彼の爪/前


 よしあき君、爪キレイなの。と年甲斐もなく馬鹿な喋り方をする姉を無視してゲームをピコピコ。もう目的とか忘れてレベルアップ目的にダンジョンを歩き回って戦闘による経験を積み主人公、及びその仲間たちをべらぼうに強くする。
 今時点でもかなり強いからザコは一撃必殺。バトルっつうか作業感が強い。もうそろそろ次のステップに進むべきかな。でも俺、強い男が好きだしな。パーティーが全滅したら軽く欝るしな。よし、もうちょっと頑張るぞ!
 とかなんとか、やっていたら美顔器を用いて美顔に励んでいた姉はよしあき君よしあき君言い続けるも俺が適当な呻き声しか返さないから話題を次の段階に持っていけなくて癇癪を起こす。
「ちょっと聞いてるの? そこレベル20で充分だっつうの!」
 60って何事だ! と問題が摩り替わっているが俺的に知りもせんよしあき君の話題よりは良い。
「明日よしあき君来るからね!」
「えーなんで? よしあき君ち行けよ」
「いいの! 明日お母さんいないから呼ぶの!」
「エロいことすんなら外行けよー。俺ゲームしたい」
「すれば良いじゃない! 混ざれなんて言ってないじゃない!」
「げー最悪やる気満々だよー」
 ホントもう最悪だ。俺がダンジョン攻略に掛かったところでどうでもいいよしあき君プチ情報を随時入れてくる。姉より年下だってこととか、俺よりは年上ってこととか、マニキュア塗るのが上手いとか、カッコイイとか知らんがな。

 翌日、姉は尋常なく気合いの入った格好をしてよしあき君を駅まで迎えに行った。そのままどっかにしけ込んで来いよー帰ってくんなよーと思いつつ俺はコントローラーを握る。今日は一日時間があるからシナリオ進めちゃうぞ! 新しい町をぐるぐる歩き回って住民に話を聞きまくる。新しい装備を揃えていらない道具を売り払ってさあ次の冒険だ! と思った矢先に帰ってくる。姉のうそ臭い喋り方が聞こえてくる。引くわ。なんで舌足らずなの。駅に行くまでの道すがら舌切られたの。おじゃましまーすとか、男の声だよ。礼儀正しいねよしあき君。帰りなよ。
 無理です。もう帰りそうもありません。姉の部屋に直行したところでリビングを通ることは避けられない。仲良し家族設計の我が家の造りを恨む。リビングを家の中心にするってのは年頃の姉弟には辛いです。弟的に辛いです。俺が辛いです。リビングの扉が開く。俺はテレビから視線を逸らさない。背を丸めて存在を消す。俺は置物です。座敷童子です。妖精です。目に映らない存在だから見逃してください。触らないでください。
「兄弟?」とか、俺の背後で言うな。弟ーとか答えるな。「どうもー江端でーす」とか、名乗らんで良いから。いい奴すぎるよよしあき君! 怖いよ! その気配りが怖いよ! フレンドリーさに恐れ入るよ!
「あ、どうもー」
 シカトできるほど強くないから俺は。ちょっと振り返って微妙な会釈をした。目に映ったよしあき君は、全体的に黒っぽい。あと革っぽい。ベルトのところから鎖が垂れてる。なに、それ武器? 第一印象からお友達になれません、な雰囲気。もうあんまり係わりたくないからごゆっくりどうぞーって言って俺はさり気ない感じでテレビに視線を戻す。
「ゲーム、なに?」
 って言ってよしあき君が俺の横にしゃがむ。姉は何も言わずソファに座った。多分、すげぇ不機嫌。居心地悪く俺はよしあき君に最近発売された一人プレイ用RPGのタイトルを言う。俺は一人で楽しんでるんで放っておいてくださいお願いします、という気持ちを一杯に込めて。
「対戦ものとかやる?」
「やらないです……」
 その子友達いないからーとか言う姉が。本当のことを言うな。そうなんだ、と言うよしあき君をチラッと見るとちょっと笑顔とか浮かべてる。単に目が合ったから笑うんだろう。見た目よりすごくいい人なんだろう。テレビは戦闘画面に変わっていたから俺は自然を装って視線を逸らす。
「今度ウチおいでよ。格ゲー一杯あるし」
 はあ、と吐息だけ返す。半笑いの微妙さ。よしあき君は姉に促されてリビングを出て行った。

 一時間くらい経って、やってるにしろやってないにしろ静かなもので、俺は存分にダンジョン巡りができる。レベルが上がりすぎてしまったから、なかなか次のレベルにいかず少し気が緩んできた。ちょっと飽きてきたからどんどんシナリオ進めちゃおう。その前にトイレタイム。
 用足して出ようとしたときに扉が開いた。驚いた。よしあき君だった。よしあき君も驚いていた。二人してオ、とかワ、とか言いながらオロオロして、していたらよしあき君が入ってきた。出そこなった俺。狭い。トイレ狭い。近い。よしあき君近い。なにコレ。なんなのコレ。
「携帯教えて」
 声低い。怖い。なんなのこの人。近い。笑顔怖い。携帯ってまた言う。意味わかんない。カツアゲ? なんなのこの空気。
「……auです……」
「じゃなくって番号だよ、番号」
 笑ってる。番号……教えたくねぇ。でも言わないと逃げらんない雰囲気。ボコられそう。背中が壁にくっついて、これ以上後ろには逃げられないけどよしあき君の顔は近付いてくる。
「えーと、090…090……分かんないです」
「じゃ、後で教えて」
「えーと、あ、はい。え? あ、はい」
 うーん、とか言いながらなんとか逃げ出す。逃げ出すっていうかちょっと身体をのけてくれた。よしあき君が。訳分かんないあの人! と内心繰り返してゲームをセーブ。隠れるように自室に籠った。
 携帯電話をベッドの下に置いて、あれー見つからないなーと一人で演技して、仕方ないなーと理由を付ける。もう俺はよしあき君が帰るまで部屋から一歩も出る気はないけれど、もしなんか言われても探したんですけどーって言える。だってないんだもの。ベッドの下なんて翌朝になってようやく気付くくらいだもの。仕方ないよな。仕方ない。

 部屋に籠って部屋の外の動きを少しも逃すまいと耳をそばだてる。夕方になってよしあき君は帰っていった。よかった。携帯について一言も言われなかった。安心。こんなに気疲れするのもなかなかないことだ。
 駅までよしあき君を送ってきた姉が帰ってくる。部屋の扉がノックされる。ダメ出しか。俺はなんにも悪くない。入ってくる。俺はなんにも悪くない。
「コレ、よしあき君から」
 って言って渡された紙には11桁の数字とアルファベットの羅列が……重い。なんなんだコレは。意味が分からない。姉の彼氏とメル友になれと? 言ったら姉は苦みばしった顔をして溜息つく。
「うーん、ダメ。脈なし」
「なんで?! 頑張ってよ!」
「なんでアンタがそんな必死なの」
 姉は笑うが、俺的に危険を感ずるのです。胸の奥のほうから、危ないという信号が出ているのです。なによりまず、この小さなメモ用紙に対して俺はどのようなアクションを起こせば良いのでしょうか。


後編
(06.5.9)
置場