明美の提案 P1



ピンポーン

呼び鈴の音に杉野は顔を上げた。
ラフなTシャツ・ジーンズに、黒のジャケットを羽織って鏡チェックをしていた杉野は、腕時計をちらりと見た。

11時の13分前。…相変わらず予定より早い。

ガチャガチャと金属音がして、呼び鈴に応答する前に鍵がガチャンと開いた。
ドアノブが回され扉が開く。
外の光が差し込み、一人の男が入ってきた。
足元の靴を足でどかし、顔を上げる。その目の前に杉野は立ちはだかった。

「よっ。」
「わあ!」

入ってきた男、良平は目を丸くして仰け反った。
首にかけたシルバーネックレスがふわりと跳ねる。
同時に足元でガチャリと何かが落ちる音がした。良平の手からこの部屋の合鍵が落ちたのだ。
杉野は満足げに口の端を上げる。

「驚いた?」
「っざけ、お、起きてるなら返事くらいしろよ!」
「ふふ〜ん。」

杉野は屈んで合鍵を拾い上げ、良平の体をどかすように腕を伸ばして扉を閉めた。
「びっくりした良平も可愛かったよ。」
「いっぺん死ね、マジで。眼医者行け眼医者。」
良平は悔し紛れに暴言を吐き、一瞬で高鳴った心臓あたりを右手で摩った。
同時に耳元に顔を寄せてくる杉野の顔を押しのける。

つれなぁい、と嘆く恋人を尻目に良平は靴を脱ぐ。
「入るよ。」
「えぇ?…うん。」
杉野はすかされて肩を落とし、良平の後に続いた。

良平は尻ポケットに入った財布を抜き、いつもの机の上においた。
ここに遊びに来たときはいつもこうする。
他に腕時計とアクセサリー等、身に着けているものを外していく。

最後に、窓を閉め、カーテンを閉めた。
光が遮られ薄暗くなる。

「良平?」
「…ごめん、急に連絡して。仕事、大丈夫だった?」
「それは別に。有給余ってるから構わないよ。むしろ嬉しいくらい。」
まあ、水曜日という平日ド真ん中に休みを取るために、多少の強引な調整を取ったのは確かだが。翌日からしばらくは上司に顔が上がらないかもしれない。

それも仕方がない。
そうした調整が苦にならないほど、良平からの連絡が嬉しかった。
数日前、急にメールが来た。

“明日か明後日、会えないか。話がしたい。”

絵文字も何もない、素っ気ない文章だったが、杉野にはそれで十分だった。
さすがに翌日は都合がつかず、四方八方手をつくして調整できたのが今日だったというわけである。

物思いにふけっていると、目の前の良平がジャケットをガバリと脱いだ。
タンクトップの肩が見え、杉野はドキリとする。
暗がりの中、良平が振り向く。
「杉野。」

呼びかけて良平はジャケットを放った。
抱きついて勢いよくベッドの上に押し倒す。

声もなく、杉野は良平に押しつぶされて咄嗟に両腕を彼の背中に回した。
数分前にせっかく羽織ったジャケットを掴まれて、前を開かれる。
杉野の浮き出た鎖骨のあたりに良平が顔を寄せた。

「え、えぇ?…良平っ?」

戸惑う杉野をよそに良平は噛みついた。
うわ、と杉野は顔を赤らめて目を閉じる。
普段と変わって積極的な良平も嫌いではないが、展開が展開だけに焦燥感を覚える。
噛みつくようにキスする場所を変え、良平の唇は杉野の頬まで移動した。
「良平。どうした…?」
「どうしよう。…悔しい。」
「え…?」
「お前じゃないよ。俺でもない。俺たちには関係のないことだ。」
「…。」
「俺にはどうしようもない…」
「うん…。俺にもどうしようもない?」
「ああ、杉野でも無理だ。」
「そうか…残念だな。」
「法律でもなきゃ殺したいほど憎いけど、それじゃ解決しないんだよ。」

急に物騒なことを言いだした。

杉野は腕に力を込めて、良平を抱き締めた。
事情や理由がどうであれ、他に手段があるはずだよ。

「…今の良平にとって、今の俺ができることがあれば。言ってみて。」
「…」
「そのために来たんだろ?」

良平は杉野の腕の中で固まった。
泣いているかと思ったが、それとは少し違う気がする。
止めていた息が吐かれるとその部分が熱くなる。

杉野右手が良平の後頭部を撫でた。
左腕を腰のあたりに回し、良平の身体ごと反転させた。
思いのほか良平は大人しくそれに従った。反抗する気はないらしい。
ベッドの枕付近に良平の頭を乗せ、杉野は彼の瞳を覗き込んだ。
まっすぐ見返してくる瞳が、今日は少し揺れている。

「良平、お前って強そうに見えて時々、ほんとに弱るよな?」
「…うるせぇ。お前だけだ、そんな風に思うのは。」
「そうかな。どうせ聡平も知ってるだろう。」
「…あいつといるときはあいつのほうが先に弱る。」
「ああ、なるほど。それは確かに。」

想像できる、と杉野は笑った。
その笑顔に良平はどうしようもなく胸が締め付けられた。
一瞬でも忘れられる気がする、兄のことを。

「…っ、」

恭平の様子を思い出し、良平はぎゅっと目を閉じた。
雲泥の差だ、自分とは。
俺は恵まれている。
自分にはこいつがいる。
いつでも温かく見守ってくる、杉野拓巳という人物が。

「杉野。頼みがあるんだよ。」
「ああ。いつでも俺はお前の味方だよ。」
「…頼む。今日一回でいいから…」

抱いてくれ。

不安を拭い去るように、良平は掠れた声で誘うように囁いた。


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