猫耳部長 2
2005.05.07
「乾、お前はさっきから何をしてるんだ」
付き合い始めて数週間が過ぎるが、会社での猫田は決して部長の顔を崩さない。
先程から何度もメールを送っているが猫田は返信もせずに仕事に熱中している。
メールと言っても今夜はカレーが食べたいなとか、お泊りしてもいいですか? とか業務には関係の無い事ばかりだから当然なのかもしれない。
それでもメールを確認する度に啓介だけに判る程度のごく僅かだが、猫田の表情は少しだけ変化している。

「あ、メール見てくれました?」
返信すればいいものを、わざわざ近くに来るなんて照れるじゃないか。
そう思いながらも啓介は彼氏だけの特権だと言わんばかりに目を輝かせて猫田を見上げる。


「会社は遊ぶ場所じゃ無いんだぞ……」
憮然としているのは照れているのだと思っていたが、どうやら本気で呆れられているらしい。
あくまで恋人同士の甘いやりとりを期待している啓介に怒る気力も無くしたようで、猫田はガックリと肩を落とすと低い声でクビにするぞと囁いた。

「ちゃんと仕事もしてますって。はい今日の処理分です。やる時はやる男ですよ俺は……」
これでも猫田と付き合うようになってからは仕事にも意欲的になったつもりだ。
今日だって早くから集中して処理をしたからこそ、こうしてメールで遊んでいられる。
誉められたっていいはずなのに、クビにされては堪らないと自身満々で書類の束を渡した。
適当に眺めているように見えるが書類を確認している猫田の眼光は鋭く、時々パラパラと書類を捲る手が止まっては眉を顰める。

部長である猫田が直接チェックする事は少ないが、たまに訪れるこの瞬間はいつでも緊張する。

「ん……頑張ったじゃないか。じゃあ間違いを直してから持ってきてくれ」
平べったい口調からは誉めている様子は感じられず、この程度で間違うんじゃないと言わんばかりに丸めた書類で啓介の頭を叩く。

「え? 間違い……どこっすかっ?」
何度も見直した筈なのに、ざっと目を通しただけで間違いが判るのだろうか。
格好良く刀を振り下ろしたつもりが呆気無く返り討ちにあったようで、啓介の自信は達人の猫田によって簡単に潰された。

「それくらい自分で見つけられるだろ? やる時はやる男なんだから。それとな、仕事が終わってても就業中の私用メールは業務規定違反だからな」
縋り付く啓介をバッサリと切り捨て、外回りのついでにメシでも食うかと猫田は一人で出て行った。

「お前……あの部長に私用メール送ったのか? 勇気あるなぁ……」
間違が分らずに混乱してる啓介に隣の席から一つ上の先輩である亀梨に絡まれる。
それ所では無い啓介が曖昧な返事で受け流すと、亀梨が書類を取り上げてチェックを始めた。

「手が空いてる時は日頃出来ない書類の整理だとか、効率良く業務を回す為の準備だとかするもんなの。社会人として常識だぜ」
偉そうに言っている亀梨も暇になれば仕事をしている振りをして会社のパソコンを使ってゲームをしている。 先輩風を吹かされて面白く無い啓介がその事を指摘すると、肝心なのは要領なのだと言って亀梨は笑った。

「しかし部長も大変だよ。ほら、猫とかって機嫌悪いと尻尾が膨らむだろ? あれネコ耳でもそうなるらしいぜ。 でもさ、部長って取引先で嫌なコト言われても、お前みたいなチャランポランな社員の相手にしてても絶対表に出さないもんな。
俺、知り合いにネコ耳がいてさ聞いてみたんだよ。並大抵の努力じゃ出来ないらしいぞ、そんな事。
やっぱ出世する人ってのはどっか違うんだろうな」

お前、こんな初歩的なミスどうしてするんだと亀梨が蛍光ペンで囲んだ場所は搬入日付が一ヶ月ズレていた。 本来の日程ならばすぐにでも業者を手配しなくてはならないが、今から手配して間に合う業者など無いだろう。



