挑戦 P18
矢吹と寺崎は同時に驚きの声を上げた。
横で恭平も目を丸くして孝平のことを見上げている。
「た、大役なんじゃないっすか…?」
寺崎が得意の間の抜けた声で尋ねた。
だが今の矢吹だったら寺崎とそう変わらない声を出してしまいそうだ。
確かにこれは、一生に一度回ってくるかこないかの大役だ。
「それほど気負うものじゃないよ。さすがにこちらとしても君たちだけに任せるのは忍びないから、きちんとしたサポートはするつもりだ。どうかな?」
孝平の頼もしげな声。
横で竹本も小さく頷いた。
「ハイッ、俺、やりますッ!!」
真っ先に寺崎が手を挙げて返事をした。
それを見て、孝平が感じのよい笑顔を向けた。
「いい返事だ。矢吹くんは、どうかな。」
「あ…。」
正直返答に困った。
こんな大役任されたことがないし、やり遂げる自信すらあまりなかった。
最初から頭を使うようなことは苦手なのだ。
矢吹の横顔を見つめていた恭平が、ふと思いついたように孝平に視線を移した。
「待って、父さん。阿久津建設って、東京の会社じゃないよね?」
孝平が、よくぞ気付いたとばかりに微笑んで、指を立てて言った。
「北海道だよ。だが仕事場は会津だ。二人にはそちらに行ってもらうことになる。」
「えっ。」
矢吹が面食らって目を丸くした。
本社であるここから離れるということは…?
いくらアホでも寺崎がげげっという顔をした。
つまり、事実上の左遷?
「と、父さん。いくら俺が二人の話をしたからって、何も経験のない二人がそんなとこにいってうまく仕事ができるとは…」
「だからやってもらうんじゃないか。これは二人にとって大きなチャンスだ。」
「でも…」
「これは仕事の話だ。恭平は黙っていなさい。」
この言葉に、恭平がビクリと全身を硬直させて黙った。
気まずそうに目線を逸らし、下を向く。
孝平の命令口調には逆らえない。
確かに仕事の話は恭平にはよくわからない。
首を突っ込む権利もないし、突っ込もうとも思ったことがない。
でもこんなやり方は。
大きなチャンスというのは、成功すれば得るものは大きいが、失敗すれば失うものも大きい。
それに。
このタイミングで、この二人というシチュエーション。
…まるで恭平に許可なく近付いた者は有無を言わさず遠ざけると言うような。
そんな無言のメッセージとも感じられる。
恭平は胸が痛んだ。
「それって、俺たちが恭平くんと一晩一緒に泊まったっていうことに対する仕返しですか。」
「えっ?」
恭平は耳を疑った。
今、誰かその発言をした?
もちろん孝平や竹本ではないことは確かだ。自分でもない。
寺崎を見ると、ポカンとした表情で、自分より一回り大きい矢吹の頭をまじまじと見つめている。
声の主は、矢吹だった。
「…。何の話かな。」
孝平は冷静に返答したつもりだったが、眉が真ん中に寄るのだけは避けられなかった。
この男、あの夜に恭平の何かを見たか聞いたかしたに違いない。
孝平は明らかに挑発されていることを感じた。
「恭平くんに近付くと、こういう目にあうぞって、ことですか。」
矢吹のまっすぐとした目は、直球ストレートで孝平を捕らえたまま離さない。
恭平は顔を赤らめて、慌てて二人の間に入った。
「や、矢吹さん、落ち着いて。自分が何を言っているかわかってる?仕事の話の中に俺のことは関係な…。」
「関係ないもんか。俺、このことで確信持ったよ。恭平、もう隠すことなんてない。」
「矢吹さ…」
「社長は、仕事をこれだけ大きく成功させた人ですから、きっと今までだって恭平くんに近付いた人には何かしらの制裁を加えてきたのでしょう。それを恭平くんはただ黙って見ていることしかできなかった。なぜなら」
「矢吹さん!やめて!!」
「矢吹!おい、落ち着けよ。どうしたんだ?」
後ろから寺崎も止めに入った。
矢吹は一瞬黙ったが、孝平が何も言わなかったので、勢いのままに続けた。
「なぜなら、今みたいに恭平くんには口出しを許さなかったからだ。彼は今、言いたいことを飲み込んでた。我慢してた。だから、俺は今代わりに言ってやってるんです!」
いくら怒鳴っても、腕を組んだまま相手の様子をじっと見ている孝平には何も通じそうにない。
この人は、自分が雇ってもらっている会社のトップだ。
自分とは通ってきた道が違うし、経験も、年も違う。
体格以外は全て劣っているのは目に見えていた。
自分でもどうしてこんなところでこんな風に怒鳴らなければならなくなったのかよくわからない。
ただ、黙っていなさいと言われて哀しそうに黙った恭平を見ていたら、こうせざるを得なかった。
助けてやると、あの時言った言葉は、矢吹の中ではまったくの嘘ではないつもりだった。
果たしてこれで恭平が救われるかどうかは別だが。
矢吹は結果を見るのが恐ろしくて、恭平の顔がまともに見れなかった。
「どうなんですか、社長!俺は会津にでも北海道にでも行きます。例えクビにしてもらっても構いません。ですが、そうなったら、社長はそれを事実だと認めることになります。どうなんですか!!」
ええい、もうヤケだ。
腕を組んで黙っていた孝平は、やがてふっと笑って矢吹を見た。
「君は度胸がある。まさかここまで反抗されるとは、さすがに予想外だったな。」
「…。」
「君の挑戦状は確かに受け取った。事実だと認めてもいいが、それでは私が面白くないのでね。矢吹くんは外してあげよう。」
これには恭平も竹本も驚いた。
孝平が仕事で一度決めたことを覆すことは、そうそうあることではない。
それでもまだ孝平のことを睨み付けている矢吹の隣で事態について行けずに呆然としている寺崎のことを指差して、孝平は言った。
「寺崎くん。君は、会津に行ってもらえるかな。どちらにせよこちらから2人出さなくてはならないんだ。もう一人は追って連絡するよ。」
「えぇッ。……はい。」
寺崎は鳩が豆鉄砲をくらったような顔をして、渋々頷いた。
孝平は恭平の肩を叩いて、最後に矢吹のことを見上げた。
「恭平のことをよろしく頼むよ、矢吹くん。君は素質があるから、出世したければいつでも言いにくるがいいよ。適当な仕事を回してあげよう。」
「は…。」
「公私混同とはよく言ったものだ。以後気をつけるとしよう。」
孝平は肩をすくめて、それでもどこか楽しげに笑っていた。