初 恋 1 ばたばたと背後から追いかけてくる足音が聞こえてくる。どこでもいいから隠れるところ!だいたい何だってこんな風に逃げなくてはいけないのだろう。って、悪いのは俺なんだよな。あ〜あ、次からちょっかいだすなら、もっと大人の女にしよう。遊びは遊びと割り切ってくれるような、さ。 後悔先に立たず。つまらないことを考えながら、俺は息を切らして階段を駆け上がる。ちょうど目の前にあったドアを勢いよく開けて、中に飛び込んだ。 ほっと息をついて視線を上げると、そこには苦虫を噛み潰したような不機嫌そうな顔つきで、俺のことを睨んでいる男がいた。俺は頭の中で必死で記憶をたどる。 「えっと、ハンフリーだったよな」 「何の用だ?」 良かった。名前合ってた。いくら何でも、仲間の名前を間違えるとシャレにならない。でも、俺、人の名前覚えるのが苦手だしさ。特に男の名前なんて、興味ないし。 「悪い悪い。ちょっとかくまって欲しいんだ。あ、別に何もしてくれなくていいからさ」 「………」 何だよ。何とか言えよ。俺はちょっとむっとして唇を尖らせる。 「…シーナ」 「はい?」 「なるほど、お前がシーナか。うわさ通りだな」 おいおい、あんたも俺の名前に自信がなかったわけ?それはあんまりなんじゃないの?俺があんたを知らないのはいいとして、(だってこいつぜんぜん目立たないしさ)あんたが俺のことを知らないっていうのは、納得いかねぇな。 自慢じゃないが、城中捜しても俺のことを知らないヤツなんていやしないぞ。 俺が抗議をしようと口を開きかけた時、 「シーナ、シーナ、ここにいるんでしょ!逃げても無駄よ!」 例の女が扉をたたく。俺は慌てて、ハンフリーが座っているイスの後ろへと回り込み、窓際に置かれてあったベッドの中にもぐりこんだ。 「おい」 「ごめん、ちょっとだけ」 言い終わったとたん、大きな音をたててドアが開いた。 「シーナ!出てきなさいっ!あ、あ、ハンフリーさん…」 どうやら女もこの無愛想な男の存在にびっくりしたようだ。キョロキョロと部屋の中を見渡して、そして再びハンフリーを見る。 「あの、シーナが来ませんでした?」 「…何かあったのか?」 「えっと、シーナてば、あたしというものがありながら、あたしの友達のマリィにまで手を出したのよっ。許せないわ。捕まえて白黒はっきりさせないと」 「なるほど。それはきつく懲らしめないといけないだろうな。だが、ここにはいないぞ」 「え、やだ、ごめんなさい」 いったいどこにいったのかしら、と女はハンフリーに詫びを言って部屋を出て行ったようだった。それでもしらばく様子を窺って、静かになったところで、俺はそろそろとシーツの間から顔を出した。 ハンフリーはまるで何事もなかったかのように読みかけの本へと視線を落としていた。 「はぁ助かったぜ。サンキュ、ハンフリー」 「素直に自首して裁きを受けることだな。いつまでも逃げ切れるものじゃない」 おいおい、二股かけたくらいで何を裁かれることがあるっていうんだよ。 俺はハンフリーの向かい側のイスに座ると、頬杖をついてハンフリーの顔を覗き込んだ。 こうしてちゃんとこの男を見るのは初めてだよな。確か元赤月帝国の百人隊長だったとか。前の解放戦争の時もあんまりしゃべる機会なかったしな。俺はあんまり戦闘には出なかったし。 「なぁ、何で助けてくれたわけ?自首を勧めてるくせにさ」 「この部屋で刃傷沙汰はごめんだからな。するなら違うところでやってほしいだけだ」 は。俺のためじゃなかったわけね。ま、いいけどさ。俺は立ち上がると、部屋を退散しようとドアの方へと歩き出した。 「シーナ」 「ん?」 振り返るとハンフリーは本から視線を上げずに言った。 「女を甘く見ると痛い目を見るぞ」 「ふふん、それって体験談?」 俺はひらひらと手を振って部屋をあとにした。 夕食はハイ・ヨーのレストランで食べた。いつ食べてもハイ・ヨーの料理っていうのはほんと感動するくらい美味い。 