LIFE 1
2004.09.28
=wonderful life=

「いや俺、弟が3人もいて、両親共働きだからずっと面倒見てたんすよ。あの悪魔達から解放さ れるだけで・・・」
寮生活では多少の不便があるとも覚悟していたが、これからの自由な生活を想像して新入生である小林健一は嬉しくて叫びたくなる衝動を抑えた。
先輩である吉本から副寮長になってくれと面倒を頼まれても、それ以上に浮かれいる。

「そっか。せっかく解放的になってるのに悪いな、副寮長なんか押し付けて……」
なんとなくバツが悪そうに頭を下げる吉本に向かって、とんでもないと健一の方も頭を下げる。

「いや、あんまり自由だと歯止めが利かなくなりそうなんで仕事があった方がいいっす」

「君、イイ奴だな、それなのに俺達は君に面倒を押し付けちまって」
吉本は健一の礼儀正しさに大袈裟に感動し、目頭を押さえて褒め称えた。

「いえ、あの、副寮長の仕事ってそんな大変なんですか……?」


「あぁ……いや、ちょっとした生き物の世話なんだけど、君、昔犬飼ってたんだよな? 」
そこまで感謝される事でも無いはずなのにと不安になるが、言葉を聞いて健一はほっと胸を撫で下ろした。 過剰に遠慮する吉本の態度で、一瞬やっと手に入れた自由を奪われる程の激務を想像してしまったが、飼育係程度なら全く苦にならない。
逆に、たかが飼育係でこんなに気を使ってくれる先輩がいるなんて、俺の寮生活はバラ色だとさえこの時は思った。
「それくらいなら喜んで引き受けますよ」
ほっとして健一が快諾すると、申し訳なさそうな吉本の顔がぱっと笑顔に変わる。
「ありがとう!本当にありがとう!! 」

その時、大喜びをしている吉本の向こうに不審な奴が木によじ登っているのが見えた。
覗きだろうかと目を凝らすと振り向いた不審者と目が合う。
165cmくらいの身長、幼い顔立ち。中学生……いや高校生だろうか……?

どちらにしても不審者には違いは無い。それに最近の物騒な世の中では、いくら男子寮だからといっても何が起こるか判らない。
近所の子供が悪戯しているだけなら後で笑い話になるだろうと、健一は大きく息を吸いこむと不審者に向かって怒鳴りつけた。
「コラァーッ!勝手に木登りなんかしたらダメだろっ! 」

健一の大声で驚いた不審者はビクリと体を震わせた勢いで手を離し、そのまま地面に落下した。
同じく振り向いた吉本が不審者を確認すると小さく舌打ちをして不審者に駆け寄る。

「おいっ、拓斗!大丈夫か? 」
吉本に起こされた拓斗と呼ばれた子供は健一に思いっきり敵意を剥き出し睨む。
「いてぇ……なんだよコイツ……ビックリさせやがって! 」
「いい年して木登りなんかしてるお前が悪いっ! 彼は小林健一君だ、今日からお前と相部屋の副寮長で……」
拓斗の頭を叩きながらも吉本は丁度良かったと呟き、わざとらしい笑顔を浮かべたまま健一に向き直る。
叩かれた頭と木から落ちた拍子に打った尻を撫でながら、拓斗と呼ばれた少年は明らかに不満の声を上げた。

゛あ、相部屋?? なんだ? 俺だってこんな奴と相部屋なんて嫌だよ……゛
初対面にも関わらず拓斗の失礼な態度に腹は立つが、これから何年も一緒に過ごさなければいけない相手だと思わず喉から出かかった言葉を飲み込む。
「相部屋って事はコイツも新入生なんですか? 」

