マーヴェラス4


街のあちこちと見て回り、シーナが今一番気に入っているという店で食事をして、その日は少し早めに屋敷へと戻った。レパントの側近たちは仕事が終わると各々自宅へと戻っていく。ほんの僅かばかりの使用人たちがシーナたちを出迎えてくれた。
「なぁ、ウェズってまだいる?」
たぶんいるだろうと思いながら尋ねると、まだ歳若いメイドの一人がうなづいた。
「まだお二階にいらっしゃいますよ。それから、レパント様が、ハンフリー様が戻られたら晩酌に付き合っていただきたいと」
「またかよっ!ったくあの親父は何考えてんだ。行かなくていいからな、ハンフリー」
昨日の今日でよくもまぁ飲む気になるものだ。それだけレパントがハンフリーのことを気にいってるということなのだろうが、それにしても限度がある。
「シーナ、今からウェズに会うつもりか?」
ずんずんと階段を上がろうとしてたシーナをハンフリーが引き止めた。
「そうだよ。こういうことは早く言っておいた方がいいだろ?」
「………」
「何だよ、何かまずいことでもあんの?」
「いや」
確かに話すなら早い方がいいのかもしれない。しかし、思い立ったら吉日のシーナとは違い、どちらかというとじっくりと考えてから行動することが多いハンフリーは、その行動力にはついていけない。とはいうものの、上手い言葉でシーナを止めることもできず、ハンフリーはシーナのあとをついて、段を上がり、まだウェズが仕事をしているという部屋へ向かうことになった。
「ウェズ、入るよ」
一声かけて扉を開けると、正面に座るウェズが顔を上げた。傍らには書類が高く積まれている。どうやら今日は二日酔いで使い物にならなかったレパントの分も含まれているようである。気の毒なことである。
「どうした、仕事の手伝いでもしてくれるのか?」
「ご冗談を。あのさ、ウェズ、俺、やっぱりハンフリーと一緒に行くことにしたから」
まるでちょっとそこまで買物にでもいくかのように、シーナはさらりと告げた。一瞬、ウェズも何のことか分からなかったようだが、すぐに後ろに立つハンフリーを見た。
ウェズが何を言いたいのか分かったが、ハンフリーは何を言うこともできない。
やれやれというように溜息をついたウェズがシーナを手招く。
「シーナ、ちょっとここへ座れ」
「何だよ」
ウェズに言われるがままに、渋々とシーナは目の前にある椅子に腰を下ろした。
「……どうせお前のことだ、何も考えずに決めたんだろう。久しぶりに会った彼と一緒にいたいからというだけで」
「それのどこが悪いんだよ。一緒にいたいから行くんだ。当たり前だろ」
シーナが肩をすくめる。ウェズは渋い表情のまま、椅子の背にもたれた。
「26にもなって、たったそれだけの理由で国を出て行くのか?今まで手がけていた仕事を捨てて?まだやりかけていることだってあるだろう」
「………」
「一緒に行ってどうするんだ?ただ一緒にいるだけか?それだけで満足か?自分がやりたいことはないのか?自分のために、この国の人のためにするべきことがあるだろう」
シーナに問いかけるウェズの口調は決して怒っているものではなく、どこまでも静かで、まるで父親が子供に言い聞かせるような感じさえした。
じっとウェズの言葉に耳を傾けていたシーナは、もっともだというようにうなづいて、真っ直ぐにウェズを見据えて言った。
「うん、ウェズの言うことはよく分かる。そりゃもう26だしさ、いつまでもふらふらしてちゃだめなんだろうけど、だけどさ、俺、やっぱりハンフリーのことが好きなんだよな。離れてるともっと好きになる。忘れることも嫌いになることもできない。不思議だよなぁ。自分でも驚いてる」
以前のシーナなら、「うるさい」の一言でその場を立ち去っただろう。子供っぽい癇癪で自分のやりたいことを押し通していた19歳のシーナと、ここにいる26歳のシーナはまるで別人だった。きちんと自分の気持ちを説明するシーナに手助けの必要などないようだと、ハンフリーは黙って成り行きを見守ることにした。
