You are mine  1


「たとえばさ」
 シーナがハンフリーと手をつないだまま、振り返る。
 買いたいものがあるから、と渋い顔をするハンフリーを連れてのクスクスへデートへ誘った帰り道のことだった。
 気持ちのいい冬晴れの日。
 二人でのんびり城への道を歩くのは、シーナにとっては最高に幸せなひと時だった。ハンフリーもまんざらでもないらしく、人目がないこともあって、手をつなぐことに文句を言わなかった。
 両手でハンフリーの左手をぶんぶんと振り回しながら、シーナがハンフリーを見上げる。
「たとえば、ここにすごく困ってる人が2人いたして、でも1人しか助けてあげられないとしたら、ハンフリーはどうする?」
「何だ、それは?」
 いきなりのシーナの質問にハンフリーは苦笑する。
「だから、どっちもとても大切で、選べないって時には、ハンフリーはどうするのかなぁって」
「………」
「どうする?」
 どうする、と言われても、この妙な質問でシーナが何を聞き出したいのか分からないので、何とも答えずらいのだ。別に自分の意見を言えばいいだけなのだが、シーナがこういう質問をしてくる時は絶対に何か裏があるに違いない。最近、すっかりシーナの思考を読めるようになったハンフリーは質問の裏にあるものが何なのかを考えた。
「ハンフリー!聞いてる?」
「ああ」
「どうするんだよ」
 答えないハンフリーに焦れたようにシーナが詰め寄る。仕方なくハンフリーは口を開いた。
「その時は、俺の助けを一番必要としている方を選ぶ」
「つまんない」
「?」
「何でそんなありきたりな答えをするのかなぁ。そんなのつまんないよっ!」
「つまらないって…お前、何て言って欲しかったんだ?」
 シーナは唇を尖らせて、ハンフリーの腕にぎゅっと抱きつく。
「そういう時は、俺のことを助けるって言うんだよ」
「………困ってる2人のうち、1人はお前なのか?」
「違うけど」
 やれやれとハンフリーは苦笑する。
 自分の腕にしがみついて、拗ねたように小石を蹴っ飛ばすシーナの頭を軽くつつく。
「お前を助けるって言えばよかったのか?」
「当然だろ、俺はあんたの恋人なんだからさ」
「なるほど。だが、もう一人の困ってるやつの方が、お前よりも弱かったら、俺はそっちを助けるぞ」
「………」
「だから、お前は自分のことは自分で守れるくらいに強くなれ。俺が……いつまでもお前のそばで守ってやれるとは限らないからな」
 ハンフリーの言葉にシーナはびっくりしたように足を止めた。
「それってどういう意味?」
「ん?」
「いつまでもそばにはいられないって、どういう意味?」
 嫌いになって、別れることもあるってこと?そんなこと考えたこともなかったシーナは突然のハンフリーの台詞に大きく目を見開く。
「俺のこと……見捨てるの?」
 みるみるうちに溢れてくる涙にハンフリーが驚く。
「馬鹿なことを……そういう意味じゃない」
「じゃ、どういう意味だよっ」
「俺はお前よりもずっと年上だ」
「だから?」
「普通に考えれば、俺の方が先に死ぬ」
「………」
「お前よりも俺の方が数多く闘いの場に出る。何があってもおかしくない。この戦争に目的がある以上、俺はお前よりもそちらを優先させなくてはいけない。そういう意味だ」
 ハンフリーの言葉を黙って聞いていたシーナはぎゅっとハンフリーの腕に抱きついた。
「絶対に許さないからな!」
「ん?」
「俺のことを捨てるのも、俺のこと嫌いになるのも、俺のそばを離れることも、俺よりも先に死ぬことも、絶対絶対絶対に許さない。あんたは……一生俺と一緒にいるんだ」
「シーナ……?」
 最近、シーナはどこか情緒不安定だ。時々びっくりするくらいに素直になったかと思うと、呆れるくらい我儘になったりもする。そして一緒にいる時にふいに見せる、ほんの少し淋しそうな表情。
 それがいったい何を意味しているのか、ちゃんと聞きたいと思うものの、どういう風に聞けばいいのか分からずハンフリーは困っていた。
「約束!」
「……ああ…」
「うん。じゃ、早く帰ろ!今日の夕食は何かなぁ。俺、久しぶりにお鍋が食べたいなぁ」
 にこにこと笑顔を見せてシーナが歩き出す。
 今まで泣きそうな顔をしていたくせに、もう笑っているシーナにハンフリーは戸惑いを隠せない。
 だがシーナは嫌なことがあれば、素直に口にするだろう。自分の中へと想いを溜め込むタイプではない。そう思い、ハンフリーはいつものシーナの気まぐれだろうとあまり気にはしなかったのだ。



