翩々シーソー/2



 今後の予定として高坂は二週間から一ヶ月の間に問題を解決すると言った。できることなのかどうか、俺が知るはずはない。俺としては長くて一週間と見ていたので正直焦りが生まれる。
「俺コンビニ以外に夜も働いてるんだわ」
 だもんで濱田が頑張ってくれているコンビニの給料だけでは来月絶対生活できない。コンビニ分では家賃しか払えないからだ。
「ああ、キャバクラでしょ。そっちは大丈夫」
「……おまえの店なの?」
「俺のじゃないけど融通は利くから、言っとく」
 言っとく、で片付く問題なのか。片付くなら別にいいけど、釈然としないものがある。
 そんなことより、と言って高坂は部屋の案内などをした。キッチンにあるボタンパネルで風呂の水の温度調節ができるとか、クソどうでもいいことを親切げに教えてくれる。俺の生活より重要なのかよ湯加減が。どうでもいいだろ。
「あ、そうだ。この後工藤君の部屋行って必要なもの取ってくるけどなんかある?」
「え、俺は行けねぇの?」
「あのー……、軟禁だから」
「ああそう。じゃあね、通帳とか、印鑑とか」
 いわゆるところの貴重品はそれしかない。あと着替えが何枚かあればいいだろう。どうせ外に出られないんだったらパンツとシャツが三枚ずつあれば充分だ。貴重品の保管場所を伝え分からなかったら電話するように言う。携帯電話を取り出して赤外線通信を促せば高坂は頬を赤らめて自身の携帯を両手に捧げ持ち赤外線を受信する。健気なことだ。俺の方が恥ずかしくなる。
「入った?」
「まだ……」
 お互い携帯の角度を探りながら距離を詰める。なかなか送受信が上手くいかないのは何故だ。相性か。携帯同士くっつけ合っても上手くいかない。
「あ、ごめん俺だ」
 センサー照射口を指で塞いでました。あるよねー。あるある。赤外線通信は無事完了。高坂は何故か照れている。なんでだよ。思うが、こいつはなんか俺のことが好きすぎるきらいがある。ぼちぼち慣れろよと思わないでもないがまだ再会して数時間だ。仕方がないのだろう。
 薄汚いキーホルダーが引っ付いた鍵を渡すと高坂は仕事へ出ると言った。遅くなると思うから待ってなくていいよ、との言葉にああ、戻ってくるのかとボンヤリ思う。いまいち自分の立場が分からない。
「いってらー」
 言うと高坂は口を引き結んでうんと言った。笑顔を隠そうとしているのかもしれないが全開で滲み出ている。可愛いなと思わないでもない。身長同じくらいだし、俺より身体厳ついけれど。
 高坂を見送ると部屋に小林と二人だけになる。もしかしたら外に誰かいるのかもしれないがそこまで把握していない。とりあえず俺は小林に訊いてみたかったことを訊く。
「あいつ舐められてたりする?」
「いえ! とんでもない!」
「いいよ、本人に言わないし。正直に」
「ほんとに! 社長は素晴らしい方です」
「へー……、じゃあさ、今日幻滅したりした?」
 問うと小林は難しい顔をして黙り込んでしまう。そらそうだわな。
「普段はあんなんじゃないんだ」
「はい! 普段はもっと……」
「素敵なんだ」
「はい。いえっ! さっきも別にあの、素敵だと思いますが!」
「無理すんなよ」
 小林はしどろもどろになっている。うん。いいやつっぽい。上手くやっていけそうだ。
「いくつ?」
「自分っすか? 二十二っす」
「若いじゃん。あだ名コバ?」
