孝平記 P1



「あ、電話…。」

恭平の頭上で、携帯電話が震えた。
といっても恭平の携帯電話は自分の部屋に置いたままなので、この着信は孝平のものだ。
「父さん、電話…。」
「後でかけ直す。」
「あっ。」
孝平が急に動いたので、恭平はその質量感に身を捩った。

「は、ぁあぁ…ッ。」
「今は目の前のことで手一杯だ。」
「……く、は、…。」
布団の中で孝平を受け入れた恭平は、孝平の首筋にしがみつき額をその胸に押し付けた。
しばらく鳴り続けていた携帯電話が、ぷつっと止まった。
二人はそれを気にもかけず律動を繰り返していたが、すると今度はリビングの電話が鳴り響いた。
さすがにこれには孝平も舌打ちをして動きを止める。

「はぁはぁ…。電話…何かあったんだよきっと…。」
「ああ。そうみたいだ。」
孝平は頷いて、名残惜しそうに恭平の中から出た。

「…んっ!」
恭平ももどかしさに呻いたが、孝平のいなくなった後は恥ずかしそうに布団にくるまっていた。
簡単に上着を羽織った孝平が部屋を出て行き、すぐ隣のリビングで受話器を取る音がした。

相手は孝介だった。
彼は電話に出たのが孝平だとわかると、少し緊張した様子で開口一番にこう言った。
『畑中三郎さんって覚えてる?』
孝平はいいところで邪魔をされたことに苛立っていたが、その名前を聞くなり意外そうな顔をして受話器を握り直した。

「ああ、わかるよ。こんな時間に電話してきて、彼がどうした?」
『なんだかどうも持病が悪化して、今すごく危ない状態なんだって。』
「…え?」
『今母さんから電話があったんだ。兄さんも見舞いに行ってやって。』
「今すぐにか?…そんなに危ないのか。」
『年が年だから…。』
「…そうか。父さんには?」
『言ってない。兄さん伝えておいてほしい。』
「わかった。仕方ないな、場所はどこだ?今から行くよ。」
孝平は孝介から病院の住所を聞いて、受話器を下ろした。

これは恭平と遊んでいる場合ではなさそうだ。

部屋に戻ると、布団にくるまって孝平が戻ってくるのを待っていた恭平と目が合った。
「誰だった?」
純粋に聞いてきた恭平に一瞬伝えるのを躊躇したが、内容が内容だけに孝平も隠しようがなかった。
「孝介だ。どうやら昔世話になった父の友人が危篤らしい。今から出かけてくるよ。」
「えっ、今から?」
恭平は驚いて時計に目をやった。もう深夜の2時は回っている。
「場合が場合だ、仕方がない。病院に着いたら連絡するが、明日の朝には戻ってこれないと思うから竹本にはうまく説明しておいてくれ。」
「わ、わかった。」
「お前も少しは覚えてるかもな、畑中三郎さんだ。」
恭平には聞き覚えのある名ではあったが、すぐには顔を思い出すことができなかった。
孝平は喋りながら着替えとバスタオルをタンスから取り出している。

「中途半端になった…。続きはまた今度。」
「うん、大丈夫。」
恭平は神妙な顔つきで大きく頷いて、布団の中でもぞもぞと動いた。

着替えを全て持って浴室へ向かおうとした孝平の背中に、恭平は最後に声をかけた。
「父さん。」
孝平が振り向く。
「なんだ?」

「今日ここで寝ててもいい?」

恥ずかしそうに切り出した恭平の仕草は孝平の肩の力を抜いてくれた。
孝平は恭平の側まで一旦戻り、彼の額を指で撫でた。
「寝坊しないように。」
「うん、大丈夫。」
孝平は少し屈んで、恭平と軽く口付けた。


孝平の電話は、翌日の朝、恭平が朝に弱い良平を起こすのに躍起になっている頃にかかってきた。
二階で奮闘している声が聞こえている中、一人リビングで食パンを食べていた聡平が立ち上がって電話を受ける。

「はいもしも〜し。」
『…私だが。』
てっきり恭平が出るものだと思っていた孝平の一瞬驚いたような声が受話器の向こうから聞こえてきた。
だが聡平は父が夜中に出かけたことを知らなかったので余計に驚いたようだ。
「えっ父さん?どこから…、ん?まだ寝てんじゃないの?」
受話器を持ったまま孝平の部屋をチラチラと見ながら焦っている。
『まあいろいろあってな。恭平は?』
「今二階。ちょっと待って。」
聡平は送信部に手で蓋をして、二階にいる兄の名を大声で呼んだ。

「兄貴ーっ!父さんから電話!」

二階からのギャースカ騒ぐ声がピタッと止まる。
「い、今行くー!」
声がしたかと思うと一段ずつ階段を降りてくる足音がし始めた。
できる限りの急ぎ足だ。
恭平は聡平のところまでやってきて受話器を受け取った。

「もしもし、父さん?」
『恭平か。昨日言ってた三郎さんだがな…やはり亡くなった。』
「えっ…。」
『今日の朝5時くらいだったよ。通夜は明日、葬儀は明後日営まれる。』
「…はい。」
心なしか孝平の声に元気がないような気がする。


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