マーヴェラス 1 「あー、くそっ、何なんだよ、この書類の量は!」 シーナは机の脇に置かれた書類にうんざりしたように溜息をついた。 右手でくるくると器用にペンを回し、運ばれてきた書類をぱらりとめくってみる。いつまでたってもまともに働こうとしないシーナに、業を煮やしたような声が頭上から降った。 「シーナ、そうやって眺めてても仕事は終わらないぞ。早く終わらせたいなら、さっさと手を動かせ」 冷たく言われ、シーナはぱったりと机に突っ伏して、恨めしそうに上目使いに目の前の男を見あげた。 男の名はウェズ。トラン国を治めているレパントの右腕である男で、今はシーナのお目付け役兼教育係というところだった。 いつまでもぐずぐずしているシーナの頭を、ウェズは遠慮容赦なく叩いた。 ハイランド皇国と都市同盟の戦いが終結したのは、今からほぼ6年ほど前のことだった。 輝く盾の紋章を片手に宿した一人の少年が率いる同盟軍が、長く続いた戦いを終結させた。彼は本拠地であったノースウィンドウの地を去ったが、残った者たちが力を合わせ、争いのない平和な時代を作るために努力を続けた。 その甲斐もあって、荒れた大地に緑が芽生え、豊かな穀物が実り、今ではノースウィンドウは交易の盛んな商業の街として栄えている。 シーナがトランへ戻ったのはその1年ほどあとだった。 特別政治をしたいと思ったわけではなかったが、いつまでもふらふらしているわけにもいかないし、少しくらい父親の仕事を手伝ってみてもいいかなぁと思ったのが運の尽き。待ってましたとばかりにレパントからあれやこれやと仕事をさせられるようになってしまった。 何しろレパントはシーナが戻ってくるのを今か今かと待っていたのだ。 帰ってきたシーナの側にウェズというお目付け役を置き、逃げ出さないようにしてしまった。 本当は2、3ヶ月ほど手伝って、またちょっとばかりの小遣いをもらって、旅に出ようと思っていたシーナとしては、甚だ不本意なことである。 「あーあ、いったいいつになったら仕事に区切りがつくんだよ。俺さー、一段落したらまたちょっと旅に出ようと思ってるんだけどなー」 シーナが知らんふりをしているウェズに聞こえるようにつぶやく。完全に無視して仕事を続けるウェズに、シーナはわざとらしく溜息をついてみせた。 ウェズはシーナよりもいく分年上の、三十代半ばになる青年だった。初めて顔を合わせたのは、シーナが久しぶりにトランに戻ったその夜で、父親であるレパントから優秀な部下ができたと紹介されたのがウェズだった。無口で、どちらかというと愛想のない一見冷たく見える男だったが、気心が知れてくると徐々に軽口を叩くようにもなってきた。 もともとシーナが誰に対しても気安い性格だったし、ウェズに対しても何の警戒心も抱かなかったせいかもしれない。 いつまでたってもお調子者のシーナを教育してやってくれとレパントに頼まれたウェズは、今ではレパントよりも口うるさくなっていた。レパントも自分が悪者にならずにすむと思ってか、シーナのことはウェズに任せっきりなのである。 「なーなーなーなー、そろそろお茶にしようぜ。朝っぱらからずーっと書類ばっか見てて頭がおかしくなっちまいそうだ」 「シーナ」 「何だよ」 ウェズが静かに手にしていたペンを置く。 「いいか、普通の人たちは毎日ちゃんと店や畑に出て、汗を流して働いているんだ。食べていくためには、それは当たり前のことなんだ。それに比べたら、こうして静かな部屋で、机に向かって書類にサインするくらいどうってことはないだろう」 歳寄り臭い説教が始まりそうだ、とシーナは慌てて書類をめくった。 「えーと、次は何だったっけ……。ああ……この前の嵐で流れた橋のつけかえかぁ……これもなかなか進んでないよなぁ」 1ヶ月ほど前に訪れた嵐のせいで、川が氾濫し、あちこちの村で大きな被害が出た。何より川にかかった橋が一度に3つも流されてしまい、交通を分断された人々は日々の生活にも不自由を来たしているのだ。一刻も早く元通りに戻さなくてはならないというのに、工事は遅々として進んでいないようだった。 