猫耳部長 3
2005.05.14
同じ会社の同じ部署に勤めていても部長とヒラ社員では大きな隔たりがある。
基本的に一日の大半を自分のデスクで過ごす啓介とは対照的に、猫田は取引先や会議などで忙しく飛びまわっている。
常に仕事を優先させる猫田に不満を感じる事もあったが、彼の帰りを待っている時間も嫌いでは無かった。


週末になれば二人でゆっくりと過ごせる……。


そう思うからこそ日常の煩わしさも乗りきれる。
だが、期待していただけに猫田が週末にかけて出張すると聞いた時には落胆を隠しきれなかった。
「仕方無いじゃないか……」
啓介の落胆を察して抱きついてきた猫田の甘えた声を思い出す。
誰もいない会議室。会社では仕事に徹すると決めた二人だが、たった三日間の分れを惜しむように唇を重ねた。



この一週間、全力で働いた疲れを引きずって帰る狭いアパート。
普段は猫田の家に入り浸っているから掃除も随分していない。
散らかっているゴミを足で避けて座る場所を確保すると雑誌片手にコンビニ弁当で食事を始める。
片手に持った雑誌は資格取得の為の情報誌だ。
仕事に役立つかどうかは分らないが何か具体的な自信が欲しかった。
実際に資格を手にすれば啓介の評価も少しはマシになるだろう。
目標を達成するまでは内緒だが、頑張ったんだなと驚く猫田の顔が今から目に浮かぶ。


『マタタビ? どこにだって手に入るじゃん、あれキメてセックスすると最高なんだよねぇ……』
いつの間にか眠っていたようで、時計をみると日付が変わっていた。
点けたままのテレビからは若い猫耳達がインタビューを受けている映像が流れている。

性的な要素を含んだ番組のようだが、メディアはいつでも極端な内容でしか彼等を扱わない。
猫に近い習性を持ているのは確かだが、理性を持った彼等が全て同じ物に反応する訳でも無い。
それを証拠に猫田はマタタビには全く反応せず、好奇心で試した啓介はエロ本の情報なんか鵜呑みにするなと怒られた。

『他にもこんなグッズが。キミも猫耳君をエッチにしちゃおう……』
下らない内容に呆れて本格的に眠ろうとリモコンに伸ばした手が止まった。
映像は猫耳グッズの通信販売に切替わり、胡散臭い商品をまだ売れていない猫耳タレント達が紹介している。
結果的には猫耳タレント達の拙い演技に騙されて携帯電話を握り締めていた。


『夕方には帰るから……』
出張所との親睦会も兼ねた出張だったから月曜に先方を出て昼過ぎに本社に戻る予定だったのに、どうやら待ちきれなかったのは啓介だけでは無かったようだ。
日曜の午前中に電話を受けた啓介は汚れた部屋の掃除も程々に終わらせ、昼過ぎには大きな包みを抱えて猫田のマンションへ向かっていた。
猫田の帰りを一人待ちながら届いたばかりの包みを開けて試しにスイッチを入れてみる。
リモコン稼動式 電動猫じゃらし。
スイッチを入れると先端がランダムに動き、手元のリモコンを操作すると本体が移動する。
ラジコンのようなオモチャだが説明書によればこの動きが本能を刺激して猫耳の理性を奪うとあった。


「早かったじゃん……」
三時を過ぎた頃、突然鳴ったチャイムの音に慌ててオモチャを隠して玄関へ向かう。
猫田が帰って来たと思い込んで勢い良くドアを開けたが、目の前に立っている人物は猫田では無い。 どこかで見たような気がして記憶を探ると、その人物はつい最近見た映画の中にいた。
鳥越泰宏。
舞台を中心に活動している彼は、派手な活躍も知名度も無いが安定した演技が評判の中堅俳優だ。
彼自身が注目されなくとも数年前は軒並み話題作に出演した事から、名前は知らないが顔は知られているといった存在だ。


