忘れ難き P6
杉野が暮らすアパートは、一人で住むには少し広めの2LDK。
母子家庭で育った割りにいい暮らししてる。
彼の祖父が、ちょいと名の知れた政治家だったからだ。
…といっても、死んだ父親の方の祖父なので、杉野自身はその祖父とはしばらく会っていない。
良平は見知った様子で家に上がりこむと、シャワーを浴びると言い出した。
「一緒に入ろうか?」
「馬鹿。入ってくんな!」
「えー…。」
「えーじゃねぇ!!」
うわ。
荒れてますよ良平さんてば。
こういうことになるといつも強引な杉野も、良平がすごい剣幕で怒鳴ったために大人しく身を引いた。
うーん、ますますこりゃ何かあったに違いない。
杉野はテレビをつけて、流れていたニュース番組を見た。
左上に表示された時刻を見て、慌てて携帯を開いた。
良平の兄、恭平の携帯電話の番号を、この前遊びに行った時に聞いておいたのだ。
そこにボタンを合わせて、電話をかける。
三回目のコールで、良平と似ているが彼よりも細い、恭平の声が聞こえた。
『はい、もしもし。』
「あ、恭平さんですか?俺、杉野拓巳です。」
『はい。久しぶり。』
受話器の向こうの恭平は、半ば言われることを予測していたかのような口ぶりだ。
「あの、良平の奴、預かってます。明日もちゃんと大学行かせるんで。」
『ああ、はいはい。』
恭平が、受話器の向こうでクスクスと笑っている。
『毎回親切にどうもありがとう。』
「いや…。」
『良平、よろしくお願いします。』
恭平がそのまま電話を切ろうとしたので、杉野は慌てて言葉を挟んだ。
「恭平さん。足はどうなりました?治りましたか?」
『あ。うん、もう普通に歩いてるよ。痛み止めももう飲んでないし。』
恭平が怪我をしてから一週間以上が経っていた。どうやら順調に回復したらしい。
杉野はほっと安心した。
「よかったですね。これからもあんまり無茶しないでくださいよ。」
『あは。うん、わかった。』
恭平が苦笑している。
杉野は頭を掻いた。
「それじゃ、また。」
『はい。ありがとう。』
電話を切って、杉野はしばらく受話器を見つめていた。
恭平さんて、うまく人に心配かけさせないようにする人だなあ。
そう考えていたら、良平が、いつもここに泊まりに来る時に着ている杉野のパジャマを着てシャワーから出てきた。
濡れた髪が頬にかかって、とても魅力的だ。
「ふぅ。」
ドサッとベッドに落ちて、良平はそのまま目を瞑った。
しばらくその横顔に見とれてから、杉野は自分もシャワーを浴びてしまおうとバスルームへ向かった。
「杉野。」
後ろから良平の声がかかる。
振り向いたら、良平が身を起こしてこちらを見ていた。
「…早く、出て来い。」
その顔が、いかにも魅力的で。
杉野は頷いて、ニヤリと笑った。
「良平は今日はどうしちゃったの。」
シャワーから出てきて、インスタントのラーメンを食べていた良平に、後ろから声をかけた。
良平の鼻を、杉野のシャンプーの匂いが掠めた。
そのままラーメンをすする。
「…別に。」
「こら。ここまで来て言わないつもり?だったら俺にもそれなりの用意があるけど。」
「え。」
杉野がニヤリと笑って、部屋の電気を消した。
テレビの光だけが、部屋を照らしている。
良平からは笑いながら近づいてくる杉野が浮き彫りになって見えた。
杉野からは逆光になっていて良平の輪郭しかわからない。
でも、次第に目が慣れてきた。
良平は、ラーメンを近くのテーブルに乗せて、杉野に自分から近づいてきた。
あ、あれ?
予想外の行動に、杉野は良平を引き寄せてベッドに落ちた。
彼の腕に抱かれて、良平が胸に顔をうずめる。
「…本当にどうしたの、良平ってば。らしくないね。」
「…。お前さ、俺のこと…。」
「ん?」
良平がしばらく黙る。
暗闇だから手探りでしかわからないが、良平は何かを思いつめているように感じた。
腕の中からスルリと抜けて、良平がベッドに座り直した。
杉野は寝転んだままだ。
「お前さ、俺のこと、初めて抱いた時、どんな気持ちだったの。」
「…。だいぶ、昔のこと持ち出すね。」
「なんで、俺のこと、抱いたの。なんで、キスしたの!」
杉野は、そのままの格好で良平を見つめていた。
相変わらず逆光だが、わかることがある。
「…誰かに何か言われたの?」
「…誰にも何も言われない。……キス、された。」
やっぱり。
そんなことだろうと思ったけど。
今までもこんなことなかったわけじゃないのに、どうしてここまで動揺してるんだ?
「誰にされたの?」
「…。されると思ってなかった奴にされた。」
「…誰。」
「西川。今日話した…、ラーメン代貸してくれた奴。高校生だった。」
「会えたの。」
「…襲われてるとこ、助けた。」
どうもよく状況がわからない。
が、良平がそいつにキスされて、動揺してることはわかる。
とにかく、良平を納得させることが必要そうだ。
「…。なんで、お前を抱いたか、だったか。」
「…なんで、キスしたの。初め。」
「そんなの決まってるでしょ。」
良平の表情がよくわからない。
杉野も良平のように起き上がると、頭のあたりを優しく包んで、額にそっと口付けた。
良平は抵抗しない。
「良平に惚れちゃったからだよ。」