爪の彼/前



 どうしてこうなった。
 今日はゲームを買いに繁華街まで出てきたのだ。地元でも買えるものの、よしあき君も買いたいものがあるからとかなんとか。デートだね、なんて笑うものだから、デートって! ゲームでしかしたことないのに現実にデートって! そんな恥ずかしすぎると答えたものの、よしあき君の残念そうな顔をみたら行くとしか言えなかった。
 第一デートっていったって男同士だし別に友達と買い物行くのと変わらないと思うんだけど、考えてみたら友達と買い物に行くことがほとんどなかった。あったとしても地元から出ることはない。つまり俺は完全に見誤っていたのだ。よしあき君と出かけるとはどういうことなのか。
「良かったら試着されます?」
「あっ……、いえ、大丈夫です」
 オシャレな服屋という完全なる鬼門において俺の心臓はきゅうきゅうに縮こまっていた。よしあき君の後を追い、意味もなくハンガーにかかっている服を引き出してチラッと眺めすぐ戻す。チラッと眺めすぐ戻すを繰り返す。挙句がオシャレな店員さんに優しくされる始末だ。
「あの、よしあき君」
「なに?」
「俺外で待ってていい?」
「あ、ごめん長かった? もう会計してくる」
「いやっ! 全然、どうぞごゆっくり」
「どうしたの? 旅館の女将みたい」
 よしあき君は笑って会計へ向かう。やばい。一人にされる。とりあえず見える位置へ。よしあき君は和やかに会計をしている。すごい。カッコイイ。こんなオシャレな店で物怖じしないとかありえない。俺いますごく帰りたい。
「お待たせー」
「いやっ、全然……」
「もう一ヶ所行きたいとこあるんだけど」
「えぇっ! あ、うん、行きましょう」
 うん。行けるはずだ。服屋以上の鬼門なんかないはずだ。大丈夫大丈夫。いきなり高いハードルを越えたんだからもうこれ以上はないはずだ。なんて、俺は完全によしあき君を舐めていた。
「……あの、俺外で待ってていい?」
「え、なんで寒くない?」
「いや、なんか……酸素とか吸ってたい感じ」
「酸素? 店んなかにもあるよ」
 笑っている。笑顔まぶしすぎる。だよねーと答えるほかない。
「だよねー」
 白々しい。俺は本当に白々しい。明らかに個人でやってるっぽいなんかレコード屋の前で顔の筋肉が引き攣るのを感じる。なんでチェーン店じゃないんだ。チェーン店だったらまだ落ち着いていられた。俺だってポイントカードくらい持っているのだ。しかしこの店は違う。ポイントカードみたいなそういう媚とか一切なさそう。髭を蓄えた主人が己の趣味の延長でやってそうな雰囲気。完全に場違い。完全に陰と陽の陽側の存在。俺が陰。よしあき君が陽。方向性の違い。これはいわゆる方向性の違いというやつだ。バンドだったら解散している。ゲームだったら幼馴染が突然敵になるパターン。そしてこれは俺が敵になるパターン。
「帰りたい……」
「えっ?」
「えっ?」
「かえる見たい?」
「なにが?」
「って言わなかった?」
「言ってない」
「じゃあ行こうか」
 酷い。絶対聞こえていたはずだ。よしあき君は俺の手首を握って店の扉を押す。こうやって強制的に脱オタさせられるのか。オタクな俺ではダメだということか。よしあき君だってゲーム好きって言ったじゃん。格ゲー強いじゃん。やり込んでるじゃん。非オタの嗜みってレベルじゃないじゃん。超コンボとか決めてくるくせに。
 店内は想像したより明るい雰囲気だった。ハードな感じかと思いきやわりとソフト。しかしなんだかよく分からないレコードが棚に大量に刺さってるあたりソフトに見えてハードなのかもしれない。店の主人は髭を蓄えることなく、コーヒーを焙煎することなく、普通にいまどきっぽい若干長髪な、俺の友達には一人もいないタイプであった。よしあき君はとても和やかに主人と会話している。
「友達?」
 主人はちらっとこちらを伺いよしあき君に問うている。本当にすみませんでした。友達とかおこがましいですほんと。付き合ってます。謝るので許してください。
「友達っていうか、友達?」
 よしあき君がこちらに向かって首を傾げる。笑っているので笑って首を傾げ返す。
「悪いこと教えてるんじゃないの?」
「これから教えるんだよ」
 ね、と俺にふられても答えるべくもない。ははっとどうとでも取れる笑い方をするだけだ。悪いこと? なんだ。煙草か。鋲の付いた服とか着るのか。駐輪所で自転車なぎ倒したり、線路の上に置石したりか。悪すぎる! いくらなんでもそんなに悪いことしねぇよ。そもそもよしあき君全然悪くねぇよ。
 微妙に居た堪れない雰囲気に負けて俺は鳴ってもいない電話に出てくると言い訳して店を出た。とりあえずどこかに電話しないことには嘘にリアリティがでない。番号を探す。困った時はすぐ宮ちんへ相談する俺は迷わず宮ちんへ電話した。
「あ、今なにしてた?」
「なに? なんもしとらんよ」
「あのー、えーっと、明日何曜日?」
「なに? なに言ってるの? 心理テスト? 日曜日だけど」
「日曜日か。俺もそんな気がしたんだよ」
「どうしたの? 変だけど」
「あー、うん。ごめん。今度話すわ」
「なんかあった?」
「うん。あ、ごめん。またかけるわ」
 よしあき君が店から出てきたので慌てて電話を切る。ごめん宮ちん。自分勝手な俺を許してくれ。
「電話終わった?」
「あ、はーい。終わりましたー」
 逃避のために中学からの親友を利用したことを俺は悔いる。昔からいきもの係といえば宮ちんというほど優しい男だった。うさぎとにわとりに同等の愛情を注いでいた。俺が上履きを隠された時も宮ちんだけは一緒に探してくれたのだ。そんな情に厚い男を、俺はオシャレさからの逃避のために利用したのだ。
「どうしたの? 元気ないけど」
「友達に迷惑かけちゃって……」
「そんなこともあるよね。今度は友達の迷惑貰ってやれば良いんじゃね」
「いや! 宮ちんは人に迷惑をかけない男だから……!」
「そっか、困ったね」
 全体的に俺が悪い。よしあき君は優しい。宮ちんも優しい。俺は一体なにをしているのか。自分に自信がないせいでよしあき君とも上手く付き合えないし、全然関係ない宮ちんまで引っ張り出してしまった。
 自己嫌悪に沈んでいるとよしあき君はパッと俺の右手を握った。俺はハッとした。よしあき君は握った右手を持ち上げてキスをする。路上だとか昼間だとか、気にしなければいけないことは一杯あったんだろうけど、俺は自分の手の上で際立つよしあき君の黒い爪に目を奪われていた。
「ええっと……」
「帰ろっか」
「はい」
 手を繋いだり離したりしながら繁華街を抜ける。よしあき君の家へ帰る。


後編
(10.2.6)
置場