に止めをさしていた。
 そして、悪魔は。
 地面にひれ伏すように倒れ。
 元々初めのエリーゼ姫の一撃で、相当なダメージを負っていたのだろう。
「キサマは……」
 呻くように呟いて。
「そうか……キサマが、サントハイムの氷の魔人、ブライ……」
 事切れた。

◆ ◇ ◆

 パチリ、と炎が爆ぜた。
 ユイリは、アリーナは、マーニャでさえも、二の句がつげないでいた。
 そんな空気に気付いてか気付いてないのか、ブライはほうと息をつくと、のっそりと重い腰を上げ、立ち上がった。
「やれやれと、久しぶりに長話をしてもうたわい」
 少し離れたところではまだトルネコが一人パトリシアに観光名所の解説を続け、そのすぐ傍ではクリフトが寝こけている。
 ミネアとライアンの姿がいつの間にやら見えないが、だからといって何かある、というわけでもないのだろう。たぶん。
「とんだつまらない話を聞かせてしまいましたな」
 妙にご機嫌に、ブライは頭を下げてきた。
「あ、いいえ、そんな……」
 なぜか機械的な動作で、マーニャが首を左右に振る。
「さて、年寄りはそろそろ先に寝かせてもらいますな」
 ゆっくりとした動作で、ブライは馬車の中へ戻っていった。
 ユイリ、マーニャ、そしてアリーナの三人はブライが馬車に戻っても、その様子をしばらく眺めていた。
「え、えっとぉ……」
 やがて遠慮がちにアリーナが口を開いた。
「今の話、何?」
「いや、ブライの若い頃の話じゃ……」
 マーニャとアリーナは顔を見合わせる。
 何かひどく違和感がある。
「あのじーさんにも、若い頃ってあったんだ」
「ちょっと待って。エリーゼって人、確かに先祖にいたと思うけど、あれって四代くらい前じゃなかったかしら」
「えっ?」
 と、言うことは、少なく見積もってもアリーナの曾祖々父の代の話ということで、軽く百年ほど前?
 ユイリは頭を押さえる。
 アネイルの勇者リバストが活躍したのも、たしかそれくらいのはず。そして、ブライの話に出てきた少年が、あの「商売の神」ヒルタンのことだとすれば。
「確かにつじつまは合うわね」
 面白そうにマーニャはうなずいた。
 だが、完全に酔いが覚めた様子のアリーナが、真っ向から否定した。
「そんなはずないわ! だって、ブライって確か七十七歳くらいのはずだもん」
「いや、あの妖怪じみた顔は確実に百は超えてるわね」
「そうかもしれないけど、いや、そうじゃなくって、なんで年齢偽る必要があるの?」
「ふふん。アリーナちゃんやユイリくらいじゃまだわかんないかもしれないけどね、年を取れば取るほど年齢を若く見積もりたくなるものなのよ」
「…………」
「そこで沈黙しないでよっ!」
 まあ実際の所、マーニャ自身も二十歳を回ったばかりで、まだまだ若いと言われる年齢なのだけれども。
 ブライの語った物語の真偽がどうであれ、寝こけているクリフトや完全に酔っぱらって馬相手に講義を続けるトルネコ、じゃれ合うマーニャとアリーナ、緊張とはほど遠いパーティを見てユイリは、非常に深い至福を感じていた。
 ころりと、草の上に寝転がった。
(追われる旅ではない)
 だからこそ今、自由に動けているのだ。
 勇者は死んでいると、思われているから。
 だから勇者を追う者はいない。
 そこに、何らかの作為を感じないと言えば、嘘になる。
 ああ、かつての勇者、リバストの反省を経て、自分は作られた・・・・・・・のだろうか?
 わずかな疑惑。疑念。
 素直に至福を感じ取れない自分に、ユイリはもどかしさを覚える。
(まあ、いいや。いずれ、わかる時も来るだろう)
 天を眺め、あのどこかに、夜の天のどこかに、竜の神が住む、天の城があるのだろうかと、考えながら。
 光の神である竜の神は、夜の天も支配しているのだろうかと、考えながら。


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