「いつも突然でスイマセン……」
結局、キャリアの浅い啓介や亀梨ではどうにもならず、猫田に泣きついて手配を頼む事になった。
猿渡工業。搬入から施工までを請け負っている中堅の会社だ。
今回は厳しい日程での依頼の為、啓介は直接足を運んで頭を下げる。

「猫さんの頼みじゃ断れないからな」
業者の手配を任されるようになってからは啓介も何度か世話になっているが、通常であれば無理な日程でも、猫田の口利きがあれば突然の変更などにも対応してくれる。
営業の窓口になっている社長の猿渡は何故か啓介の事を気に入っているようで、顔を見せる度に長話に付き合わされるが無理を聞いて貰っている以上は仕方が無い。

この日も猿渡は発注内容を簡単に確認すると、書類を担当者に渡して簡単な指示を出した。
仕事はこれで終了なのだが、これからが本番だというように彼が席を外している間に新しいコーヒーが運ばれてくる。

「何の話だったけかな……。そうそう、猫さんの頼みじゃ断れねぇって話か。
あー……そうだな……もう十年以上前かな、俺と猫さんが知り合ったのは。
その頃は会社立ち上げたばっかりで営業しては断られるような毎日だったんだよ。
まだ小さい会社だったから、どこ行っても相手にされなくてね。
でもな猫さんは真剣に俺の話を聞いてくれてよ、小さい会社なら小回りも利くし多少の無理は通るだろうって上司の人に掛け合ってくれてな。あんときゃ嬉しかったなぁ。
人手が足りない時なんかは手伝ってくれた事もあったんだよ。
ほら猫耳だろ? 華奢な美少年なんかに力仕事が出来るかなんて最初は心配だったけどさ、これが結構頑張るんだよ」

「美少年? 部長が?」
関係を持ったくらいだから見た目は悪く無いと思っているが、啓介が見る限りでは今の猫田に美少年の面影は無い。
必要以上に驚いた啓介に年は取りたく無いもんだと猿渡は笑い、懐かしい時代を振返るように遠くを見ながらコーヒーを一口啜った。

「ああ、あの時はもう成人してたけど高校生くらいにしか見えなかったな。
そんな感じだから、現場の職人達なんか最初は口も利かなくてね。
けどさ、ウチから給料なんて一円も出して無いのに、冷たくされても怒られても腐らないで真面目に働くんだよ。
その仕事振り見てて周りもチョットずつ変ってきてよ、何度も来る内に可愛がられるようになって。
乾君だけじゃなくてさ、今の若い奴なんかには見習って欲しいと思うよホントに……」

いつもは面倒な昔話だが、長い付き合いの猿渡は啓介の知らない猫田の事も知っている筈だ。
何となく水を向けてみると、待ってましたと言わんばかりに猿渡は温くなったコーヒーで喉を湿らせて話を続けた。

「俺も詳しく聞いた事は無いんだけどな……。
まあ、ずっと付き合ってた男に捨てられてから色々と考えたらしいよ。
一人でも生きていけるようにって。毎日、足を棒にして仕事探したみたいな事は言ってたな。
当時は猫耳って言ったら誰かに可愛がられてナンボって時代だったから、まだ若いのに何も自分から苦労する事も無いのにねってウチの奴とも話してたんだけどさ、結果的にはこれで良かったんだよな。うん。
猫耳が一人で生きて行くって決めたんだ。相当な苦労はしたと思うよ。
でもね、猫さんの凄い所は愚痴一つこぼさないんだ。
会社だって敵だらけだろうに、いつも働けるのが嬉しいって言っててさ。
長い付き合いになるけど俺は一度も愚痴を聞いた事が無いね。
俺も職人やってて会社開いた男だからさ、その男気に惚れたって訳よ。
恩もあるけど、それだけじゃ無くてさ。
あんなに頑張ってるんだ、多少の無理くらい聞いてやりてぇじゃねぇか。
乾君はさ、いい会社に入れて、いい上司に恵まれたんだよ。
あんな人だからカミナリ落とされる事もあるだろうけどさ、頑張って大事にしてやってくれよ」


