見るだけでは P1
携帯のバイブレータが震えた。
田嶋勘太郎は、帰宅途中の電車の中でそれに気付いたが、着信画面を見てそのままポケットに押し込んだ。
一人暮らしのアパートの隣に住む、やかましい隣人からだ。
一度取らなければ諦めるだろうと思っていたが、甘かった。
一度ならず二度までも。
二度ならず三度までも、着信バイブが止まらない。
仕方なく、受話器を取った。
『勘ちゃん!勘ちゃん!聞いてくれよ!!』
少々興奮気味の隣人、沖田雅人の声が車内に響いたかと思った。
「…っ!今電車なんだよ!後で掛け直すから。」
『聞いてくれよ!今日、この前の試験の発表だって言ったろ?それがさ!』
人の話をまったく聞いちゃいない。
『それがさ!最優秀賞取ったんだよ!俺のが!!』
「…。へぇ〜。わかったから。もう切るぞ。いいな。」
勘太郎の反応は冷ややかなものだった。
『すごいだろ!あ、切るなよ、それでな!』
隣に立っているOLらしき女性がチラリと勘太郎を見た。
うわー、迷惑がってるよ…。
「早く。何?」
『明日開けといて!お祝いするから俺んちで!』
「はぁ?お前が勝手にやれよ。」
『恭平呼ぶから。恭平が勘ちゃんにも会いたいって!』
「ああ…、あの行き倒れてた人ね。」
『わかった?明日、六時に俺んちね!!も〜〜すげぇよ最優秀賞!最優秀賞だぜ!!』
「はいはい。おめでとう。じゃぁ、明日な。」
勘太郎は適当に返事をして早々と電話を切った。
周りの人に一応軽く頭を下げて、吊り輪を掴み直す。
…久しぶりだな、恭平って人に会うの。
その時間、恭平は昼間から孝平の社長室にいた。
裸の身にタオルを一枚巻きつけて、仮眠室のベッドの上で気を失ったように倒れている。
孝平が隣の部屋で竹本と話している声がする。
今日も父の孝平に社長室に呼び出され、されるがままに交わっていた最中に、そうとは知らない竹本が社長室をノックした。
幸い孝平はまだ服を着たままだったので、急いで裸の恭平とその服を仮眠室に運び鍵をかけ、そのまま竹本と仕事の話をしている。
恭平は体中を余すところなく愛撫され、恍惚の状態になっていた所での中断だったので、体の火照りを押さえるために呼吸を荒げていた。
そんな時だ、沖田から携帯に電話がかかってきた。
鳴り響く着信音。
しまった。
「誰かいらっしゃるのですか?」
竹本が言ったのが聞こえた。
…マズイ。
今恭平の状態を見たら、誰であれ何があったかは気付くであろう。
全裸にタオル一枚。しかも未だ体は何かを欲している。
「恭平の携帯の音だな。今日の昼に少し仮眠を取ったようだから、その時に忘れたのだろう。」
孝平がさもあっさりと、そんな答え方をしている。
恭平が少しほっとしたあと、着信音が途切れた。
そっと腕を伸ばして荷物から携帯を取り出し、急いでマナーモードに切り替える。
これで、またかかってきても音はしないはずだ。
案の定もう一度かかってきた。
沖田さんだ。
竹本と孝平の会話はまだ終わりそうにない。
恭平は熱い体をなんとか鎮めて、着ていた服を手に取った。
着替えておけば、外に出ても大丈夫なはずだ。今まで寝ていたと、そう言えば。
恭平が全ての服を着終わった頃に、誰かが社長室を出て行く音がした。
なんだ意外と早く終わったんだな。
恭平は、携帯を持って仮眠室の扉を開けた。
「あれ、恭平くんじゃないですか。」
「…竹本さん。」
思わずギクリとした。
しまった…出て行ったのは竹本さんじゃなくて父さんだったのだ。
竹本の恭平を見る目がキラリと光ったような気がした。
大丈夫、服は着ているから、なんとかごまかせるはず。
「あの…すいません、今まで寝てて。ちょっと…寝不足で。」
「ほう。ずいぶんと、髪が乱れていますよ。」
「…あ、すいません。」
恭平はポリポリと頭を掻いた。
「…いつから、そこに?」
「さぁ、よく覚えてません。眠かったんで…。」
「それ、痣ですか?首もとの…。」
「は?」
恭平の脳裏に、さっきの孝平の愛撫がフラッシュバックする。
そういえば、右の後ろのあたりを一回…
パッと首筋に手を当てた所で、孝平が部屋へ戻ってきた。
恭平を見て少し驚いたが、すぐに事態を察していつもの冷静な顔つきに戻る。
「恭平じゃないか。何をしている。」
「寝ていらしたそうですよ、今の今まで。」
竹本の声が、どこか皮肉っぽく聞こえる。
恭平は首元に手を当てたまま持った携帯を握り締めて、動けずにいた。
「寝ていた?仕事に戻りなさい。今日はもう片付いたのか?」
さっき恭平を呼び出すために、裏から細工をして今日の仕事の量を減らしたのは、孝平自身だ。
終わっていることなど百も承知なはずである。
「うん、もう、終わったんだ。帰る前に寝ておきたくて…。」
「それは構わないが。じゃあもう帰りなさい。いいね。」
「うん。」
竹本の痛い視線をどうにかかわして、恭平は荷物を持って社長室を出た。
扉を閉めるのと同時に、大きな溜息がもれた。
…なんだか父さんが花火に連れていってくれてから、竹本さんの風当たりが妙に冷たい気がする。
なぜだろう?
電話を掛け直して沖田に話を聞いたが、心の片隅にそのことが引っかかって消えなかった。