「仕事は別に嫌いじゃないよ。やる前は面倒だなーって思ってたけど、実際やってみると楽しかったし。俺なりに真面目にやってきたつもりだし、やりがいもあった。だけどやっぱりハンフリーといたい。ハンフリーがここにはいられないっていうんだから仕方がない。ウェズにしてみれば、馬鹿げたことだと思うだろうけど、でもさ、俺にとってはとても大事なことなんだよ。すごく大事なことなんだ。だから、俺は行くよ」
「………」
「ごめん。でも譲れない」
きっぱりと言い切ったシーナに、ウェズはしばらく無言のままだったが、やがて小さく息を吐いた。
「どうせ一度言い出したら聞かないお前のことだ。何を言っても気持ちを変えることはできないだろう。行きたいのなら行けばいい」
どこか疲れたような口調に、ハンフリーは胸が痛んだ。自分がウェズの立場なら、やはり馬鹿なことだと言うだろう。
「親父にはちゃんと話すから」
「そうした方がいい。いつまでも黙っているわけにもいかないだろうからな」
シーナは立ち上がるとハンフリーを促した。ハンフリーがウェズに視線を向けると、ウェズは微かに笑った。それは、こうなることは分かっていたというようにも見えたし、今までの苦労をすべて水の泡にしてしまったハンフリーに対して呆れているようにも見えた。
ハンフリーは少し頭を下げると、シーナと共に部屋を出た。
「もっと怒られるかと思ったな」
シーナはハンフリーの部屋に戻るとベッドに腰掛け、腕を組んで考え込んだ。日頃からレパント以上にシーナの教育には熱心だっただけに、すべてを捨てていくなどと言えば、ウェズは当然怒るだろうと思ったのだ。けれど、意外にもあっさりとウェズはそれを受け入れた。諦めたのか、それとも元からシーナには何も期待していなかったのか。
どちらにしろあっさりと許してもらえたことはありがたかった。
「ハンフリー、ウェズに言われたんだろ。俺のことを連れていくな、って」
窓際の椅子に深く沈みこんでいたハンフリーは無言のままだった。けれどほんの僅か動いた表情に、シーナは自分の考えが当たっていたことを知った。
「やっぱりそうか」
「何故分かった?」
「ウェズが言いそうなことだしなぁ。で、あんたは何て言ったんだよ」
「……」
「まさか『わかった』なんて言ったわけじゃないだろうな」
「……それは俺が決めることではない。決めるのはあくまでシーナだと言った」
シーナはえーっと声を上げると、勢いをつけて立ち上がり、そのままハンフリーの元へとやってきた。
「まぁその通りだけどさ、でももうちょっと何か言い方はないの?例えば、『俺はシーナのことが好きだから絶対に連れていく』とかさ。あとで俺が聞いて喜ぶような答えをしてくれたっていいじゃないか」
シーナの言葉にハンフリーは吹き出した。
「何だよっ!おかしくないってば。そういうのって親しき中にも礼儀ありってヤツだぜ」
「そうか?少し違うような気もするがな」
「何だっていいんだよ。要は俺が喜ぶかどうかが問題なんだって」
そう言って、シーナはハンフリーの膝の上に座った。両腕をハンフリーの肩に置き、同意を求めるようににっこりと笑う。細く吐息をついて、ハンフリーがシーナの手を解く。
「……26歳にもなって」
「うん?」
「昔のままだったり、まったく違っていたり。お前のことなら何でも知っているつもりでいたが、会うたびにそうじゃないと思いしらされる」
「………」
「……お前は、まだまだこれから変わっていくんだろうな」
「育ち盛りだしなぁ、俺」
「シーナ」
冗談めかすシーナの細い顎先に触れ、ハンフリーは静かに言った。
「本当に後悔しないか?」
「………」
「俺と一緒にいることで、後悔はしないか?」
シーナにはまだまだ選べる未来がある。自分のような歳の離れた男を選ばなくとも、もっと違う未来をいくらでも選べるのだ。26歳にもなって、自分が突き放さなければシーナは分からないのだろうか。自分自身にどんな可能性があるかということに。
「後悔なんてしないよ」
そんなハンフリーの思いなど、一言で切り捨てる。