「あら、シーナめずらしいわね、ここで食事してるなんて」 顔を上げるとリイナがトレイを片手に立っている。俺は立ち上がってイスを引いてやった。 「あら、ありがと。さすがシーナね」 にっこりと微笑んでリイナが席につく。いやぁいつ見てもリイナはいい女だ。とても一つ年下とは思えない。誘っても誘ってもなびいてこないところが難だけど。 「今日はどうしたの?いつもクスクスの街あたりで、女の子を引っ掛けてる時間じゃないの」 「人聞き悪ぃな。しばらく女はいいんだ」 「ふふ、聞いたわよ。二股かけて、痛い目にあったって?」 「何だよ、誰から聞いたんだ?」 「いい加減にしておかないと、ほんと刺されるわよ」 リイナは冗談とも本気とも取れる言い方をする。まぁな。確かに思いつめた女は何しでかすか分かったもんじゃないからな。でもやっぱり女の子は可愛いし。 「ねぇ、シーナって本気で女の子のこと好きになったことあるの?」 「おいおい、俺はいつだってちゃんと本気で女の子と付き合ってるぜ」 「2日くらいはね。そうじゃなくて、本気で、この人じゃないとだめっていう気になったことある?誰にも渡したくなくて、その人といるだけで心臓がつぶれそうなくらいドキドキして、泣きたくなるような気持ち。そういうの」 「何それ?」 やれやれとリイナはため息をつく。いったいリイナは何の話をしてるんだろう。 「まぁいいわ。とにかく、これ以上私の友達を泣かすようなことしないでね」 そう言うとリイナは食べ終わったトレイを手にして立ち上がった。ああ、なるほど。今日追い掛け回された女の友達だったわけか、リイナは。女の友情か、泣かせるねぇ。俺はニヤニヤとリイナの後ろ姿を見送った。 本気で誰かを好きになるなんて、ばからしくてやってられない。一日中べったり付きまとわれて、つまらないことで嫉妬されて、ちょっとしたことで泣いたりする子を相手に、どうやったら本気になれるっていうんだ。そんな面倒なことはごめんだな。それなら、少々恨まれたって、遊びと割り切って付き合う方がいい。別にやることは同じなんだし、何の不自由もないしさ。その辺が男と女の違いなんだよなぁ。 俺は食堂を出ると、何となく飲みたくなったレオナの酒場へと足を向けた。酒場はいつも大賑わいだ。カウンターで酒をもらって、空いた席はないかと辺りを見渡す。すると今日お世話になったハンフリーの姿が見えた。 「よ、ここあいてる?」 返事を待たずにハンフリーの前の席を陣取る。 「何だ何だ、お前がこの時間に城にいるなんて、こりゃ明日は雨だなぁ」 ハンフリーの隣に座っていたビクトールがニヤニヤと笑う。どうやらすでにかなり飲んでいるらしく、上機嫌だ。もっともこのおっさんはいつでも上機嫌だけどな。俺の隣に座っているこのフリックさえいれば。 「めずらしいな、ここで会うなんて」 そのフリックも目を丸くしてる。ったく、どいつもこいつも俺が城にいたらそんなにおかしいのかよっ。 「で、お前がハンフリーと飲もうなんて、どういう風の吹き回しだ?」 ビクトールがぐいっとグラスの酒を飲み干し、レオナに向かっておかわりと叫ぶ。 「おい、いい加減にしておけよ。酔いつぶれたって俺は連れて帰らんぞ」 フリックが心底嫌そうにつぶやく。 「はははは、俺が今までに酔いつぶれたことがあるかよ。大丈夫大丈夫。ちゃんとこのあと楽しませてや…」 がこっと音がしたと思うとフリックの鉄拳がビクトールめがけて飛んでいた。見るとフリックは耳まで赤くしている。 「人前で変なことを言うな!」 「何も殴らなくても…」 ビクトールとフリックが出来上がっているのは周知の事実で、別に今さら照れるようなことじゃないと思うんだけど、このフリックてば、いつもビクトールにからかわれては赤くなっている。そういうところがまたからかいのネタになるとは分かってないんだろうな。 ハンフリーはと言えば、そんな二人のやりとりを目を細めて見ている。何だ、何だ、その妙に嬉しそうな、穏やかな表情はよ。俺の視線に気づいたのかハンフリーはこちらを向いた。 