嗜好性ライナス/前



 二年目にして新人歓迎会でこんなに居た堪れない思いをするとは思いもしなかった。
 座敷一室借り切った宴席は和やかに進行されて今何度目か分からない乾杯の音頭がとられた。グラスを掲げて形ばかり笑顔を作る。俺の膝を枕に真下さんは眠っている。動けない。怖い。なんでよりにもよってあんたが酔い潰れんだよ。思うけど、起こせない。変に機嫌を損ねられて明日以降あたりが冷たくなってもめんどくさい。先輩だし。超有能マッシーンだし。女性陣の憧れの的だし。俺も憧れないことないし。なんだかんだ言ってフォローしてくれるし。でも性格超子供だし。すぐ怒る。仲良いんだねって同期の女の子がうらやまーとか言うけど全然仲良くないし。パシリとか子分とかそんな扱いだし。正直めんどくさいし。ていうかトイレ行きたいし。
 起きろ! 念を送る。肩を叩きたい。けれど絶対切れる。目に見えている。膀胱はジリジリきている。だがまだ大丈夫だ。これ以上飲まなければ膀胱が決壊することはないはずだ。心頭滅却。意識を膀胱から遠ざけるのだ。
「真下さん大丈夫ー?」
 女子! 真下さんは大丈夫だが俺の膀胱がヤバイ。代わってくれんか膝枕。なんて言おうものなら喜ぶなこの人ら。で、後日真下さんは超切れる、という寸法だ。代われねぇ。
「そんな飲んでた?」
 女子! この人ウーロンハイ二杯で潰れてんだよ信じられないことに。ウィスキーとか日本酒とかなんか高い酒くいくい飲みそうな雰囲気してるけど雰囲気だけなんだよ。言いたい。澄ました顔して実は下戸なんですよこいつって言いたい。もちろん切れる。言えない。
「疲れてたんすかね?」
 たはは、と笑って誤魔化すと、そうよねぇと真下武勇伝が語られ始めた。真下さんのクールぶり目撃談から始まって真下さん実は優しいの伝説。私はこんなに優しくしてもらったの自慢……。当の本人は唸りながら体勢を変える。横、向き……。
「そっち行っていーい?」
「いやっ! ダメ! 俺が怒られる!」
 というかポジション的にヤバイ。俺ポジションと真下さんの顔ポジションが近すぎる。こんな場面を目撃された日には、こんな場面を写メられた日には、……殺。殺られる確実に。自分から俺の膝を枕にしたとかお構いなしに殺られる。そういう人だ真下さんは。というか、俺の性癖的な意味でもヤバイ。分かってんのかよバカど真ん中だって。膀胱とは違う意味でヤバイ。いやっ! 顔と身体がど真ん中なだけで性格は完全にアウトコース。俺はもっとネコっぽい方が好き。休みの日とかベタベタしたいし。甘やかしたい方だし。ていうか真下さんゲイとか超無理そう。そっち系にもモテそうだし。潔癖っぽいし。彼女がどうこういう話も聞かないし。
 落ち着こう。足痺れてきた。茄子漬を食す。ちょっとピリ辛な味付けで大変美味しゅうございますってか。太ももの上で真下さんは唸り、顔を掻いている。痒いのか。空いたお皿を集めていたので周辺の皿を空け集め空のグラスと一緒に渡す。卓上には新たにシーザーサラダやら鳥唐揚げが並べられる。ちょっとトイレ行きたい本当に。どうしよう。真下さんを窺う。
「っ!」
 そだろ……、嘘だろ。見間違いか? 目の錯覚か? いやそんなわけはない。だがしかし現実として今目の前で起こっていることは疑いようもない事実で云々。
「どしたのー?」
「いえっ!」
 隠し切れない動揺が現れていたか。でもだってそらぁ俺だって動揺する。
 膝枕の上で真下さんは指をしゃぶって眠っていた。
 イケメンが。完璧超人真下が。クール素敵とか言われている男が。親指を吸いながら眠っている。俺ポジションの真横で。……暗喩か、これは。まずい。まずいぞ。膀胱とは違う方向性のじわじわが下半身から這い上がってくる。というか、ストラーイク! バッターアウト! 最悪だ。
「すみません俺帰ります明日お墓参りとか行きたいから!」
 挙手し真下さんを腿から下ろす。中腰でもう帰る気満々であることを全体にアッピール。
 えー、まだいいじゃなーい、オールナイトで墓場へ行こうぜ、墓場で飲もうぜ、銘々引き止めたりバカを言ったりするが知らん。もうほんと無理。主に膀胱の辺りで無理。
「サーセン! トイレ行きたいんで!」
 帰り支度を済ましチラと窺った真下さんは枕がなくなった拍子か指しゃぶりを止めていた。だが上着を口元辺りまでかけておこう。この俺の優しさ。
「おい河野、帰るなら真下連れてけー」
 課長! 俺の葛藤察しろ! 舐めてんのか。お持ち帰りした日にはノンケだろうがお構いなしに食っちまうそんな勢い今!
「いやいや真下さんもまだ飲み足りないんじゃないかななんて僕は思うんですよだって、ね!」
「おまえ最後まで面倒みろよー俺酔っ払いの世話とかやってらんねぇよー」
 課長! 酔っ払いがそれを言うかね。
「上司の言うことは?」
「ぜったぁあい!」
「おつかれー」
 ちやほやされる新入社員と違い今日の俺は底辺だ。起こした真下さんは完全に目が据わっている。というかほぼ閉じてる。寝てる。いいかげん起きろよ結構寝ただろあんた。自分より背の高いイケメンを引っ張って座敷を出る。入口辺りで待たせて俺は便所へ行く。大急ぎ。アッパー系の酔い方はしてないものの泥酔状態の人間を放っておくのは怖い。だがこんな時に限って尿の切れが悪いのだ。長い。すごい。随分溜め込んだもんだな。膀胱すごい。なんの感心なんだよ。
 膀胱をすっきりさせて幾分余裕を取り戻した。真下さんは案の定レジ前の椅子に腰掛けて眠っていた。
「帰りますよ」
「おお、うん。絶好調眠い」
 知るか。引っ張り上げ肩に腕をかけさせて店を出る。一瞬いいにおいがする。なんの香水なんだろう。と、素敵な気分はすぐに消える。重い。操作しづらい。まっすぐ歩けよ。ていうか寝てるのかまた。まばたきしながら寝てるのか。いいかげんにしろ。
 ふらふらでタクシーを止める。ぐにゃぐにゃの真下さんをタクシーに突っ込む。
「真下さん起きてください。家どこっすか。おい起きろ家どこだって」
「あぁ? なんでおまえに家教えなきゃいけねーんだよ」
「帰すためだろうが!」
「来んなよ」
「行かねぇよ!」
「お客さん、どうすんの」
「あっ、すみませんとりあえず……」
 ……俺の家か。真下さんは窓に寄りかかって眠っている。え、さっきの寝言もしかして。みたいな。寝言なんだろう。すうすう深い息をして眠っている。どうすんだよ。男は狼なのよ! 気をつけなさい! 言ってやりたい。男として。
 車内は真下さんの寝息と時々入る無線の音だけ。俺は自分側の窓の外を眺める。真下さんを見ないようにする。ここで理性を切ったらどうなるか。それくらい分かっている。俺だってバカじゃない。職場の人間に手を出すなんてリスクしかない。そりゃ真下さんはカッコイイし、背高いし、スタイル良いし、なんかいいにおいするし、なんだかんだ言って面倒見もいいし、なにより仕事ぶりは尊敬してるし、こんな人がどんな顔してセックスするのか大変興味はあるけれど。ていうか俺普通にこの人好きなんだろうな。認めたら苦しくなるだけだけど。真下さんには可愛い女とか、同じくらい仕事できる女とか、俺が手も足も出せないような、妄想の余地もないような女と付き合って幸せぶりを見せ付けてほしい。 少しも期待できないくらい完璧な人生歩いてほしい。
 車は住宅街をゆっくり走行している。俺のマンションの前で止まる。振り返った運転手に頷き支払いを済ます。真下さんを起こすと、一瞬目を開けてすぐまた眠りに落ちてしまった。
「ちょっとだけ起きててください、布団貸しますから」
「うん……、うん」
 寝言みたいに相槌が返ってくる。本当に俺はどうしようか。

