家出 P1
家ではあまり好かれていない孝平も、社内では割と人気があった。
社長自ら営業回りすることも少なくなかったし、何より部下の面倒見がよかった。
そのお陰か、女性ファンも多い。
これには恭平も驚いた。
「あの…恭平さん。」
ある日、恭平が自分の机で慣れないパソコンに向かってデータを打ち込む仕事をしていると、女子社員三人に声を掛けられた。
「はい。」
恭平は顔を上げて、机に向かう時だけ使用している眼鏡を外した。三人は言いにくそうにお互いの顔を見合わせている。
「何でしょう?あの…話しにくいことなら場所変えますか?」
「あ、いえ、いいんです。」
「あの…恭平さんて、佐久間社長の息子さんですよね?」
「はあ。」
誰でも知ってる事実だとは思っていたが、直接確かめられるとは思っていなかった。
「あの…できたら、社長の好きな色とか物とか、教えてください。」
真ん中の、恭平の評価では三人の中で一番キレイな女性が言った。
確か中島さんだったかな。
「え。い、色ですか?」
恭平は少し面食らった。
「いえ、何でもいーんです。食べ物でも、場所でも…。」
「はあ…。じゃあ、聞いておきます。」
「…知らないんですか?」
中島の右隣の女性が不思議そうに聞いた。
恭平は苦笑して、
「あまりそういう話したことないんです。父とは。」
と言った。
本当のことなんだから、仕方がない。
三人は、お願いしますと頭を下げて、それぞれの机に戻っていった。
本当は自分で聞くのが一番だと思う。
しかし、恭平にも彼女たちの気持ちがわからなくもないから、手を貸してやることにした。
再び眼鏡をかけて作業を再開しようとした時、今度は隣の米田という男に話しかけられた。
「おい…恭平くん。彼女たち…知ってどうするんだろ。」
彼はもうすぐ三十歳になろうかという印象を受けるが、実は恭平とそう変わらない。確か二十六歳だったはずだ。
「さあ…デートにでも誘うんじゃないですかね。」
「マジかぁ?だって社長、もう四十七だぜ。」
「四十、五、ですよ米田さん。」
「変わらないだろー。」
そう、どんなに若く見えようとも彼はすでに四十五歳。
どんなに体力が有り余っていたとしても……。
そこまで考えて、恭平は顔を赤らめた。
「え?どした、顔赤いぞ。」
「…気のせいですよ。」
米田には、恭平が今何を想像してしまったかまったく予想がつかないだろう。
パソコンと睨み合うこと三時間。
恭平はやっと、言われていた仕事を終わらせることができた。
そのデータをプリントして、その束を担当の上司のところに持っていくと、すぐに帰宅許可が出た。
まだ五時だから、今から帰って夕飯の支度を始めれば弟達の帰宅時間までも余裕があるだろう。
そう思って近くのスーパーに寄って軽く買物をし、家に向かった。
すると、玄関の鍵があいている。
ドキリとして静かに扉を開けると、靴が三足あった。
うち二足は見覚えがある。紛れもなく良平と聡平のものだった。
「良?聡?帰ってるのか?」
玄関口で叫ぶと、良平が返事を返した。
「おう、お帰り兄貴〜」
Tシャツにジーンズと、随分ラフな格好で良平が玄関まで歩いてきた。当たり前だが、朝と同じ格好だった。
良平は玄関でスーパーの袋を持って立っている兄を見て、笑った。
「…兄貴、すっかり主婦やってんな」
「むか…」
恭平は顔をしかめたが、良平はお構いなしに恭平の荷物を奪い取ると、中に入っている食材で今日の夕飯の候補を挙げ始めた。
恭平はそのまま荷物を良平に預け、靴を脱いで家の中に入った。
「こんな時間にお前が帰ってくるなんて、珍しいな。」
「聡平が倒れたって、携帯に連絡入って。」
「え?!」
そんなこと、聞いていない。
恭平は淡々と語る良平の横顔を見つめた。
「ばたんキューだ。病院行ってきたけど、ただの風邪だって。」
良平は荷物を食卓の上に置くと、椅子に置いてあった自分の鞄から薬を取り出して恭平に渡した。
「あとで薬代、ちょーだい。」
「そんなのいくらでもあげるけど…。大丈夫なのか?」
「うん。」
自分のことでもないのに、やたらハッキリと返事をする良平。
聡平についてのことは、いつもこんな感じだ。そして、また逆もまた然り。
「でも、一応兄貴も様子見てやってよ。今叔父さんが見てるはずだけど。」
「えっ…」
またもや恭平は驚いた。
そうか、あのもう一足の靴は孝介叔父さんのものだったのか。
「熱でフラフラしてたからさ、叔父さんに電話して車出してもらったわけ。」
「そんな…平日なのに。」
「自営業って融通利いていいよな。」
恭平の心配とは裏腹に、良平はのん気なことを言っている。
いや、これも恐らく、無意識のうちに出る自分の父に対する言葉なのだろうが…。