マーヴェラス3 朝食のためにやってきた食堂にはレパントの姿はなかった。 「昨日遅くまで飲んでいたから、お昼までは起きてこられないんじゃないかしら」 しょうがないわねぇ、とアイリーンが笑う。仮にも国を治める者がそんなことでいいのか、と思うものの、そういうところがレパントらしいといえばそうかもしれない。旧友と一緒に飲むことなど滅多にないことなので、アイリーンも仕方がないと思っているのだろう。 シーナにしてみれば、二人で穏やかな朝食がとれるのでむしろ嬉しいくらいである。ハンフリーと二人きりで食事をするなんていったいいつ以来だろうか。 しかしさすがのハンフリーも同じように飲んでいたせいか、どうも朝食を食べる気にはなれないようで、コーヒーだけでいいと言って少しばかりアイリーンをがっかりさせた。 「ハンフリー、今日は何か用はあるの?」 もりもりと朝食を食べるシーナが、ふと思い出したように顔を上げた。 「いや、ここでは誰に用があるわけでもない。しばらくゆっくりさせてもらうつもりだが」 「うん、しばらくと言わず、ずっといてもいいよ?」 「………」 「って、まぁそういうわけにもいかないか」 ハンフリーの困った顔を見るのが嫌で、すぐにわざと冗談めかして笑った。シーナの我侭なら何でも聞いてくれるハンフリーだが、かといってすべて言いなりというわけではない。どんな時にハンフリーが困った顔をするか、シーナにはすぐに分かるのだ。 どんな困難な状況であっても動じないくせに、シーナの願いをきけない時、彼はひどく困った顔をする。 自分のせいでハンフリーが困った顔をするのは、シーナにとっても辛いことだった。だからこれ以上この話を続けることはできなかった。 少しばかり気まずくなった雰囲気をがらりと変えるように、シーナが明るく言った。 「じゃあさ、今日暇なら一緒に街の様子を見に行こう。ハンフリーが旅に出てからもずいぶん変わったしさ。ほら、今俺が担当してる診療所も、この前出来たばかりだから見てほしいし」 「わかった」 「ところで、さっき、ウェズと何話してたの?」 「ただの世間話だ」 やはり気になってずばりと聞いてみたが、ハンフリーは表情ひとつ変えずに即答した。嘘っぽいな、とシーナは思ったが、ハンフリーは言わないと決めたら絶対に口を割るような男ではないし、これ以上聞いても無駄だろうとさっさと諦めた。 時間をかけて食事を終わらせると、ハンフリーとシーナは揃って屋敷を出た。 シーナが今仕事で取り組んでいる診療所は街の中に三箇所あった。一般の診療所が一箇所、あとの二つはそれぞれ子供と老人を専門にしている。レパントはもともとは一つだった診療所をさらに大きくして充実させようとしたのだが、シーナがどうせなら小さくてもいいから分けた方がいいんじゃないかと提案し、それは予想以上の効果を上げた。それがきっかけで、シーナは街の診療所関係の仕事をすべて任されるようになったという。 「たいしたものだ」 「いや、そんな立派なもんじゃなくてさー。実はホウアン先生から前にそんな話を聞いたことがあってさ。ほら、やっぱり子供と老人だと、かかる病気も違うだろうし、専門の先生ってのを連れてきた方が効率がいいんじゃないかと思ったんだよね。ありとあらゆる人たちの病気をすべて治せる先生なんてなかなかいないだろ?でも子供のことならお任せ、とかジィさんのことならお任せとか、そういう分け方した方がもっといい先生が出てくるんじゃないか、って話してたんだ。それを思い出してさ」 「そうか」 ハンフリーは何か眩しいものでも見るように目を細めた。その表情に、シーナは慌てて早口で言った。 「別に好きでやってるわけじゃないけどさ、でもまぁ、病気の人たちが元気になるのを見るのは嬉しいことだし。実際に病気を治すのは俺じゃないけど、施設とか充実させることで役に立てるならそれはそれでいいのかーって」 わざと言い訳じみたことを口にするのはシーナらしい照れ隠しだ。素直に誉められたことを喜べばいいのに、とハンフリーは苦笑した。 道行く人が皆シーナを見ると、にっこりと笑って頭を下げる。この辺りでシーナのことを知らない人間はいない。大統領の息子だからといって偉そうにするわけでもなく、誰にでも気安く声をかけるシーナのことを皆快く思っていた。