女社長 P25



恭平は竹本に抱えられるようにして、孝平を残し、部屋を出た。
エレベーターに乗り、地下の駐車場へ。
ふらふらとした足取りをしながら、竹本の車を目で確認した。その途端、足を引っ掛けてつまずいた。
「あ!」
「…っと…。」
竹本が恭平を支えた。

「大丈夫ですか。あと少しですから、頑張ってください。」
気遣うように言って、恭平の肩を掴む。
やっとのことで車に辿り着き、竹本は恭平を後部座席に乗り込ませた。
「何か飲みますか?」
「…お水…。」
恭平は掠れた声で言って、力なく座席の上に倒れこんだ。
体力の落ち込みというより、薬のせいのように思えた。
鎮静剤と言っていたが、本当だろうか。医者でも玲子でもないからわからない。

竹本は恭平に少しここで待つように言って車の鍵を掛け、ホテルに戻った。ロビーに言って、水と毛布を一枚、貸して貰った。
五分もしない内に駐車場に戻り、後ろのドアを開ける。
「恭平さん、水です。」
うとうとと意識を失いかけていた恭平は、ふっと目を開けて体を起こした。
「ありがとうございます…」
「寒いですか?毛布をもらってきました。」
言って肩の上から掛けてやる。
そこで、恭平がホテルの浴衣を着ていて、服がないことに気が付いた。

…しまった。
あそこに何も残してきてはならなかったのに。

「恭平さん。ちょっと…私も上の様子を見てきます。ここで待っ…」

待っていてください、と言おうとして、竹本は口を噤んだ。
恭平の瞳が揺れて、水の入ったコップを取り落としそうになったからだ。
なんて、悲しそうな顔をする。

「と…父さんは大丈夫ですか…?」
「ええ。」
咄嗟に言葉を切って、恭平の問いに力強く頷いた。
「すぐに帰って来ますよね?」
「はい。当たり前です。」
「そうですよね…」
恭平の声が小さく消えていく。
竹本は無言で恭平の隣に入り込み、ドアを閉めた。
彼にとっての父親のように、背中を摩ったり頭を撫でたりはできないし、優しい声もかけられない。
だが、隣にいて、安心させてやることはできるだろう。

少し前に恭平に対して行った自分の仕業を、他人を見て反省させられる。

「社長が帰ってきたら、どこへ行きましょうか。」
「え?」
「私は病院で一度診てもらうことをお勧めしますけれど。気が向かないなら、会社か、家か、それとも、落ち着くまでどこかのホテルに泊まってもいいんじゃないですか。海の近くや山の中、静かで落ち着くところを知っていますよ。」

恭平の気を紛らわすように、ゆっくりと、他愛も無い話をした。



一方部屋に残った孝平は。
俊夫に連絡先の電話番号を渡し、まだ何かあるならかけてくるように、と言った。佐久間に不利になるようなリアクションを起こす場合は、せめて事前に知っておきたい。
それからベッドに座り込んで呆然としている玲子に近寄った。
孝平がすぐ側に来ると、ぐっと老けたような顔で彼を見上げた。
「…何よ…。」
小さく言う。
「憎めばいいわ。私のしたことは最低だもの。恭平くんに一生の傷を負わせてしまったかもしれない。」
「そうだな。許さないよ。」
「……三枝を、潰すつもり……?」

消え入るように言った。
今までの勢いはどこへ行ったのか。こういった取引で、玲子は負けた回数が少ないに違いない。
孝平は溜息をついた。

「そんなことはしない。俺はお前ほど、お前の会社に興味が無いからな。」
「…。」
「お前が恭平に一生かかって詫びることを約束するなら、三枝には何もしない。何もするつもりがない。ただし、俺の邪魔をしてみろ、ただじゃおかない。」
「何よ。すごんだって、恐くないわよ。」
「忠告だよ。お前は反省なんてしないからな。」
玲子は顔を上げて孝平を見上げた。

あの頃と変わらない、正当な自信に溢れた瞳が玲子を見ていた。
「…悔しかったのよ。貴方はなんでも、私よりうまくできた。」
涙が零れそうになった。
柄でもない。
更に、ここで涙を流したとて、誰も同情なんてしてくれない。

しかし孝平は笑いかけるような口調で言った。
「そうでもないよ。俺だって、お前の気に入っているところがあった。」
「え?」
顔を上げる。きっと間抜けな顔をしていたに違いない。
孝平は表情を変えずに、続けた。

「ただし、今のお前には、ない。絶望だけだ。お前は年とともに人間の価値を落とした。今のお前には何の魅力もないよ。」

正論だ。
何も言い返す言葉が無い。

手の中に、泣き叫ぶ恭平の姿が浮かんで消えた。

「恭平は、よかったか?」

孝平の言葉に、伏せていた顔を上げた。
そして飛んできた手の平に、逆らわなかった。頬が打たれて、パチンと大きな音が響いた。
その音が、耳に、心に、痛い。

「っ…」
「俺の息子には、これ以上手を出すな。次は平手打ちじゃ済まさない。」
「…。」
「森坂とかいう男もだ。あいつは殺してやりたい。」

孝平は玲子の前から踵を返した。ドアのところまで来て、振り返る。
「もう二度と会わない。恭平にも会わせない。それだけは肝に銘じておくんだな。」
「…わかってるわよ。」
「玲子。」

孝平は、部屋を出た。

「お前はいいライバル相手だと思っていたんだよ…。」


玲子、森坂、そして俊夫の三人は、恭平の服を残さず拾い、背筋を伸ばして颯爽と去っていった孝平の背中を静かに見送った。


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