選択肢 P1
『社長。峰山さんからお電話です。』
秘書室からの内線で、竹本が言った。
ちょうど目の前のことが一段落して、少し早いが帰ろうかと思っていた矢先のことだった。
「ああ。繋いでくれ。」
受話器を肩と顎の間に挟んだ体勢のまま、孝平はさらりと答えた。
しばし待つこと10秒、電話口から峰山の声が聞こえた。
『社長。いきなりですが、今日のお仕事は?』
「本当にいきなりだな。今日はもうほとんど終わりだ。もう帰ろうかと思っている。」
『あっ!ちょうどよかった。今日二人で飲みませんか?久しぶりに。』
「…。何度内線を私用に使うなと言ったらお前は理解してくれるんだろうね。」
孝平は呆れた声を出した。
峰山は孝平が会社を立ち上げた時の創立メンバーで、大学時代の同級生でもある。
会話を楽しむのが上手く、ぜひとも自分の会社に欲しいと孝平自身がスカウトした。
彼は一月に一度は孝平を居酒屋へ誘い出している。
彼の出先での情報を聞くこと自体は孝平も嫌いではなかった。
「まあいいだろう。今からか?」
『都合のよろしい時刻でどうぞ。』
「では…今から行こうか。」
『了解。』
峰山の返事を合図に孝平は受話器を戻し立ち上がった。
壁に掛けてあったスーツを羽織り、鞄を持ち上げて颯爽と社長室を出た。
秘書室を覗いて竹本へ帰宅の合図を送り、エレベーターに乗り込む。
エレベーターを三階で降りて、アルバイトとして出勤しているはずの恭平を訪ねた。
息子だからといって特別扱いはしたくなかったのだが、これが思いの他、仕事も社員ともうまくやっているというからさすがだと思う。
いっそのこと正式に入社させようかとも考えるが、そうすると公私の区別がつかなくなりそうな自分が怖い。
「恭平。ちょっと。」
ドアを開けて、フロアの一角に座ってパソコンと睨み合っていた恭平を手招きすると、彼はすぐに顔を上げて歩いてきた。
待っている孝平の脇を何人も社員が通り過ぎ、一人一人が挨拶をしていく。
その一つ一つに笑顔を返していると、恭平がすぐそばまでやってきた。
眼鏡をかけているのでいつもよりやや知的に見える。
「どうしたの?」
「今日は峰山と一杯やってから帰るから、夕飯はいらない。」
「わかった。今から?」
「ああ。」
「飲み過ぎないようにね。峰山さんと父さんじゃ、勝負にならないんだから。」
「わかってるよ。じゃあ、な。」
「いってらっしゃい。」
「いってらっしゃい社長〜!」
手を振った恭平の後ろから、三人の女子社員が声をそろえて言った。
慣れているので彼女たちにも手を振ると、黄色い歓声が巻き起こった。
三人にわからないようにちょっとだけ眉を寄せた恭平を尻目に、孝平は楽しそうに笑って踵を返した。
帰ったらたくさん愛を囁いてやろう。
たまには、いい。
駐車場で待ち合わせて、孝平は峰山の車の助手席に乗り込んだ。
「珍しく俺の方が早かったな。」
「途中に恭平に会ってきた。お前と行くなら夕飯はいらないからな。」
「愛妻料理ならぬ愛息料理ですか。羨ましい。」
「余計なことはいいから。美味しい店でも見つけたのか?」
「あっそうそう。びっくりするぞ、海鮮料理だけど。平気か?」
「問題ないよ。」
「んじゃ行きますか。」
峰山はエンジンをかけ、車を発車させた。
予約を入れていた峰山のお陰で二人は何分も待たずに中へ通された。
畳の個室であったが、二人で過ごすには随分と広い。
上品な着物姿の店員が、ビールと料理を運んできた。
「そういえばお前、今日はいつもより早くないか?そんなに早く切り上げて大丈夫なのか。」
孝平は運ばれてきた料理をつつきながら聞いた。
ビールに口をつけていた峰山は早くもご機嫌で、楽しそうに答える。
「うん、部下に託してきた。最近うちの課に随分と威勢のいい奴がいてさ。毎日やる気が漲ってる。」
「へぇ…。」
孝平の頭にちらりと浮かんだ人物がいた。
それを口に出す前に、峰山が続ける。
「その彼、矢吹博人っていうんだけど知ってる?」
「ん。ああ、聞いたことは。」
孝平は曖昧に答えるだけでビールを一口。
「その矢吹くんがさ、こいつが図体が大きくて愛嬌だけはピカイチな奴なんだけど。最近とっても興味深い噂を聞いたんだ。」
「興味深い噂?」
「ああ。どうも、奴がお前んとこの恭平くんに言い寄ってるって。心当たりある?」
恭平といわず孝平にも、十分すぎるほど心当たりがある。
しかし孝平は薄く笑って首を傾げた。
「どうかな。」
「矢吹はさ〜、いい奴なんだけど。…色恋沙汰には弱そうなんだなぁ。」
「ふ…なんだそれは。お前が言えた口かな。」
孝平がコップに残っていた最後の一口を飲み干すと、峰山は自分のと合わせて部屋の外へ出し、追加を頼んだ。
「恭平くんも注意した方がいいんじゃない。彼女いるのかな。」
「さあ。」
「お前、親だろー!もう愛ちゃんいないんだからさ…。」
言いながら峰山は急に肩を落とした。
どちらかと言うと口下手な孝平と違って生きていた頃の愛と峰山は会話のテンポが合っていたらしく、仲がよかった。
相槌を打つだけの孝平の横で、二人は些細な話題で盛り上がっていたっけ。