「いったい何やってんだ?工事は着手してんだろ?」 シーナはぱらぱらと書類を捲る。嵐が過ぎてすぐに工事の手配はしたはずだ。それなのにまだ終わっていないとはどういうことだろう。 「……費用はちゃんと分配したはずだよな?」 「もちろん」 「じゃあ何で進まないだよ。おかしいじゃないか」 「……確かに。わかった、少し調べてみよう」 シーナがウェズに書類を渡すと、ウェズは何かを書き込んで、決裁済みの書類とは別の箱にそれを入れた。そのあとしばらく黙々と書類を片付けていたシーナだが、一通りの重要書類を片付けてしまうと、大きく伸びをした。 「なーそろそろ休憩にしようぜ。朝からずーっと働きっぱなしなんだ。そろそろ一休みしてもいいだろう?休みなく働きづめってのは能率が悪いんだぜ?休憩して、リフレッシュするってのも大事なことなんじゃないのかよ。普通の人だって、休憩くらいは取るはずだ!」 なるほど、シーナの言うこともあながち間違っているわけではない。人間、働きづめだと確かに集中力も落ちてくるし、シーナの場合は下手すると逃亡を図りかねない。 ウェズは仕方がないとばかりに、近くに控えていた部下にお茶の用意をするように言った。 「やった。休憩だー」 シーナはペンを放り出すと、応接セットのソファにどさりと寝転んだ。 「シーナ、行儀が悪い」 「休憩中は好きにさせろって」 「………仕方がないヤツだな」 ウェズが肩を落とす。その口調と仕草に、シーナはハンフリーのことを思い出した。 同盟軍にいた頃、何かあるたびに、ハンフリーは同じ台詞を言っては諦めたような笑みを見せた。決して呆れているわけでもなく、むしろ愛情さえ感じさせるその言葉が、シーナはとても好きだった。 「会いたいなぁ」 最後に会ったのは2年ほど前になるだろうか。 同盟軍を離れたあと、ハンフリーはフッチと共に旅に出ることになった。それは旧友との約束で、ハンフリーはそれを違えるような男ではなかった。その旅に、シーナがついていくことはできなかった。もちろん一緒に行きたくなかったわけではない。けれどそれはハンフリーのするべきことであり、永遠の別れではなく、ほんのしばらくの間だけのことだと言われては、シーナもそれを了承しないわけにはいかなかった。ほんのしばらくがいったいどれくらいになるのか、本当は二人にも分かってはいなかったのだけれど。 フッチを無事に送り届けたあとも、もともと戦うことを生業にしてきたハンフリーは一つのところに留まることはできないようで、シーナのいるトランを時折訪ねてはくるものの、長逗留をすることなくまた旅立つようになった。 シーナが一緒に出て行こうとしたことは何度もあった。けれど、そのたびにどうしても捨ててはいけない仕事があったりで、そのきっかけを失ってばかりで現在にいたる。 『すぐ戻る』 ハンフリーの言葉を信じて、気がつけばもう2年という時間が流れていた。シーナは26歳になり、嫌々ながらも政治の世界に片足を突っ込み、気がつけばそれなりに成果を上げたりして、意外とトランの民から慕われていたりもする。 幸せなことだと思う。 けれどやっぱりハンフリーと一緒にいたいと思うのだ。 いったいハンフリーは今どこにいるのだろうか。それ以前にちゃんと生きてるんだろうな、などと不吉なことまで考えてしまう。 何しろ2年である。 2年もの間まったく音信不通なのである。 常に死と隣り合わせの戦場で、いくらハンフリーが強い男だからといって、必ず生き残れるとは限らないことはシーナだって嫌というほど分かっている。分かっているからこそ、心配だし、不安にもなった。 「今度会ったら死ぬほど文句言ってやる」 手紙の一つもよこさず、2年もの間放ったらかしにして、シーナが大人しく待っているとでも思っているのだろうか。実際大人しく待っているわけだが、それはそれで腹も立つ。 いったいいつになったらハンフリーに会えるのだろうか。 「シーナ、お茶の用意ができたぞ」 「うん……」 よっこらしょと起き上がり、シーナは差し出されたカップを手にした。