「いや、あだ名とかは別に……」
「じゃあコバでいいじゃん」
「はぁ、なんでもいいっす」
「でさー小林君」
「あれ? はい、なんすか」
「暇だよなぁ」
 暇なので、普段の高坂の様子など尋ねてみる。だがヤクザ業界の常なのか単に小林の性格か、高坂に対する男惚れの入った言はどうにもこうにも参考にならない。すっげーカッコイイんす! とか、憧れっす! とか言われてもピンとこない。俺が知ってる高坂は眼鏡をかけていて、背が高いのにヒョロヒョロで、なんかいつも一人でいたことだけだ。話しかけると困ったように笑っていたことだけだ。あの頃、高坂は楽しかったのだろうか。楽しくはなかったかもしれない。今上手くやれてるなら別に構わないけど。
 ソファに凭れてテレビを横目に眺める。小林は小林の仕事をなにかやっている。時間は過ぎない。趣味もない。過剰な分の時間だけ取り出してゴミ袋に入れて燃やしてしまいたい。どうすんだよこんなんで。ほんの少し眠る。いらない時間は寝て捨てる。それ以外に使い道がない。
 テレビから聞こえる笑い声とか、人の声が頭の中を通り抜けていく。教室の中で、食堂の中で、ひとりぼっちだった眼鏡の高坂。俺はただ一人で平気ですなんて顔してるやつが嫌なだけで、でも高坂は平気な素振りもなくて、諦めてるみたいにただ静かで、大人しくて、誰も触らないからちょっかいかけていただけだ。ただそれだけの理由なのに、ただそれだけの理由で、高坂は卒業してから十年近くも俺の写真をロケットに忍ばせていたのだろうか。可哀相なやつだ。と、思う。不憫だとも。そんなに想われるほど俺は大層な人間じゃないのに。

「工藤さん」
 目を開けると傍らに小林が控えていた。時間を問うともう七時だという。
「メシ届いたんで、よかったら」
「おー、食うよ」
 ダイニングテーブルの上にはやたらつやつやしたお重が鎮座していた。
「おお……」
「すいません、好きなもの訊いとけばよかったんですけど」
「なんでもいいよ。コンビニ弁当とかで」
「いや! そういうわけにはいかないんで」
 別に構わんだろう、と思うが黙っておく。基本俺はお客さんだ。こいつらのルールに従うのがせめてものマナーだろう。
 お重を開けていくとなんかでかいエビとか、刺身とか、かまぼことか、金持ちが好きそうな雰囲気のものが色々と詰まっていた。健康的すぎて逆に身体壊すんじゃねぇの。
「いただきまーす、って小林君は食べねぇの?」
「いや、俺はいいっす」
「なんで? 食えばいいじゃん。俺こんなに食いきらんよ」
「いや……」
「ほれ、黒豆やるよ」
「はぁ、じゃあちょっとだけいただきます」
「うん、この煮物も食えよ」
「はぁ……、あの、和食嫌いっすか?」
「好きだよ」
「はぁ……、そうなんすか」
「貧乏舌なんだろうな。高級感があんまピンとこない」
「すみません」
「美味いよ。豆腐とか」
「あの、なにが好きなんすか? 今後の参考にするんで」
「なんだろうね。どん兵衛とか?」
「……社長と相談させていただきます」
 そんな大層なことかね。と、思うがやはり俺には量りしれん色々があるのだろう。食えそうなものを中心に腹を満たしていく。食いざかりっぽい小林がこんなもんで腹が膨れるのか気がかりだ。
「なんかすみません。俺が料理できたらよかったんですけど」
 食後に一服していると小林は重箱を片しながら言う。そんな落ち込むことか?
