女社長 P24



全員が息を止めた。
動じなかったのはそれを知っていた孝平と、竹本本人だけだった。
竹本自身も、この場をうまく、落ち度無く切り抜けられるか保障が何も無かったので、背中に嫌な汗をかいていた。一刻も早くこの場から立ち去りたかった。
まさか自分が三枝の社長とこんな馬鹿し合いのようなことをやる日が来るとは、数時間前まで思いもしなかったのだ。
いかに冷静に、相手の出方を判断できるかによる。いつでも一歩上にいなければ。

「ど…どういうこと。」

玲子の声は震えていた。
今まで優位に立っていた形勢が、数秒で崩れ去ろうとしているのを感じた。
竹本の握っているのは、紛れも無くデジタルカメラ。
いつから、どの時点で彼の手にあったのかどうか定かではないが、少なくとも数分前に自分が口にし、行っていたことが脳裏を過ぎる。

まずは、彼の握っているものの中に何があるのかを知らなくてはならない。
「何…。何を、撮ったの。」
「さて。心当たりを全て当たってみたらどうですか。立派な大人のようですから、判断は任せます。」
竹本は冷静だった。
玲子の後ろで、森坂がイヤホンを握り締めた。

「森坂さん。そのウォークマンを床に置いて。」
「…やだと言ったら?」
「置きなさい。貴方の会社が今後、どのような運命を辿ることになるのか、よく考えて。」
「…会社なんて関係ないよ、と言ったら?」

竹本は玲子から目を離し、始めて森坂を見た。
この男の表情からは何も読み取れない。
少なくとも、尋常ならば竹本が相手にもしない部類の人間のようだったし、また、同時に苦手なタイプだった。
だがここで怯んでは相手にどこをつけこまれるかわからない。玲子の頭が整理し終わる前に、ここを離れなくてはならないと思っていた。

するとドアの後ろから、俊夫が一歩出てきた。
竹本の横から、森坂を見る。

「置くんだ、森坂。」

静かな声だった。
玲子が愕然として兄を見る。

兄さん…裏切ったの?

森坂は諦めたように溜息をついて、ウォークマンの電源を切り、イヤホンを耳から外した。その切り替えの早さが竹本と孝平を驚かせる。
玲子も、驚いた。森坂の方へ体を向ける。
「森坂くん!だめよ、それを渡したら、計画が台無しじゃない!」
「そうですね。」
森坂は頷いて、しかし動作を止めることなくそれを足元に置いた。
「だめだってば!」
玲子が森坂の側に駆け寄る。

「玲子!」

孝平が怒鳴った。
玲子は振り向いて、孝平を睨む。
「そのデジカメに、何が写ってるのか、まだわからない!それを確かめてからでも遅くはないはずだわ。」
そして森坂を見る。
「そうでしょう、森坂くん!」

森坂は、玲子ではなく俊夫を見た。
何を察したのか、それからゆっくりと玲子の方へ向き直る。
「確かに、そのデジカメの中に何が入っているのか、気になるところですね。少なくとも俺は、ウォークマンを聞いているだけだ。喋っていたのは玲子さんだよ。」
「…何よそれ。貴方も裏切るの?」
力なく言う。
森坂は首を振った。

「違うよ。玲子さんを守るんだ。」
「…え?」
「それが俊夫さんの命令みたいですからね。俺はあんなデジカメ恐くはないし、あの竹本って男も嫌いです。恭平くんと、佐久間社長は、好みではあるけれど。」

言って、玲子の脇から一歩前へ出る。
右足を滑らせて、ウォークマンを竹本たちの方へ蹴り出した。
床を滑って、少しそれ、ウォークマンは孝平の足元で音を立てて止まった。

「残念だったね、玲子さん。佐久間社長を抜くのはまた今度だ。」
森坂は相変わらず読めない顔をして微笑み、ベッドの上に腰掛ける。

孝平は目の隅でそれを確認しながら、一旦恭平から離れ、屈んでウォークマンを手に取った。
恭平を苦しめている現場が、この中に入っている。

竹本は素早く孝平からそれを奪い取り、デジカメと共に背広のポケットにしまいこんだ。腕時計を見る。

「二時間。なんとか間に合いそうですよ。」
孝平は疲れた顔をして竹本を見た。
溜息を付き、それから恭平の方を向く。
「恭平。」
「…。」
「もう大丈夫だ。竹本に感謝しよう。わかるな?」
青い顔をして顔を伏せていた恭平は、静かに目を上げた。
何があったのか、気持ちが混乱していてよく見ていなかったが、孝平の言葉は理解できた。竹本を見る。
「行きますよ、恭平さん。貴方には安静が必要です、おそらく。」

体もだが、もっと精神的な。

竹本は孝平と反対側から恭平の背に手を伸ばし、部屋から出た。
俊夫がそれを見送る。孝平と目が合ったので、申し訳なさそうに頭を下げておいた。

出口まで来たところで、孝平が立ち止まった。
恭平が不審そうに目を上げる。竹本も、あと少しで逃げ出せるのに、と不思議そうな顔をして孝平を見た。

「竹本、恭平を連れて先に行っててくれないか。」
「え?社長。」
「大丈夫、ほんの少しだ。」
孝平は素早く言って、恭平から手を離した。
反射的に伸ばされた腕が孝平の袖を引いた。

「父さん…っ」

恭平が咄嗟に竹本から離れ、自由の利きにくい右足を引きずって孝平を呼んだ。
「やだ…行かないで。どこ行くの?」
少し困った顔をして、孝平が息子の額をそっと撫でた。
子供をあやす、本当の父親のようだったと、後で竹本が笑って言った。

「すぐに行く。」
「だめ…いやだ…」
「玲子と話をする。そんなに長くはならないし…悪いことも起こらないよ。」
「そんなことわかんない…!俺はあの人が嫌いだ!」
「恭平。」
孝平は、恭平の腫れた頬にそっと手を寄せた。
自分の手が冷たいのか、彼の熱を持った頬との温度差を妙に感じた。
「お前を守るために、少しは父親らしいことをさせてくれないかな。」

恭平の見開いた瞳から、流しすぎて枯れやしないかと思うくらい、大量の涙が溢れ出した。


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+表紙+