ぼんやりとハンフリーのことを考えていたシーナは、ウェズが何か言ったことに気づかなかった。 「シーナ、聞いているのか?」 「え?何だって?」 「………だから、お前の見合いの話だ」 「………はぁ???????」 いきなり何の脈絡もない話を持ち出されて、シーナは目を丸くした。ウェズは涼しい顔で、シーナの見合い話を続けた。 「お前も知っているだろう、ケイズ氏のお嬢さんだ。今年22歳で、お前ともちょうどつり合う」 「ちょっと待てよ」 「何より美人だし頭もいい。しっかり者だし、お調子者のお前にはこれ以上はないお相手だと思うぞ。まったく不思議なことだが、向こうもお前のことを気に入ってるとのことだし……」 「待てって言ってるだろっ!!!」 シーナが叫ぶと、ウェズは何だ、というように顔を上げた。 見合い???見合いっていったい何だ、とシーナは突然の話にどう言えばいいか分からなかった。 「何か問題でも?」 「あ、当たり前だろっ!何で俺が見合いなんてしなくちゃならないんだよっ!!ふざけんな、俺はまだ結婚なんてするつもりはないからなっ!!!!」 「……26歳にもなって、いつまでもふらふらしてるわけにもいかないだろう」 しらっと言ってのけるウェズに、シーナはかっとした。 「お前に言われたかねぇよっ!俺よりウェズの方がいい歳じゃんかよっ!!!先にお前が結婚しろよっ」 「俺はちゃんと自分の人生設計を考えている。結婚はまだ先だ。お前は放っておくといつまでもふらふらしてるだろうが。先に結婚をして腰を落ち着けろ」 「勝手に決めんなっ!だいたいな!俺には好きな人が……」 「2年も放ったらかしにされているのに、まだ続いているとでも?」 「……っ」 これだからウェズは嫌いなんだ、とシーナはむっと黙り込んだ。ハンフリーとのことは一言だって話していないのだ。同盟軍にいた頃からの恋人だなんて一言も言ってない。そんなことを話そうものなら、レパントに何を言われるか分かったもんじゃない。何しろウェズはシーナのお目付け役とは言うものの、元々レパントの右腕なのだ。シーナの動向はすべて筒抜けになっているに違いない。だからハンフリーとのことは話さなかったというのに、どうやらウェズはすべてお見通しらしい。 「シーナ」 「何だよっ」 「いい加減認めたらどうだ。いつまで待っていても、あの男はもう戻ってはこない。戻ってきても、どうせまたすぐに旅立ってしまうだろう。お前を置いてな。お前は認めたくないだろうが、それが現実だ」 ウェズの言葉は、シーナがどこかで感じていたことだった。決して考えるまいと思っていたのに、こんな風に口にされると、それはくっきりと輪郭を見せ始めてしまう。 ハンフリーはもう自分のことなど忘れてしまったのだろうか。 もう会うこともできないのだろうか。 うつむくシーナに、ウェズは少し口調を和らげた。 「まぁ心の整理もあるだろうからすぐに結婚しろとは言わない。だが、いつまでも帰ってこないヤツのことを待っていても仕方ないだろう。もうそろそろ忘れてもいい頃だ」 「………何でそういう冷たいこと平気な顔して言えるかなー」 「何よりお前のことを考えているからな」 にっこりと芝居がかった笑顔を見せるウェズに、やっぱりこいつは食えないヤツだとシーナは舌打ちした。ウェズが口では厳しいことを言いながらも、いつでもシーナのことを考えて、手を貸してくれていることは誰よりもシーナが自身が一番よく分かっていることだった。 レパントに頼まれたからだけで、こんなに親身になってくれるはずはない。ウェズは本当にシーナのことを大事に思ってくれているのだ。 しかし!今のシーナには結婚などするつもりはこれっぽっちもなかった。 ハンフリーのことを忘れるつもりもなかったのだ。 ハンフリーは嘘はつかない。 戻ると言ったのだから必ず戻る。 そう信じているのに、それでもこれほどまでに時間がたつと、その思いも少しは揺らぐ。 「さ、そろそろ仕事に戻るぞ」 「うん……」 のろのろとシーナがソファから腰を上げ、執務机へと向かう。窓の外に目をやると、空はこれ以上ないほどに晴れていて、こういう日はふらりと外へ遊びにいきたくなる。