「後悔なんてしない。絶対にしない。なぁ、俺はあんたのことがすごく好きで、一緒にいたいと思ってンだぜ。それなのに何を後悔することがあるのかなぁ?心配しなくても、あんたがジィさんになって、今よりもっと頑固で偏屈になっても、俺はあんたのそばにいるよ。馬鹿だなぁ、俺が飽きたらどっか行っちゃうとでも思ってンのかよ。ちょっと会わない間に、疑り深くなっちゃったんじゃないの?」
「………」
「大丈夫、心配しなくても、いざとなったら俺があんたを食わせてやるからさ」
突拍子もない言葉に、誰がそんな心配をしているんだ、とハンフリーがシーナの頬をつねる。あははと声を上げて笑い、シーナは圧し掛かるようにしてハンフリーに抱きついた。大きな腕の中で安心したように鼻を鳴らす。
「もううだうだ悩むのはやめようぜ。大丈夫、全部上手くいくからさ」
シーナはよっこらしょっとハンフリーの膝から降りると、その手を取った。
「なぁ、こんなにあんたのことを好きな俺のこと、うんと愛してくれるだろ?」
子供みたいな笑顔を見せて、シーナがハンフリーのことを誘った。



昨夜は結局レパントに邪魔されて何もできなかった。本当はすぐにでもしたかったのに。そこで我慢ができるようになっただけでも大人になった証拠だよなー、とシーナがベッドの上で一人うなづいた。
「久しぶりだから緊張する。ほら見て。指先が震えてるだろ?」
ベッドに横になり、中途半端にシャツを乱したシーナがハンフリーの目の前で手をかざす。確かにその指先は小さく震えていた。ハンフリーがそっとその手を掴む。
「おかしなヤツだな。今までさんざんしてきたのに何を緊張することがある」
「そりゃそうだけど、でも2年ぶりだから。上手くできなかったらどうしよう」
本気で心配するシーナに、ハンフリーは薄く笑った。
「心配するな。そんなことは考えなくていい」
耳元で囁かれ、シーナはくすぐったそうに身を捩った。
緊張している、と言ったのは嘘ではなく、ハンフリーの手が肌に触れるたび、シーナは小さく身をすくめた。何度も口づけを交わすうちに、やっとほっとしたように身体の力を抜いた。
ハンフリーの匂いに眩暈がしそうな気がして、夢中でしがみついた。こうして触れ合っていると、どうしてこんなにも長い間我慢していられたのだろうと不思議になる。無骨な指先が身体の線を辿り、やがて下肢に伸びると、何度も繰り返した行為なのに、やはり羞恥で顔が熱くなった。シーナは片手で顔を隠すと、声を殺してハンフリーが与えてくれる刺激に集中した。指で何度も形をなぞられ、たったそれだけで簡単に落ちてしまいそうになり、必死に堪えた。
「シーナ」
「やだ」
まだ嫌だと言いながら、シーナはハンフリーに口づけをねだった。深く舌を絡められて背筋が震えた。
簡単に終わらせたくなかった。できることならずっとこうしていたかった。けれどゆっくりと時間をかけて愛されて、シーナは大きく息を吐き出してハンフリーの手の中に熱を吐き出した。
「……やだって言ったのに」
「おかしなヤツだな」
ハンフリーが低く笑って眦を伝うシーナの涙を唇で拭う。
「だって……おかしくなりそう……、気持ちよくて……」
単に行為のことだけでなく、好きな相手とこうして触れ合うことは、何て心地良くて幸せなことだろう。素直にそう口にしたシーナに、ハンフリーは目を細めた。こうしてシーナを眼下にしていると、自分もまたこんな温もりに餓えていたのだと思い知らされる。
いい歳をしてみっともないと自嘲しながらも、溢れる欲望を押さえることができなかった。
「シーナ」
乱暴に身体を開いて圧し掛かると、シーナは何も言わずにぎゅっとハンフリーのことを抱き締めた。
「……っ」
ハンフリーの指先が奥を探ると、長く忘れていた感覚に息が詰まった。痛みに眉を顰めながらも、やがてそれを上回る快楽が訪れることを知っている。長く離れていても覚えている。もう何度もこうして触れ合った。
「辛いか?」
「当たり前だろ……っ…んぅ……そこやだ…っ」
シーナがゆるゆると首を振る。
「ここか?」
「ば…っか……あ…っ…やだって……」
自分ばかりが乱されている気がして、シーナは片手でハンフリーの首筋を引き寄せ、空いた片手で彼の下肢に手を伸ばした。熱い滾りに触れたシーナの手首をハンフリーが掴む。
