マーヴェラス 2


2年ぶりにトランへやってきたハンフリーのことを歓迎したのはシーナだけではなかった。解放戦争の時に同じ仲間として戦ったシーナの父親であるレパントもまた、シーナ以上にハンフリーの来訪を喜んだ。
「久しいな、ハンフリー。元気そうで何よりだ。いったいどこで何をしていたんだ?1年……いやもう2年になるのか?まったく出ていったきり連絡もよこさないで。薄情なヤツだ」
がっしりと肩を抱き、レパントは上機嫌で笑った。もともとレパントはハンフリーのことを気に入っていた。無口な男だが、きちんとした良識と節度を持ち、何より剣の腕は一流だ。自分の信念を貫き通すハンフリーのことを尊敬にも似た思いで見ていたが、シーナが同盟軍にいた頃に世話になったと知ると、そこに感謝の思いも混じるようになった。
何といってもシーナはレパントにとっては目に入れても痛くないほど可愛い一人息子なのである。たとえどれほどの放蕩息子であろうと、甘ったれの我侭息子であろうと、周りから親馬鹿だと苦笑されようと、レパントはシーナのことを愛してやまなかった。
まったくの親馬鹿である。
シーナがハンフリーのことを慕っていることもよく知っているので、レパントはなおさらハンフリーのことを大歓迎したのである。
もっとも、もしシーナとハンフリーが出来ているなんてことを知れば、こんな待遇を受けることができたかどうかは謎である。それが分かっているので、シーナもあえてそういう素振りは見せないようにしていた。
「さぁハンフリー、この2年間、どこで何をしていたのかじっくりと聞かせてもらうからな」
「あなた」
意気揚揚とハンフリーと昼間っから一杯やろうと目論んでいたレパントを諌めたのは、アイリーンだった。ハンフリーはアイリーンの姿に軽く目を細めた。
レパントの最愛の妻であるアイリーンは、初めて出会った頃と少しも変わらない美しさを見せていた。
性格はまったくといっていいほど違うのに、やはりシーナと似ている、とアイリーンと見るたびにハンフリーは思う。シーナが何の衒いもなく笑った時の笑顔は、アイリーンにそっくりだ。
「あなたったら、ハンフリーさんも長旅でお疲れなんですから、そんな無茶を言うものじゃありませんわ。ね、ハンフリーさん。少しお部屋で休まれるといいわ。夕食は腕を振るいますから、それまでゆっくりとなさって」
「ああ……」
優しいアイリーンの心遣いに、ハンフリーは頭を下げる。
「しかし……」
まだ名残惜しそうな素振りを見せるレパントだが、アイリーンに窘められてはそれ以上逆らうこともできない。
そんなやりとりを、シーナはまだどこか夢見心地で眺めていた。
ハンフリーが目の前にいて、こんな普通の日常の中にいることが、まだ信じられない。本当に何の前触れもなく帰ってきたから、心の準備ができていなかったのだ。
もちろん嬉しいのだが、それ以上に何だかそわそわと落ち着かない。
2年も離れていて、やはり少し気後れしているのだろうか。今さらなのに、まるで初めて好きな人と話す時のようにどきどきしていた。少し離れた場所で大人しく座っていたシーナに気づいたアイリーンが声をかけた。
「シーナ、ハンフリーさんをお部屋にお連れしたら?」
「え、あ、ああ、うん、そうだな」
いつになくのろのろとシーナは席を立つ。
「今日は飲み明かすからな、覚悟しておけよハンフリー」
「親父、いいから仕事に戻れよ」
まだどこか未練たらたらのレパントを睨んで、シーナがこっちこっちとハンフリーを手招いた。広間を出ると、シーナはさりげなくハンフリーの荷物を手に取った。
「まったく親父のヤツ、飲み仲間がやってきたから嬉しくてたまんないんだぜ。しょうがないヤツだよなぁ」
「レパントは変わっていないな。元気そうだ」
「元気元気。あー、でもさ、この前ぎっくり腰で1週間ほど寝込んでたんだ。そのおかげで俺の仕事が増えてまいったよ。もうすっかり良くなってンのに今でも俺にその仕事は押し付けたままだしさー。まったく勘弁してほしいよ」
そう言いながらも、ハンフリーにはシーナは心底嫌がっている風には見えなかった。
「はい、到着ー」
