明美の提案 P2



今まで何度となく受けてきた愛撫が、手先や腕や腰の動きが、時に激しい律動だったり無理な体勢だったとしても。
杉野の滲み溢れ出す優しさに良平は心が震えた。
喉が震えて変な声が出た。
もちろん、良平は変な声だという自己認識でも、杉野にとってはそうではない場合が多い。
頭が揺さぶられ、身体の芯に火がつく。

良平は自分で煽ったことを半分後悔しつつ、目頭が熱くなるのをこらえきれなかった。
時折掠めるどうしようもない記憶に、良平は目を閉じた。
今だけは忘れたい。
目の前にいるこいつのことだけを感じたい。

くう、と喉の奥を鳴らして堪え、良平は杉野に抱きついた。
「良平、感じてる…?」
杉野のテノール領域の温かい声が耳元でする。
少し息が上がっているが良平のほうが必死だった。
後ろのほうでベッドの軋む音が聞こえる。そちらは興奮を呼んだ。
「すぎ、ごめん俺、…っ」
「このタイミングで謝るの?なんで?」

俺、お前で良かった。
出会えたのがお前で良かった。

「く、あっ、そこ…あぁんっ!」

答える代わりに訴えて、良平は杉野の体に力いっぱい縋り付いた。


台所からコツコツと包丁の音が聞こえて良平は目を開けた。
情事のあと、いつも隣にいるはずの杉野の背中を探し、腕を伸ばす。
シーツを撫でて掠りもせず、良平は再び目を開けた。

「杉野?」

「ほぁーい。」

台所のほうから杉野の声が聞こえる。
新しいTシャツに着替えた杉野が顔を出した。
「メシ、焼きそばでいい?っつってももう作ってるから拒否権はない。」
「いいよ。」
「シャワー浴びてこいよ。俺先入ったから。」
「うん…わりい。俺どんくらい寝てた?」
「30分くらいじゃねーかな。」

ふあ、と良平は返事のようにあくびをしてベッドから這い出た。
勝手知ったる家の中で泊まり用の自分のバスタオルを取り出して、念のため腰回りに巻きつける。
台所の向かいにあるバスルームに入る。
扉を閉めようとした際に向かいの台所にいた杉野が振り向いた。

「良平。」
「はい?」
「この後、午後どーする?」
「…別に…考えてなかった。」
「お前んちでも行く?最近、恭平さんに会ってないし。」

良平は忘れていた名前を聞いて、ぞわっと毛穴が開くのを感じた。
会わせられない。
兄はきっと。

「駄目だ!」

良平はきっぱりと否定して、勢いよくバスルームのドアを締めた。
杉野は驚いて茫然と立ち尽くす。
「えー?なんだ今の…」
「…ちょっと、シャワー浴びながら考える。」

バスルームの中にいる良平の声は、杉野にやっと聞こえるくらいの呟きだった。

良平はシャワーの蛇口を捻った。
冷たい水の粒が頭の上から降ってくる。
やがてそれは湯煙を伴って熱い湯となる。
そうなるまで数秒あったが、良平はじっとしたまま動かなかった。

咄嗟に駄目だと言ったものの、本当は杉野に言いたかった。
相談したい。そうすればどんなに気が楽になるだろう。
杉野なら、杉野と話せば、何か活路が見いだせるかもしれない。

それはわかっているのだが、何せ今良平を悩ませているのは自分自身のことではない。
兄の名誉とプライバシーに関わる。
特に今回の場合は彼本人の口から聞いた話ではない。
こともあろうに家族のことに疎いはずの父親から聞いたのである。
実のところどこまで本当かというのも疑わしいが、あの無愛想な父がつく冗談にしてはタチが悪すぎる。
おそらく大筋は本当なのだろう。

さっきの行動で動揺は隠せただろうか。
勘のいい杉野のことだ。
きっと何かに感づいた。
少なくとも事実関係がハッキリするまでは。そして恭平の異常がある程度まで治まるまでは、杉野には言えない。

「良平。」

ハッと顔を上げて、良平は扉の方向を見た。
透かしの部分から杉野のシルエットが浮かび上がっている。
「何?」
「さっきはごめん。」
「いや。俺のほうこそ。気にすんな。」
「何かあったんだろう。家で。」

「…………うん。」

一瞬前の決意とは裏腹に。
良平は長い間の後に情けなく頷いた。


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