「何だよっ!……俺にもさせろよっ」
「何もしなくていい」
そう言ってハンフリーは時間をかけてシーナの身体を溶かしていった。痛みなど感じないほどに柔らかく開かされ、シーナは我慢する努力を放棄して甘い声でハンフリーの名を呼んだ。
身の奥を穿たれ、ゆるく突き上げられるたびにほろほろと涙が零れた。意識が薄れる寸前、ハンフリーが何かを言ったような気がして目を開けた。
「な、に……?」
尋ねても答えは返らなかった。けれど、とても嬉しい言葉を言われたのだということだけは分かった。同じ快楽を分け合い、大きく息を吐き出す。圧し掛かる男の重みが嬉しかった。
飽きることなく何度も抱き合って、シーナは「もう降参」と白旗を揚げた。
「あんた、いきなり2年分取り戻そうと思ってるんじゃない?」
「そんなつもりはない」
「嘘つけ」
くすくすと笑ってシーナはくしゃくしゃになったシーツの上で大きく伸びをした。思う存分睦みあって、身体も気持ちも満たされていた。ハンフリーの隣で腹ばいになり、脚をばたつかせる。
「不思議だなぁ」
「うん?」
「あんたと初めて会ったときはさ、まさかこんなコトをする関係になろうとは夢にも思わなかったもんな」
「お互いさまだ」
「はは、そうだよなー。だって、あんた俺のことなんて全然意識してなかったもんな」
まだ16だった。ハンフリーはとっくにいい大人で、そんな年下の子供にはまったくといっていいほど興味はなかったはずだ。それなのに、気がつくと恋人同士になって、周りに呆れられた。
「ハンフリーはどうして俺のこと好きになったの?」
ストレートに聞かれて、ハンフリーは苦笑した。もう付き合いは10年になろうかというのに、そういえばそんな話はしたことがなかったな、と思う。
「何故と言われてもな……お前があんまりしつこく付きまとってきたからな…」
「えーっ!そりゃまぁそうだけど。いや、そうじゃなくてさ!」
不満げなシーナにハンフリーは低く笑い、そしてしばらく考えたあとにぽつりと言った。
「お前といると飽きない」
「……」
「いつも思いもしないことをしでかしてくれるからな。……それまで自分が当たり前だと思っていた世界が、お前と一緒にいるようになって180度変わった。生きていくには辛いことが多い時代だったが、お前の楽しそうな様子をみてると肩の力が抜けた。いろいろと驚かされることも多かったが、だが一緒にいると楽しかった」
「……そっか」
そんな風にハンフリーが自分のことを見ていたなんて考えたことのなかったシーナである。何となくくすぐったいような、それでも嬉しい気持ちになる。
「お前こそ、どうして俺に興味を持った?」
それは長い間ハンフリーの中では答えの出ない疑問だったのだ。どう考えてもシーナが自分のことを好きだという理由が分からない。
「えー、何でかなー。ハンフリーてばいつも恐い顔して、何考えてるか分からなくて。だから興味持ったのかなぁ。本当は優しくて、意外とお人よしで情に脆くて、子供が好きでさ。そんなの知ってるのは俺だけだろ?たぶん、10年前より俺はあんたのことが好きだよ」
昨日より今日、今日より明日、1年後も、5年後も10年後も、きっと変わらない気持ちでハンフリーのことを好きだろう。他のことならすぐに飽きてしまうのに、まったく不思議でならない。
こんな風に誰かのことを好きになるとは夢にも思わなかった。
今でも可愛い女の子は大好きだし、綺麗なお姉さんも大好きだ。
けれどハンフリーに対しての気持ちとは違う。ぜんぜん違うのだ。
「明日、親父にも言うからさ。ハンフリーと一緒に行くって」
「ああ」
「ウェズみたいに何も言わないでくれるといいんだけどなぁ」
「………」
レパントがどういう反応を見せるかハンフリーにも想像ができなかった。だが、ちゃんとした理由もなく出ていくシーナを許したりはしないだろう。ウェズの時は結局何も言わないままで終わってしまったが、レパントに対してはきちんとハンフリーが話をしなければならないと思っていた。それが自分がするべきことだということはよく分かっていた。