「いいよ、俺も出来ねぇし。つうかそんな出来ないっしょ、みんな」
「いや! でも他の方に付いてる人は結構やってるみたいで」
「そーなん」
「栄養とかバランスとか考えてるみたいで」
「お母さんじゃん」
「はい、それくらい俺もしなくちゃいけないんですけど」
「適当でいいぜぇ。腹減らなきゃいいんだよ俺」
「いや、そういうわけには……」
 まあ、小林がやりたいようにやればいいことだ。小林は悩み深げに溜息を吐きアイスコーヒーを差し出してくる。それをずるずる啜っていると、ハッと息を詰め「酒の方がよかったっすか」とハラハラ顔で訊いてくる。気遣いの鬼かこいつは。
「適当でいいぜー」
 昨日まで適当な生活をしていたのだ。ここへ来た途端王様のような扱いをされても居心地が悪い。ので、なにか違う話題に切り替えたいところだ。となると、なんだ。
「高坂の愛人ってやっぱ男なの?」
「えっ!」
「えっ、驚くこと? 女なの?」
「いや、愛人とか……」
「何人いるの?」
「いや、いやいや、い、いません! いません!」
「別にいてもいいし……、いるって言ってたじゃん」
「俺っすか!」
「他の方についてる人はお料理上手とか」
「いや、俺なんていうか、ほんとそんなつもりじゃなくて……」
「別に本人には訊かねぇよ」
「工藤さんが……大本命なんで! これは絶対なんで」
「ああ、まあそうなんだろうね」
「間違いないっす! 大本命!」
「で、何人いるの?」
「風呂! 沸かしてきますね!」
「えーいいよ風呂とかめんどいシャワーで」
「そういうわけには!」
 力強く言って小林は風呂場へ逃げていく。そんなにまずい話題なのか。なんか偉いっぽいし愛人の一人や二人いても不思議はないけれど。というか、高坂もセックスするのか。頭の中で今日見たばかりの厳つい高坂と記憶の中のひょろひょろの高坂が交互に点滅するようだ。セックス。うーん。描けない。俺ともしたいのだろうか。そうするとどっちがどっち役になるのだろうか。あー。描けない。高坂は男とするときどっち役なんだろうか。あの厳つさで女役か。無きにしも非ず。刺してる方が想像できんな。
 数十分後沸いた風呂に浸かるため服を脱いだ脱衣所で己の身体を眺めてみる。昂奮する要素ゼロ。酷ぇな。貧乏丸出し。女の前でも脱ぎたくねぇよ。だせぇ。まあ、まあ。プラトニックで手を打っていただこう。やる前提なのかって話だ。やらねぇよ。
 風呂から上がって着替えがないことに気付く。脱いだパンツ含め服は全部洗濯機の中で回っている。小林のやり手ぶり、うっかりぶりが窺える。唯一あるものはバスローブ。着るのか。着ようか。似合わなさといったらないけれど。
 リビングへ行くと小林が蒼白な顔をしてすみませんと謝った。
「手違いで着替えが用意されてなくて、今持ってこさせますんで」
「構わんよ」
 湯上りにバスローブ姿で水を啜る。夜景とか見る。上流階級っぽさ全開だな。ノーパンフルチン、これが上流階級か。とんでもねぇな。
「明日の朝パンツがありゃいいよ」
 パンツから解き放たれない俺は俺が思うより社会的人間なのかもしれない。股座を通り抜けていく風に違和感が拭えない。
 落ち着かないしやることないし、いっそのこと寝てやろうかと思う。暇つぶしに寝るにしてもそのうち眠れなくなるんじゃないか。それならそれでなにか考えればいいだけだ。小林に声をかけて寝室へ向かう。こんなに一杯部屋があってどうすんだよ。思うけれど、六畳一間で囲われるってこともないか。愛人特典としてもう一部屋お付けしますの結果だわな。全然面白くない。
 やたらでかいベッドへ身体を横たえると信じられないほど沈んだ。布団の柔らかさに驚く。と同時に俺んちの布団がいかに硬かったのか知る。干してねぇもんな。バスローブは脱いだ方が良いのかしら。裸で寝るのもなんか違うか。掛け布団を被らず目を閉じる。
 いきなりこんなとこ連れてこられちゃって、半月は続くって言われちゃって、一体俺はどうしたもんかね。初日にして飽きるとは思いもしなかった。夢みたいな生活は俺の柄じゃなかった。


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(10.5.29)
置場