「いや拓斗は2年生、1年留年してるから小林君より2コ上だ」

年上? こんなクソガキが先輩なのかと、吉本の衝撃的過ぎる言葉に目が眩む。
しかし、先輩となると先程からの健一の態度は誉められるものでは無いだろう。

「す、すいませんでした。俺てっきり近所の中、いや高校生かと……」
どんなに理不尽でも寮生活で先輩に睨まれれば、何かと不自由も多くなる。
心の中では毒づきながらも、目上の人に失礼な態度だった事は素直に反省しなくてはと健一は頭を下げた。
「違いますー。先輩ですー。間違ってやんの。ばーか、ばーかっ」
中学生と間違われた事に腹を立てているのか、健一の間違いを得意気に指摘しながらピョンピョンと跳ねる。
その様子を見て溜息をついた吉本は調子に乗っている拓斗に向かって渾身の蹴りを入れる。
ドスッと鈍い音がして唸り声を上げた拓斗がその場にうずくまった。
「あーごめんね。こいつ言う事聞かなかったら蹴っていいから」
見事な蹴りを見せつけた吉本は、すぐ傍でうずくまる拓斗を笑いながら躾の方法を説明し始める。
突然の出来事に男兄弟の中で育ち、乱暴なやりとりには馴れているはずの健一も呆然としてしまい、 見るからに線の細い拓斗が思いっきり蹴り飛ばされる事が少し可哀想にも思えた。

「……あの大丈夫ですか? 」

憎たらしい奴だが、一応は先輩だからと健一は唸り声を上げて丸くなっている拓斗に手を差し伸べる。

「うわぁーん。小林君、吉本がいじめるよ!ドスッて蹴るんだよぉ……」
グズグズと泣きながら拓斗が抱きつかれ、あまりの変わり様に戸惑いつつも人のいい健一は宥めに入る。
「あの、先輩、泣かないで、ねっ……」

「ぅー……」
弟の世話に明け暮れていた時の癖で体が勝手に反応していた。
気が付いたら服についた土を払ってやり、ハンカチを取り出して零れる涙を拭っている。

「ほらチョコレートあげるから」
つい子供に言い聞かせるような口調になってしまうが、健一より二つ年上という事は拓斗も成人男性だ。 失礼だったかなと後悔したが、意に反して健一の差し出したチョコレートを食らいつき拓斗はあっさり泣き止んでいた。

「こいつさ、成績とかは良いんだけど、小林君も今見た通り、なんかアレなんだよね。放っておくと色んな所に迷惑かけるからさ、寮としても誰かが面倒見ないとねぇ……」
「あの、副寮長の仕事って……」
まさか生き物の世話というのは、このお猿さんの事なのだろうかと思ったが、そんな馬鹿げた話は無いだろうと自分に言い聞かせるように、健一はすぐ傍で笑っているだけの吉本をすがるような目で見つめた。

「拓斗、小林君好き?」
一瞬気まずそうに顔を歪めた吉本は、健一とは目も合わせずに拓斗に向かって訊ねると、健一に纏わりつきながらチョコを食べている拓斗がクリクリとした大きな目で健一を見上げて「うん」と元気良く頷いた。

゛あれ……? これはもしかして……。゛

面倒を押し付けられた事を認識しながらも健一は条件反射のようにチョコレートで汚れた拓斗の 口をティッシュで拭っていた。
その光景を眩しそうに見つめながら吉本はほっと息をつく。

「やっぱり俺の目に狂いはなかったな。ありがとう小林君!ヨロシクね小林君!今日から君が副寮長だっ!!エヘッ」

ムカツクほど清々しい笑顔の吉本にポンっと肩を叩かれる。
新入生で、しかも一度吉本の頼みを引き受けてしまった健一にとって、それは無言の脅迫だった。

「そ、そんな……先輩っ……」

嬉しそうにチョコレートを頬張って足元に絡みつく拓斗をチラリと見て愕然する。
健一はガックリと肩を落とし、これからの決して自由では無さそうな寮生活を想像して逃げ出してしまいたい衝動を必死に抑えた。



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