「なぁ、ハンフリーはさ……」
言いかけたシーナはふと口をつぐんだ。遠くから地を這うような鈍い震動がしたような気がして、片肘をついて身を起こした。ハンフリーも何かを感じたようで辺りの様子を窺うように視線をめぐらせた。
「なに……?」
シーナが言いかけた瞬間、ずんっと下から突き上げるような衝撃が襲い、すぐに大きく左右に身体が揺れた。
「うわ…っ」
まともに姿勢を保つことができないほどの大きな揺れに、シーナは思わずハンフリーの腕に掴まった。壁際の飾り棚が倒れ、大きな音を立ててガラスが割れる。飛び散る破片から庇うようにハンフリーがシーナの頭を抱え込んだ。
屋敷のあちこちから物が倒れる音が聞こえた。ぐらぐらとまるで嵐の中にいるように身体が揺さぶられ、座っていることもできないほどだった。
地震なのだと理解はできたが、これほどまでに大きなものは初めてで、いったいどうすればいいのか分からない。ただ身を小さくして、ハンフリーの腕の中で部屋中のものが床に叩きつけられていく様を見ているしかない。
どれくらい揺れが続いたのか。長いように感じたが、あとで聞くとほんの数十秒の間だったようである。それでも生まれて初めて経験する大地震に、まるで永遠に続くかのような恐怖を覚えた。やがて気味の悪い小さな揺れを残して、その地震はおさまった。
「おわった……?」
「ああ……」
そろりと顔を上げ、シーナは息を大きく吐き出した。改めて部屋の中を見て、その散乱ぶりに呆然とする。しかしほっとしたのも束の間、とたんに外の喧騒が耳に入ってきた。シーナは脱ぎ散らかしていたシャツに腕を通すと、ガラスの破片を踏まないようにして部屋の扉を開けた。
「みんな無事?」
慌しく行きかう使用人に声をかける。みな恐ろしさで青ざめてはいるものの、怪我はないようである。レパントやアイリーンの安否を確認しようと思ったシーナは、廊下の窓の外が明るくなったことにぎくりとした。慌てて大きく窓を開け放つ。目を凝らして、闇の中に浮かび上がった炎を見つめた。その赤い光は次第に街のあちこちに広がっていく。
「火事……?」
まだ夜は始まったばかりの時間である。どの店も火を使っていたのだろう。今の地震で火災が発生したのだ。
シーナはそのまま階下へと駆け下りた。
「ウェズ!」
レパントのそばに立つウェズが降りてきたシーナに気づき歩み寄る。どうやらまだ仕事をしていたようで、普段着のままの姿である。
「無事だったか、シーナ」
「俺は大丈夫、それより大変だよ、街のあちこちで火事が起きてる」
「何だと」
火事の言葉にレパントも反応した。屋敷の外へと出ると、夜空いっぱいに煙が立ち上がっているのが目に入った。次第に増えていく煙にレパントは低く唸った。
「早く消さないとどんどん広がる。俺、行ってくるよ」
「わかった。ウェズ、街の連中を避難させるように連絡を。シーナ、あまり無理をするんじゃないぞっ」
「わかってる」
そのまま飛び出していこうとするシーナの腕を、誰かが引き止めた。
「……っ」
振り返るとそこにはハンフリーが立っていた。
「お前、そんな格好で行くつもりか?」
言われて初めてまともに服を着ていないことに気づき、シーナは舌打ちした。ハンフリーは手にしていた服をシーナに手渡すと、ウェズに向かって言った。
「俺も手伝おう。どこへ避難させればいい?」
「緊急の場合の避難場所は街の北側にある広場だ。そのことは街の連中は知っている。怪我人がいる場合はここへ連れてきてくれ。医者はここに集まることになっている」
どうやら災害があった場合にどんな風に対応するかはちゃんと決められているらしい。てきぱきと指示を出すウェズに、ハンフリーはうなづいた。
「ハンフリー、行くよっ」
シーナが大声で叫ぶ。
ほんの短い間にも街は炎で異様な明るさを見せ始めていた。立ち昇る煙と、漂ってきた焦げ臭い匂いに、大きな被害が出そうな予感がしてハンフリーは表情を曇らせた。







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