LIFE 8
2005.03.05
=嵐(1/2)=

旧校舎にある倉庫の一室、今は殆ど使われる事の無いこの部屋は、外の世界から見放されたように時間がゆっくり進む。
何年も前から逢引に使われていたようで、室内には毛布やら暖房器具なんかも置いてあり、ちょっとした時間を過ごすには快適な場所だった。
この部屋の鍵を拓斗が手に入れてから、二人はここで昼食を摂るのが習慣になった。
ゆったりと流れる空気と小さな窓から差し込む光は眠気を誘う。
腰を下し、壁に持たれかかってぼんやりしていると、ふわりと暖かい感触に包まれた。

「くすぐったい……」
上に乗って抱きついた拓斗の唇が首筋に触れ、くすぐりながら吸いついてくる。
「んっ……痕つけんなよ」
今まで拓斗はキスマークを口紅の痕みたいな物と思っていたらしい。
最近になってその意味を知った拓斗は、面白がって暇さえあれば健一の至る所に吸いついた。
その行為自体は快感に直結するものでも無いが、吸いついている時の音と激しく求められているような満足感で精神的な快感が頭の中を支配する。

「……っ…」
強く吸われる衝撃に声を上げてしまわないように、拓斗の頭に顔を埋めた。
ふわりとした柔らかい感触と日向の匂い。
今日あたり風呂に入れて頭を洗ってやらないと臭くなってしまう。
風呂嫌いの拓斗を洗ってやるのも今ではすっかり健一の仕事の一つだ。

吸いつきながら小刻みに動く舌に震えていると、拓斗はわざとらしいくらいに音を立てて唇を離した。
「ついた」
拓斗は首筋に付けた痕を確認すると顔を上げて嬉しそうに「エヘへ」と笑う。
この無邪気な少年のような笑顔に翻弄されるなんて、出会った時は思いもしなかった。
「健一くるしい……」
身体の中心が熱くなり、硬くなった中心を押し付けながら、もう一度きつく拓斗を抱き締めて大きく息を吸い込んだ。



「お、やっぱここに居たか」
突然の静けさを破るドア音に心臓が跳ね返った。
身を硬くした二人が声の主を見上げると、拓斗にこの場所の鍵を渡した張本人が突っ立っている。

「何だ樋口か……脅かすなよ」
冷静を装いつつも、明らかな温度差を感じて樋口の顔もまともに見れない。
かと言って膝の上で抱きついている拓斗を慌てて退かすのも不自然な気がして、どうしたらいいのか戸惑う。

「ごめん、邪魔するつもりは無かったんだけど、拓先輩のこと探してる人がいてさ。」
抱き合ったままの二人に苦笑しながら、樋口は親指を立てて後ろを指差した。
樋口の示した方へ目をやると、一見モデルのように身長が高く、目鼻立ちのはっきりした男が軽薄な笑みを浮かべている。
少し軽そうに見えるが、好みタイプの男に健一は一瞬目を奪われた。

「よっ拓斗、久しぶりだな」

「おじさん誰?」
男の懐かしそうな表情とは対象的に拓斗は心当たりが無いようにキョトンとしている。

「おじさんって……俺はまだ二十五だぞ。」
拓斗のそっけない一言に男はがっくりと肩を落として、キレイに整えた髪の毛をくしゃくしゃに掻き回す。
無造作に乱れた髪の所為か印象がぐっと変わり、野性的な雰囲気が男の魅力的を増幅させた。

「お前、ホントに忘れてんのか? ほら、お前の初めての男だぞ。」
ドカドカと歩み寄った男が拓斗の目の前に顔を近づけ、整髪料の甘い香りが鼻をくすぐる。

「げっ、嵐……?」
男の顔をじっと見て声を上げた瞬間、拓斗は健一の服をギュッと握りしめて表情を強張らせる。
拓斗の今までに見た事の無い表情に腹の底がチクリと痛んだ。

「お前、健一だろ? 中々いい男じゃん。吉本から聞いてるよ、拓斗と付き合ってるんだってな。」
嵐は呆然としている健一に手を差し出して握手を求める。
「健一に触るなっ……お前何しに来たんだよ…」
差し出した手を払って拓斗が敵意を剥き出しにするが、嵐は気分を害した様子も無く、馴れた様子でやれやれと溜息をついた。
「そんなにピリピリすんなよ、俺四月からここの講師になるんだ、久しぶりにお前の顔も見たかったし今日は挨拶がてらに寄っただけ」

「どういう事?」

三年前、嵐は院生としてこの学校に籍を置き、寮に居座っていた。
入学したばかりの拓斗と同室になり、嵐が大学院を卒業するまでの一年間拓斗と恋人同士として過ごした。
卒業してからは一年間外国を放浪し、金が尽きたのを機会に講師としてこの大学へ戻って来る。
これが状況が理解出来ず戸惑う健一に嵐が簡単に説明した内容だった。
「もう、お前どっか行けよ……」
殺気立つ拓斗の額を指で弾くと、嵐は「ま、よろしくな」と呟き、頭をくしゃくしゃに掻き回しながら部屋を後にした。


「健……怒ってる……?」
突然の出来事に戸惑いながら、二人は寮に戻り会話も無いままに夕食を済ませた。
拓斗は沈んだ表情のまま口を開こうとせず、健一は嵐に対して過剰な反応を示す拓斗に不安を感じて言葉をかけられずにいた。
「別に怒ってないよ、昔の事なんだろ? 」
単に動揺してしまっただけなのだろうと、自分に言い聞かせて無理矢理に優しい声を出した。
「うん、あのさ、あんなヤツ全然好きじゃねぇし、俺が好きなのは健一だけだから」

「ホントだよ……」

「だから気にして無いって……」
拓斗のあまりに真剣な表情にやっと安心して健一にも笑顔が戻った。

「あのさ、ひとつ聞いていい?」

「ん?」

「先輩とあの嵐って人が恋人だったって事は、セックスとかもしてたんだよね……」

「そりゃぁ…まあ……」

「前に入れられるの駄目って言ってたけど、あの人とも今みたいに拓斗が入れる方だったの?」

「は?」

「いや、気にしてる訳じゃ無いんだけど……どうもあの人が拓斗に抱かれてる所なんて想像出来ないって言うか……」

「何でだよ、俺がアイツ抱くのがそんなオカシイか?」
拓斗は考え込むように眉を寄せたが、ふと何かを思い出したかのように口元が緩み、普段は子供のような顔がスケベな男の顔に変わる。
自分に向けられた欲望ならば、そのだらしない表情にさえ興奮するが、頭の中に別の男がいるなら憎たらしいだけだ。
頭に血が上った健一は、ズボンの前が膨らんだ拓斗の股間を力強く握り締める。

「イテッ……」

「先輩、何で勃ってるの? 」
思いっきり掴まれた痛みに拓斗は顔を歪めて腰を引いたが、力強く掴んだ健一の手は離れないまま追及を続ける。
「い、いや……これは……」
拓斗はバタバタともがいて健一の手から逃れると、股間を押さえながら目を泳がせた。
「思い出して硬くなっちゃったんだ?」
言訳を探して言葉を詰まらせる拓斗に向かって不機嫌を露わにした視線を投げると、拓斗はしょんぼりと俯いたまま黙ってしまった。

「俺、今日は樋口んとこ泊まります」
これ以上追求しても仕方が無い事は分かっていたが、このまま拓斗と一緒の部屋にいる気にもなれず立ち上がる。
「違うよっ……違うって」
必死に言訳をしようとする拓斗の声を背中で聞いて健一は部屋を出ていった。



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