いつもならシーナに声をかける人間も多いのだが、今日は隣にいる見慣れぬ大男のせいか、声をかける者はいなかった。 「どうせなら腕でも組んで歩こうか」 シーナが下から覗き込むようにして言うと、ハンフリーは眉を顰めた。 「馬鹿なことを」 「馬鹿なことしたい気分だしー」 そう言ってシーナはするりとハンフリーの腕に自分の腕をからませた。 「シーナ」 「いいじゃん。俺は誰に見られたって平気だし」 「………」 「まぁまぁそんな恐い顔すんなって。ほら、また皺が深くなっちゃうぜ」 ハンフリーの眉間の皺を指差して、シーナがからりと笑う。 誰が深くしてるんだ、とつぶやくと、シーナはさらにおかしそうに笑った。 「あ、あそこあそこ。一番新しくできた診療所。行こう」 ぱたぱたと走り出すシーナに手を引かれて、ハンフリーはまだ出来て間もない感のする診療所の戸をくぐった。 中はさほどの広さはなく、けれど清潔で、さりげなく飾られた花にほっとした。どの街にでもある診療所だった。けれど一つ違うのは、待合所にいるのが老人ばかりだということだ。ここがシーナの言っていた老人専門の診療所なのだろう。大勢の老人がベンチに腰をかけて自分の順番を待っていた。そしてシーナが中に入ると、彼らは一様に顔を綻ばせた。 「おお、シーナ、今日はずいぶんと遅かったじゃないか」 「まったく、また寝坊したんじゃろ」 「ちゃんと仕事をして、レパント殿に迷惑をかけないようにしなくてはな」 「あのなー!顔見るたんびに同じことばっかり言ってよ、ジィさんたちもうボケたんじゃないのかー?」 シーナが舌打ちすると、彼らは声を上げて笑った。 ここでもシーナはずいぶんと愛されているようで、ちょうど自分たちの孫でも可愛がるかのように、彼らはシーナのことをからかい楽しそうに笑った。 「おや、そちらの方は?初めて見る顔じゃな」 「あー、ハンフリーっていって、俺のこ……」 言いかけたシーナの腕をぐいと引き、ハンフリーが先にレパントの古い友人だと告げた。レパントの友人だと知ると、皆安心したようにそうかそうかとうなづいた。 「ハンフリーって意外と世間体を気にするタイプだったんだ」 「言わなくてもいいこともある」 シーナが不満たらたらで小声で言うと、ハンフリーは当然だろうというように答えた。 「見せびらかしたかったのになー」 「………」 その時、診察室の扉が開き、中からひょっこりと白衣を着た男が顔を覗かせた。 「うるさいと思ったらやっぱりお前か、シーナ」 無造作に伸びた髪をかきながら待合所へと出てきた男は、待っていた老人の一人に診察室に入るように告げた。どうやらこの診療所の医師のようだった。40代くらいだろうか。大柄で飄々とした風貌は、ハンフリーをどこか懐かしい気持ちにさせた。 医師はシーナを見るとやれやれと軽く肩をすくめた。 「まったく、お前はいつも元気だな。ちょっとは真面目に働けよ」 「何言ってんだよ、こうして明るくして病人の心を癒してやってんだろ」 「そうかそうか、だが、どうせ癒してくれるなら若いお姉ちゃんの方がいいな。どうだ、国の予算で一人看護婦を入れてくれないか。ここのところ忙しくて今の人数じゃ追いつかない」 そう言った医師はシーナの後ろに立つハンフリーに目をとめると軽く会釈をした。 「誰だ。新しいお目付け役か?」 「違う。ハンフリーっていって……親父の古い友人。俺の友人でもあるんだけど」 嘘ではないが、すべて話しているわけでもない紹介をした。何となく納得できない気もしたが、ハンフリーがそれを望むなら仕方がない。 「ほぉ、ずいぶんと歳の離れた友人だなぁ。まぁお前にはそれくらいのほうがいいのかもしれないがな、ああ、私はこの診療所の医師をしているアンディだ。よろしく」 「こちらこそ」 軽く握手を交わし、ハンフリーはぐるりと辺りを見渡した。 「シーナはここでどんな仕事を?」 「シーナはここでは仕事らしいことはしてないなぁ。ここは医者の働くところで、こいつがしなくちゃならないのは、俺たちがちゃんと働けるように環境を整えてくれることだからな。