非日常 P1
「あ〜頭いてぇ…。」
良平がこめかみのあたりを押さえて呟いた。
杉野が呆れたように見やる。
課題がわからないから教えてくれって家まで押しかけてきたのは良平のほうなのに、テキスト開いて十分程でこれだ。
「良ぉ平。やる気あんの?」
「昨日からいてぇんだ。兄貴にうつされたかな。」
「…。」
少し前、正月の疲れで、良平の兄・恭平が体調を崩していたのは知っている。
杉野は万一のことを考えて、責めるのをやめた。
「…じゃあ、やめとく?水でも飲むか?」
「いーやっ。やる!明日提出なんだ、これ。」
そのさらりとした一言に、杉野の表情が一変した。
「明日?!って一問も解けてねーじゃん!」
「…。だから聞いてるんじゃん。」
気まずそうに肩をすぼめる良平の横で、杉野が額に手をあてて目まいを押さえた。
計画性のない行き当たりばったりな性格は、大学に入ってもちっとも変わらないようだ。
「うわ〜…マジかよ。」
つまり、教えてっていうよりは、解いてってことだろ…?
杉野は辛うじて言葉を飲み込むと、ちらりと良平の様子を伺った。
きょとんとした表情で、杉野の方を見ている。
杉野はそんなあどけない表情に一瞬くらりときて、ポカポカと頭を叩いた。
あ〜こうやって尻に敷かれていくんだ…。
杉野は情けなくなって顔を赤らめた。
「…?気でもふれたか。」
突然自分の頭を叩き出した杉野を見て良平が驚く。
かと思うと赤くなったりして、一人で変な奴。
良平が怪訝そうに様子を見ていると、杉野がジロリと良平を見た。
「…やるぞっ。終わらせてやる。」
「そうこなくっちゃ!」
よくわからないが杉野にやる気が出てきたようなので、良平は嬉しそうに笑った。
「その代わり、明日も泊まってってエッチさせて…」
「スケベ!!」
半徹夜で全五問の課題を終わらせ、そのままこたつで寝てしまったのは明け方の四時。
その日も出勤しなければならなかった杉野は7時に起きて朝食を済ませ、家を出る直前の八時頃に良平を起こした。
良平は寝ぼけ眼で身を起こし、気怠そうにベッドにもたれる。
「早いな杉野…。」
「社会人ですから。」
「うん…。」
良平のまばたきは、目が開いているよりも閉じている時間の方が長い。
杉野は笑ってその額にデコピンをした。
「あてっ。」
驚いて良平が目を開ける。
「ちゃんと課題を提出するように。せっかくやったんだからな。」
「…あ。わかった。」
良平が慌ててレポート用紙を探し、ホチキスでとめたそれを見てほっと一息ついた。
次いで杉野のほうを見る。
「いってらっしゃい。」
「いってきます。」
杉野は静かに良平の唇に自分のそれを重ねた。
その日、良平は昼を回ってから杉野の家を出た。
課題を持って大学へ行き、教授の研究室の前に置いてある箱にそれを投げ込む。
数人の友人に答えを聞かれて、ぼーっとした頭で教えてもらった解答をなんとか思い出し、解説してみせた。
気付いたら、頭痛は消えていた。
一度家に戻ると、誰もいない。
兄の恭平は、今日は出勤日のようだ。
着替えを取るために部屋へ行き、ついでにシャワーを浴びた。
結局、口では否定してるくせに、期待してる自分がいる。
杉野の力強い体で支配されることを、望んでいる。
普通のことなのに、それが妙に恥ずかしかった。
良平はすっきりした顔で家を出て、途中でスーパーで買い物をして杉野の家に戻った。
勝手に冷蔵庫を開けて、手馴れた様子で中のものを探り、エプロンをつけた。
今日は、味噌汁と、サラダと…
「っくしゅ!」
寒気がして、くしゃみが出た。
あ〜、これは本格的に風邪引いたかもしれない。
しかしきっと、杉野は今日の夜を楽しみにしているから。
良平は、薬を飲んで、黙っていることにした。
米をセットして、味噌汁と煮物を煮込んで。
テレビを見ながら杉野の帰宅を待った。
杉野が帰ってきたのはいつもと同じ、夜の九時頃だった。
頭痛がひどい。
良平は、それをひたすらに隠すために大きな声で言った。
「おっせーぞ杉野!今日は味噌汁だ。」
「えっ良平の手作り?マジ〜嬉しい!」
「み、味噌汁くらいしか自信ないから…」
「大丈夫!良平の味噌汁は何よりもおいしいから。さ、早く食べよう食べよう。」
心なしか杉野のテンションも高い。
「今日、眠くなかったの。仕事。」
「全然っ大丈夫。今夜のことを考えるとね、自然と元気になっちゃうの。」
「俺は栄養剤かッ!」
脇のあたりをパンチすると、杉野は幸せそうな笑顔を良平に向けた。
「でぇ、そのときに俺が言ったわけ。佐々木さんがやらないなら、俺やりますよって…あれ?良平、どうした?」
「…んっ?」
「ごはん。食欲ないのか?」
杉野は箸で良平の皿に残っていた煮物を指した。
せっかく作った味噌汁も、一口飲んだくらいにしか減っていなかった。
「そんなことないよ。さっきつまみ食いしまくったから、なんかもう入らないかもって感じ。」
「ふーん…?」
杉野は頷いたものの、良平の顔をじっと見つめた。
なんだか元気がないような…。
「…良」
「さ、早く食べて風呂行けよ。俺はもうシャワー浴びてあるから。」
「え。」
「昨日も今日も半徹夜になったら無駄に体力使いそうだからなっ。明日はバイトもあるし。」
「…うんッ。」
杉野は心に疑念を抱きながらも、今夜のことを想像しながら並べられたご飯を一気に完食した。