翩々シーソー/4



 目が覚めたのは昼過ぎだった。とは言えこの生活が始まる前もコンビニバイトがない日は昼過ぎに起きていた。リビングへ出ると小林が雑誌を眺めている。
「おは……」
「あ、おはようございます。メシありますよ」
 やきそばにラップがかかっている。それを持って台所へ向かい電子レンジに入れる。合間に麦茶を飲む。美味い。起き抜けの麦茶は身体に滲み込んでいくようだ。イオン飲料にも負けないレベル。
 温まったやきそばを食べながら俺が寝ている間にあったことを訊く。大体毎日天気予報とニュースを伝えられるのだが。
「ああ、朝社長がおいでになりました」
 喉の変なところから息が漏れる。片側辺りから。やる気満々かよあいつ。
「起こせよ」
「いや、起こさなくていいって言うんで」
「で? なんて」
「いや別に。最近料理やってるんですーとか、実機の扱いなれてきましたーとか」
「おめぇの話ばっかじゃねぇか」
「工藤さんの話は毎日電話でしてますもん」
「あっそぉ」
「今夜また来るそうです」
「ああ、そうなんだ」
 まぁ、うん。まぁ、そうだわな。うん。来いっつったのは俺だ。しかし改めて今夜来ると言われるとものすっごく恥ずかしい。そうか……。なにが「そうか……」だ。少しも冷静じゃないくせに。
「なんか社長めっちゃテンションおかしかったですけど」
「ああ、そう。……どんな風に?」
「落ち着かないようで……、恋する乙女のような……」
「ああ……、小林君の嫌いな方のやつね」
「嫌いじゃないっすよ! 工藤さん知らないからそう言いますけどね、普段の社長はマジ半端なくカッコイイんすよ!」
「うん、いいわ。その話」
 小林の高坂素敵語りは長い。高坂に語りかけられた思い出すべてを語る勢いで話すので俺は小林に対する時の高坂の様子にだけはやたら詳しくなってしまった。まあ、まあ。高坂も上手くやっているようでなにより、という感想しか抱けない。
「ところでよ、小林少年」
「少年? はい、なんすか」
「パソコン持ってるだろなんか薄いの。ちょっと貸せや」
「いいっすけど、なんすか?」
「なんでもねぇよ。あれだろ、色々調べられんだろ」
「はぁ……、なに調べるんすか?」
「なんでもねぇよ。パンジーの育て方とかそういうんだよ」
「壊さないでくださいよ」
「壊れたらごめんな」
「ちょ、嫌なんすけど」
「大丈夫! 俺を信じろ!」
 半ば無理矢理パソコンをゲット。しかし小林は付っきりで隣から動かない。俺を信じろ! 再度言うも疑いの眼差しを向けるだけだ。俺だって高校の時パソコンの授業を受けているのだ。早々壊すなんてことはありえない。それを言っても小林は動かない。俺をお爺かなんかと思っているのか。これでも現代っ子だ。
「お願い。あっち行ってて」
 頼み込んでようやく距離を取ってくれる。なんかあったらすぐ呼んでくださいよ、と言って。トラブルシューティング小林とでも名乗るがいい。
 調べたいことといったら男同士のセックスのことで、どこを使うかは分かっているもののそれだけの知識だけでは心許ないからだ。
 結果、俺は結構落ち込んだ。そうか。がっつりアナルを弄っていく方向のものなのか。そら簡単に入るものとも思わなかったけども。入れなくてもいい派も結構いるようだけど、高坂がどっち派なのかまでは分からない。というかそもそもどっちが刺すか刺されるか、という話だ。と、なると次に俺が知るべきことは限られてくるのだ。
「こばー」
「なんすか、壊したんすか」
「壊さねぇよ。高坂の愛人ってさ」
「知らんす。ないっす。俺なんも言えないっす」
「おーそうか。じゃあ仮定の話をしようぜ」
「仮定……」
「もし! もしよ、高坂に愛人がいたとして、何人いると思う?」
「……あー、ちょっと苦しくないっすか、それ」
「もしも話だよ。一人? 二人? 男? 女?」
「いたとして、の話ですよね。あー……男、一人……じゃないっすかね」
「どんなやつ?」
「いたとしたら、っすよね。仮定の話ですよね。……工藤さんと同じ系統っすよ」
「だろうね」
「でも工藤さんより若いし工藤さんより綺麗系っすよ!」
「小林よ、おまえ俺のこと嫌いか」
「そういうわけじゃないっす」
「どっちが刺す方?」
「そんなん俺が知るわけないじゃないっすか! 社長が刺すに決まってますけど!」
 なるほど、結局は要相談ということか。高坂が刺すに決まってる、なんてこともないはずだ。俺を見る高坂の瞳は乙女チックにうるうると潤んでいるのだから内心俺に抱かれたくて仕方ないのかもしれない。俺が男相手に機能するかどうかはまた別問題だが。
「やっぱ嫌っすか、社長に愛人いるのとか……」
「いや別に。ていうか俺が嫌って言ったからってじゃあ愛人捨てますっていう方が嫌だよなんか」
「そんなもんすか」
「だってそいつもこういう生活してんだろ? いきなり野に放たれても困るっしょ。……というリサーチ結果を報告しておけよ」
「そういうつもりじゃないっすよ。ていうか言えないしそんなこと」
「そーお? じゃあ俺が言うわ」
「止めてくださいよ! 俺がちくったみたいじゃないっすか!」
「結構口滑らしてたぜぇ」
「あーもー! やだやだ、俺なんも知らないっすからね」
 いじけて小林は自分の部屋へ籠ってしまう。パソコンは置いていったので引き続き男同士のやり方を学ぶ。ていうかこの家ローションとかコンドームとかあるのか? ないとしたら小林に買ってくるよう頼むのか。うん。無理。恥じらいを捨てたら俺も終わりだ。小林理論で言ったら高坂は刺す方なのだから事実はどうであれ小林の脳内で俺が刺される方になってしまう。それはなんか許しがたい。
 三十分後、籠りを終了させた小林はうどんを捏ね始めた。台所から一心不乱にうどんを打つ音がする。怒っているアピールだろうか。発散されるストレスが音響となって耳に響く。俺はもちろん黙っとく。
 ソファに寝そべって脳内でシミュレーションしてみる。俺が高坂を刺すパターンと俺が刺されるパターンの両方考える。結果、両者裸になる場面から描けないということが分かっただけだった。高坂は俺の裸に昂奮するのだろうが、俺はどうだろうか。服を脱いだ高坂に昂奮したりするのだろうか。分かんねぇな。その時になってみないと。