公的な診療所なんて、どこでも融通がきかなくて医者の言うことなんて聞かないもんだと相場は決まってるが、シーナは俺たちの意見もよく聞いてくれるし、助かってるよ」 「よく言うよ、ほとんど脅迫じゃねぇか、いつもあれがないだのここが悪いだの、何でもかんでも俺に言いつけてさー、言っとくけど補助額だって限りがあるんだからな!」 「そこを何とかするのがお前の仕事だろうが」 アンディはぺちんとシーナの額を叩いた。 「とにかく、さっき言った人員の件はちゃんと検討してくれ。入院治療ができる施設にしてくれたのはありがたいが、そうするとどうしても夜間に勤務してくれる人間が必要になる。病気ってのはな、薬だけあれば治るってもんじゃないんだ」 「うん」 「ちゃんとした志を持った人間が必要だ。病人のことを思って、親身になって世話をしてくれる人間がな」 「分かってるって。けど、なかなかそういう人を探すのがさー」 「言い訳はいいから、さっさと探せ、いいな」 「わかったよ」 「ああ、そうだ。病室の方も覗いていけ。ハクトのじいさんがお前のこと待ってたぞ」 アンディはじゃあまたな、と言って診察室へ戻っていった。 「二階が病室になってるんだ。入れる人数はちょっとだけなんだけど。ハクトのじぃさんは心臓が悪いとかで入院してたんだけど、もうすぐ退院できるらしくてさ」 階段を上がり、真正面の扉を開ける。左右に二人づつ。小さなベッドに横たわっていた患者たちはシーナが中に入ると一様に笑顔を見せた。 「お、やっと来たな、シーナ。三日ぶりじゃないか」 片手を上げた老人に、シーナはつかつかと歩み寄り、ベッド脇の椅子に腰かける。 「じぃさん、もう退院なんだって、良かったなぁ」 「おお、おかげさんでな」 「あんまり無茶して酒ばっか飲んでんじゃないぞ、もう若くないんだから」 「何じゃと!」 シーナはけらけらと笑い、ハクトの肩をぽんと叩いた。 「とにかく良かったよ。元気になってさ」 「……まだまだくたばるわけにはいかんからの」 そう言ってハクトは嬉しそうに笑った。和やかな雰囲気で老人たちと話をするシーナを見て、ハンフリーはかすかに笑った。 「あのじぃさんは、一人暮らしでさ、たまたま通りかかった裏道で、苦しんでるのを見つけてここに運んだんだ」 次の診療所へ行く道すがら、シーナはハクトとの出会いを話した。金がないというハクトを無理矢理入院させ、あれやこれやとシーナが面倒を見てきた。治療を受ける費用の無い人のために、援助金が必要だと父親に予算編成を見直すようにも助言した。 「それからかなぁ、いろいろ考えて仕事するのが楽しくなったのはさ。何がきっかけになるか分からないもんだよなぁ」 「……」 「それにあのアンディって先生も、かな。あの先生、口は悪いけど腕はいいんだよなー」 シーナがうーんと唸る。 「実はなかなかいいお医者さんがいなくて、あちこち探したんだ。そしたらホウアン先生がいい医者がいるって教えてくれてさ。さっそく会いに言って、うちに来てくれって言ったらさー、国に雇われて病人を診るのは嫌だとか言いやがって。けっこういい給料出すって言ったのにさ。でも、そんなつまんない理由で、ジィさんたちが死んでいくのを黙って見てるのか、って言ってやったら、しばらく難しい顔してたけど、来てくれることになって」 「………」 「あんな性格だから、言いたい放題だしさー。でもあっけらかんとしてるからすぐにみんなからも信頼されて」 「そうだな」 「あのさ、アンディ見てると誰か思い出さない?」 「……ビクトールだろう」 ハンフリーが言うと、シーナはそうそう、と大笑いした。 「そうなんだって!あのでっかい図体とかさー、喋り方とかさー、何かあの熊を思い出すんだよなー。やっぱりハンフリーもそう思った?」 「ああ。雰囲気が似てるな」 「ビクトールって今どこで何してんのかなー」 「しばらく前に会ったぞ」 「ええっ!」 シーナはびっくりして目を見開いた。 「どこでさ?どこで会ったんだよ?」 「ちょっとした争いごとの仲裁を頼まれてな。その時同じように雇われた傭兵の中にあの男がいた」 相変わらず元気にしていたぞ、と言うと、シーナは昔のことを思い出した。初めて出会ったのは解放戦争の時。そのあとのハイランドとの戦いでも仲間として共に戦った。 ビクトールはいつでもあけっぴろげで、豪快で、優しくて、誰からも好かれていた。 