*考察思考1*

 ここはサントハイム。
 王宮内の裏庭。
 芝生の上に草花が植えられ、小さいながらも噴水があり、ちょっとした庭園となっている。
 午後の早い時間帯はこの芝生の上に座って、神学書などを読んで過ごすのが私の日課となっていた。
 眼鏡を掛け、やや寝そべる形で、本を胸の上に乗せ、微睡みに浸りながら読書とも思索とも睡眠とも区別のつかない時間を過ごす。
 時折本当に眠ってしまったり、また逆に、自分でも驚くほど深い思考の海に浸ってしまったり。
 この日は、どちらかといえば後者だった。
 いつも、こんな時に出す結論は後々変わったりもする。深くはあるけれども私自身の実体からはかけ離れた結論がほとんどだった。
 この日の考察は、はたしてどうだったのか?
 実は、未だにその真価を決められないでいる。
 それもまた、いつものこと。
 自分は何を考え、どこに立っていて、何を望んでいるのか?
 そんな漠然とした、しかし大きすぎる疑問には、ほんの小一時間の思索で出るような単純な解答はないのだろうけれども――




 神を想像したことがあるだろうか?

 その日の思索は、そんな、神官という身分の者にとってしてみれば至極日常の、自己の前提でもあるような、訊かれるまでもない疑問から始まった。
 例えば、天の彼方にいて、地上の平和を監視しているという、竜の神。
 強大な力を持った、人間などより遙かに高見に座する、高位生命体の一形態。
 ああ、だがしかし、それが生命体である以上はどうしても意志を持つ。故に恣意的な観点でしか世界を観ることはできないだろう。
 だからそれは、いくら尊敬すべき格を持った存在であろうとも、真の意味では『神』とは呼べないのではないかと思うのだ。

「ホイミッ!」

 それはこの魔法が証明する。
 魔法――白魔法。
 もしくは『神術』とも呼ばれる不可思議な呪法。
 正当な手続きを持って唱えれば、体内に貯蓄された魔力と引き替えに奇跡は顕現する。
 おお、確かにこれは奇跡だ。
 一瞬にして傷を治すなんて、時空に支配される自然界の存在には決してなしえない技だ。
 流石に寿命で朽ちた体や、魂の去ったものを蘇生するなどといったことは無理だろう。しかし高度なものになれば、ほとんど即死性の致命傷をも一瞬で回復したり、魂の去る前の死体すらも蘇生することが可能だという。
「まあ、今の私には、ホイミ程度で精一杯ですが……」
 それすらも、そう多くできるものじゃない。
「街の人たちに対して使う程度ならば、問題はないでしょうが……」
 例えば城を警備する戦士たちに対して使うには、やや力不足を否めない。
 今は平和な時代であり、戦士たちもそう危険な任務に就くことはないが、一度ひとたび時勢が変われば、ホイミ程度の呪文では到底追いつきやしないだろう。
 城の神官として要職に就くことを望むのならば、いずれは――できれば今すぐにでも――力をつけるための修行に出るべきなのだろうが……
「……思考が逸れてますね」
 こほん、と咳払い一つして、自らの将来への思慮を、中断する。
 神のこと。
 ホイミ程度では実感が少ないかもしれないが、正しくこれは、神の御技でしかありえない。神以外になしえない技だ。
 だが、問題は――
 このホイミという奇跡には――
 神の使徒たる人間の神官ばかりではなく、一介の戦士、傭兵、果ては人類の天敵である魔物や魔族すらも――場合によっては使用することがあり得るのだ。
 さて、考えてみよう。
 魔物ですら白魔法を使用するという、事実。
 たとえ魔物であろうともこの地上にある生命ならばやはり神の愛の対象である。
 ……まあいい。
 そう主張する人間も、世間には多いと聞く。
 実際その通りであるかどうかはわからないが、私には興味がない。故に問題はない。
 十歩程度譲って、魔物が神の愛を受けていることを赦そう。
 だがな、世界の破滅を願うような――
 または人の不幸と悲哀を蜜の味としているような――