 夕飯は冷やしうどんでした。
 美味いすごいと言い続けてようやく小林は機嫌を直したようだった。実際すごいと思う。俺にはうどんを打つという発想からないのだから。
 夜が近付くうちなんだか落ち着かない気持ちになってきて、メシを食ってる間も風呂に入ってる間も上の空だった。妙に長風呂してみたりして。気負いすぎだな。分かってはいたが、真剣な相手に対する経験が少なすぎた。今まで経験してきたような遊びみたいなその場しのぎの関係を高坂に当てはめようと思っても無理なことだった。誤解されたくない。傷付けたくない。なんて、初めて思うかもしれない。もしかして自分が思ってる以上に俺は高坂を大事に思っているんじゃなかろうか。と、気付いた瞬間胸がざわついた。腑に落ちた。高校の頃、ずっと気になっていた。その理由が分からなくて、誤魔化して、なんでもないようなことと思って忘れていた。いや、はっきりそうとは言えない。高坂の熱意にあてられているだけかもしれない。けれど曖昧な感情は言葉にすると胸中で納まりがいい。恋。まさか。だけど、悪い気もしない。
 高坂の愛人が男だと確定したせいだろうか。男同士でどうこうということが現実味を帯びてくる。もやもやと胸苦しいこの気持ちを恋といってもいいような気がする。高坂が男の愛人とセックスしている、じゃあ俺も。というのはどうもバカっぽいけども。
 濡れ髪のままリビングで落ち着かなく足を伸ばしたり縮めたりしながらテレビを眺める。小林は食器を洗ったりなんか母親っぽいことをやっている。チャイムが鳴る。振り返ると小林が玄関へ向かう。俺も行く。玄関先には高坂が立っていた。俺を呼ぼうと振り返った小林は俺がついてきたことに少し驚いているようだった。
 仕事終わりなのか高坂はスーツを着て、胸元まで挙げた手をすぐ握って下ろしてしまう。
「……小林よ、煙草買って来い二時間くらい」
「は? いいっすけど、二時間?」
 口を引き結んだまま高坂はなんかうるうるしている。
「ごめん。やっぱ三時間」
「はぁ、……隣いるんで終わったら呼んでください」
 言って、小林は玄関を出て行った。あからさまに察せられてしまったのだろう。仕方ない。いられても困るし、遠からず知られることだ。
 高坂は玄関先に突っ立ったまま迷っているようだった。あの、と小さく口ごもる。
「おかえり」
 手を取り引くと、高坂は泣きそうな顔をして微笑んだ。
「た、……ただいま」
 今すぐ抱きしめたい。そう思うけれど、歯止めが利かなくなりそうで怖い。手探りなんだからゆっくりでいい。数年越しの想いをたった数日で飛び越えようというんだから。傷付けないように、間違わないように。けれど俺は高坂とだったら間違えても平気な気がする。力ない手を強く握る。大丈夫。たとえ間違っても、俺たちはなにも失くさない。



(10.6.6)
置場