シーナは目の前の大きな扉を開くと、ハンフリーを中へと招きいれた。客間として使われているその部屋に、シーナはハンフリーの荷物を下ろした。
忙しくなく部屋の窓を開け空気を入れ替える。以前ハンフリーが帰ってきたときもこの部屋だった。使い勝手は分かっているだろうが、あれやこれやと説明をしたり世話を焼こうとするシーナを、ハンフリーがそれとなく制した。
「俺は一人でも大丈夫だ。それよりもお前、仕事の途中だったんじゃないのか?俺はいいから、戻った方がいい」
「あー、そうだった」
シーナはしまった、というように舌を鳴らした。
言われて初めて気づいた。そういえば仕事を放り出してきていたのだ。今頃ウェズがかんかんになって怒っているだろうなぁと思うと気が重い。かといって、このまま戻らないのはさらに火に油を注ぐようなものだろう。
「しょうがない、戻るか……」
「……真面目に働いているようだな」
「働いてるよ」
得意げに答えるシーナに、ハンフリーは嬉しそうに微笑んだ。
2年前別れた時は、シーナはちょうどレパントから簡単な仕事を任せられたばかりだった。ぶつぶつ文句ばかり言って、それでもどうせすることもないからという理由で仕事をするシーナを、正直ハンフリーは心配していたのだ。
責任感はあるし、一度決めたことはちゃんとやり遂げるところのあるシーナだが、どこか飽きっぽくて物事が長続きしないところがある。
2年たって戻ってきたら、またふらりとどこかへ遊びに出てしまっているのではないかと思うことが何度もあったのだ。
それがどうだ。戻ってきてみれば、シーナは想像以上にちゃんと働いている。これはハンフリーにしてみれば驚くべきことであった。
「こう見えても俺、ちゃんと給料ももらってるんだぜ。こづかいじゃない、ちゃとした仕事の報酬。なぁ、俺が今何の仕事やってるか分かる?」
「さぁ…何だろう」
シーナはベッドに腰かけるとぶらぶらと足を振った。
「あのさ、ここって前の戦争が終わって、親父ががんばったおかげもあって、今じゃあ一番平和な場所だって言われてるだろ?」
「ああ、そうだな」
「平和になっても、やっぱり必要になるものって何だと思う?」
シーナの隣に腰掛け、ハンフリーはしばらく考えた。この場所に、今となっては兵力などは不要なものだ。人々が望んでいるものはそういうものではないだろう。レパントは交易にも力を入れ、この国は交易商たちのおかげでずいぶんと潤うようになった。人々の出入が激しくなればそれだけ治安も乱れてるものだが、レパントはきっちりとそこは押さえている。
「なぁ、分かる?」
「分からんな。何だ?」
「医者。ほら、同盟軍にはさホウアン先生がいただろ?あのちょっと変わってるけど腕はぴか一だった先生。ああいうお医者さんて、どれだけいても足りないんだよなー。どれだけ国が発展しても、いきなり流行り病でいっぱい人が死んだりさ。今までにも何度かそういうことがあって、小さな子供が死んだ。俺、今診療所を作る仕事やってんだ」
「診療所……」
「親父に何か一つやり遂げてみせろって言われてさ、診療所作るのなんて簡単そうだからやってみるかーって思ったんだけど、これがなかなか難しくってさ。予算内でどういう設備を整えるかとか、人の確保とか、いろいろ。でもやってみると楽しくてさ」
美人の看護婦さんとか増やしたいしさー、とおどけてみせるシーナだが、ハンフリーにはシーナが真面目に仕事に取り組んでいることがよく分かった。
剣を持って生きるばかりが能ではない。むしろ地道に人々の役に立つことをする方が、どれほど苦労があるか計り知れない。
なるほど、レパントはいい仕事をシーナに与えたものだ。
「……がんばっているようだな」
「うん、まぁね。ほら、お金溜めてさ、また二人で旅に出たいし。俺ちゃんと貯金ってやつもしてるんだぜ、偉いだろ」
「ああ」
目を細めるハンフリーに、シーナがふと表情を曇らせた。
「……ハンフリー、またどっか行くの?」
「…………」
ハンフリーは、無言のままシーナを見つめた。あの戦い以来、一箇所に腰を落ち着けることなく、あちこちへ行っているのはハンフリーの方だ。ひとつ仕事が終わるとこうしてシーナに会いに来て、そしてまた離れていく。そんなハンフリーのことをシーナがどう思っているのか。愛想を尽かされても仕方がないことを、自分はしているのだという自覚はあるのに、それをどうすることもできない。
