翩々シーソー



 クーラー最高。ホント俺クーラーとなら結婚できるな。超癒してくれる。夏の間だけ週六勤務とかにしてくれんだろうか。十時間勤務でもいい。クーラーのあるクソ暇なコンビニとクーラーのない俺の部屋とじゃ天と地ほど過ごしやすさに差があるのは疑う余地のない事実だ。どうせ忙しい時間帯は決まっているし、忙しいといったって潰れかけのコンビニの忙しさなんてたかが知れている。つまり労働に勤しむ俺は超勝ち組であるということだ。フリーターだけれども。
「いらっしゃいませー」
 客が入ってくる瞬間吹き込んでくる熱風が不愉快だから客はマジ来なくていい。とか言うとオーナーが泣いちゃうので笑顔を振り撒く。客はこの暑い中スーツを着込んでいる。全体的にヤクザっぽい雰囲気がある。多分ヤクザだろう。ヤクザだろうが、オーナーに限ってヤクザと揉めるということもないだろうから怖くない。防犯カメラがあるから理不尽に絡まれたって怖くない。レジに直行してくる。まさか公共料金の支払いだろうか。ヤクザのくせにコンビニ支払い。一瞬頬が緩んだが慌てて奥歯を噛み締める。なにが絡まれる原因になるか分かったものじゃないのだ。油断はできない。
「あ……、ひ、ひさしぶり……」
 目の前のヤクザが言う。知らんこんな奴は。新しい手口だろうか。最新式の犯罪様式なのだろうか。変に係わって巻き込まれたら大変だ。とぼけておこう。愛想笑いを浮かべつつ黙っておく。ほんの少し眉を顰めていれば知りませんというポーズにはなるだろう。
「あの……俺、高坂……だけど、覚えてないかな」
 知らん。というかこれは多分犯罪とかじゃないな。高坂とやらはなにやら友好的な雰囲気をかもし出している。知らんけど。だが、正直に言っていいものだろうか。覚えておらんと。多分なんかの間違いだと。しかし相手が人違いをしているだけで強気に出るのも良くないかもしれない。和をもって尊しとす。とりあえず相手が諦めるまで困っておこう。
「高校一緒だったんだけど……二年のとき同じクラスで」
「……いや、……あーっ!」
「思い出した?」
「あの眼鏡の子! コンタクトにしたの?」
「うん……まぁ、そうなんだけど」
「雰囲気変わったなぁ! 全然面影ないよ」
「うん……まぁ、色々あって」
「厳つくなってるよ。やっぱプロテインとか?」
「うん……まぁ、それはどうでもいいんだけど」
 高坂はちらと辺りを窺うとレジカウンターへ手をついて顔を寄せてくる。周りを気にするまでもなく客なんかいない。
「今すぐ一緒に来てほしい」
「は?」
「事情は後で話すから」
「やー……、無理。いま俺しかいねーし。五時過ぎないと帰れないわ」
「代わりの人間は用意するから」
 そう言うと高坂は店の外へ向かってなにやら合図を送る。小走りで入ってくる。代わりの人間とやらが。怖い。怖い顔の人がきた。髪は短くワイシャツネクタイでいかにも仕事をしますという風体だがどう見てもヤクザだ。そんな怖い顔の人が高坂に深々と頭を下げ、次いで俺に対しても深く頭を垂れる。怖い。
「代わりを務めさせていただきます濱田と申します」
「いや……、俺バイトなんで一存では決めらんないっていうか……、えっと、えぇっと……POSレジ経験は……?」
「はい! 自分昔コンビニでバイトしてました」
「あー……、いいですね」
「……」
「……」
「えっと、ちょっとオーナーに訊いてみますね」
 雰囲気にのまれている。ちょっとヤクザっぽい雰囲気の高坂とそんな高坂にへりくだるあからさまヤクザな濱田と一介のコンビニ店員の俺が織り成す絶妙に居心地の悪い空気に。内線電話を耳にあてる。どう説明したらいいのか俺には分からん。真実だけを伝えよう。
「あ、お疲れ様です。えっと、クレームとかじゃないんですけど、えっと、昔の知り合いが来てて、……あ、俺のです。はい。なんか緊急の用があるらしくって、来てくれって……、ですよねー。一応代わりの人間を用意してくれたんですけど、コンビニ経験者でPOSレジも分かるらしいんですけど、……あ、はい。分かりました」
 内線電話を置く。振り返ると二人は神妙な顔をして俺を見る。
「あ……、今オーナー降りてくるって」
「丁度よかった。俺からもちゃんと挨拶したかったから」
「……穏便にね? オーナー気ぃちっちゃいから」
 数分後、ぷんぷん怒り顔で降りてきたオーナーの顔がみるみる落ち込んでいったのは言うまでもない。