先週、猫田は猿渡と飲みに行くと言って啓介の誘いを断っている。
単なる接待かと思っていたが、彼の話を聞いた後では旧知の間柄である猿渡に啓介との事も打ち明けていたのかもしれない。
だからこそ猿渡は啓介にこんな話をして発破をかけたのだろう。


追いつけるだろうか……。

帰りの電車に揺られながらそんな事を考えていた。


通い馴れた猫田の家からは美味しそうなカレーの匂いが漂っていた。ドアを開けると猫田が楽しそうにカレーを掻き混ぜている。
啓介の帰りを待って嬉しそうに夕食の支度をしている彼の姿に胸が締めつけられた。

「おかえり」
目の前で微笑む上司は気長に、そして時には厳しく啓介を見守って育てようとしている。
「俺……頑張りますから……」
聞こえているのか、聞こえていないのか。猫田はメシにするから早く手を洗って来いと言いながら啓介に纏わりついて唇を求める。
啓介は柔らかく抱き締めてそれに応えた。髪を撫でると尻尾をパタパタとさせて喜ぶ。
優しく包むつもりが止められない感情と欲望に支配されて猫田を押し倒した。

「んっ………ちょっと待て……昨日もしたじゃないか……週末まで待てって……」
まだ抱く事でしか愛情を伝えられない啓介は、小さな抵抗を振り切って柔らかい肌に指を滑らせる。
硬くなった中心で服の上から男を受け入れる場所を刺激すると、猫田は首を横に振りながら甘い声を漏らし始めた。

「……にゃっ……止めなさいっ……明日会社だぞ…………腰が辛いんだよ……」

「……オヤジ」
年齢を考えれば猫田にとって激しいセックスの負担は大きいのだろう。
本気で嫌がる猫田から離れたものの、欲望に持て余した啓介は冷たい床に寝転がって不機嫌そうに溜息をついた。

「……っ………」
猫田は何も言わずに啓介の上に跨ってベルトを外すと、下着の中からまだ硬いモノを取り出して舌をなぞらせる。
欲望を吐き出せれば満足すると言う訳では無いが、ザラザラとした舌の感触に言葉を失った。
柔らかい唇に扱かれながら絡みつく舌。
その舌は経験した事の無いような動きで啓介の中心を刺激する。


俺の知らない部長……。


知り合って二年、付き合い始めて数週間だから自分の知らない一面などいくらでも有るだろう。
けれど彼を知る度に、驚いたり苦しくなったりしている自分がいる。


俺は今まで何を見てたんだろう……。


子供の頃に買って貰った多面体のクリスタル。それは光を与える方向を少し変えるだけで全く違う輝きを見せた。
亀梨や猿渡の言葉を思い出す。彼等は啓介とは違う方向から猫田を理解しようとしていた。
猫田を通して欠けていた部分が埋められていくような感覚。


「……っ……ぁぁ……ヤバイ……出る………」
啓介を支配していた思考は中心に集まって噴き出しそうな快感によって止められた。
いくらなんでも早過ぎる。もう少しこの感覚を味わっていたい……。
太腿に力を入れて射精を我慢するが、啓介の事情など構いもせずに猫田はさらに強い刺激で絶頂に導こうとする。

「………ぅぁっ……ぁっ……出るっ…………ぅぅ……ぁぁ……」
猫田を押し返そうとして肩を掴んだ手に力が入る。
込み上げる快感に我慢が出来ず、溜め込んでいた情熱は僅か数分で猫田に向かって吐き出された。

「ふんっ……若造が……」
啓介が吐き出した液体を音を立てて飲み込みながら猫田は不敵に笑う。
猫田にとっては早く終わった方が楽なのだから謝る事では無いと思いつつ、後ろを向いて後始末をしていると反射的にゴメンと口にしてしまう。
気まずい静寂の中にガサガサと濡れたモノを拭くティッシュの音がやけにうるさく聞こえた。


「一緒に手を繋いで寝てくれたら許してやってもいいぞ」
部長として仕事をしている時のような口調なのに、猫耳らしい甘えた内容の発言に啓介は思わず苦笑する。
夕食を終えると啓介は猫田を抱きかかえてベッドまで運び、約束通りに手を握りながら彼が眠るまで髪を撫で続けた。



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