「で、何か用か?」 ハンフリーが無表情に俺に聞く。 「あ、今日のお礼に一杯おごらせてよ。助かったしさ、ほんとに」 「別に、礼を言われるほどのことはしてないが」 あ〜あ、この人てば何でこんなに無愛想なんだろ。普通に黙ってりゃけっこういい男なのにさ。俺はテーブルの上にあった酒瓶を手にすると、ハンフリーのグラスに注いだ。 ビクトールとフリックは飽きもせず言いあいを続けている。 「んじゃあ、ちゃんと証拠を見せてやらぁ、こいフリック」 「な、何なんだよっ!」 ビクトールがフリックの腕を掴んで立ち上がった。あれよあれよという間に嫌がるフリックを連れて酒場を出て行った。 「相変わらずだよな、あの二人も」 俺が言うとハンフリーは小さく笑った。へぇ、初めて見た。この人の笑顔。ふうん、優しい顔もできるんじゃん。俺は頬杖をついて目の前の男を見つめる。 がっしりとした肩幅。鋭い目つき。どう見ても怒っているようにしか見えない表情。それが、あの二人を見て、急に和らいだ。何かおもしろくない。俺にはそっけないくせに、何であいつらにはそんな顔するわけ? 俺はトラン共和国の大統領の息子ってだけで、誰からもちやほやされてきたから、こんな風に誰かに冷たくあしらわれるのは慣れてないんだ。 「ビクトールたちとは仲いいんだ」 俺が嫌味っぽく言ったのに気づかなかったらしい。 「まぁな。けっこう長い付き合いだからな」 ハンフリーはいたってまともに返事をする。ふうん。まぁいいけどさ。別に俺はあんたのことなんて何とも思っちゃいないんだし。別に俺に冷たくしたっていいけどさ。 なのに、俺はどういうわけか妙に腹が立って仕方なかった。ほんとに理由なんてわからない。ただ、目の前のこの男が、こうして一緒に飲んでいても、ぜんぜん俺には興味がないといった感じなのが気にいらない。 どんなにいろいろと質問をしても、適当にしか答えないのが気にいらない。笑わないのが気にいらない。無口なのも気にいらない。 俺は自分でいうのも何だけど、かなりモテる方なのだ。女の子はもちろん、男からだって誘いをかけられることは何度もあった。そりゃあさ、軽薄だって思われても仕方ないようなこともずいぶんしてきたから、偉そうなことは言えないけど別にそこまで邪険に扱わなくたっていいじゃんかよ。 ハンフリーはほんと無表情で酒を飲んでいる。俺がいてもいなくても、どうてもいいって感じだ。 腹立ち紛れにぐいぐい酒をあけていると、だんだん酔いが回ってきたのが自分でもわかった。空いたグラスに酒を注ごうとしたら、ハンフリーがその手をつかんだ。 「もうよせ。立てなくなるぞ」 「これくらい平気だって」 俺はハンフリーの手を振り払うと、酒瓶を傾けた。でも上手くグラスに注ぐことができない。あれ?おかしいな。 「レオナ、勘定を頼む」 何だ?何で俺は立ち上がってるんだ?って、何であんたが俺の腕を掴んでるんだよ。俺は一人でも立てるぞ! 「おやおや、シーナ、めずらしく酔っ払っちまったんだね」 レオナはおかしそうに肩をすくめる。 「べつに…酔って、なんか…」 「悪さするんじゃないよ、ハンフリー」 「冗談だろ」 レオナのからかいにハンフリーは冷静に答える。 「ああ、そうだったね。あんたの好みは…」 「おやすみレオナ」 ハンフリーは俺を抱きかかえるようにして酒場をあとにした。 足元がふらふらする。痛いなぁ、そんなぐいぐい腕を引っ張らなくても歩けるってぇの。え?俺の部屋?えっと、そうそう、そっちでいい。 「シーナ、ほら、しっかりしろ」 何だか冷たいものが額に当てられた。目を開けると、ハンフリーが氷の入ったグラスを手にしている。周りを見渡すと俺の部屋だった。ベッドの上で、少し眠っていたらしい。俺は上半身を起こして、ハンフリーからグラスを受け取った。喉が渇いていたので一気に飲み干す。 「美味しい。もう一杯」 俺は空になったグラスをハンフリーへと差し出す。ハンフリーは無表情なまま、そのグラスを受け取ると、テーブルの上のポットから水を注いでくれた。 