 何をどう譲っても『邪悪』としか表現できないようなやつでさえも条件さえそろえばホイミを使用することができる。
 そう、できるのだ。
 過去の歴史が、すべてを証明している。
 ああそうだ。
 これは神の奇跡だろう。
 だがしかし、一つだけ私は断言する。
「この奇跡を我らに与えてくれる神――それには意志がない」
 意識が存在しない。
 神は何も望まない。
 ただのシステム。
 冷厳たる法則。
 手を放せば物が落ちる。
 剣で切れば斬れる。
 そんな、極々当たり前に、どこにでも転がっている、自然と一体となった、単なる法則。
 魔力と引き替えにする。呪文を唱える。資質が必要。
 そんな煩雑な手続きのみが、魔法という奇跡と、日常当たり前にある自然とを分ける、薄っぺらな壁だ。
 そう考えると、この世における、神と、魔法に関する印象ががらりと変わる。
 我々は通常、破壊を司る系統の魔法を黒魔法と呼び、回復を司る系統の魔法を白魔法と呼ぶ。
 多数の例外が存在するが、概ね魔法は、その二系統に分けられる。
 前者を使用する者を『魔法使い』と呼び、後者を使用する者を『神官』と呼ぶ。
 また、前者は精霊の力を借り、後者は神の力を借りるのだと言う。
 だが待て?
 魔法使いの中にはまれに両者の系統の魔法を使いこなす『賢者』と言う存在が出現することもあるという。かつて存在した賢者の伝記によれば、その奇跡を呼び込む代償として差し出すMP――魔力とは、どちらの系統のモノであろうとも等しく同質にして同一のモノだというのだ。
 ならば、魔法とは、白も黒もなく、どちらの系統のものであろうとも、使いこなせるかどうかは本人の資質によって左右されるもので、その奇跡を現出しうる仕組み自体は、同じではないのか? 同じシステムを利用しているのではないか?
 かつて――伝説にも残らないほど古い話ではあるが、精霊、と呼ばれる存在も、神として扱われた時代もあったらしい。
 それこそ神と精霊が同一のものを示す証左とならないだろうか?
 私が思うに、神の本質とはきっと、そのシステムの仕組みを作った原因自体であり、それには人間が想像するような意志も意味もきっと存在することはありえないのだと。
 故に、世界の守護者たらんとする意志を持つ、天空の竜の神は真実の意味での神ではない。
 私と同じように考える者は、意外と多いことがわかった。
 古い書物に、小説のようなフィクションの体裁を持って記されていたり。一般に流通しない地下出版の本の中には何冊か、私と似たような意見を、より洗練された言葉で説明しているものもあった。
 また逆に、私のような考えは神の権威を貶める邪悪な思考だとする者も多い。
 特に古い権威を守ろうと主張する連中にこそ多い意見だ。
 もっとも、その古い権威を守護する連中こそが、現代神殿の主流なのだが。
 冗談ではない。
 神を貶めているのは、貴様らだ。
 神に救われるとか、神を愛するだとか、遙かに高次の存在である神を、我らの感覚に合わせて認識しようなどとは、不遜にもほどがある。
 高位の神官の中には自らを『神に最も近き者』などと称する連中もいるらしい。
 ふざけるな、と言いたい。
 神は名乗らない。
 神は祈らない。
 神は区別しない。
 神は存在するがゆえに存在しないと等値である。
 神は遍く在り、だからこそ、すべてのものに平等なのだ。
 私にも、古き権威の神官どもにも、生まれたての赤ん坊にも、モンスターたちにも、きっと、路傍の石ころにだってきっと、神は在る。
 連中はそんな単純な事実に気づいていない。
 自我が強く、高見にあるものを神と錯覚する連中こそがよく陥る、それは罠だ。
 天を見上げる必要など、どこにもなくて。
 神はここに在る。
 白も黒も等しく神という名のシステムの結果。
 まあ、最も、現在のこの世の中の状況下では、こんな意見、口に出したが最後。即破門だろうから。大きな声では言えないのだが。

 しかし……神官たちの事情はそれでいいとして、問題のもう一翼を担う魔法使いたちはこの問題についてどのように考えているのだろう?
