秋桜 9
2005.04.26

過労で倒れてから二週間で大和の体調は元通りに回復していった。
大事を取って十日間も休んでいた学校も久しぶり訪れるとすぐには馴染めず、心配して声を掛けてきたクラスメイトとの会話も途切れがちだった。
人と話す事が苦手で愛想の無い大和は長い休み明けには必ず無口になってしまう。
三年生になってからはクラスメイトと過ごす事も多くなり、それなりに改善されていたのだが、今は校内でも楓と過ごせる気楽さに甘えて他の人間関係を蔑ろにしてしまう。

昼休に開放された屋上で楓と二人買って来たパンを頬張っていると、大和の登校を聞きつけた英二が二人を追ってやって来た。
英二は怪我をしている間も忙しい部活の合間を縫って見舞いに来ては、下らない雑談で時間を潰して使い古したポルノ雑誌を置いて帰っていった。
結局、興味の無い大和にとって英二の置いていったポルノ雑誌は必要無いものだったが気持は嬉しい。
今では一緒に過ごす事も少なくなったが、二人の仲が遠ざかっていた時は頻繁に声を掛けてきたり、快気祝いと言って紙パックのジュースを奢ってくれるのは友達思いの彼らしい行動だった。
久しぶりの登校で緊張していたのか、気心の知れた楓や英二といると肩の力が抜けて大和は本来の調子を取り戻していく。



「仲直りしたのはいいけどさ、あんまり一緒に居ない方がいいんじゃないか? 」
唐突な英二の言葉が理解出来ず表情でその意味を尋ねるが、彼は口篭もったまま俯いてしまった。
楓は何かに気付いているのか諦めているような表情で空を仰いでいる。

「いや……怒るなよ。俺は信じてないけど……お前らがキスしてるの見たって奴がいてさ、お前らまたホモだって噂されてるんだよ……ふざけてるよな……」
重い口を開いてボソボソと語る英二は何を信じているのだろうか?
その噂が真実で無いと否定されたがっているように聞こえ、彼の言葉がズシリと重く圧し掛かる。

これまで意識して他人を排除してきた二人だから関係を面白可笑しく噂されていたのは知っていた。
しかし、それはあくまで冗談の範囲であり、誰も本気では信じていない噂話でしかない。
いつもだったら笑って流していたが、今回は言い逃れ出来そうも無い事実が目撃されている。
その重い口ぶりから、もしかして彼自身も似たような場面を見ているのかも知れないと大和は感じた。
どうしていいのか分らず黙ってしまった大和に英二の表情が曇り、重い沈黙が訪れる。



「本当だよ」
突然口を開いた楓は重く澱んだ空気を吹き飛ばすように、普段となんら変わらない口調で続ける。

「俺は大和とキスしてたし、それ以上だってしてる」
まるで何でも無い事のように堂々と言えるのは、いつかこんな事が起こるかもしれないと覚悟をしていたのだろう。
冗談では無い楓の表情に、英二は持っていた紙パックのジュースを地面に落とした。

「嘘だろ……男同士だぞ? 」

「お前には変に見えるかもしれないけど本当だよ」
英二は信じられないといった表情で二人を見ると一歩身を引く。
楓はそんな英二を優しく諭すようにゆっくりと話した。
「……何かよくわかんねぇけど……お前ら気持悪いよ……俺は友達だと思ってたんだ……それがホモだなんて最悪じゃないか……」
理解出来ないのは無理も無い。
英二の血の気の引いた今にも泣き出しそうな表情はこの先も忘れる事が出来ないだろう。
けれど心無い言葉に大和の頭は熱くなり、気がついたら英二の胸ぐらに掴みかかっていた。
「何だよそれっ……ふざけんなよっ……俺達がお前に迷惑かけたか? ただ好きなだけだろ? それの何がいけないんだよ」


「大和、止めろよ」
楓はあくまでも冷静に睨み合う二人を引き離し、興奮して呼吸が乱れた大和の背中を優しく叩く。
「安心しろよ、誰にも言わないから……でも俺はもうお前達を友達だと思えない……腹が立つし気持が悪い……」
乱れた襟を直しながら殺気立った目で大和を睨みつけると、英二は吐き捨てるように最後の言葉を残して去っていく。
追いかける言葉も引きとめる言葉も見つからず、二人は何も言わずに英二を見送った。


全身の力が抜けたように崩れ落ちる大和の肩に楓の暖かい手が触れた時、昼休みの終わりを告げるチャイが鳴り響いた。
二人が恋人である以上この先いくらでもこんな目に遭うのだろう。
たぶん覚悟をしていたであろう楓は決して取り乱さずに英二と接し、大和は爆発させた感情を持て余している。
楓と生きていく事に迷いは無かったが、初めて目の当たりにした現実と自分の甘さを思い知り、大和の心には言葉にならない悔しさが広がった。


「サボっちゃおうか? 」
大和の心中とは対照的に、まるで今の出来事が無かったかのような調子で楓が目を輝かせた。
まるで悪戯を持ちかける子供のように。
カラ元気なのだろうが今の大和にはそれさえも頼もしく思える。
どちらにせよ、このまま午後の授業に出る気分にはなれずに大和は「そうだな」と力無い声で頷いた。



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