「事情は分かったからあがっていいよ」
 高坂と濱田と三者で行っていた面接を終えたオーナーは疲弊しきった顔で言った。恫喝が行われていませんように。俺はただ祈るだけである。
「じゃあ、これ」
 着ていた制服を濱田に託す。脱ぎたてほかほかのぬくもり制服と俺の生活のかかったタイムカードをすべて濱田に託す。
「よろしくお願いします」
 切に。俺が下げた頭以上に濱田は頭を下げる。顔が怖い人に悪い人はいないのかもしれない。
 高坂に促されて車に乗る。黒塗りかつスモークガラスである。あからさまなヤクザカーの後部座席に高坂と隣り合って座る。うーん。なんでしょう、これ。
「えーっとぉ……、事情? 事情とやらがまったく飲み込めていないわけなんだけど」
 隣をちらりと窺うと高坂もちらりとこちらを見ていた。すぐに目を逸らされた。なんなんだよ。
「あの……、あのね、ちょっと色々あって」
「そこ詳しく」
「あの、抗争? みたいな」
「ヤクザじゃん」
「ヤクザっていうか……、うん、手広くやってる感じなんだけど」
「金融と土建とあとなに? テキ屋?」
「元締めの上? みたいな」
「偉いんだ」
「ちょっとだけ」
 テキ屋の元締めより偉い、高校時代の同級生は自嘲するように口をきゅっと結んで黙ってしまった。いやいや、そんなヤクザポジションで結構いいとこにいるっぽい男と俺とを繋ぐ線なんかないだろ普通に考えて。どこに連れて行かれるんだ俺は。埠頭か。沈められる理由がねぇよ。
「で?」
「えっ?」
「俺なんの関係があんの?」
「あ……」
「まずいこと?」
「結構」
「そこ詳しく」
「あの、ロケット……落としちゃって」
「ロケット……ランチャー?」
「ランチャー? なに?」
「武器だけど……」
「あ、そうなんだ。あの、ペンダントの方」
「写真入れるやつ?」
「そうそう。それ落としちゃって」
「それが? 俺となんの関係が」
「あの、写真……」
「あ、俺の?」
 ごめん、と言って高坂は項垂れてしまう。いやいやいや、ごめんっていうか。ロケットに俺の写真を入れていた理由は訊かなくても分かるけど。こんな分かりやすい奴だったっけ。というか高坂のことなんも覚えてないけど。
「ちょっとまずい相手に渡っちゃって……」
「抗争相手?」
 項垂れながら高坂は頷いた。ていうかなんでそんなリスクを負ってまで俺の写真を持っているんだよ。好きだからか。好きならばこそ肌身離しておいてくれよ。いやいや、高坂もまさか落とすとは思わなかったのだろう。好きな相手の写真を胸に忍ばせておきたかったのだろう。ていうか好きってなんだよ。
「実家の方は大丈夫だとは思うけど一応見張らせてるから」
「ああ、実家か。そんなまずい感じなの?」
「工藤君本人が結構まずいかも」
「愛人だと思われて?」
 言うと高坂は顔を赤くして「愛人ていうか」とかなんとかごにょごにょ口ごもってしまった。誤解されるとしたら愛人だろう。男同士で成り立つ誤解なのかどうかは知らないが俺はヤクザ業界のことなんか知らん。いきなり拉致られてるくらいだから、愛人という誤解はないにしろ俺が高坂と近い人間だと思われてしまっているのは間違いないのだろう。
「守るから」
 囁くように高坂は言った。近付けないのに近付かざるを得ないとき、きっと人はこんな風に囁くのだろう。高坂に対して思うところはないけれど、真実味を帯びた言葉に頬が熱くなってしまう。こんなに真剣な眼差しを向けられることはないことだ。高坂の住む世界のことは知らないし、高坂の気持ちも分からないが、頭を使わないことが俺の生き方だ。へらっと笑ってよろしくーと一言。聞き流してしまう。話すことないから黙ってる。気まずいなんて思わなければ沈黙なんてどうということもない。あの大人しかった高坂がなにをどうしてこんなに厳つくなってしまったのか気にならないでもない。けれど高坂のこれまでを訊くことは同じく俺のこれまでを語ることと同義だ。まったく意味のなかったこの数年を俺はあえて語りたいとも思わない。高坂だって同じじゃないだろうか。分からないけれど。
 暗く曇ったガラス越しに景色は流れて行く。端から真っ昼間の生活なんて俺には眩しすぎた。これからどうなろうと知ったことじゃない。
 携帯の震える音がする。高坂は出る気配がない。出たら? と促せば顔を曇らせてうんと頷く。
「耳塞いでてくれる?」
「なんだよそれ。いいけど」