懐かしい。今はもう遠い思い出の中の人でしかないけれど。 「そういう偶然てあるんだなー。えーじゃあフリックもいたんだ?」 「……いやフリックはいなかったな」 「何でだろ。あの二人ってイイ仲なんじゃなかったのか??え、もしかしてフリックって死んじゃったんじゃ……」 「まさか」 突拍子も無いシーナの想像に、思わずハンフリーは吹き出した。 そうだよなーとほっとしたようにシーナも笑う。何となく、あの二人はしぶとく生きぬくような気がしてならない。悪運強し、というか運の無いフリックだが、ビクトールがいる限り、早々簡単には死んだりはしないだろう。 「でもビクトールも元気でやってんだ。良かったよ、昔の仲間の噂ってさ、時々耳には入ってくるんだけど、あの傭兵連中は一箇所に留まってないからぜんぜん行方もわからないしさー」 「そうだな」 「………ハンフリーもそうだけど」 一度出ていくと、どこで何をしているかは分からなくなる。元気でいるのかも分からない。いつもいつも、仕事をしていても遊んでいても、心のどこかで気になっているのだ。そしてたまらなくなる。会いたくてどうしようもなくなって、そんな時は、どこにいるかも分からないハンフリーのことを探しに行きたくなるのだ。 「ハンフリーさ、またどっか行っちゃうんだろ?」 つと立ち止まり、シーナがぽつりと言った。静かな声にハンフリーも立ち止まる。 「俺のこと思い出して、こうして会いに来てくれるけど、でもまたどっか行っちゃうんだよな。それで、どこか知らない土地で危ないことやるんだよな。俺がどんなに心配してるかも知らないでさ」 「………」 「二年でも三年でも、ハンフリーは平気なんだよな。俺に会えなくたって、一人だって、本当はぜんぜん平気なんだよな。ただ俺が淋しいって言う、こうして会いにきてくれるだけなんだろ?」 久しぶりに聞くシーナの拗ねた物言いに、ハンフリーは知らずと笑みを浮かべた。 「笑うなって!俺はこう見えてもけっこう怒ってんだからなっ!ほんとはあんたが帰ってきたら文句いっぱい言ってやろうと思ってたんだぜ!!」 「言えばいいだろう。どうして言わなかった?」 聞き分けのいいシーナなんてシーナらしくない。他の誰でもない、ハンフリーにだけはどんな我侭でも言ってもいいのだ。その権利が彼にはある。 「俺がほんとに思ってることを言ったら、あんたはきっとまた困った顔をするよ」 「そうか?」 「たぶんね」 シーナは小さく笑うと口を閉ざした。 「シーナ」 「うん?」 「なぜ黙る?」 ハンフリーは先を促すようにシーナを見た。 「言いたいことがあるんじゃないのか?」 その言葉に、シーナはひとつ息をついてそして言った。 「ハンフリー、俺のことちゃんと好きでいてくれてる?」 「もちろんだ」 「離れてても、忘れたりしていない?」 「当たり前だろう」 「………うん、ならいいや」 シーナはにっこりと笑った。 「それならいいよ。あんたが俺のこと忘れずにいてくれて、ずっと好きでいてくれるなら、それでいいよ。こうしてたまに会って、そしたらうんと甘えてもあんたは怒らないし、めちゃくちゃ我侭言って……それで……」 「シーナ」 「それで、俺は……」 いったい何を言おうとしているのだろうか、とシーナは熱くなった目元をぐいと押さえた。本当はそばにいて欲しいのだ。いい歳して、淋しいだなんて、まったくみっともない。でもそう思ってしまうのだからしょうがない。 今度帰ってきたら絶対に一緒に旅に出ようと思っていた。でもそう言って、拒まれることは分かっていたから言えなかった。でも、言わなければきっとハンフリーはずっと気づいてくれないのだ。いや、気づいていても気づかないふりをするだろう。 だから言うことにした。思い切って。 「俺はハンフリーと一緒にいたい」 「……」 「俺は、あんたと一緒にいたい。あんたがここにいられないっていうなら、俺が出ていくから。あんたと一緒に旅に出るから。あの頃よりもずっと剣の腕だって上がった。あんたの足手まといにはならないよ。だから……だから一緒に連れてってくれよ」 「………」 「もう離れてるのは嫌だ」 真っ直ぐにハンフリーを見つめるシーナの瞳には何の曇りもなかった。