何か言おうと口を開いたとき、一足早くシーナが何かを遮るように口を開いた。
「まぁそんな話はまたあとでしよ。ハンフリーも疲れてるよな。だって、南から一つ町を飛ばしてここまでやってきたんだろ?」
「……どうして分かった?」
驚くハンフリーに、シーナは得意げに鼻を鳴らす。
「分かるさ。だって、ハンフリーの服には赤い土がいっぱい。南からトランに抜ける途中は、この時期砂漠の砂が流れ込んで埃っぽいだろ?たいていの旅人は途中の町で一泊して体と髪についた砂を落としてからここへ来る。でもほら、ハンフリーの服には赤い土がいっぱいついてる。ということは、途中休むことなく、ここまでやってきたってことだろ?」
「なるほど……」
「そうまでして急いでたのは、やっぱり俺に早く会いたかったからだよな」
「………」
答えないハンフリーに、シーナがからりと笑う。
「いい歳してこういう時に黙るなよー。いつまでたっても慣れないなー」
「お前こそいい歳をして、そういうことを口にするんじゃない」
「はは、俺いつまでたっても子供だもーん」
おどけた口調で笑うシーナだが、それでも確かにあの頃とは違う。
10代の頃よりもずっと背が伸びた。すらりとした長い手足や、ちゃんと鍛えているらしい身体つきも、もう少年のものではなく、一人前の青年のものだ。時は、やはり留まることなく流れているのだと思い知らされ、それはハンフリーを少しばかり切なくさせた。いつまでも、あの頃のままのシーナでいて欲しいと思うのはつまらない感傷だろうか。
我侭で、子供っぽく、時々とんでもない馬鹿をして、けれどいつでも底抜けに明るいシーナのことを、自分は思った以上に愛していたのだと今さらながらに思い知らされる。
「じゃあ、ちゃんと風呂に入って、夜まで一休みしなよ。俺、またあとで起こしにくるからさ」
「ああ」
シーナは扉へ向かって歩き出したが、すぐにその足を止めた。くるりと振り返ると、訝しそうにしているハンフリーへと駆け寄り、飛びつくようにしてその首筋に腕を回して抱きついた。危なげなくシーナの身体を受け止めたハンフリーは、何も言わずにシーナを抱き締めた。
ぎゅっと力一杯ハンフリーのことを抱き締めたシーナは、初めて安堵の戸息をついた。
ああハンフリーだ、と。
2年ぶりの彼の匂いに、ほっとした。しばらくハンフリーに身体を預けていたシーナは、やがてあーあと溜息をついた。
「あれだよなー、人目さえなけりゃすぐにできたのになー」
「うん?」
「こうして抱きついたり、キスしたり」
お前は窓から飛び降りて抱きついてきたじゃないか、とハンフリーが苦笑する。
シーナはぱっと身体を離すと、無精髭で覆われたハンフリーの頬を両手で包み、素早くその唇に自分のそれを押し当てた。
ゆっくりと深くなる口づけに、シーナはうっとりと目を閉じた。
ひとしきり甘いくちづけを堪能したあと、シーナはくすりと笑った。
「ハンフリーに髭は似合わないって思ってたけどさ、けっこういけるよな。キスしたらくすぐったいかなぁって思ったけど大丈夫だったしさー。これからもこのスタイルでいくの?」
「いや…無精してたら伸びただけだ」
「なんだ。ちょっと残念だなー。髭のあるハンフリーとえっちしたらどんな感じか、試してみたかったのになぁ」
「………シーナ」
困ったように眉を顰めるハンフリーは昔のままだなぁとシーナは少しばかり嬉しくなる。
「冗談だよ。おやすみハンフリー。またあとでね」
からりと笑ってもう一度ちゅっとキスをして、シーナは部屋を出て行った。ハンフリーは困ったように口元に手をやった。しばらくそうしていたあと、気を取り直してすっかり薄汚れてしまったマントを外し、浴室へ向かった。鏡に映る自分の顔が、思っていた以上に疲れているように見えて、少しばかり気が滅入った。
とりあえず汗を流そうと風呂に入り、無精髭も綺麗にそり落とした。さっぱりしてしまうと、ハンフリーはそのままベッドに横になった。
まだ日は高かったが、シーナの言う通り、少し眠ろうと思った。