 案外、神官たちよりは柔軟に、世界の謎、魔法の謎について理解しているのかもしれない。
 魔法――黒魔法の源は、世界に宿る自然を司る精霊の力を借りているのだとされている。
 その考えは、私の考えるシステマティックな魔法の考えに結構近い。
 神は人間に理解できるような意志も思考もなく、世界に遍く存在として在るのだと。
 それは自然に遍く在るという、黒魔法の理論によく似ている。
 何気なく魔法使いに尋ねてみたいと思った。
 この国、サントハイムの城にはブライ老という、宮廷魔法使いがいる。
 本人は今年で七十五歳だと主張しているのだが、今のこの国の王が幼少の頃から宮廷魔法使いとして、今とまったく同じ容姿でいたというのだから、百歳超えてるんじゃないかと皆が噂している。若い頃は優秀な魔法使いで、世界にその名を轟かせていたらしいのだが、近年とうとう呆けが始まったのか、覚えていたはずの魔法もとんと出て来なくなってしまったのだという。
 真実かどうかは知らない。
 だが、私の知る限りのブライ老は、たいした魔法も使えず、レベル的には私と大差ない。その程度の実力しか、ない。しかし一部の噂では、ブライ老こそ伝説の賢者でもある、なんて眉唾すぎる話すら起こるくらいで。
 それが真実かどうかは脇に置いて、何かの機会に話を聞いておくのも手段としては正当なものだろう。
 だが、ブライ老と柔軟性か。
 これほどに合わない組み合わせもないと思う。
 ブライ老は常に、この世のすべての在りようが在るべく形として在るように、望んでいる。
 つまり、男は男らしく。女は女らしく。王は王らしく。神官は神官らしく。魔法使いは魔法使いらしく。そういった、記号化された存在の理想型のみを正しいあり方として、他のすべてを否定、ないし矯正すべき在りようとする認識を望むのだ。
 そんな理想など、幻想でしかないと思うし、正直なことを言わせてもらえばブライ老自身も『魔法使い』として理想型とは言えないと思う。
 魔法を忘れた魔法使いなど、誰が魔法使いとしての正しい在りようとするのだろう?
 まあ、最も、ブライ老は魔法使い以前にサントハイム王家の教育係であり、教育係という前提がある以上はやはりその在りようはある種の理想型と呼べるものかもしれない、と考えたり。
 ――ひょっとすると、教育係であろうとするあまり、柔軟性を失い、魔法を忘れていったのではないか?
 そんなことを単純に、思ったりもする。
 もしブライ老が魔法を取り戻せば。
 あのあまりにも頑迷な性格も矯正することができるのではと……
「なーにやってるの、クリフト?」
 背後からひょいっと伸びてきた白く細い指先が、私の顔の眼鏡をつまみ、あっさりとさらっていった。
「あっ」
 思わず声を上げて振り向くと、いつの間に近づいてきたのか、我らがサントハイム王女、アリーナ姫様のすらりとした姿態があった。すました表情で私を見て、眼鏡の柄の先をつまみ、くるくると回して遊んでいる。
「ひ、姫様っ、いきなり何をなさるんですかっ!」
 あわてて取り返そうと立ち上がったが、姫様は軽やかにステップを踏み、私から距離を取る。
「何を考えてたの? 神だとか、魔法だとかぶつぶつと……危ない人みたいよ?」
 聞いちゃいなかった。
「あ、ぁぅ……姫様ぁ」
 少しショックを受けた。
 いつの間にか声に出ていたのだろうか?
