忘れ難き P1
誰にだって、忘れたくないってもんが、あるはずだ。
それは物だったり、人だったり、思い出だったり。
俺にも忘れたくない物がある。
「良平〜、飯食いにいこ、飯。」
午前の試験がようやく終わって、大あくびをしていた良平に後ろから声がかかった。
同じ学科で、最近仲良くなった沢村だった。
「あ?」
「あ?っじゃねーよ。飯だよ、飯。」
「ああ。行く行く。」
良平はのそのそと机に出されたシャーペンと消しゴムを片付けて立ち上がった。
「飯行くの?俺も行く〜。」
「じゃ、俺も。」
良平が立ち上がるのと同時くらいで、ガタガタと何人かが立ち上がってついてきた。
全部で五人。
…なんでこんなについて来るんだッ。
「今のテストできた?」
「際どいなぁ〜〜問六あたりが…」
「そうっ、俺もそこだな!」
今受けたテストの話をしながら食堂に着くと、同じように試験を終えた学生でごった返していた。
今は試験期間中だ。
出席数の危険な良平でも、この期間に大学に来ないわけにいかない。
「良平はどうだったのよ。お前、俺ら以上に出てねぇから、結構ヤバくね?」
「完徹。」
良平は言いながら、聞いてきた森田という金髪の青年にVサインを返した。
「えっ?それでできたの?!」
「ばぁか。なめんな。できるわけないだろが。」
「なんだよ〜。ビックリさせんなよ〜。」
「でも、隣の奴よりは、書いた。」
「隣って…。…俺かよ。」
「お前かよ。」
全員が、自分で指差してがっくりとうなだれた森田を笑った。
良平は逸早く頼んだラーメンを受けとると、会計を済ませようとした。
財布を出そうと鞄を開いて、気付いた。
「あぁっ!財布忘れたっ!」
「はぁ?」
近くにいた沢村が、自分の財布から千円札を取り出した。
「あいよ。」
「わりぃ。必ず返すよ。」
沢村から千円札を受け取って、良平は片目を瞑って片手を軽く上げた。
その時だった。
「すいません。後ろの人の会計も一緒にして下さい。」
突然の台詞に驚いた。
前に立っていた、良平の肩くらいまでしか身長がない男が、確かに今、そう言った。
「は、はい?」
良平が首を傾げた。
その男の顔を覗いて見るが、見覚えがない。
柔らかそうな髪に、ぱっちりとした目。
どう見ても年下にしか見えなかった。
「あ、あのー…いいっすよ。俺、お金借りたんで。」
レジのおばさんが、どっちなの、という目で二人を見た。
後ろに列ができ始めた。
「一緒でお願いします。」
良平が何か言う前に、そう言って千円札を籠に乗せた。
おばさんはチラリと良平のことを見たが、すぐに会計を終わらせてしまった。
その男はそのまま行ってしまいそうになったので、良平は慌てて追いかけた。
沢村に借りた千円札を持ったまま。
「ちょ、ちょっと。困るんですけど、そういうの。」
肩を掴むと、その男が振り向いた。
男というよりは、まだ少年のようだ。
「誰かもわかんない人におごってもらえるほど、いい人間じゃないんで。返します。」
良平は沢村に借りた千円札を押しつけた。
「でも、それあなたのお金じゃないでしょう?」
「え?…まあ。でもあいつには後で返すんで。」
「明日もきっと食べに来ます。その時、あなたのお金で返してください。」
「はあ?…今にしてくれよ。」
「明日。それでは。」
少年は爽やか過ぎる程の笑顔を向けて、足早に去っていった。
追いかけようとしたが、混み合った食堂の、人の波に紛れてすぐに見失ってしまった。
「…なんなんだよ…。」
良平は千円札を握りつぶして立ち尽くした。
その後の良平の不機嫌さときたらハンパない。
知らない奴と擦れ違う度に、無意味に睨み付けたりした。
その場に兄弟の誰かがいたら注意もしただろうに、一緒にいた仲間の中でそういうことのできる人間はいなかった。
むしろ、煽り立ててる。
「何、良平ってばまた男に惚れられちゃったの。」
「盛んですねぇ〜。」
「フェロモン出てるぞ、フェロモン。」
「……てめぇらなぁっ!」
「わっ、怒った!」
「逃げろっ!」
良平の威嚇に一旦は全員その場から離れるものの、しばらくするとまた近寄ってきて、同じことを繰り返す。
「てめぇら、馬鹿か?!」
「馬鹿に馬鹿って言ってもねぇ。」
「楽しいことはやめらんないもんなのよ。」
「ひょっひょっひょっ。」
…馬鹿だ。
良平は更に眉間に皺を寄せて、次の試験に向けての勉強に集中しようとした。
が、どうしてもだめだ。
さっきの少年が気になる。どこかで会ったかなぁ…。
そして、回りでからかってくる馬鹿共の声までも聞こえてくる。
「あれ絶対年下だよな。」
「わざわざ良平に会いに来たってわけ?」
「うっわ!おい!良平!ロマンチックじゃねぇかよぉ〜〜。」
やいのやいのと回りで言われては集中できない。ただでさえ勉強してないのに…っ。
「どーすんの良平、どーすんのりょ…」
「よぉし。」
「おや?」
良平が立ち上がった。
目が据わっている。
回りにいた全員が、怯んだ。
良平は手始めに沢村のほうを睨み付けると、拳をバキボキ鳴らした。
目は据わったまま、口元だけがニヤついている。
沢村は生命の危機すら感じた。
「そっっんなにしばかれたいんならなぁ〜〜〜〜〜!!」
「わ、わ…。りっ、良平っ。」
「お、落ち着け良平!」
じりじりと迫る良平に、全員が後退りして、沢村の背後に隠れた。
良平はバキッと大きく指を鳴らした後、拳を振りかぶって沢村たちのほうへと駆け出した。
「う、うわぁ〜っ!」
「しばいてやるよ望みどおりになぁぁ〜〜〜〜!!」