ここまで休むことなく旅を続けてきたのだ。先ほどのシーナの指摘通り、本来ならば途中で一泊する予定を、無理してここまでやってきた。
シーナに指摘されるまでもない。少しでも早くシーナに会いたかったのだ。まったく馬鹿げているとは思うものの、それが本心なのだから仕方がない。そしてシーナの元気そうな顔を見ることができて安心もした。恐らくこのあと、シーナには嫌というほど恨み言を聞かされることになるのだろう。それも仕方がないことだから、どんなことでも甘んじて受けようと覚悟もしていた。何しろ2年も何の連絡もしなかったのだから。
夜通し文句を言われることになるかもしれない。
そんなことを思いながら、ハンフリーは静かな眠りについた。



2年ぶりのハンフリーとの再会を果たしたシーナは、ハンフリーと別れてからもまだ心臓がどきどきとしていて、どこか地に足がついていないような、そんな浮遊感を味わっていた。
たった今、ハンフリーに触れていたのに、それでもまだ夢のような気がしてしょうがない。
「うわー、何か緊張するなー」
2年会わなかっただけで、何だかまるで別人のように思えてしまったのだ。いったいどんな風に話せばいいのか、どんな風に笑えばいいのか分からない。
これではまるで、恋人になったばかりの頃のようではないか。
「うわーうわー、どうしようかなー。どうしようって、何なんだよ、まったく」
ぺちぺちと自分の頬を叩いて、シーナはあれこれと浮かび始めたあれやこれやと追い払った。とりあえず今は今日の仕事をさっさと片付けなければならない。でないと、ゆっくりとハンフリーと話をすることもできない。
シーナは飛び出してきた執務室の扉をそっと開けた。
恐る恐る中を盗み見ると、ウェズが黙々と仕事をしている姿が目に入った。

(ひー。恐いー)

シーナはするりと身を滑り込ませると、何事もなかったかのように自分の席についた。もっとも、そのまま済むはずもない。静かに書類に向かおうとしたシーナに、ウェズが低く声をかけた。
「シーナ」
「………は、はい」
「いきなり仕事を放り出して飛び出していくなんて、どういうつ了見だ?」
「あ、えーと……すんま、せん……」
ウェズはすっと席を立つと、シーナの隣に立った。片手を机について身を屈めるとそのままシーナの顔を覗き込んできた。思わず身を引くシーナを、ウェズはじっと見つめる。
「……赤い顔して」
「は?」
「あの男に会ったくらいでそんな赤い顔して。見る人が見ればばればれだぞ。一応内緒にしてるんだろう、レパントには」
シーナは頬を引き攣らせてウェズを上目使いで見た。からかっているのではなく、真面目に忠告してくれているらしいが、どうもウェズが言うと意味深に聞こえて仕方がない。
「そ、そんなに赤いかな?あ、あれだよ、急いで戻ってきたからちょっと暑くなっただけだよ…。それより、ハンフリーが戻ってきたの、見てたんだ?」
「あんなことやらかして、バレてないと思う方がどうかしてる」
二階の窓から飛び降りて抱きつくなんてどう考えてもまともじゃないが、シーナらしいといえばシーナらしい。
「だって我慢できなかったんだって。でもさ、ちゃんと戻ってきただろ?ハンフリーは約束は守るヤツだからな!ウェズは戻ってこないんじゃないかなんて意地悪言ってたけど、やっぱりちゃんと俺のとこに戻ってきてくれただろ?」
シーナが嬉しそうに笑う。ウェズは呆れたように肩をすくめると、椅子に座り今まで処理していた書類をシーナへとまわした。
「で、あいつは何をしに帰ってきたんだ?」
「何って?そんなの決まってんじゃん、俺に会いに帰ってきたんだよ」
「ふうん、で、また出ていくんだな」
「………」
シーナは手元にあったクリップをウェズに投げつけた。
「おい」
「おい、じゃないだろ!何でそういうこと言うんだよ。お前って、イヤミ言わせたら天下一品だなー!」
ばらばらとクリップを投げつけるシーナに、ウェズがよせ、と声を上げる。
「言っておくけどな、俺は今度こそハンフリーと一緒に旅に出るからな!もう十分仕事はしたし、だいたい、好きなヤツと一緒にいられないなんて我慢できないよ。止めたって無駄だからな。俺は、ハンフリーと一緒に行く」