何の迷いもない潔い言葉に、ハンフリーはあっさりとわかったとうなづいた。 「では一緒に行こう」 「………え?」 「お前が飽きるまで一緒にいよう」 「……本気?」 「ああ」 ハンフリーは微かに笑った。 2年の間、淋しかったのはシーナだけではないのだ。いい歳をしてみっともないと思いながらも、シーナのことを考えない日はなかった。嘘ではなく、会いたいと思わない日はなかった。 けれど、簡単にシーナのことを連れていくことはできなかった。自分と一緒にいることが本当にシーナのためになるか分からなかったし、レパントのことも考えてしまうからだ。 レパントがシーナに自分のあとを継いで欲しいと思っていることはよく分かっていた。 だから簡単にシーナを連れ出すことは躊躇われた。 後先考えずに何かをするほど若くはないと、そう思った。 それでも、すべての事情に優先順位をつけると、やはり一緒にいたいという気持ちが何よりも強く残った。だから帰ってきた。シーナを連れていくために。 けれど、今朝ウェズに先に釘をさされ、その決意は少しばかり揺らいだ。 シーナがこれほどまでに必要とされていることを知り、自分だけの都合でシーナを連れていくことはやはり無理なことかもしれないと思ったのだ。 今さっきも診療所でのシーナと老人たち、そしてアンディとのやり取りを見ていると、ウェズの言う通り、シーナが仕事を続けて、いずれレパントのあとを継ぐことが一番いいことなのかもしれないと思った。 けれど、そんな迷っていたハンフリーの思いを、半ば固まりかけていた決意を、シーナはたった一言で変えてしまった。 俺はハンフリーと一緒にいたい、と。そんな単純な言葉が胸を震わせた。 真摯に、一途な思いをぶつけてくるシーナを相手に、自分の気持ちを偽ることはできないと思った。たとえレパントに恨まれようと、ウェズに恨まれようと。 自分はこんなにもシーナなことを必要としていたのかと呆れてしまうほどだ。 「やっぱりだめだ、なんて言わせないからな」 黙り込むハンフリーを訝しんだシーナが、念を押す。 「親父やウェズが何を言っても、ちゃんと俺のこと連れてってくれるよな?」 「だがお前、仕事はどうする?」 「大丈夫。さっきも見ただろ?診療所は、そりゃまだ完全とは言えないかもしれないけど、軌道には乗ったし、あとはウェズがちゃんとやってくれるさ。俺は十分働いたと思うけど?」 「………」 「連れてくって言ったんだからな、もう何も考えなくていいって。何を言われても、俺はあんたと一緒に行くって決めたんだからな」 いたずらっぽい瞳で、どこか得意気に宣言するシーナに、ハンフリーは小さく笑った。 「………昔のままだな。自分が決めたら周りのことなんて見えなくなる。悪い癖だ」 その言葉に、シーナは少しばかり驚いたように目を見開いた。そしてすぐに明るく笑って言った。 「そうだよ。俺はあの頃と何も変わってないよ。いくつになっても我侭で甘ったれで、あんたがいないと幸せになれない放蕩息子だよ。何だよ、まだ知らなかったの?しょうがねぇなぁ」 だからもうそろそろ諦めた方がいい。きっと何年たっても、俺はこのままだから、とシーナは嬉しそうに笑う。 そうか、と言ってハンフリーはくしゃりとシーナの髪を撫でた。昔から変わらないハンフリーの癖。シーナはぺたりとハンフリーの肩に頭を乗せた。 このまま何年たってもきっと変わらないでいられる。ハンフリーのことをずっと好きでいられる。それがとても嬉しい。好きな人が自分のことを好きでいてくれて、一緒にいようと言ってくれるのがとても嬉しい。 こんなに幸せなことは他にはない。他の誰かではだめなのだ。 「あとはウェズに何て言うかだなぁ、ま、何を言われても出ていくのは変わらないけどな」 ハンフリーの腕の中で、シーナがつぶやく。 ウェズがどれほどシーナのことを考えてくれているか、それはシーナもよく分かっている。だから、少しだけ、ほんの少しだけ心は痛むのだが、それでも気持ちは変わらない。 「ハンフリーも一緒に怒られてくれよな」 「………仕方がないな」 今回ばかりは甘んじて受けるしかないだろう、とハンフリーも思った。それくらいで許されるならばと。 しかし事はそう簡単には運ばなかった。 NEXT ![]() |