 誰に聞かれるともわからない、王宮の中庭なんかで。
 知られるとまずい思考も混ざっていた。細心の注意を払って、心の中だけに収めておかなくてはならない思索もあったのに。我ながら迂闊うかつとしか言いようがない。
 しかし、そんな問題よりも私にとって重要なのは、危ない人だなんて、姫様にそんな目で見られることだった。
 けれども姫様は笑って、手に持った私の眼鏡を自らの顔に、掛けた。
 途端に焦りも何も、すべてが吹き飛んでしまった。
「似合う?」
 にこやかに微笑んで、姫様は片目を閉じる。
 似合うも何も、なんて言うか、非常に眩しすぎる。
 私の一部でもあると言える眼鏡を姫様が身に着けている。その事実だけでもなんだか非常にくすぐったい気分になる。さらには眼鏡という小道具が、普段見慣れているはずの姫様を、とてつもなく新鮮な雰囲気にさせる。
 デフォルトの非常に凛々しさと幼さが、非常に希有な(あるいは危ういとも表現できる)バランスを保って共存している――そんな姫様の印象が、眼鏡一つでシャープさを加えられ、完成させられる。知的さ、大人さを加えられ、どこか色気すらも漂っているように感じさせられた。
 しばし陶然と眺めていると、不意に姫様は顔をしかめ、眼鏡を外し、不思議そうにレンズを眺める。
「度が入ってないのね?」
「ええと…………伊達眼鏡ですから」
「クリフトって、眼鏡をつけてると結構、かっこよくなるもんね。女の子にもてるため?」
「そ、そんなっ! 私はただ……」
「侍女たちにも評判よ? あのどこか冷たい知的な視線が素敵だって」
「え、えぇっ? だ、誰が……」
 姫様は私の台詞など全く聞くつもりもないらしく、何やら上機嫌で話し続ける。
「眼鏡を取ったらなんか頼りないんだけどね、そこがまた母性本能をくすぐるって話だし……」
「ち、ちょっと、姫様……」
「はい。ラブレターよ」
 と、姫様はピンクの可愛らしい絵の描かれた封筒を差し出してきた。
「へっ?」
 今度こそ絶句して、私はまじまじと視線を、姫様の顔とピンクの封筒の間を交互に何往復も彷徨わせた。
 姫様が?
 私に?
 えっ?
 それはありえない夢だ。
 だが、今、目の前の姫様は……
「侍女のフィニーから預かってきたの。クリフトにって」
 がくん、と力が抜けた。
「フィ、フィニーさんからですか」
「どうするの? 受けるの?」
「ええと、そ、そ、それはですね!」
 フィニーさん? 姫様の侍女の一人だ。姫様と正反対の、非常に大人しい娘で皆に好かれている。姫様の一番の傍にいる人間の一人だから、若干『乱暴者』との評がある姫様との対比で、大人しい割には目立っている娘だ。城内の男たちの中にも密かにファンは多いと聞く。そんな子が、私にラブレター? うわぁ。姫様とまた正反対の意味でありえない。ありえない事態だけど、姫様が持ってきたってことは悪戯なわけはなくて、と言うことは本物で。うわぁ。どうしよう? 困ったな。断ったら泣かれてしまうかも。いや、断りたい訳じゃなくて、いい娘ってことはわかっているのだから、むしろ受ける方が正しい。こっちも嬉しい。フィニーさんとなら、きっと誰だって楽しく過ごせるだろう。いやいや、そもそも神職に就く身が恋愛などに。違う、そういう問題じゃなくて、ならどんな問題かってうわぁ、困ったな。困ったな。
「……ああっ! もう煮え切らないわね!」
 いつまでも混乱している私に姫様はしびれを切らしたのか、眼鏡を外して、私の顔に、強引に戻した。
「断ります」
 私は即答した。
「えっ? 断っちゃうの? もったいない」
「ええ。私としても非常に残念なのですが、まだ半人前の身。特定の方と交際するつもりはありません」
 考えるまでもないのだ。
 私は神官として大成することを希望している。ならば、近いうちに修行に出ることになるだろう。そうなると、どうあってもサントハイムを離れなくてはならない。フィニーが私と付き合ったとしても、サントハイムを離れられない彼女とは、すぐに別れなくてはならない。遠距離を想うような、そんなつらい想いをさせるとわかっているのならば、初めから付き合わない方がましだった。
「ふーん。そんなもんなんだ…………」
 感心したように姫様はうなずいていたが、ふと顔を上げると悪戯っぽく、にんまりと笑った。
「それにしてもクリフトって、変よね。眼鏡を掛けてる時と掛けていない時、全然性格が違う」
「ほっといてください。それより、だいたい私はその手紙を読んでいません。フィニーが交際を願っているなんて、まだわからないじゃないですか」
 よく考えたら、姫様の勢いに乗せられて、手紙の内容が交際を迫るものだと思いこんでしまったが、封も開けていない手紙の、どうやって中身に応えろというのだ?