ウェズは散らばったクリップを集めると、机の端に押しやった。必死な様子で言い募るシーナを一瞥すると、あっさりと言う。
「……別に止めたりはしない。行きたければ行けばいい。好きにしろ」
「………」
絶対に叱られると思っていたシーナは、ウェズの言葉に拍子抜けしてしまった。レパントに命じられて、シーナに仕事を覚えさせ、行く行くはこの国をまとめる立場になって欲しいと思っているものとばかり思っていたのに。
「ウェズ……」
「何だ?」
「もしかしてさ、あんた俺のこと好きなの?だから、俺の幸せのためなら親父のこと説得してくれるとか、そういうこと?」
書類を走らせていたペンを持つ手が一瞬止まった。シーナの問い掛けに固まってしまったようにも見えるが、ウェズはやがて無言のままゆっくりと立ち上がった。
そして突然伸びてきた手が、べちんとシーナの額を叩いた。
「いって!!!何するんだよっ!」
「……くだらん想像をするな。まったくこれだからガキは嫌なんだ」
ウェズは書類をまとめるともう一発シーナの頭を叩いて言った。
「俺はレパントに会ってくる。いいか、今日中にそこの書類を全部処理するんだぞ。終わらないうちはあの男には会わせないからな」
「ひっでー」
文句を言おうとするシーナを無視して、ウェズは部屋を出て行った。
本気で怒ったのかなーと思う反面、冗談で言ったシーナの言葉が本当だったらと思い、ありえない想像に笑った。
ウェズほどまともで真面目な男も珍しい。浮いた話はまったくないし、仕事はこれ以上ないほどに完璧にやり遂げるし、かといって冗談が通じないかといえばそうでもない。レパントに気に入られるくらいだから酒は底なしだし、下世話な話だってする。
シーナに対してはいつも厳しいが、時折父親のような優しさを見せることもある。もっとも、さほど年は離れていないので、父親みたいなどと言われては、ウェズは激怒するだろうが。
ウェズが何を考えているのか、シーナには今いち想像ができないのだ。
「とりあえず仕事やるか。ったく、こんな日くらいは免除してくれたっていいのになー」
ぶつぶつと文句を言いながらも、シーナは高く積み上げられた書類にひとつづつ目を通し始めた。



夕食の場はいつもにはない賑やかな雰囲気で包まれた。
レパントは久しぶりに会う旧友と、昔話をするのが楽しいらしく、アイリーンやシーナが渋い顔をするのも気にせずに、次々にワインを空けた。ハンフリーも寡黙なことに変わりはなかったが、それでも穏やかな表情でぽつりぽつりと2年間のことを口にした。
遠い場所で未だ続く戦いの様子に、レパントは興味深そうに聞き入っていた。直接の関係はないものの、いつここまでその余波がやってこないとも限らない。
次第に政治的な話になっていくと、シーナは深く背もたれに沈みこんだままぼんやりとし始めた。今でも小難しい話は苦手なのだ。おまけに今日は朝からウェズにこき使われ、ハンフリーと再会できたことで興奮してしまい、必要以上に神経を使ってしまったような気がするのだ。
向かい側に座るハンフリーの顔を見ていると、何だか妙に安心してしまい、静かな話し声を聞いていると何だか眠くなってくる。
「シーナ?」
隣から優しい声がして、軽く肩を叩かれた。アイリーンが笑いを堪えたような表情でシーナを覗き込んでいる。
「眠いのならもう部屋に戻りなさい」
「あーうん、でも……」
ちらりとハンフリーの方へ視線を向ける。ハンフリーは気づかないふりでワインを飲んでいた。どうせ今夜はレパントはハンフリーのことを離しはしないだろう。何しろ久々に酒飲み相手が現われたのだからそうそう簡単に解放するはずもない。さっさとハンフリーと二人きりになって、いちゃいちゃとしたかったが、どうも今夜は無理そうだ。
「んじゃあ、俺今日はもう寝るよ。親父、あんまりハンフリーに無茶させるなよ。長旅で疲れてるんだからさー」
「わかったわかった」
上機嫌で手を振るレパントに舌打ちして、シーナは部屋をあとにした。以前ならあれやこれやと理由をつけてハンフリーを連れ出していただろうが、いい加減シーナも大人になって分別もついてきたので、ここは大人しく引き上げることにした。ハンフリーとは今夜でなくとも話はできるはずだし、あまり我侭言って困らせるのもどうかなと思ったのだ。
