秋桜 11
二人の噂が広まるまでの時間は驚く程に速かった。
あの日、二人して学校を抜け出した事で噂は真実味を増し、一部の生徒からは心無い仕打ちを受けるようになった。
その中で志望校に合格したという知らせが楓の憂鬱な気分を吹き飛ばす。
同じ大学を受験した大和は残念ながら不合格となったものの、第二志望には何とか合格をした。
週末には二人でアパートを探す日々が続いている。


「お前、ホモなんだろ?」
下校時間、楓が教室を出ようとすると数人の男子に囲まれた。
学校生活では弱みを見せた者が標的になる。
実際は大和よりも腕力は強いのだが、彼等は一見大人しそうに見える楓を獲物に選んだ。

油断をしていた。

彼等の目的は暴力で楓を弱者として扱う事なのだろう。
手足を抑えつけられて制服のボタンが外される。
簡単に屈してたまるかと力任せに抵抗するが、降り注ぐ拳は容赦無く楓を痛めつけた。

「何やってんだよっ……」

一緒に帰ろうと迎えに来た大和の声が遠くから聞こえると、昂揚した集団の力は大和へ向かって流れていく。
抑えられた力に隙が出来た事で、楓は体勢を立て直して殴り合いの中心へ向かった。


「痛っ……」
進路指導室に並べられた冷たい鉄パイプの椅子に座ると楓は身体中の痛みに顔を歪めた。
あの時、多勢に無勢の殴り合いの中で騒ぎを聞きつけた教師が止めに入ったが、喧嘩馴れしていない二人は無我夢中で抵抗した為に相手の一人に怪我をさせてしまった。
大丈夫かと心配そうに覗きこんだ大和の目も殴り合いで青く腫れている。
「どうしてこんな事に……」
重い溜息をつきながら手の平で顔を覆ったのは大和の母親だった。
ずらりと並んだ困惑の顔達。
彼等にとって頭を抱えているのは喧嘩をした事でも相手に怪我をさせた事でも無くその原因だった。
大和の母親には予感があったらしい。教師達の中にも噂を聞いていた人間もいた。
だが、核心に触れても彼等に取扱う術は無く、このまま何事も無かったように通り過ぎようとしていたのだろう。
それが今日の出来事で予感は確信に変ってしまった。楓と大和の間にあるものに触れてしまった。


「伊藤は骨折だったそうだ。理由はともかく相手に怪我をさせたのは……」
重い空気の中、学年主任の教師が沈黙を破る。
相手の一人を骨折させたと言っても殴られたのはお互い様で、先に仕掛けてきたのは相手の方でましてや多勢に無勢の喧嘩だ。
だが被害の状況やこれまでの経緯を重く見た教師達は二人の処分を決める為に翌日になって二人と親を呼び出した。
ここに集まった大人達が一体二人の何を裁こうとするのだろう。

「今、校内では彼等の事が……その、二人の関係が噂になっています。
今回の事は集団で暴行行為に及んだという経緯もあって、相手のご両親も喧嘩両成敗という事でご納得頂いております。
ですが、このまま二人が何も処分を受けず登校を続ければ他の生徒を悪戯に刺激するだけかと。
どうでしょう? 卒業まで一ヶ月も無い事ですし、このまま自宅謹慎という訳には……」
学校側は単に厄介払いをしたいだけだという事がよく分る。
集団で一人に暴力を振るう連中を処分せず、狙われるような問題を抱えた生徒を隔離する事でなし崩し的に事態を収めようとしているだけだった。

「ちょっと待って下さいよ。今回、結果的には怪我をさせてしまいましたが、原因は彼等では無いでしょう?
二人の噂は僕だって聞いています、それが事実だとしても暴力を肯定する理由にはなりません。
処分するなら公平にお願いしますよ」
およそ結論が出ていた学校側の提案に鼻息荒く反論したのは楓の担任である鏑木だった。
彼の言っている事は正論だなのだが、楓から見てもどこか理想を追っているだけのような気もする。
ベテランの教師達の煙たそうな顔を気にも止めずに鏑木は二人を庇うような発言を繰り返した。

当事者を置き去りにしたまま進む教師達の話し合いの中、大和の母親はただ泣いているだけだった。
既に別の家庭を築いている父親は家族の温もりを与えてやれなかった事で楓がこうなってしまったんだと自分を責める。
親達にとって暴力沙汰もさる事ながら、自分の息子が男同士で恋愛をしているという事実が許せないようだ。
だが、誰の所為でも誰の責任でも無い。


