翩々シーソー/5



 上着を受け取り麦茶を差し出しても高坂は緊張しているのかぎこちなかった。そわそわと落ち着かなくしている。勢いで行った方が良かったのだろうか。疑念が起こってくる。この童貞臭を撒き散らす男をどう寝室まで連れて行くのか、まさか悩まされるとは思ってもみなかった。
「風呂入る?」
「あの、俺、……別にそういうつもりじゃ」
「マジで? 俺そういうつもりだったけど」
「あの、そういうつもりじゃない……こともないんだけど、それだけのつもりじゃないっていうか」
「一緒に入る?」
「えぇっ! やだ、無理!」
「無理ってなんだよ……」
 まぁ、俺も無理だ。ていうかやだってなんだよ可愛いじゃねぇか。これはやはり俺が刺す方なのだろうか。背中を押して風呂場へ促す。俺は寝室で待つ。俺はやる気満々なのかって話だ。それほどでもなかったはずだがこんなに引かれると意地でもやってやろうという気になってくる。昼間調べた男同士の手順を思い出す。そういえば必要なものはなにも揃ってない。ローションなしでできたりするんか。案外サイドボードに入ってたりして。引き出しを開ける。ローションとコンドームとその他諸々。閉める。あったらあったで引くな、なんか。誰が用意したんだよ。引くわぁ。とかなんとか思いつつ箱ティッシュをベストポジションに据え置く俺も大概だ。
 ベッドの上に仰向けに寝転がる。待つ身となるとほんの数分でも長く感じるものだ。両手を組んで枕にする。ふと感じる違和感。扉の隙間から高坂がこちらを窺っていた。
「なんなんだよおまえは!」
 笑ってしまう。羽織っているバスローブは俺なんかより身に馴染んで似合っているのにハートは小動物より小さいようだ。顔だけ出してなかなか入ってこようとしない。
「おいでよ」
 言うとおずおずと入ってくる。促してベッドに座らせるとちょこんと小さくまとまっている。どうしたものか。高坂の緊張にあてられて俺も変に落ち着かない。シャツを脱ぐと高坂はびくりと身体を強張らせた。なんだよ。悪いことしてるみたいじゃねぇか。
「そんな緊張すんなよ。……コミュニケーションじゃん? こんなの」
 とか、ヤリチンくさいことも言ってみる。セックスをコミュニケーションツールとして用いれるほど派手な生活をしたことはない。だが軽く言わないことにはどうにも進まないようで仕方ない。とはいえこのやったが最後、責任を取って高坂を嫁にもらわなければいけないような空気も決して嫌ではない。
「ごめん……、なんか夢みたいで信じられなくて」
「俺も変な感じする」
 俺を見る高坂の瞳は潤んで、このまま泣いちゃうんじゃないかと思わせる。唇を寄せキスをする。唇を接触させただけで高坂は顎を引いてしまう。じれったいな。笑ってしまう。長い夜になりそうだ。
 高坂のバスローブに手を掛けると待ってと言われる。待っていたら夜が明けてしまうんではないか。袷から手を差し込んで構わず脱がすと俺と違って鍛えてる肉体が現れる。張りがあっていかにも強そうだ。もっと自信もっていいのに。そしてなにより目に付くのが背中だった。肌色とは違う色がちらりと覗く。
「刺青入れてるんだ……、最近は入れないのかと思ってた」
 見ていい? と問うと高坂は小さく頷いてそのまま項垂れてしまう。嫌なのだろうか。けれど俯いた高坂の浮き出た頚椎から背骨にかけて、背中全体に描かれる観音様と龍だろうか、蓮の花やらなんやら細かく描かれた図柄は恐ろしさと同時に美しさも感じた。指先でそっと触れる。高坂の身体がわずかに強張った。龍の胴体をなぞるように指を動かすと、高坂の背の上で観音様と龍が絡まるようになまめかしく揺れた。
「痛かった?」
「うん……。でも、覚悟きめようと思って」
 覚悟。そうか。そうだろうな。高坂みたいなやつがヤクザになるだなんて余程の覚悟がなければ無理だろう。どうしてこんなもの背負ってるのか、覚悟してまでヤクザになんかならなきゃならなかったのか、俺は問うことができなかった。高坂がそういう自分を俺に見せたがらないからかもしれない。
「あんまり触らないで」
 頬どころか首筋まで赤くして高坂は言う。背中にごついの背負ってるわりに可愛らしいことだ。
「やめよっか?」