 真下さんをベッドに転がし俺はシャワーを浴びた。歯を磨いた。冷水で顔を洗った。とにかく冷静になるために。極力ベッドを気にしないように目を逸らしつつテレビを点けてみる。しょうもない。すぐ消す。結構大丈夫かもしれない。俺の理性ってワイヤー性かもしれない。そういえば一杯一杯で真下さんをベッドに放り出してしまったけどネクタイとか外してなかった。明日のことを考えて外しておくべきだろう。きっと気が利かねぇとか言って切れる。うん。
「はっ!」
 真下さんは指をしゃぶって眠っていた。これはきっと癖なんだろう。意外性というか、普段の顔を知っているだけにビビる。というか昂奮する。ダメっ! うん。大丈夫。寝込みを襲うような真似はあんまりしない俺。
 真下さんの首に引っかかった緩んだネクタイを解いて外す。既に外れている首もとのボタンももう一つ外す。と、白い首筋から鎖骨があらわになる。もう一つ、外すとなにが見えるだろうか。白々しい疑問。白々しい誘惑が下腹から沸き起こってくる。真下さんの口元で水の弾ける音がした。
 そっとボタンを外す。もう一つ、もう一つ、起きませんようにと祈りながら。ヘソまで下りて息を呑む。真下さんは指を吸いながら眠っている。もしこれが、真下さんの弱味なら……。一体どうなるのだろう。携帯電話を握る。フレームの中で真下さんの綺麗な肌は白さを増していた。親指に力を込める。場違いなほど軽妙な音が、場違いなほど大きく聞こえた。


後編
(10.4.18)
置場