おめでとう P1
杉野拓巳という人物が、人当たりよく気が利いて、おまけに少し人より深い心を持っていることなんて、わかってた。
それが人を惹きつけてやまず、俺も惹きつけられていた一人だということも。
わかっていた、はず。
肌を刺すような寒さが和らいで、着ている服を一枚脱いでも外へ出かけられる暖かさが数日続くようになった。
ちらほらと梅や桜が頭上を桃色に染めていく。
都内にある大学の構内で、日当たりのいい草の上に寝そべって日光浴を貪る男が一人。ジーンズをはいた両足は放り出すように伸ばされ、靴との間から足首が覗いている。シャツがめくれてヘソが丸見えだが、本人は両腕を頭の後ろで組んで空を見上げているためまったく気にしていない様子。
全体的に華奢な印象を与えるが、瞳には力がこもっていた。
腕を持ち上げ手首に巻いた時計で時刻を確かめ、ため息をついてから元の体勢に戻った。
おっせーな、杉野の馬鹿。
その男…佐久間良平は毒づいた。
待ち合わせをするといつも、決まって先に着くのは良平である。今までで待ち合わせ場所に着いたら杉野が待っていた、なんてことは数えるほどしかない。
とはいうものの、良平にも非があるわけで、彼は待ち合わせ時刻の十五分前にはその場に現れる癖があった。
杉野から言わせれば、良平が早すぎる、のである。
この日も例に漏れず、良平はこの場所に十五分前にはやってきて、寝転んでいた。
雲が空の二割ほどを占めているが、ほぼ青空で天気がいい。
知らず知らずのうちに、良平はうとうとと眠りに誘われていった。
そこへ、良平の頭上の方から背の高い男が駆け寄ってきた。
良平が寝そべっていることを悟るなり、咄嗟に足音を消す。
伸びっぱなしの茶色の髪を春の暖かな風になびかせて、男は目を細めて微笑んだ。ジャケットを脱いで、そろりそろりと近づいていく。
良平の顔に、彼の影がかかった。
体感温度が変わったことに良平が目を開ける、その一瞬手前で、男は持っていたジャケットを良平の顔に押し付けた。良平はその一瞬の間で、見慣れた男の顔を、逆さまではあったがしかと確認した。
途端に息が詰まる。
「ぶ、わぁっ!?」
「つっかまえたー♪」
ノー天気な声を上げて良平の顔をジャケットで押さえつけ、その男はアハハと無邪気に笑った。
良平が手足をばたつかせて抵抗した。
「てめー!やめろよ、杉野っ!!」
良平の長くて細い、しかししっかりと筋肉のバネのついた両足が、ぐいっと上から杉野の頭を捕らえた。
腹筋もさることながら、関節も柔らかい。
「え。」
杉野の笑顔が硬直する。
良平は杉野の頭を前から両足で挟んだまま、その足を横に倒した。
地面へまっさかさまである。
どーんっと派手な音を立てて杉野はそのまま地面へ肩をぶつけた。
「ってー!!」
「ばーかっ!おせぇんだよ!遅刻!」
「遅くないよっまだ五分前だろ?!」
「俺より遅いから、遅刻だよ、杉野くん。」
「…。」
ジャケットを剥ぎ取って、良平が得意げに笑った。
どうやら怒っているわけではないらしい。
杉野はほっとするとともに、良平の足首を掴んでぐいっと近づいた。
「この体勢、やらしぃよ、良平くん。」
そう言ってニヤリと笑う。
掴まれた両足は杉野に向かって左右に開かれ、ジーンズを履いているから肝心なところは見えないものの、俗に言う……
「っざけんな!!!!!!!」
顔を真っ赤にした良平は杉野の腕を振り解き、顎の下に蹴りをお見舞いした。
良平の通う大学に遊びに行きたいと杉野が言い出したのは三日前。
仕事を終えた杉野からの着信に、良平は夕飯を食べながら気が付いた。箸の先を口で押さえながら、すぐに通話ボタンを押した。
「もひもひ。」
『良平〜!元気?』
「うん。」
『今日、うち来ない。』
「やだ。飯食ってるもん、もう。」
『そ・こ・を!なんとか!』
「なんで?」
『良平と寝たいという欲望に理由なんているの?』
「……死んでしまえ。」
良平は口から暴言を吐いたものの、顔は真っ赤に染まっていた。
台所で調理を続けていた恭平が、ふと振り向いて良平を見た。受話器を持ちながらやいのやいのと通話口に向かって叫んでいる弟を見咎めて、呆れたように言う。
「良ぉ平。食事中は電話、だめ。」
振り向いた良平は、どこか救われたような顔をして受話器を持っていない手を顔の前で左右に振った。
「無理無理。じゃあな、兄貴に怒られた。ばいばい。」
『あーっ!おいっ良…っ』
ぷち。
切ってから溜息をつく。
恭平が菜箸を持ったまま聞いた。
「…そんなすぐに切って大丈夫だったのか?杉野くんだろ?」
「いーのいーの。…兄貴。」
「なに。」
「…この肉じゃが、タッパーに詰めてもらってもいい?」
「いい、けど。」
「杉野に持ってくわ…遊びに来いって。言われた。」
「ふーん。」
真っ赤になってぼそぼそと、しかし素直に喋ってくれた良平を、恭平はにやにやと嬉しそうに笑って見つめていた。