「ありがと。優しいんだね」 「…もう大丈夫だな。おれはもう部屋に戻るからな」 そう言ってハンフリーが立ち去ろうとする。俺は無意識のうちにその手を掴んでいた。 「……何だ?」 「ねぇ、泊まってく?勃たないほどは飲んでないだろ?」 そんなことぜんぜん考えていなかったくせに、さらりと口から出てしまった。 別にセックスは嫌いじゃない。というか好きな方だし。最近やってないから、いいかなぁなんて思ったり。 「まだ酔ってるらしいな。さっさと寝ろ」 ところが、ハンフリーは俺の誘いなんてぜんぜん本気にしていないらしく、俺の手を振りほどくと、一度も振り返りもせずに部屋を出て行ってしまった。 「中途半端にかっこつけんじゃねぇよ!」 俺はベッドの上にあった枕をドアへと投げつけた。 冷たいハンフリーの態度が憎たらしかった。今まで俺が誘って、その気にならなかったヤツなんていないのに。女だって男だって、誰だって俺と寝たがった。それなのに、どうしてあいつは俺なんて眼中にないって感じで無視し続けるんだよ!あ、だめだ気持ち悪くなってきた。 俺は無理矢理眠ることにした。この胸のむかむかが、酒のせいなのか、あいつのせいなのか分からなかった。 次の日は当然二日酔いで、頭ががんがんと痛んだ。もともとそんなに酒は強くないのだ。 「あれ、シーナさん、顔色悪いけど大丈夫?」 顔を上げるとナナミと二ナが立っていた。 「ああ、二日酔い」 「うわ、ほんとだ、酒くっさぁい」 二ナが露骨に顔をしかめる。俺はにやにやとわざと二ナの肩に手を回して顔を寄せた。 「二ナちゃん、いつも可愛いね。今日も図書室でお勉強?」 「ちょっと!気安く触らないでよね!あたしに触っていいのはフリックさんだけなんだから!」 「ああん?フリックにはビクトー…」 「きゃあ大変よ、二ナ。早くしないとエミリアさんの講義に遅れちゃうわ」 言いかけた俺をさえぎるようにしてナナミが叫ぶ。俺がフリックとビクトールのことを口にしたものだから、慌てて気をそらそうとしたのだろう。しっかしさ、この城であの二人のことを知らないヤツなんているのか?っていうか、ビクトールなんてぜんぜん隠そうとしてないじゃん。 二ナを図書館へと追い立てたナナミが怖い顔で俺を睨む。 「ちょっと!シーナさん、余計なこと言わないでよ!二ナがフリックさんのことを好きなの知ってるでしょ!」 「でも、事実だぜ」 「んもう、女心のわからない人ね。好きな人が他人のものだなんて、言われたら悲しいでしょ」 そういい捨てて、ナナミも二ナのあとを追って図書館へと走り去った。 まぁね。二ナの気持ちも分かるけどさ。でも振り返ってくれない人を好きになったって仕方ないと思うんだけどな。俺は俺のことを好きなヤツが好きだからさ。振り返ってもくれないような相手を好きでいられるなんて、ほんと物好きだと思うわけよ。 俺は大きく伸びをした。今日も戦闘要員からは外れているし、これといってすることがない。どうしようかな。クスクスの街にでも行って、かわいい女の子でも捜そうかな。 よし、そうしよう。思い立ったら吉日ってなわけで、出かけるとしよう。階段を下りて、守護神の横まで来たとき、階下にハンフリーとフリックの姿を見つけた。ハンフリーが笑っている。フリックも楽しそうだ。いいのかよ、ビクトールのおっさんが見たら激怒するぜ。まぁそれはいいとして、俺はどういうわけか、ハンフリーから目が離せないでいた。 そして、それがどうしてなのかやっと分かった。 ムカついているのだ。俺には笑いかけず、フリックばかりに笑いかけるハンフリーに。俺のことなんて全然気にも止めていないハンフリーを。今までこんなに完全に無視されたことなんてないから。 振り向かせてみせる。 突然に頭の中にそんな言葉が浮かんだ。 フリックにそんな風に笑いかけるように、俺のことを見つめさせてみせる。 そんな俺の気持ちに気づいたのか、ハンフリーがふと顔を上げた。 俺は極上の笑顔で笑いかけた。 NEXT |