明美 P1



「にーいさんッ」

恭平が夕飯の買い物をしようと近くのスーパーに向かって歩いていると、後ろから声をかけられた。
聞き覚えがある。
六つ年の離れた妹の明美だった。

「明美。」
「買い物?荷物重いでしょ。あたしも行く。」

昨日も一昨日も父の孝平が家にいたので、明美と顔を合わせるのはなんだか久しぶりのような気がした。

「昨日泊めてもらった子の家ね、一人暮らしなんだけど、とても整頓されてたわ。清二とはえらい違いよ。」
清二とは、今付き合っている同級生の男の子の名前だ。
恭平は一緒に笑いながらも忠告してみた。
「でも明美。いくら整頓されてても、住み着いちゃ駄目だぞ。」
「わかってるわよ。そんなことはしない。」
明美はまっすぐ恭平を見上げた。
小さい頃から、この目線の高さなのだ。六歳の違いはとても大きい。

「あんな家でも兄さんのいる時は好きよ。それに、兄さんは放っておけないもの。」
「どういう意味だよ…。」
「良ちゃんと聡ちゃんは、どうなったって心配しなくてもどうにか生きていけるでしょうけどね、兄さんはきっと死んじゃうわ。」
「なんだそれ。死なないよ。」

恭平は笑っていたが、明美は本当にそう思っていた。
あんな父親に、心の底から笑いかけらているのは兄さんしかいない。
恭平兄さんは優しすぎるよ。

スーパーに着くと、明美が率先して買い物を始めた。
恭平の持った籠の中に、どんどん野菜や調味料を入れていく。

「今日は明美が作ってくれるつもり?」
「いいわ。父さんはいないよね?」
恭平は眉を少し寄せて呆れたような顔をしたが、すぐに苦笑気味に言った。
「いないよ。出張に行くと言っていた。」
「じゃあ、張り切っちゃう!良ちゃんと聡ちゃんは?」
「帰って来るんじゃないかな…良平は、飲み会かもしれないけど。」
「また?あの遊び人は…。」
「それにしても、買いすぎだよ明美。量を考えろって。」

気がつくと、恭平の持った籠の中には山のように商品が入っていた。
「あっ、ゴメン!今カート持ってくるから!待ってて!」

恭平は量を減らせと言ったのだし、減らせば持てたのだが、どうやら彼女はまだまだ買うつもりらしい。
しばらくして、駆け足で明美が戻ってきた。
「はい!ここに乗せて!」
「…多すぎないのか?」
「兄さん、その足で何度も出かけるの大変でしょ。」

明美はそう言ってどんどん先に進んでしまった。
買い物なんてもう慣れてしまったのだからどうということはないが、恭平はその気遣いに乗じることにした。

「明美。この前授業参観に行った時に先生に言われたけど。」
明美は今、恭平の出た高校に通っている。しかも、担任が偶然にも一緒なのだ。
恭平は顔見知りだったせいで、二時間ほど職員室で話をしてきてしまった。
「進路、どうするの?進学するなら、父さんに言わないと。」

「…迷ってるの。あの男にこれ以上世話になりたくないのよ。」

明美は、手に取ったカレーのルーを見つめて止まった。
恭平はそんな明美の横顔を静かに見守った。
「…やりたいことでもあるのか?」
「うん…。でも、よくわからない。」
明美はルーを籠に入れて、また歩き出した。

「兄さんになら言ってもいいかな。」
「何?」
恭平が明美の顔を見た。明美は恥ずかしそうに、そっぽを向いている。
「何だよ。」
恭平が噴き出した。
「やだ、笑わないでよ。真剣なのよ!」
そういう明美もはにかみながら笑っていた。
彼女は気を取り直して表情を改めると、恭平の目をまっすぐに見た。

「美容師。やってみたいの。」
「…ふーん。」
「ふーんって…。」
意を決して告白してみたのに、最愛の兄の反応はイマイチなものだった。
反対もしなければ賛成もしてくれない。
明美は少しがっかりして肩を落とした。

「いんじゃないかな。明美らしいよ。」
そんな明美を気にも留めないで、恭平はさらりとそんなことを言った。
明美が目を輝かせて恭平のほうを向いた。
「本当に?!そう思う?」
「うん。お前髪の毛結わくの上手だし。小さい時に俺の髪の毛切ったの覚えてる?」
「あ…。あったね。兄さん、どこかに髪の毛引っ掛けてばさっと抜けちゃったんだよね?」
「そう、公園のブランコの隙間に引っかかったんだ。あれは痛かった…。」
「あははっ」
「あの時、髪の毛揃えてくれたのお前だろう。」
「…そんな小さい時なんて…。」
「大丈夫。明美ならやれるよ。」

明美は胸が締め付けられたような気がした。
昔から、この兄の言葉は魔法の言葉。
明美に不思議な力を与えて、兄に言われたことは何でもできるような気がしていた。
良平にも聡平にも馬鹿にされたって、恭平が味方についてくれるだけで明美は勝ったような気になれた。
あんな、自分の子供に見向きもしないような仕事一筋の父親の家にだって、恭平兄さんがいれば耐えられた。良平兄さんと聡平兄さんがいれば、耐えられた。

そうしてここまで生きてきたのだ。

「いいかな、進路。専門学校にしても…。」
「いいよ。俺から父さんにも言っておこう。」
「うん…お願い。あたし、話したくないから。何かあったら言ってね。」
「わかったよ。…たまには、父さんにも顔見せろよ。」
「それは嫌よ!」

明美はいつもの如くきっぱりと否定したが、恭平には前とは違った響きに聞こえた。


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