孝平記 P10
「それで?」
参列者も多くなってきた葬式場の片隅で、恭平は身を乗り出して孝平の話を聞いていた。
今まで孝平の口から語られることのなかった母への想いが、恭平の心を高揚させる。
そんな恭平の様子を、ふと我に返った孝平は不思議そうに見ていた。
「そんなに楽しいか?どこにでもある話だよ。」
「そういうことじゃないよ。父さんと母さんの話は世界で一つ。少なくとも、俺の世界ではたった一つしかないんだ。」
「…そうか。」
恭平のこういうところ、愛にそっくりだ。
興味だけで相手の元へ飛び込んできて、楽しそうに目を輝かせる。
そして、告白をする時はいつも突然で。
大抵のことは予測のつけられる孝平でも、この手の人物の行動予測はてんでつかない。
だから愛と、その子供は苦手なんだ。
「それで?どうしたの?追いかけて…」
「愛の実家に行って、泣いてる愛のことを父親から引っ張り出した。鞄を届けたこともあり、最初は不信がっていた義父さんも、最後は俺のことを信用してくれたよ。」
「へぇ…おじいちゃんだよね。」
「そう。あの人も今から考えればよくできた大人だったな。自分の娘よりも俺のことを信用してくれたんだから。」
それは孝平の中に、何かこう、信じさせるような輝きがあるからだ。
それを人はカリスマ性と呼ぶ。
「だから、そこで結婚しようと言った。」
「ふーん。……え?結婚?!」
「ああ。どうして機嫌が悪くなったのかわからなかったから…とりあえず。」
「とりあえず?!」
恭平は信じられない、という表情で孝平のことを見つめた。
なんて無鉄砲で…計画性のない。
まるで恭平の知っている父親のイメージではなかった。
「言った後に悩んだな。困って…三郎さんに相談した。バーの店長や馴染み客にもたくさん相談した。」
「…そりゃね…。母さんは、なんて?」
「即答だったよ。だからこそ…愛を幸せにできる奴は俺じゃなかったと、今でも思う。」
「そんな…。」
母さんは幸せだったよ。
恭平にはわかる。きっと他の兄弟にも、そのことはわかっている。
わかっているからこそ、恭平以外の兄弟は、自分の知っている父親とのギャップを理解できなくて、苦しんでいる。
良平や聡平はともかく、明美は、おそらくずっとあのままだと思う。
…もう少し大人になって、結婚して、母親の立場に立てば少しは気持ちが変化するかもしれないが。
「…寒くなってきたな。恭平、大丈夫かい。」
「うん…大丈夫だよ。」
「愛の話をしていたら時間が経つのを忘れていた。もう気分もだいぶよくなったから、中へ入ろう。」
「え、でも。」
「大丈夫。私はこれ以上、愛に恥じるような真似はできないからね。」
いつのまにか口調が元に戻っている。
恭平の知る、いつもの孝平に。
「ねえ…もう一つだけ、聞きたいことがあるんだ。」
「ん、なんだい。」
会場の中へ戻る途中、恭平は小さな声で孝平へ囁いた。
「俺を抱いた時…初めて抱いた時、何か思った?」
恭平は、母親にそっくりな、純粋無垢で全信頼を抱いた視線を孝平へ向けた。
この瞳、この頬に、孝平はとことん弱いらしい。
孝平はふふ、と恭平の気持ちを見透かしたように笑ってみせた。
「何かって?どういうこと?」
「…何でもいいよ。何を思った?」
「知ってどうするのかな、恭平くんは。また墓参りで報告を入れに行くのかい。」
「ち、違うけど…。ちょっと気になっただけ!」
意地悪く笑っていると、恭平は頬を紅く染めて孝平から目を逸らした。
そういう仕草が孝平の心をくすぐる。
「ふふ。私は、愛に感謝したよ。妻でいてくれたこと…そしてお前を産んでくれたこと。」
「…。」
「ああ、ここではお前たち、と言うべきかな。とにかく、彼女に出会わなければ、そして彼女が私を好いてくれなかったら、私はずっと一人だったろうと思う。幸せなことだ。」
孝平の声がどこか優しい。
孝平自身も、三郎の死で精神的、肉体的にも参っていた先程までが嘘のように元気が出てきたことを不思議に思った。
せがまれるままに昔の話をしただけなのに。
会場内に戻ってきた二人を見つけて、良平と聡平が近付いてきた。
明美は祖父母と楽しそうに話している。
「遅いじゃん帰ってくるの。」
「どこで何してたの?」
矢継ぎ早に質問してくる二人に、恭平は笑って答えた。
「ちょっと涼みにね。少し寒くなってきたよ。」
「ちぇー。ね、喉乾いたんだけど。小銭ちょうだい。」
「あっ兄貴、手ぇ冷た!風邪引くなよ。」
「大丈夫だって。心配性だな。…はい、お金。明美にも買ってあげて。」
「いいよ。兄貴は?」
「俺はいいや。二人の一口ずつ飲ませて。」
「ふーん。父さんは?」
三人のやり取りをじっと見ていた孝平は、ふいに話を振られて驚いた風に目を見開いた。
しかしすぐに表情を戻して答える。
「コーヒーを頼むよ。ブラックな。」
「了っ解〜。」
良平と聡平が声をそろえて返事をした。
すぐにお互いを見つめてぷっと笑い、恭平から受け取った千円札を持って駆けていく。
その後ろ姿を見送って、恭平は独り言のほうに呟いた。
「…幸せ?」
そんな恭平のことをちらりと見やって、孝平もふっと笑った。
「幸せだよ。愛が全てをかけて、残してくれたものだからな。」
孝平は微笑んで、棺の上に置いてある三郎の写真を見た。
彼のお陰で愛と無事に結婚することができた。
彼のお陰で父と母は離婚してそれぞれの幸せを手に入れることができた。
彼のお陰で……
「父さん、あそこの席あいてる。座ろう。」
孝平の腕を引いて、恭平が言った。
いつかこの子の中に自分のことがこういう形で残る日が来るだろうか。
父のお陰で、今の自分の幸せがあると…。
そういうものを残していけるように、生きていきたいものだと孝平は思った。