大人しく引き上げるシーナの後姿に、ハンフリーは小さく笑った。
「どうした?」
思いがけない優しい笑みを見せたハンフリーに、レパントが目を見開く。
「いや、シーナは少し見ない間にずいぶんと大人になったようだ」
「ああ、子供だ子供だと思っていたが、真面目に仕事もしてくれているし、このまま跡を継いでくれれば言うことはないんだがな」
嬉しそうに照れた表情をするレパントに、ハンフリーはそうか、とうなづいた。親馬鹿だと言われているレパントだが、息子だというだけでこんなことを言う男ではない。シーナにはそれだけの素質があると見込んでの言葉だと思うと、ハンフリーは複雑な気持ちになる。
「そんなことよりハンフリー、ちょっと聞きたいことがあるんだが……」
まだまだ夜は長そうだな、とハンフリーは覚悟を決めてレパントと付き合うことにした。


一人部屋に戻ったシーナは、倒れ込むようにしてベッドに横たわった。
「ちくしょー。親父のヤツ、今日だけだからなー。明日はハンフリーは俺のもんだからなー」
ぶつぶつと文句を言っていたシーナだが、すぐに意識をなくした。しこたま飲んだせいで眠くてならなかったのだ。とりあえず一眠りすることにした。こう眠くては、例えハンフリーと一緒にいても何もすることはできない。
とにかく明日は一日ハンフリーと過ごせるのだ。そのために渋るウェズから無理矢理一日休みをもぎ取ったのだ。
あんなことやこんなことをしようと考えているうちに眠り込んでしまったシーナが目を覚ましたのは、すっかり屋敷中が寝静まった深夜のことだった。
すっかり眠気の取れたシーナは、まさかと思いながらも先ほどまでハンフリーたちと飲んでいた部屋を覗いてみた。
中にはすっかり出来上がったレパントと、困ったようにその相手をしているハンフリーがいた。
「うわー、まだ飲んでるのかよ。いい加減にしろって言っただろー」
あれからずっと飲んでいたのだとしたら、もう有に7時間近くは飲んでいることになる。これだから酒飲みは嫌なんだと、シーナは中に入るとうんざりした面持ちでレパントの肩を揺すった。
「親父ー、もうお開きにしろよ。明日も仕事あるんだろ。ったくしょうがねぇなー」
「おお、シーナか。お前も一緒に飲むか?」
「飲まないよ!ほら、さっさと部屋に帰れよ。ハンフリーも。ずるずる付き合ってたらキリがないだろ」
ほら立って、とシーナがレパントを追い立てる。もごもごと何やら意味不明なことを呟きながら、レパントは陽気にハンフリーに手を振った。意外としっかりした足取りで部屋を出ていく父親の姿に、シーナははーと大きく溜息をついた。
やっと解放されたハンフリーも立ち上がった。
「ハンフリーも、疲れてんのに付き合いのいいことで」
「まぁ久しぶりだからな、俺もいろいろ話ができて楽しかった」
「……もしかして、俺のことを話してたとか?」
「それもある」
「…………」
いったいレパントは何を言ったのだろうか、とシーナは思案した。告げ口をされるような悪いことはしていないはずだが、何かおかしなことをハンフリーに吹き込んだのではないかと嫌な胸騒ぎがした。ウェズが持ち出した結婚話とか?シーナは慌ててハンフリーに言った。
「あのさ!俺、ぜんぜんそんな気はないからさ!!」
「……何のことだ?」
「だからさ、えっとその……結婚話とか……親父、してなかった?」
シーナが心配そうにハンフリーの様子を窺う。ハンフリーはくしゃりとシーナの髪を掻き混ぜて首を振った。
「いや、そんな話はしていなかったな。お前、誰かと結婚するのか?」
「しないよっ!!!!するわけないじゃんかよっ!!」
「そうか?ムキになるところが怪しいな」
少し酒に酔っているのか、軽口を叩くハンフリーの腕をシーナはどんっと叩いた。笑うハンフリーの顔を見て、本気で口にしたのではないと知り、さらに何度か殴った。そんなシーナのささやかな反抗などまったく応えた感じもなく、ハンフリーはただ笑うばかりである。
散らかったテーブルの上を簡単に片付けて、シーナはハンフリーと一緒に部屋を出た。薄暗い廊下を二人で肩を並べて歩く。
シーナはそっと手を伸ばすと、ハンフリーの手を取ってみた。