今までみたいに簡単に遊びにいけない囚われの我が身を嘆きつつ、シーナは席につこうとした。 その時、何かが心の中に引っ掛かった。 はっとしてもう一度窓の外に視線を向ける。 門をくぐり、中庭を歩く男の姿に目を凝らす。薄汚れた姿だが、シーナにはそれが誰だかすぐに分かった。 「ハンフリーっ!!!!」 窓枠に手をかけ、大きく身を乗り出す。 「ハンフリーっ!!!!!!」 大声で叫ぶシーナに気づいたのか、男がぴたりと足を止め、そしてゆっくりと顔を上げた。シーナと目があうと、眩しそうに目を細める。 ハンフリーだった。 見間違うはずもない。2年もの間行方知れずになっていたハンフリーがそこにいた。 「そこを動くなよっ!」 「シーナっ」 ウェズが止めるのも気にせず、シーナは勢いよく扉を開け、廊下を駆けた。あまりの勢いに、途中で出会うメイドたちがびっくりしたように道をあける。 シーナは何度も転びそうになりながら階段を駆け下り、中庭を目指した。 途中、躍り場の窓からハンフリーの姿が見えたことで、我慢がきかなくなった。 「ハンフリー」 シーナは窓枠に片足をかけると、ひょいと立ち上がり、片手で身体を支えたまま、ハンフリーの名を呼んだ。 「ハンフリーっ」 「………っ!」 そのままふわりと飛び降りる。 シーナの身体が浮いたとたん、ハンフリーはぎくりとしたように目を見開いた。さほど高くはない場所からとはいえ、まさかシーナが飛び降りてくるとは思わなかったのだ。それでも手を伸ばし、シーナの身体を危なげなく受け止める。 けれど、さすがに飛びつかれた衝撃は大きく、二人してどさりとその場に倒れ込んだ。 「ハンフリーっ」 「………お前は……いくつになっても仕方のないヤツだな」 懐かしい声。 埃っぽいマントに顔を埋めて、シーナはその温もりを力いっぱい抱き締めた。帰ってきたのだ。ハンフリーは約束通り戻ってきた。 ぽんぽんとハンフリーの手がシーナの背をたたく。 「久しぶりだな。元気だったか?」 「………うん」 「とりあえず、ちゃんと顔を見せてくれ」 「どうしよう……俺、きっと変な顔してる」 嬉しくて、きっといつもの顔じゃない。けれど、そんな顔をハンフリーに見せるのは悔しい。2年も放ったらかしにされていたのに、怒りもせずに喜ぶ自分が情けない。 「シーナ?」 「あんたに言いたいことが山ほどある」 「……ああ」 「文句がいっぱいある。恨み言がいっぱいある。分かってんだろうな」 「ああ……」 そろりと顔を上げ、シーナはハンフリーの顔を見た。無精髭で覆われた顔は、シーナの知るハンフリーではないような気がして、少しばかり竦んでしまう。 それでも笑った目元は変わらない。 シーナのことをいつも優しく見守ってくれていた頃と何も変わらない目だった。 「おかえり、ハンフリー」 「……ああ、ただいま」 両腕を広げて、シーナがハンフリーのことを抱き締める。顔は見えなくても、ハンフリーが笑ったことが分かる。こんなに長い時間離れていても、以前と同じように分かり合えることが嬉しかった。変わらない温もりが嬉しかった。 「……戻ってきたか」 執務室の窓からその様子を眺めていたウェズは言うまでもなく渋い顔で、人目も憚らずに抱き合う二人に細く溜息をついた。 まさかハンフリーが戻ってくるとは思っていなかったのだ。 いや、本当はそういうこともあるかもしれないと思っていた。けれど、今さらシーナの前に現われていったいどうするつもりなのだろう。 まさか連れて行くつもりじゃあるまいな、と嫌な考えが浮かんでしまう。 そんな虫のいい話は許すつもりはなかったが、あのシーナのことだから、ハンフリーが来いといえばほいほいついていくのではないとも思う。 「まったく、面倒なことに……」 ハンフリーが戻ってきた目的はいったい何なのか。 ウェズは静かに窓を閉めると、シーナが放り出したままの書類を片付けるために席についた。 NEXT ![]() |
ずっと書いてみたかった26歳シーナ。あんまり変わってないけど(笑)でも変わってないってのがツボだったりします。シーナらぶ! |