突然、大和の父親が机に拳を叩きつけて室内は静まり返った。
「男同士でなんて……病気なんじゃないのか……?」
むしろ病気であって欲しいというのが本音なのだろう。
普通に結婚をして普通に子供を育ててきた大和の父親が二人の関係を理解出来ないのも自然な事だ。

今でこそ顔を合わす機会も少なくなったが、昔は自分の父親よりも懐いていた事を思い出して胸が痛む。
不在がちな父親の代わりに、長い休みになると彼は大和と一緒に楓を海や山へ連れ出してくれた。
「なんでだよ……俺は楓が好きなだけだよ。病気なんかじゃないって……」
父親の言葉に大和の顔色がみるみる変わった。
理解出来ない事に勝手な理由をつけて納得しようとしている父親に嫌悪感を露わにする。
それでも強引に病院に行こうと腕を掴んだ父親に大和が殴りかかり、間に入った楓の唇にまた新しい傷が出来た。

結局、二人は一週間の自宅謹慎を言い渡された。
二人が逢えないようにと大和の両親は外から鍵をかけて大和を閉じ込めている。
大和とはこのまま終わるかもしれない。
FMラジオから流れる音楽に一人耳を傾けながらそんな事を考えていた。
卒業までの僅かな期間を通り過ぎれば自由に会えるが、恋愛なんて所詮は一時の感情だ。
周りから否定され続ければ今は熱くなったとしても、大和だっていずれは冷めてしまうかもしれない。
そうなったら俺は……。
楓はラジオから流れるメロディを小さく口ずさみながら、西日で赤く染まっている天井を見上げた。

「楓……」
果ての無い思考の海を泳いでいると窓を叩く音で現実に引き戻される。
振り返ると窓の外に大和が張り付いていた。
楓の部屋は二階だから屋根の上にいれば外から目立つ。慌てて窓を開けると大和は勢い良く部屋に飛びこんだ。

子供の頃、大和がこうして屋根伝いに楓の部屋の窓を叩き、夜遅くまで二人で遊んでそのまま眠ってしまった事があった。
朝になって楓を起こしに来た母親が驚いて悲鳴を上げていた記憶が蘇る。
互いの母親にはちゃんと玄関から入って泊まったんだと嘘をつき、 戸締りはしておいたのに、玄関から出ていったら気付く筈なのにと不思議がる母親達を二人で笑った。
時々、そんな事をしていたが屋根伝いに大和が出入りしていた事は未だに二人だけの秘密だ。


「また碌でも無いこと考えてたんだろ?」
楓の考えている事などお見通しだというように大和が笑う。
昂揚しているのを悟られないようにと咄嗟に不貞腐れた表情を作ったが、大和は楓の頬を撫でながらまた笑った。

「何しに来たんだよ……」
見つかったら今まで以上に二人で会う事が困難になる。
嗜めるように大和を睨んだが本人は気にも留めずにポケットから通帳を取り出した。

「ほら、これ見せようと思って」
得意気な調子で通帳を楓に向けると金額を見ろと促す。
いつのまに貯めていたのか預金残高は四十万円もあった。
子供の頃から少しづつ貯めた金と、高校生になってから何度かバイトをして貯めた金で、これが俺の全財産だと大和は言う。

「二人で暮らす資金。俺は表に出れないし、楓に預けておこうと思って……いい部屋探しといてくれよ」
大和は自分が本気なのだと楓に証明をしようとしているのだろう。
それ気付いて大和を見上げると彼は唇を塞ぎながら楓に絡みついた。
この頃、抱き合う度に感じるのは大和の体温だけでは無く、大和の感情までも流れ込んで身体中を駆け巡る。


「ヤバイ、俺そろそろ帰らなきゃ……」
甘い体温を探っている途中で大和が突然離れた。
気がつけば大和の母親が仕事から帰ってくる時間になっている。
「楓、浮気すんじゃねぇーぞ」
呆然としている楓の股間を触りながら、反応している事をからかうように笑うと大和は屋根伝を軽々と渡って自分の部屋へと戻っていった。

「何しに来たんだよ……」
一方的に喋って中途半端に刺激して帰っていった大和に舌打ちをする。
もう少し早く来れば良かったじゃないかと思っていたが、大和を喜ばすだけだと気付いて言葉を飲み込んだ。
甘い言葉をかけるのは苦手だ。
暫くの間ベッドに寝転びながら煽られた欲望を持て余していたが、それでも心が満たされているのを楓は感じていた。



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