それに気づいたハンフリーがその手元に視線を向け、微かに笑ったあと、きゅっと指先を握り返した。
辿り付いたハンフリーの部屋の前で、シーナはぴたりと足を止めた。するりと指を解いたシーナをハンフリーが訝しそうに見つめる。
「どうした?」
「うん……えっと……俺、部屋に戻るからさ。ハンフリー、早く寝たいだろ?邪魔しちゃ悪いしさ、だから……」
「………何だ、入っていかないのか?」
どこか誘うような口振りのハンフリーを、シーナは軽く睨んだ。必死の思いでここで別れようと思っているのに、どうしてこういう時に限ってそういうことを言うのだろうか。
「おやすみ!また明日!」
真っ赤になって逃げるように走り去るシーナに、ハンフリーはやれやれと笑った。
以前のシーナなら、間違いなくハンフリーのベッドにもぐりこんできただろう。ハンフリーが疲れているだろうと分かっていても、それでもそうしただろう。
大人になったものだ、と感心する反面、少しばかり淋しい気がしないでもない。
初めて出会った頃からもう何年たつのか。シーナだって大人になって当然だ。
ハンフリーは部屋に入るとベッドに横になり目を閉じた。
しばらくもしないうちに眠りに落ちた。


けっこうな量を飲んで、ぐっすり眠ったせいか、まだ日が昇らない早朝に目が覚めてしまったハンフリーである。
何となく目が冴えてしまったので、愛剣を片手に表へと出た。
気持ちのいい冷えた空気の中、軽く素振りを始めてみる。ずっしりと手に重い剣は、人生の半分以上を共にしているもので、恐らくこれからも死ぬまでそばにあるものだ。
すべてを無くしても、きっとこれだけは残るだろう。
「こんな朝早くから熱心ですね」
背後からかけられた声に、ハンフリーはゆっくりと剣を下ろした。視線を向けると、そこにはレパントの右腕であるウェズが立っていた。
ハンフリーがシーナに連れられてここに来たとき、すでにウェズはレパントの傍らにいた。物静かで、頭の切れるウェズはレパントのよき参謀だ。多くを語り合ったことはないが、ハンフリーはウェズに一目置いていたし、ウェズもまたハンフリーに敬意を払っている。
「まだゆっくりしていればいいのに、昨日レパントに遅くまで付き合わされたんでしょう?」
「久しぶりだったからな。お前も元気そうだな」
「元気ですよ。毎日あのシーナとやりあってますからね」
ウェズがからりと笑うと、ハンフリーもつられて笑った。
「少しお話できますか?」
「ああ」
ハンフリーは剣を置くと、額に浮かんだ汗を拭った。
ウェズは近くにあったベンチに腰を下ろすと、目の前の大男を見上げた。ハンフリーが幾度か起こった戦争で、その腕を振るったことはよく知っている。元は軍人だったことも。寡黙で一見強面だが、笑うとひどく優しい顔をする。特にシーナといるときは。
真面目で気持ちに裏表のない男だ。だから信用ができる。
「話というのはシーナのことか?」
先に口火を切ったのはハンフリーだった。ウェズは困ったように笑うと、そうだと認めた。
「シーナは今度こそ貴方と一緒にここを出て行くと息巻いてます。そりゃもう貴方が戻ってくるのを首を長くして待っていたのだから、そう言うだろうとは思っていたけれど、実際のところ、貴方はどう思っているのかと」
「………」
「貴方のことだから、ここへ残ってレパントの仕事を手伝うなんてことはないでしょうし、今回もまたシーナのことは残して旅立つつもりなのか、それともシーナの望み通り、彼を連れて出ていくつもりなのか、教えていただけたらと思って」
ウェズの言葉にハンフリーは黙り込んだ。そんなハンフリーにウェズは静かに微笑んだ。
「できることなら、シーナは連れていかないでいただきたい」
「………」
「貴方にこんなことをお願いするのは、本当に気が引けるのですが、できればシーナは連れていかないでいただきたい。シーナは軽そうに見えて、実際には真面目な子だ。今は任された仕事をちゃんとこなしているし人々からの人気もある。レパントは冗談めかして言っているが、私も行く行くはシーナが彼のあとを継いで、この国をまとめてくれればと思っている」
