忘れ難き P2



「で、結局、返せなかったわけ、そのお金。」
「ああ。次の日食堂行ってもいねぇんだもん。」

ここは、杉野の働く銀行のある駅からそう遠くない喫茶店。
杉野が休憩の時間によく立ち寄る店で、その時間に合わせて通学途中の良平も、よく現われる。
そんな喫茶店の一番奥の席で、良平はオレンジジュースの入ったコップにさしたストローを咥えていた。
その前で、銀行の制服姿のままの杉野がパンとコーヒーを食べている。

「いっそそのままもらっちゃえば。たかが400円程度だろ?」
「350円のラーメン。でも返さないと、借りを作ったみたいで気持ち悪いからヤだ。」

良平は眉間に皺を寄せて、不機嫌そうにストローでジュースをかき回している。
杉野はイチイチ相槌も打たずに、パンをちぎって口に放り込んだ。

「んなこと言ったってねぇ。見つかるのか?」
「さぁ…。アテはねぇな。」
「良平の話から察するに、高校生でもおかしくないんだろ?諦めたら。」
杉野は絶対見つかるわけない、と思っている。

「良平の美貌にヤられちゃったんじゃない。」
「馬鹿言うな、馬鹿。」

良平が杉野のスネのあたりを蹴ったので、杉野がウッと呻いた。

「大体、何で男はみんな俺に寄って来るんだ。同じ顔なのに、聡平には女ばかりが寄っていく。昔からそうなんだッ。」
良平が、ぐっと拳を握って、杉野の顔を睨むように覗き込んだ。

「…嫌なの?」
「嫌とかそういう問題じゃねぇ。寄り付くか寄り付かないかの話だ。」
「それ、出会ったときも言ってたね。」
「俺と聡平の永遠のテーマだ。おそらく。」
どんなテーマだ。

「お前もだよ。」
「ん?」
「お前も、聡平じゃなくて、俺だろ。なんでだ?同じ顔なのに。」

杉野は、またか、という顔をした。
付き合い始めた時から、良平はことあるごとにこの質問を繰り返す。
杉野はパンを飲み込んで、コーヒーを一口含んだ。

「あのね、良平くん。」
「なんだよ。」
「俺は、お前の顔に惚れたんじゃないの。…まあ、それもあるけど。」
良平が怪訝そうな顔をした。

信じてない。この顔は、絶対信じてない。

「お前の中身に惚れたの。何度言ったらわかるわけ?」

それを聞いて、良平は眉を寄せたまま目線を逸らして黙った。
うん、どうやら効いたらしい。杉野は得意そうにコーヒーをまた飲んだ。

「お前さ。」
良平が言った。

「どうして、そういう恥ずかしいこと平気で言えるわけ?」
頬が染まってる。
そんな仕草が、かわいかった。

「俺にとっては恥ずかしいことじゃないもん。」
またもやサラリと答えた杉野に、良平からの次の言葉はなかった。


杉野の休憩時間が終わりに近づいたので、二人は喫茶店を出た。
良平には、制服に身を包んだ杉野は、背が高いせいかいつもよりキマって見えた。

「じゃ。またな。」

杉野は手を振って、銀行のほうへ歩いていった。
良平も手を振り返して、反対側の駅の方へ歩き始めた。

しばらく行って、線路の下を通るトンネルのようなところに来た時、人の声が聞こえた。
なんだか、争っているようだ。
トンネルの向こうから、二、三人の男の声がしていた。

良平はポケットに手を突っ込んだまま、トンネルをくぐってそのまま通り過ぎようとした。
どうせ不良同士の喧嘩だろう。
そう思っていた。

「やめて!」
「いいじゃん。抵抗すんなよ、西川。」
「そだよ。一度や二度なんてそう変わらないって。」
「や…!」

良平は、声のするほうをチラリと見た。
木々の茂みになっていてよくは見えないが、どうやら二人の男が、もう一人に何か言っている様子だ。
しばらく見ていると、目を疑った。

囲まれている一人の服が、二人によって脱がされていく。

オイオイ、真昼間のこんな時間にこんなとこでそんなことすんなよ!
つか目の毒だ!!

良平は、二人がコトに及ぶ前にと、茂みの中に足を踏み入れた。
制服を着ているから、明らかに年下だ。
しかも良平は、そんじょそこらの奴には負けないほどに喧嘩が強かった。

「おい!てめぇら何やってんだよ!」
怒鳴ると、服を脱がせていた二人が、こちらを振り返った。良平の顔を見て、一瞬怯む。

「白昼堂々とエライことやってんなぁ。そゆことしたいならな、ちゃんと口説き落としてからにしろよな!」
「な、なんだテメェ!」
「ほう、威勢のいい中坊だな。」
「バカヤロウ!高校生だ!」

脱がされていた少年は、寸でのところで外されなかったズボンを押さえて蹲っていた。
「け。どっちでも一緒だよ。」
「なんだと!」

一人が飛び出そうとしたが、良平が構えたのでもう一人が必死に止めた。
「は、離せよ!殴る!」
「やばいって!逃げよ。」
そう言って、持っていたままだった脱がせた制服を蹲る少年に投げつけると、二人は足早に去っていった。

良平は、来れば容赦なく返り討ちにする気だったので、彼らの選択は正しかったと言えよう。
助けられた少年はまだ蹲ったままである。

「おい、大丈夫か。」

良平も、こんな経験がないわけではない。
だから喧嘩も強くなったし、誰にも負けるわけにはいかなかった。

投げつけられた制服を握ったまま、少年は動かない。
「追い払ったから。立てよ。」
良平は、少年の肩に手を置いて、俯いている顔を下から覗き込んだ。
そして、あ、と呟く。

「お前。この前の。」

そう、この少年こそが、先日学食で良平のラーメンの代金を払ってくれた少年だった。


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