孝平記 P2
恭平はむしらそちらの方が心配で、受話器を握り直した。
『私は父が心配だから通夜にも葬式にも出るつもりだが…。竹本はもう来たかい?』
「いや、まだ。」
『そうか。では軽く説明しといてくれ。詳しくは後であいつにも電話を入れるから。』
「わかった。」
『それと…。』
言いかけて孝平は溜息をついた。
恐らく今までずっと寝ていないのだ。
「父さん…大丈夫?」
『ん…ああ、大丈夫だよ。それと、私の親がお前たち4人にも会いたいと言っている。できれば明日の通夜に来てもらえるか。』
「あ、はい。」
『無理はしなくていいよ。来たくなければ来なくていい。…孝介もいることだし。』
孝平はまたしても溜息をついた。
彼は付け加えるように孝介のことを言ったが、恭平には別のことも感じられた。
恭平たち兄弟は、母方の祖父とは頻繁に連絡を取っているが孝平の父母とはあまり交流がない。
というか、話題にすらほとんど出ない。
孝平自身も会いに行く回数は少ないが、それはあくまでも忙しいからだと思っていた。
「孝介叔父さんのことは、良平たちがいれば大丈夫。行くよ。」
『…ふむ。そうか。』
「うん。父さんこそ、無理しないで。」
無意識にぎゅっと受話器を握り締めた兄の様子を、すぐ横で聡平が見守っていた。
恭平は知らないが、聡平も叔父と兄と間にあった事件を良平から耳にしていた。
ただしそれが長期間に渡るものだったとは知らず、自分がイギリスに行っていた間の一回きりだと思っている。
『ではまた連絡する。明日車で迎えに行くよ。』
「はい。じゃあ…また。」
会話を終え受話器を下ろしたところで寝坊助良平が大欠伸をしながら二階から降りて来た。
「ぁふあ〜〜。んはよう…。」
目をこすりながら恭平と聡平のことを見た良平は、二人の顔付きに呑気にパチクリと瞬きをした。
「…何?」
恭平から孝平の話を聞いた良平と聡平は、同時にフーンと唸ってお互いを見合わせた。
「俺はバイトだけど午前中だけ。お通夜って大概夜だろ?行けるんじゃないかな。」
と良平。
確か午後は授業があったはずだが…
と聡平は思ったが、とりあえずそのことには触れずに自分の予定を思い返した。
「俺は午後部活…」
「休めねぇの?」
「…だけど休めるよって言おうとしたの!馬鹿良平!」
「うぐっ。……怒んなよ馬鹿聡平!」
「あー、もうハイハイ、喧嘩は後でして。じゃあ二人とも行けるんだね。明美は学校だけだから…。」
「早引きすりゃ行けるんじゃないか。今日帰らせて聞いてみようぜ。」
「そうだね。」
三人は頷いて、同時にしばらく沈黙した。
恭平の頭の中は、寝てない孝平の体調だとか食事だとかが心配でグルグルしていた。
おじいちゃんが心配って言ってたけど…一体何年振りなんだろう。
最後に会ったのはいつだっけ……?
恭平の目の前でパンをかじっていた良平は、口に入った分を飲み込んで、言った。
「…兄貴。」
「え。…んっ何?」
考えごとをしながら俯いていた恭平が、はっと我に返って良平を見た。
良平はまっすぐに恭平を見て、それからパンに目を落とした。
「心配すんな。俺と聡平が、必ず側にいるからさ。」
「え…。」
恭平が目を丸くして二人の弟を交互に見ると、良平の隣に座っていた聡平も大きく頷いた。
ああ、自分は孝平のことばかり気にかけて、孝介のことを忘れていた。
まるで危機管理がなってないと、恭平は恥ずかしくなり、同時に情けなくもなった。
「ありがとう。ごめん…お願い。」
「任せろって!」
二人は恭平を安心させるように笑い、心強く頷いた。
孝平が、自分の両親を避けているのにはわけがある。
避けているというか、あまり会わせたくないというか。
孝平の父は、基本的には優しいのだが、自分が貧しい分長男の孝平に勉強ばかりを強要した。
お陰で孝平はロクなスポーツや運動をやった記憶がない。
その割りに、人より少しだけ頭の回転が速かったので、学生生活における体育の授業は要領よくこなしていつも成績はよかった。
そんな父のお陰で所謂エリートコースをひた走ってきたわけだが、孝平は孝平なりにそのことに不満を抱いていた。
18の時に喧嘩別れするように家を飛び出し、上京。
月に一回連絡をするものの、家にはほとんど音信不通という生活を経験した。
母はというと、孝平が中学の時に父と離婚した以来、今までに会ったのは2回だけ。
1回は、大学時代に孝介が孝平を訪ねてきて、彼を家に送り届けた時。
2回目は、既に結婚し、恭平と良平、聡平の双子が生まれてから、妻の愛が一度だけ会いに行きたいと懇願したから連れて行った。
本当は会わせたくなかったのだけど。
なぜなら、彼女はひどく情緒不安定で、時には誰彼構わず暴力を振るう女だったからだ。