真剣なウェズの表情から、それが本気なのだとわかった。子供だ子供だと思っていたのに、何時の間にかシーナはこうして誰かから頼りにされるほどになっていたのだ。それは子供の成長をきかされるようでくすぐったいような気がした。
「お前がそこまで言うとは思わなかったな」
ハンフリーが言うと、ウェズは軽く肩をすくめた。
「もちろんまだまだ足りないことが多すぎるから、もっと真面目に勉強してもらわなくてはなりませんが、それでも十分素質はあると思う。ああ、私がそんなことを言っていたなんて、絶対にシーナには言わないでくださいよ。また調子に乗るから」
「ああ、黙っておく」
ハンフリーは苦笑して、そして少し考えたあとに言った。
「俺も、シーナは意外と政治には向いているかもしれないとは思っている。二年前よりもずっと真面目に仕事もしているようだし、お前の言う通り、このままレパントのあとを継ぐのもいいだろうと思う」
「………」
「応援してやりたい気持ちもあるが、けれど連れていってしまいたいという気持ちがあるのも事実だ。正直なところ、どうするか決めかねている。ここへ戻ってきたのは、一緒に旅に出ようと誘うつもりだったが……」
けれどそれが本当にシーナのためになるかと問われれば、正しく答えられる自信はない。そして一番の問題がまだある。
「たぶん、お前の言う通り、ここに残るのがシーナのためにはなるんだろう。だがそれを決めるのは俺ではなくてシーナだ」
「……」
「たとえそれが正しいことであっても、シーナがやりたくないと言えばどうしようもない。俺が言ったところで聞くようなヤツではないしな」
「だが、貴方が一緒に行こうといえば、シーナは将来のことなど何も考えずに飛びつくでしょう。だから何も言わず、今までのようにすぐに戻ると言って旅立って欲しい」
「………」
そうして二度とここへ戻らなければ、シーナもそのうち諦める。ウェズの言いたいことはそういうことだ。もしハンフリーが逆の立場ならそう言うだろう。レパントの右腕として、そしてシーナの後ろ盾とし、ウェズの言うことは正しい。
それがシーナのためだろうと思う気持ちもハンフリーにもある。
けれど、素直にそれにうなづくことができない。
「シーナを見ていて思うことがあります」
ウェズがそれまでとは違う穏やかな口調で告げた。
「レパントは立派な人物だ。それに比べてシーナはとてもじゃないが人の上には立てないだろうと思っていた。けれど、上に立つ者に必要なものは何だろうと思った時に、それは決して知識や武力や、カリスマ性ではないのかもしれないと思うようになったんですよ」
「………」
「国を纏めるには、他人のことを思いやる気持ちと、無欲さが大切なのかもしれない。もちろんそれだけでは足りないけれど、足りないものは側にいる者が補えるものばかりだ。他人が補えないものを持つ人間が、人の上に立ち、国を治めるのが一番いいことなのかもしれない」
シーナにはそれがあると、ウェズは言うのか。
足りないものをウェズが補うというのか。
「シーナのために、考えておいていただけないだろうか」
「……わかった」
ウェズは深々と頭を下げると、屋敷へと戻っていった。
今、ウェズに言われたことはずっとハンフリーが考えていたことでもあった。自分とは違い、シーナにはまだまだ多くの可能性があって、それを正しく選ばせることが自分にできるのだとしたら、そうすべきなのではないか、と。
例えシーナと離れることになったとしても。
「ハンフリー」
ウェズと入れ違いでシーナがやってきた。ウェズと擦れ違ったのだろう、どうにも腑に落ちないような表情でハンフリーのそばへと近づいてくる。
「おはよー。何だよ、ウェズと二人で何話してたんだよ?」
「いや、何でもない」
何事も無いように答えたハンフリーだが、シーナは何かを感じたのか、じーっと見つめてくる。けれど何も言わずににっこりと笑うと、するりとハンフリーの腕を取った。
「朝ごはん一緒に食べよう。お腹空いた」
「ああ」

(この手を離せるだろうか)

ハンフリーは久しぶりのシーナの温もりに、ふとそんなことを思った。





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