「えっ!」
「どっちでもいいんだけどさ、良いんじゃね? 一緒に寝るだけーとかでも」
「あ、うん。俺も、どっちでもいいよ。工藤君がいいようにしてくれたら」
 笑ってしまう。俺らは本当に臆病で仕方ないな。
「なんつってよ、お互い責任押し付けあうのよくねぇよな」
「あ……」
 高坂の目はゆらゆら揺れる。濡れた黒目がわずかな光を反射して揺れている。怖いよな。そらそうだ。なんもやんなきゃ失敗もないけどなんもないままじゃん。軽く言うことじゃないか。だけど、怖いことよりもっと楽しいことのが多いかもしれないんだから、やんないままももったいない気がする。やりたがりかよ俺は。
「失敗したっていいじゃん。俺が責任取ってやるよ」
 唇を寄せる。触れ合うだけのキスを数秒。逃げないことを確認して舌を出す。引っ込んだままの高坂の舌に触れた瞬間心臓が痛いほど鳴った。おずおずと絡まってくる舌に応えながら、初めてみたいに高まっていく。いい歳して俺らはなにをやっているんだ。思わんでもないけど、不恰好でもいいや。お互いしか見てないんだから。
 高坂の指が背に触れる。ぞくりと被接触の感覚が走る。俺も触る。キスをしてれば余計になにかを見ることもないから、お互い違和感に慣れるためにてのひらを動かしていく。照れくささも恥ずかしさも見えなければ大丈夫。なんてこともないけど誤魔化せる。
 高坂の手は背中を撫でて、ケツの辺りでズボンに引っかかりすぐ引っ込む。脱がせるか迷っているのか。ここまできてじれったい男だ。こうなったら押し倒す勢いで俺が行くか。高坂の股座にてのひらを移動さす。指先に触れたものはもう完全に筒状に変形していた。マジかよ。と、思う間に高坂は身体を離す。
「待っ…! っ……」
 マジかよ……、と思うのは俺も男だからで、てのひらを濡らすほんのわずかな液体が男の矜持をどれほど傷つけるものかも知っている。
「ごめん! 俺……」
 高坂は泣きそうな顔をして俺がベストポジションに設置したティッシュを数枚引き出し、俺の手を取ると誤射った精子を拭った。ごめんごめんと謝る。段々小さくなっていく声は最後「かっこわるい」と自嘲だけ残して消えた。てのひらで顔を覆ってしまう。かっこ悪いかもしれないけれど、違和感がない。いかにも高坂らしいと思ってしまう。本気のやつはかっこ悪くたって無様じゃない。こんなに真っ向から真剣を向けられると俺まで泣きたくなってくる。なんだろう。すごく好きかもしれない。高坂の真っ赤にした耳に触れると指先に熱が伝わってくる。首筋をこしょぐると猫のように首をすくめた。
「まあ、まあ。ゆっくりやろうぜ」
 こんな貧乏くせぇ身体相手にここまで思いつめてもらえるとは思いもしなかった。泣いたのか、高坂の目のふちには涙が溜まっていた。指先で拭う。誰も高坂のこんなとこ見たことないんだろうな。そんな気がする。
「あの……、あのね」
「なに?」
「あんま触んないで……」
「あぁ?」
「多分、俺、ほんと無理だと思う」
「やめる?」
「あの……」
 うるうるしたまま口を引き結んでいる。確かにこんな空気になって止めたら気まずいだけか。
「続けよっか」
 高坂は口を結んだまま小さく頷く。引っ込み思案な子供と同じ扱いで、って感じか。セックスしようって布団の上でこんな気持ちになるのもおかしな話だけど。こんなへんてこなの俺だってやったことないんだからまぁ、仕方ない。
「じっとしてればいい?」
「ごめん……」
 笑ってしまう。ヤクザやってて、刺青入れて、身体鍛えて厳ついのに俺なんかにしどろもどろになっている。恋って怖いな。俺なんも持ってないはずなのに、全部やろうって思えてしまう。駆け引きもできないくらいなんも見えてないやつが目の前にいるんだから、俺にできることはなんだってしたい。
 布団に背中を預ける。なにもかも投げ出すのはほんの少し躊躇いがある。一線越えたらなにか見えるだろうか。分かるだろうか。高坂は俺を平気になるだろうか。腕を伸ばし高坂の身体を引き寄せる。近付いてくる黒目の中に俺の姿が見えるまで近く。もっと。


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(10.6.6)
置場