「勇は居るかな……」
近所の手前あまり玄関先で話している訳にもいかずに、猫田はもう少しで帰宅する事を伝えて鳥越を部屋に上げた。
少し前に見た映画が好きだった啓介は彼の名前を知っていたが、彼と猫田の関係を探る手掛かりにはならない。

「あの……部長とは……どういったご関係で……」
無言のまま向かい合って座っている気まずさで、つい詮索するような事を聞いてしまった。
言葉を吐き出した後になって世間話ならいくらでもある筈なのにと後悔が込み上げ、鳥越が言葉を返すまでの数秒間、暗い何かが啓介の心を横切った。

「乾啓介君だったかな。今は君が勇と付き合ってるそうだね。僕の事は勇から……聞いた事が無いみたいだな。
……僕は勇の彼氏だった。もう何十年も前の話だけどね……」
悪い予感というものは、いつも足元に散らばっていて通り過ぎた後になって初めてその輪郭に気づく。
彼が訪れた時、ファーストネームで猫田を呼んだ事が引っ掛かった。
テレビにも出ている人間だ。友人や親戚ならば話しくらいはしていただろう。
啓介の反応を確かめるように鳥越はそのまま話しを続ける。

「彼と付き合い始めたのはまだ学生の頃でね、当時から役者を目指してたから金は無かったけど勇と二人で自由に暮らしてた。
夢と暇だけ持て余して、根拠も無いのに自信だけはあったんだ。勇も気が強いから喧嘩もしょっちゅうだったけど毎日が楽しくて充実してた。
就職活動もしないで演劇に打ち込んでる僕を勇は何も言わずに支えてくれて。
でも、所属してた劇団の一人が注目されてね、僕達にもテレビの仕事がポツポツと入るようなってくると勇の存在が重くなってきたんだ……。
これから売れようとしてるのに、猫耳と同棲してるなんて知られたら将来が無いぞなんて先輩達に吹き込まれて、意気地が無かったんだ。
僕は勇を捨てた……。僕が役者になる為に別れてくれって勇に言った。
別れてくれって言った時、あんなに気が強かった勇が子供みたいに大声で泣いたんだよ。
それが忘れられなくて、別れてからも何年かに一度は会ってたけど、いつも後悔してたんだ。
だから迎えに来たんだ。今の僕達なら世間が何と言おうと揺るがない自信がある。」


「そんな、勝手じゃないですか。部長は俺と……」

「勝手なのは承知だよ。今は君と付き合ってる事も知ってる。
………最近連絡が取れなくなったから調べたんだ。
正直参ったよ。十年以上の間誰とも恋をしなかった勇が君みたいな若者にあっさりと落ちるなんて。
けどね、二十の年の差は簡単に埋まるものでは無いんだよ。現場で若い役者と話してると痛感する。
乾君、君の若さは勇をいつか傷つける。君はいいさ、いくらだってやり直せる。けどな勇はどうする?
君はまだ若いから僕達のような中年の気持なんて分らないだろ? 」

だから迎えに来たんだと鳥越は言った。
二十年という年月。それは決して誠実とは言えなくても猫田を想っていた鳥越と比べれば、啓介が過ごした半年足らずの時間は猫田にとってすぐに忘れてしまう程度の時間なのだとでも言いたいのか。
奥歯を噛み締めて俯いた。腹の底から込み上げる怒りで頭がフラフラする。


「……泰宏?」
鳥越の言葉が頭に響いたまま俯いていた啓介は、猫田が帰って来た事にも気付かなかった。
彼を見た時、猫田はどんな表情をしたのだろうか。



猫田の気持を確かめる事が出来ず、気が付いたらタバコを買いに行くと言い残して逃げるように部屋を飛び出していた。
あても無くさまよって行きついた先はバッティングセンター。
闇雲にバットを振りながらやりきれない想いを時速130kmの白球にぶつけた。
若い君には理解出来ないと言われれば返す言葉が無い。
それは何かを理由にして言葉を封じているだけだと言っても彼には通じ無いだろう。