「んーそれもそーだけど……どっか熱っぽくて、頬を赤らめて、どもりながら『こ、こ、これをクリフトさんに渡してくださいっ!』って言われると、告白以外の何があるの?」
 姫様の言葉を聞き流しながら、私は封筒の封を開ける。
 可愛らしい便せんに丸っこい文字が綴られている。
 それにしてもフィニー……姫様の手を煩わせるなんて、何を考えて……
 まあ、それは私に責任があるか。
 生まれて数年で姫の幼馴染みとなった私は、それ故に同世代の男性からの、嫉視の対象となった。
 私には同世代に同姓の友人と呼べる相手がいない。その分だけ、年輩や若輩に対しては気を遣うようにしたが、それらは気安い友人関係とはまた別のものだ。
 だからといって、異性の友人は、さらにまずい。
 将来がほぼ約束された人物に対する異性の視線というものは、好悪などという単純なものばかりではありえない。特に王宮と呼ばれる領域は、地位や権力に対する羨望を必要以上に保有する魑魅魍魎が非常に集積しやすい空間だ。そのような人物の目から見れば、姫様の傍にいることの多い私は『権力の果実』その物に見えることだろう。フィニーからしてみれば、誰がライバルかわかったもんじゃなかったのだろう。
 アリーナ姫様が信頼するように、フィニーは地位権力を欲する人間ではないようだが。またそれ故に、周囲の反応に対して余計に神経質になり、慎重に行動するようにしていてもおかしくはない。
 自分で直接告白することができず、他者というフィルターを介してでないと接触できない人格というものを、私は否定しない。そんなものは個性に類するもので、別の言葉で言えば「奥ゆかしさ」などという表現につながるものだ。
 フィニーはおそらく、誰かに手紙を託す以外に方法を知らなかったのだろう。
 そして手紙を託するにたる人物の選択肢は、外部から見ただけでは恐ろしく限られる。
 すなわち、手紙を託せるにたる条件を保有している人物とは『私――クリフトの友人であり、かつ、クリフトに恋愛感情、またはそれに付随される・・・・・感情を持たないことが確実視される者』である。
 フィニーの立場からすれば、その選択肢はアリーナ姫様以外になかったのだろう。
 なるほど。確かにこの姫様は、色恋沙汰には何の興味も示さずに――――
「あれ? 別に告白ではないみたいですよ」
「えっ? 嘘?」
 驚きの声を上げて、姫様は私の手元にある手紙を覗き込んでくる。
 無防備に何の警戒もなく顔を寄せてくる姫様を、意識すると共にわずかに落胆を覚える。
 本当に、この姫様は、恋愛について興味をまるで持たない。
 多少でも恋を知る少女ならば、こうも無警戒に同世代の男に近づくようなことはしないだろう。
「やっぱり、告白じゃない!」
「違いますよ。サランの町に来るお芝居を一緒に観ましょうって内容でしょう?」
「デートでしょ?」
「そうですが?」
「……?」
「……?」
 どうにも話が噛み合っていないようだった。
「デートするってことは、付き合ってるってことよね?」
「違いますよ。デートは告白の前段階です」
「デートって、恋人同士がするものでしょう?」
「デートは相手が付き合うに足る人間かどうか見定めるための準備期間のようなものでは?」
「……そんなもんなの?」
「なら、私と姫様はよくこうして二人きりで話したりしますが……デートですか?」
 少し考えるように姫様は視線を宙に向ける。
「……違うわね」
 一応うなずいたものの、決して私の意見に賛同したわけではないのだろう。
 納得いかない風に首を傾げている。
「ま、いっか……それで、どうするの?」
「ええ。一緒にお芝居を見に行くくらいなら、いいでしょう」
「そう、よかったわ。きっと、フィニーも喜ぶ」
 口ではそういうものの、姫様はどうにも浮かない表情だった。先ほどの私のデートに対する見解が引っかかっているのだろう。
 それに関しては、私からは何も言えない。すでに私の姿勢は姫様に伝えた。返事の義務は果たした。ならば、フィニーにどう返事を伝えようかと悩むのは、アリーナ姫様が受けた仕事に付随する義務だ。
 それに、先ほどから付き合う付き合わないの話をしているが、まだ私は、当のフィニー自身がどういった考えでデートに誘ったのか聞いていないのだ。
 本当に真剣に、将来の結婚をも考慮に入れて交際を望むのか、それとも単純に恋のゲームをする相手として私を選んだのか、彼女がどのレベルでの交際を望んでいるのかは実際に会って話をしてみなければわからない。その話をする場としてデートを選んだところで、いったい何が悪いのだろう?
