猫耳部長R 2
2005.08.08
夏休みに入っても思うように練習時間が取れず、部員達の顔からも日増しに笑顔が消えていった。
猛暑の中、基礎練習だけで根を上げる部員達に向かって渇を入れてるが、厳しい日差しが照りつけるグラウンドの中で勇介の怒鳴り声だけが虚しく響く。
疲れきった彼等の目からは気力も覇気も感じられない。
それでもいつかは、結果が出るだろうと勇介は他の部員が帰ってからも一人で練習を続けた。

あれから博紀とは口を利いていない。
練習中にも勇介とは視線を合わせようとせず、これまで付き合っていた自主練習にも顔を出さない。
何を怒っているのか訊ねる事も出来ず、誤解を解こうにも話すらまともに出来ない状況の中で勇介は途方に暮れて力任せにボールを放り投げる。
集中力を欠いたシュートは僅かにネットを揺らして、見当違いの方向に転がっていった。

何だか全てが空回りしているようで、どうしていいのかさえ判らない。
勇介は汚れるのも気にせずに、その場に寝転がって空を仰いだ。
夕暮れ時の和らいだ空気が静かに髪を揺らし、夏季講習を終えて家路に帰る生徒や、まばらに残った部活の片付けを始めている生徒達の声が遠くに響く。
そのまま目を閉じて子供の頃から抱き続けていたイメージを広げた。


緊張感で張り詰めた空気の中、行く手を遮る人波をすり抜けた勇介はゴールに向かって高く高く飛ぶ。
ゆっくりと空を駆けながら勇介はゴールを睨みつけて狙いを定める。
その瞬間、まるで時間が止まっているように周囲の音が消えていき、自分の鼓動だけが鳴り響いた。
数メートル先の勝利に向かってボールを解き放つと、放物線を描いたボールは吸い寄せられるようにリングに落ち、地響きのような歓声で空間が揺れる。
勝利を導いたシュートにチームメイトが駆け寄って勇介を祝福する。
お互いの手を高く上げて叩き合う儀式の中で、彼らは通り過ぎる瞬間に勇介の頭や脇腹を小突いて喜びを表現した。
手荒い儀式を苦笑いでやり過ごしながら、最後のチームメイトである博紀と視線が合う。
少し照れたように笑う彼に儀式を済ませると、勇介は抱擁で喜びを表現した。
勇介の腕の中で博紀が苦しそうに声を上げて笑う。


「おい、勇介」
聞き覚えのある声に呼ばれて心地よい空想から現実に引き戻された。
逆光に照らされている顔に目を凝らすと、茶色く染めた髪がキラキラと光っている。
「何だ聡史か……」
声の主は中学時代の同級生である聡史で、勇介とはその頃から身体の関係が続いていた。
別々の高校に進学してからは聡史にも彼女が出来て疎遠になりつつあったが、こうして時々訊ねてくる事がある。



「どうする? ここで済ますか?」
親元で暮らす高校生では性行為の場所を確保する事は難しく、何より、久しぶりの行為を前に既にジャージの前を膨ませた状態では勇介も外には出られない。
部外者である聡史を連れて部室に戻った勇介はTシャツを脱いで背中についた砂を払いながら、返事を待たずに聡史の背中に腕を回す。
一般的に猫耳は関係を持った相手を一途に愛してしまう傾向があると言われているが、勇介にその兆候は無い。
それが男を抱くオス猫の特性なのか、個体差なのかは判らないが、勇介は中学生の頃に童貞を捨てて以来、気の向くままに複数の男と関係を持っていた。

「いや、今日はそういうつもりじゃ無いんだ。ちょっとお前に話があってさ」
いつになく真剣な表情の聡史に、彼の上着を脱がそうと伸ばした腕が止めて、勇介は膨らんだ前を隠すように膝を抱えてその場に座った。

「俺、学校辞めるんだ」
耳を疑うくらい軽い調子で吐き捨てながら聡史は笑う。
一体何があったのかと慌てる勇介を宥めるように、まあ落着けよと聡史は話を続けた。

「去年から付き合ってた女いたろ? アイツにガキが出来てな。
勿論、親達は大反対でさ、俺なんか親父にボコボコにされるわ、家追い出されるわで大変だよ。
それでもアイツ貧乏覚悟で俺と一緒になりたいって言うんだ、俺なんて学校行ってても無駄に金使うばっかりで碌な事無いしな。
だからさ、俺も学校辞めて働いてさ、何ていうか男としてケジメつけなきゃなって……」

少し前までは勇介と同様に、覚えたばかりの快楽に溺れて毎日をただ漠然と過ごしていた聡史だが、今は別人のように目に光が宿って自信に満ち溢れていた。
この決意が続く保証など何処にも無いが、彼は決して甘くは無い現実へと向かって旅立とうとしている。
「そっか……。まあ、頑張れよ……」
まだ世間を知らない勇介に言える言葉はそれだけだった。



「俺、最近フラれてばっかだな……」
既に日は沈んで校庭の隅に設置された街灯の明かりが小さい窓から僅かに二人を照らしている。
聡史の告白で出口を失った欲望を持て余しながら、勇介は座りこんだまま肩を落とした。

「お前さ、誰かに本気で惚れた事って無いだろ?」
勇介が立ち上がれずにいる理由に気付いたのか、呆れたように笑いながら先に帰るぞと聡史がドアを開ける。
「俺だって本気で好きなヤツくらい……」
部室を出ていく聡史が気付かない程の小さな声で本音を吐き出した。
だが、性欲に流されて何人もの男と関係を持ったのは事実だし、感情に流されて拒絶する博紀を抱いたのも事実だ。
博紀が怒るのも、聡史が呆れるのも当然なのだろう。
恋人としての信頼関係を築かずに、身体を求めていれば誰も本気だったなんて信じない。
ただ、博紀に抱き続けていた感情を打ち明けるには時間が経ち過ぎていた。


「ヒロ……」
過ぎた事を悔やんで滲んだ涙を拭いながら勇介は着替えを済ませて自転車に跨った。
勇介が想いに気付いた頃には、現実に立ち向かえるほど大人でも無いが、まだ何も知らない子供でも無いくらいは成長してしまっていた。
いくら世間で認知されていると言っても、勇介は猫耳である以外は普通の男の身体だ。
博紀がそれを自然に受入れられるとは思えない。


数十メートル先にある博紀の家の前で勇介は自転車を漕ぐ足を止めた。
明かりの消えた博紀の部屋を見上げて、大きく息を吐き出すと気合を入れるように自分の頬を両手で叩く。
ずっと抱いていた気持を打ち明ければ何かが変わるかもしれない。
二度とあんな事はしないと誓えば友達に戻れるかもしれない。
だが、冷めたように勇介を見下ろす博紀の顔が浮かんで決心が揺らぐ。
「もう遅いよな……」
意気地の無い自分に言訳をしながら、勇介はペダルを力いっぱい踏み込んで、博紀の家の前を通り過ぎた。



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