鳥越は卑怯だ。
自分勝手な理由で猫田を捨て、関係を断ち切らずに彼を縛りつけた。
年齢を理由に啓介を抑えつけたり、何十年も前に別れた猫田の周辺を調べたりするやり方は一直線に自分を貫く猫田には似合わないような気がする。
百球目の球を空振りして息を切らせながらベンチに腰をかけた時に啓介の携帯電話が鳴った。
猫田からの着信。


『お前タバコ買いに行くって何処まで行ってるんだよ……』
呼吸を整えて通話ボタンを押すといつもと変らない声が耳に響く。

「部長……あの人は?」
猫田の事を信じていたのに、探るような言葉を紡いだ声は震えていた。

『とっくに帰ったよ。何? お前まさか泰宏の事を気にしてたのか?』
聞き分けない子供に接するような優しい声で啓介に語り掛ける。

「当たり前じゃないか。あの人、部長とやり直したいって……」
感情を吐き出せば猫田が困るだけだと分っていながら、つい責めるような口調になってしまう。

『今になって泰宏とやり直すなんて……別れて何年経ってると思ってんだよ。
それに今は啓介がいるんだ、断ったに決まってるだろう。
馬鹿な事を言って無いで早く帰って来いよ。腹が減って死にそうなんだ……』


初めて名前で呼ばれた事、遠回りだが気持を伝えてくれた事。
たったそれだけなのに啓介の不安は吹き飛ぶ。
久しぶりに二人で向かい合って夕食を楽しもうと啓介は早足で猫田が待つ家へと向かった。

「で、あれは何だ?」
猫田の視線の先にあるのは例の電動リモコン式の猫じゃらし。
鳥越が訊ねた来た時に慌てて隠したが随分あっさりと発見された。
どうやら猫田はお気に召さないようで、冷たい視線を啓介にぶつける。


「お前、また碌でも無い事しようとしてるだろ?
大体なお前は騙され易いんだ、もっと落着いて行動しろといつも言ってるだろう……」
いつもの長い説教が始まりそうな予感に啓介はリモコンのスイッチを入れた。

「にゃっ………にゃにを………にゃぁっ……」
呼吸が荒くなり大きく目を見開いて獲物を捕らえるとオモチャの動きに合わせて飛びついた。
予想以上の反応には驚いたが、猫田を喜ばせようとリモコンを操作する。

「……ひっ……人の話は最後まで聞くもんだぞ……」
我に返って部長の顔を見せても誘導されベッドの上で半裸になっている猫田に説得力は無い。

「明日会社だけど……我慢出来ない………」
抵抗する腕を抑えつけ、乱れた衣服を噛んで脱がす。
服が破れる音が啓介を昂ぶらせ、徐々に上がる猫田の体温を全身で味わった。

「にゃっ…………」
背中に舌を這わせ、猫田の中に指を馴染ませる頃には抵抗する力が快感を味わう震えに変った。
充分に熱くなった中を小刻みに振動させると、身を硬くして大きく震える。
その声が身体の熱が啓介の理性を奪っていく。

「…ダメっ………」
そろそろ一つになろうと仰向けにするが、シーツを掴んだ猫田にこのままの姿勢で重なる事を要求される。 どうしてと訊ねた啓介が力任せにひっくり返すと、猫田は射精をしてシーツを濡らしていた。
「…大丈夫だよ……」
涙目で睨む猫田を優しく抱き締めて限界まで張り詰めた中心を彼の中へ埋めていく。
熱く包み込む感触に触発されて悲鳴を上げる猫田の中を何度も何度も突き上げた。



「……あー……気持いい……あ、もっと右………」
満足するまで何度も抱いた後、辛そうに腰を叩く猫田にサービスだとマッサージを提供した。
気持良さそうに喉を鳴らしながら、セックスよりも上手いじゃないかと猫田は笑う。

「このオヤジっ!」
抱いている時よりも心地よさそうにしている猫田に啓介は腹を立て、平手で尻を叩くと布団に包まって不貞腐れる。
背中を向けた啓介に抱きついて、嘘に決まってるじゃないかと宥める猫田の甘えた声にくすぐったさを感じながら、いつの間にか啓介は心地良い眠りに包まれていた。



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