孝平記 P9
「やだ。孝平くん顔真っ赤。ふふ。」
愛はそう言って恥ずかしそうに笑っていた。
しかし孝平が思わず照れ隠しからむっと顔をしかめると、途端に寂しそうな顔をする。
「…ごめんなさい。急にこんなこと言われても困るよね。」
「いや…。」
「好きかもしれないって思ってたの。でも言い出せなかった…孝平くん、優しくしてくれるけど、何か違うって感じてた。それがなんだったのか、今日、わかった気がする。」
「…。」
「私、孝平くんが好きよ。…男の人が好きな孝平くんも好き。迷惑かなあ?」
迷惑?
…わからない。
正直、自分の知り合いの中のどんな女性よりも、自分は愛を守るだろう。
どこにいても、見つけられると思う。
だが、好きかと聞かれると、答えに困る。
今まで自分でも驚くくらいいろいろな恋をしてきたような気がするが、大抵男との方がうまくいった。
相性がいいというか。
女とはセックスはできても心の会話はできない。
なぜだろう?
「…言いにくいけどさ。」
孝平は顔を赤らめたまま、言いにくそうに切り出した。
本屋の中の雑音全てが止まったような沈黙が耳に痛かった。
「俺、お前のこと、そういう風に見る自信がない。女とはうまくいかないんだ。」
「うまく?私たち、仲いいじゃない…違うの…?」
「いや、お前とは一緒にいて楽しいし、正直居心地がいいよ。傷つけたくないし、守ってやりたいとも思う。…すぐこけるし、お前。」
「うっ。…ごめんなさい…。」
「でもさ、そういうんじゃないんだ。お前、俺の女になるってことは、さ?」
「?」
真っ赤な顔を愛に向けて、孝平は瞬間的に屈みこんだ。
愛の目の前まで近付いて、その唇に自分のそれをそっと重ねた。
「!」
愛が絶句する。
孝平くんの、く…クチビルが…?!
愛が正気に戻る前にぱっと顔を離し、孝平は何事もなかったかのようにずっと持ったままだった本をペラペラとめくり始めた。
口をパクパクさせて呆然としている愛のことなどまったく見ない。
心を落ち着けてから、一度だけ、ちらりと愛のことを流し見た。
「こういうこともするってことだろ。俺は、そういうの女とやる自信ないんだよ。だからゴメン。」
このまま友情が壊れてしまうとしても。
付き合って、傷つけるよりはましだ。
そう思ってこうしたのだが、愛は孝平の意図とは違うように捉えたらしい。
急に怒った顔をして、孝平のことを睨んだ。
目の前に愛の手が伸ばされたかと思うと、次にそれは孝平の頬に叩きつけられた。
パン!
本屋の店内に、平手打ちの音が響いた。
「いっ…。」
「馬鹿!そういうことじゃないのよ!…本当に、馬鹿!!」
珍しく愛が声を荒げて怒鳴った。
孝平のことを叩いた手の平をもう片方の手で押さえて、そのまま走り去ってしまった。
叩かれた理由も走り去られた理由も、すぐには孝平にはわからなかった。
ただ、叩かれた頬が痛い。
…他人に叩かれたことなど何年ぶりか。
痛さもあるが、そんな風に冷静に考えてしまっている自分に思わず苦笑する。
ふと見ると、足元には愛のスクールバッグが置いたままであった。
明日、学校はどうするのだろうか。
「…ふぅ。」
孝平は軽く溜息をついて、持っていた本を本棚に戻した。
今日読むつもりだった箇所はほとんど読めなかったな。
孝平は愛の鞄を持ち上げて、走り去った愛の後を追いかけた。
理性を失っていなければ、鞄を忘れたことにすぐ気付くはずだ。
…そう考えた孝平が甘かったのか、相手が松島愛というおっちょこちょいの無頓着娘だったため、愛の自転車は既になく、孝平は本屋を出たところで立ち尽くした。
どうするつもりだ、愛の奴。
孝平は軽く舌打ちして店内に戻り、店員に電話を貸してもらえるように頼んだ。
すぐにバイト先へダイヤルを回す。
「あ、すみません、店長ですか?俺です、佐久間ですけど。…はい。」
孝平はちらりと腕時計で時間を確かめて、すぐに続けた。
「今日、ちょっと急用ができたので遅れます。必ず行きます。…はい、すみません。」
無遅刻無欠勤だった俺の皆勤賞が崩れた責任はとってもらおう。
孝平は本屋の店員に礼を述べて電話を返し、今度はゆっくり歩いて近くのバス停へ急いだ。
…愛の住む寺の場所は、今でも覚えている。