「姫様は……私とフィニーさんが付き合うことをどう思われますか?」
 それでもなぜか私は、気づけば聞かなくていいことを、聞いてしまっていた。
 姫様は微笑んでいる。
「フィニーは信頼できる侍女だし、いい子だわ。クリフトも側近の中じゃ、一番信頼してる。順調にいけばクリフトはいずれはサントハイム教会の、教会長を勤めることになるでしょう? フィニーもがんばれば、私の子供の乳母になれるかもね。それくらいは信頼してる。だから、あなた達二人が結婚すれば私としては非常に心強いわ」
 なぜか、その言葉に私は、ぎくりと、体を強ばらせた。
 アリーナ姫様がそこまで考えていたことも意外だったがそれ以上に私には、その言葉は私の秘めた想いを断罪し、たしなめるものにしか思えなかった。
 その想いを抱いてはならぬ。
 誰にも気づかれてはならぬ。
 その境界を越えてはならぬ。
 身分。性別。嗜好。能力。信念。趣味。目的。性格。地位。知能。筋力。速度。魔力。
 ああ、それらのすべてが違う。異なる。
 だから、だから、だからその手は、握れない。
「話は変わるけど!」
 姫様の笑顔はいつもの無邪気な笑顔だった。
 だから、私も気づかない振りをした。
「今度エンドールで武術大会が開かれるんですって!」
 嬉しそうに言う姫様の表情に、嫌な予感を想起させられずにはいられなかった。
「まさか……見に行きたいなんて言う気じゃないでしょうね? 陛下は許可してはくれないと思いますよ」
「まさか。見に行きたいわけじゃないわ」
 信じられない言葉だった。
「えっ! どういうことです? 武術大会を見に行こうとしない姫様なんて姫様じゃない! 大丈夫ですか? どこか病気ですか? おかしな所ありませんか?」
「どういう意味よっ! 違うわよ。見に行くなんて思ってないわ。出場したいのよ」
 これ以上なく姫様らしいセリフだった。
「……余計に無理ですよ」
 ため息をはいて、私は肩を落とした。
 諫めるまでもなく、姫様の言葉の実現は不可能だ。
 考えるまでもなくそんな希望を陛下は聴きやしないだろう。姫様の外の世界に対する憧れは、城中の皆がよく知っている。抜け出そうとしないかと常に監視はしているし、たとえ抜け出せたとしてもエンドールまでは遠い。不在に気づいてから追いかけても十分に間に合うだろうし、エンドールへの『旅の扉』の前ではサントハイムの兵士が常に警護している。行こうとしても、どうあっても不可能なのだ。  思案に暮れる私に、アリーナ姫様はとんでもないことを言った。
「クリフト」
「何ですか?」
「一緒に来ない?」
 息が、止まった。
 言葉の意味が、理解できない。
 理解できないまでも、何とか解析しようと、頭の中でリフレイン。
『一緒に来ない?』
 姫様の、誘いの言葉。
 なぜ?
 反対している者に対して、どうしてそんな言葉を掛けられる?