 言われるまま両手で耳を塞ぐ。ふりをする。それを確認すると高坂は身体を窓辺に向けて声を落とす。
「ああ、どうした? ……ああ、……その件なら酒井の叔父貴に話通してあるだろ、そっちで解決できないのか。……ああ、……出来ませんでしたじゃねぇよ。回収もできねぇでおまえ何やるんだよ……、ああ、夜そっち行くから」
 云々。通話を終えた高坂が振り返る。
「ヤクザじゃん」
「聞かないでって言ったじゃん!」
「いやードン引きですわ」
「もーだから嫌だったんだって!」
 キャッキャ……って仲良くなってどうする。ていうかこのギャップはなんだ。好きだからか。なんでもそれで解決すんのかよ。とりあえず高坂は俺にとって無害であることは間違いないとして、その周りが有害なのか。となると俺はもっとしおらしくしているべきなのだろうか。囲われてるっぽさを全面的に出していった方が良いのだろうか。囲われてるっぽさ? 極妻みたいな感じか。いや妻じゃねぇか。愛人っぽさか。いや無理か。そんな度胸ねぇな。咄嗟に銃とか撃てないし。じゃあどうするか。大人しくしてるか。いつまで続くか知らんけど、きっと数日中のことだろう。
 車は高層マンションの地下駐車場へ滑り込んでいく。なるほどここが仮の巣か。金持ちマンションはいかにもそれらしいといえば言える。車をつけると身体のでかいおっさんらが車の周りを取り囲む。完全にヤクザだもの。ちょっと心臓が痛くなってきた。そっか、ヤクザの本拠地か。いや、支店か。なんにせよ、本来俺が入るような所じゃない。俺の側から扉が開けられる。正直高坂から先に降りてほしかった。ほんの数秒間とはいえ一人でヤクザさんたちに囲まれるのは辛い。高坂を振り返るとなんかニコッと笑う。なんだよ。全然日常なんじゃんこういうの。あんまり車の扉開けてもらうってねぇよ。
 高坂に促されるまま厳ついおじさんたちに取り囲まれながら部屋を目指す。オートロックの入口前にも見張りが立っている。今だけだろうが厳重なことだ。只事じゃないんだ。今更感じる。振り返るたび高坂は微笑を返す。笑顔で誤魔化せねぇよ。引くわ。
 エレベーターで持ち上げられて俺らはピカピカの通路を渡る。アトラクションのような気持ち。他人事のような、遊びのような。現実味を帯びない気持ちのまま促されて入った部屋は玄関からして広い。玄関だけで俺の部屋丸ごと入ってしまいそうで遣り切れなさから言葉を失くす。あるところにはあるんだね、お金って。こんな広い部屋誰が住むんだと思ったけれど、こういうやつらなんだね。遣り切れねぇよまったく。
「急いで用意させたから足りないものとかあるかもしれないけど……」
「えっ? ここ俺のために用意したの?」
「嫌だったら他探すけど」
「いや、嫌とかないけど」
 引くわ。と、思うけども胸に秘しておく。高坂なりの一生懸命さの表れなのだろう。金持ちとかヤクザとかそんだけの理由で否定するのもいけない気がするくらい俺に対して一生懸命すぎる。
「しばらく外出を控えてもらうから、足りないものがあったら彼に言って」
 と紹介された同い年くらいの男は小林ですと名乗った。いや、小林どうでもいい。外出を控えろってそれは……。
「監禁じゃないっすか」
「あ、えっとね、軟禁です」
「同じじゃないんすか」
「ちょっと違うかな」
 どっちでも同じだろうよ。言ったところでそうだね、で終わってしまう会話だ。黙ってる。不機嫌が顔に出ていたのか高坂はごめんと言った。
「不自由な思いさせると思うけど、少しの間だけ我慢して欲しい」
 言って、手招きされる。耳打ちのポーズをとるので耳を貸す。手をそえて、小さな声で囁く。
(俺、工藤君のいない世界で生きていけないから)
 ごめんねと言って自嘲するように微笑んだ。恥ずかしいことをいうやつだ。頬の辺りがむずむずする。言った本人は大真面目な顔をしている。
 しかし、そうか俺死ぬ可能性もあるんだ、とか。俺が死んだらこいつも死ぬのか、とか。勝手なやつだと思うけど、高坂はきっとこんな事態にならなかったら俺と二度と会うつもりもなかったのだろうことは薄々感じられる。そう思うと高坂の気持ちに応えられない申し訳なさや思い続けてもらった照れくささが起こってくる。少しくらい我慢しようという気になってくる。
「いいよ、ありがとう」
 案外簡単に日常から踏み出すもんだ。高坂が申し訳なさそうに笑う。ああ、高校の時もこんな風に笑っていたなと俺は今唐突に思い出していた。



(10.5.29)
置場