 私を利用すればエンドールに行ける、なんて解答はどこにもない。
 姫様にだって、わかっているはずだ。
 だから、その言葉は、打算とか、ではなくて、ただただ純粋に……
「それはどういう――」
 その時だった。
「ひ〜め〜さ〜ま〜ぁ〜。ど〜こ〜に〜お〜ら〜れ〜ま〜す〜か〜ぁ!」
 よく響くしわがれた声は宮廷魔法使いのブライ老のものだ。
「ちっ。気づかれたみたいね」
「姫様――舌打ちはお止めくださいませんか?」
「勉強机にダミーの『アリーナちゃん人形』を置いてきたのに……。あーあ、流石にブライもそこまで耄碌してないか」
 相変わらずの姫様は、私の小言なんて聞いちゃいない。
 いつもの姫様だった。
「また勉強中に抜け出してこられたので?」
 呆れることはない。
 こんなの、アリーナ姫様に取ってみれば日常のこと。そしてそれを見る私やブライ老とってみても、やはり日常だ。
「じゃ、クリフト。ちょっと逃げるわ。後お願いね」
 一言、言い放って、姫様は走り去っていった。
 気づかれたんならどこに逃げても無駄だろうに。
 城内で姫様以上に目立つ存在はないのだから。
 私は嘆息して、ずれた眼鏡を直す。
 木を背にもたれかかり、そういえば開いてもいなかった本を、手に取る。
『ダーマの神殿――その興亡』
 かつてこの世界には、人の生命としての道筋を強制的に変えてしまう能力を持った存在があったという。
 例えば魔法の才能のない者に、魔法の才能を与えたり。
 武道家の才能のない者に、武道家の才能を与えたり。
 それらを突き詰めてみれば、究極には勇者の才能を与えることすら可能だったという。
 ――勇者の才能?
 なんだろう、それは?
 この本によると、勇者とは単に『勇気のある者』とか『世界を救う者』といった具体性のない存在ではなく、もっと具体的に示せる能力保有者のことを言うらしい。
 つまりは勇者の才能。
 勇者になれる・・・才能ではない。
 勇者はその才能を得たその瞬間から勇者であって、その才能を持って何を成すかはまた別問題だという。
 それが、努力次第で誰にもなれる時代が、かつてあったのだという。
 なるほど。人間の天敵である魔物たちにとってしてみれば、これ以上の脅威はないだろう。
 現に歴史の中で、その神殿は幾度となく滅ぼされている。
 現代に、ダーマの神殿はない。
 魔物に滅ぼされてしまったわけではなく、ダーマの神殿長になれる才能を持つ人間がいないためだろう。
 この才能ばかりは、修行してどうなるものでもなかったらしい。
 人の才能・資質を操るなど、ある意味で勇者以上に特異な才能だろうし。
 結果、地上からダーマの神殿が消えてから久しく、伝説を知る者すら少なくなってしまった。
 故に、人は生まれながらの才能に縛られ――勇者という才能も、偶然が産み出すのを待つ以外になくなった。
 それは結果として人類総体の弱体化を――――
「おおクリフトよ。姫様を見なんだか?」
 しわがれた声に顔を向けると、ブライ老が息を弾ませて私を見ていた。
「姫様ですか? 先ほどあちらへ行かれましたが?」
 正直に応えて。
「何かあったのですか?」
 白々しく尋ねてみる。
「それがのぉ。またしても勉強中に逃げおって……ええいっ。クリフト! お主からも注意せんか! 全くお主ときたら姫様に甘い……」
 ぶつぶつと呟きながら姫様を追って行ってしまった。
 やれやれ。
 どうにも今日は思索を邪魔される日のようだ。
 それもいつものことのように思えるが。
「まあ、平和ですから……」
 まあいいかと、目を閉じた。
 何事もない、平和な日々。
 神官も魔法使いも、それほど強大な力は必要とされず、勇者がいなくとも世界はつつがなく毎日を送っている。
 目を閉じ、それがありえない想像だと理解しておきながら私は。
『一緒に来ない?』
 姫様の誘いに即答できなかったことを後悔し。
 けれども現実ではきっと反対するんだろうなと、希望との矛盾に首を傾げ。
 だからこそ、せめて夢の中だけでも共に旅をと――

 眠りに落ちた。


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