 シーナの希望通り、その日の夕食は鍋にすることにした。
 今晩は冷えるということもあって、メニューに鍋を選んだ人間も多いらしく、レストランの中は鍋からの湯気で暖かかった。
「ん〜何の鍋にしようかなぁ。ハンフリーは何が食べたい?」
「俺は何でもいい」
「あ、カニすきがある〜。う〜カニ食べたい〜、でも高いなぁ〜」
 シーナがレストラン前のメニューを見て悩んでいると、パタパタと足音をさせてフッチが姿を見せた。きょろきょろと辺りを見渡し、ハンフリーを見つけると、そばに駆けよってくる。
「ハンフリーさん」
「どうした、フッチ」
 どこか慌てた様子のフッチにハンフリーが足を止める。
 フッチはハンフリーの隣にいるシーナをちらりと見て、躊躇したように口ごもる。
「何かあったのか?」
 ハンフリーが優しい口調でフッチをうながす。
 シーナはそんなハンフリーの背後でフッチを見た。
 フッチは竜洞騎士団見習い竜騎士だった。3年前、騎竜のブラックを失い、その後ハンフリーと共に行動をしていた。竜騎士団長のヨシュアとハンフリーが友人だったこともあり、ハンフリーはその後も何かとフッチのことには心を砕いていた。
 フッチはまだ14歳で、シーナの目から見てもかなり可愛らしい顔をしている。このままいけばさぞかしいい男に成長することだろう。
 別にまぁそれはいい。
 華奢でまだまだ子供なのに、騎士というだけあってけっこう気は強い。今は新しい竜のブライトのことで頭がいっぱいだ。
 別にそれだって全然かまわない。
 けど。
「ハンフリーさん、ブライトが……」
 ほらきた。
 とシーナは内心舌打ちする。
 フッチがハンフリーのところに来るのは必ずブライトのことで何かあった時だ。もっとも、ブライトのこと以外でも、フッチの相談相手はいつもハンフリーだ。何かっちゃあハンフリーに頼ってくるフッチのことを、当然シーナは快く思ってないわけで……。
「ブライトがどうしたって?」
 ハンフリーが聞くより早く、シーナがフッチに尋ねる。
 そのシーナを上目遣いで見て、フッチは困ったようにハンフリーへと視線を移す。
 だからっ!何でそこでハンフリーを見るかなぁ、とシーナはむっとする。
「何だか…元気がないみたいで……」
 フッチが小さな声でつぶやく。
「……そうか」
 ハンフリーがフッチの頭に手を置き、シーナへと振り返る。
「シーナ、先に食べていろ。俺はちょっと様子を見てくる」
「えっ!!!ちょ、ちょっと待てよっ!!」
 慌てるシーナに背を向け、ハンフリーはフッチと連れ立ってレストランを後にした。去り際、フッチがシーナを振り返った。その目にどこか優越感が漂っていたと思うのはシーナの邪推であろうか?


「くっそーーーーー!!!あのガキっ!」
 シーナがぐいぐいとジョッキを空ける。
「おいおい、何だってお前は人のテーブルで人のビールをだなぁ…」
「うるさいっ!」
 シーナがビクトールに怒鳴り返す。
 ハンフリーがフッチについて行ってしまったため、シーナは一人取り残されてしまった。
 仕方がないので真っ先に目についたカップル……ビクトールとフリックのテーブルに乗り込んだのだ。折りしもテーブルの上には食べたかったカニすきが、今まさに食べ頃!といった感じで煮えていた。シーナは遠慮なく(ずうずうしくとも言う)、混ぜてもらうことにしたのだ。
 乗り込まれた二人にしてみればいい迷惑である。おまけにシーナはビクトールが頼んだビールを横取りして一人でぐいぐい飲んでいるのだ。
「だいたいっ、一人で鍋なんて食っても楽しくも何ともないだろっ!」
 シーナはぐつぐつと煮える鍋から大きなカニをつかみ出す。
「お前っ!それは俺のカニだっ!!」
 ビクトールが怒鳴る。返せ、返さないという子供じみた言い合いをする二人に、フリックはやれやれと溜息をつく。
「ビクトール、まだたくさんあるだろうが……それにシーナ、ハンフリーはすぐに戻ってくるんだろう。いいのか、先に食っちまって」
「知るかよ、どうせあの様子じゃフッチと夕食だって取るだろうさ、くそっ、このカニ、身が入ってないじゃんかっ!」
 やれやれ、とフリックが肩をすくめる。
 ハンフリーがフッチのことを常に気にかけているのはフリックもよく知っている。親友であるヨシュアからフッチのことを頼まれているのだからそれも当然だ。
 愛想がいいとはお世辞にも言えないハンフリーが、フッチにはずいぶんと優しいのも仕方がないと思うのだ。何しろフッチはまだ14歳の子供なのだから。
 もちろん、その優しさはシーナに対するものとは全く違うものだ。
 それは傍から見てれば一目瞭然だ。
 だから、シーナがフッチにヤキモチ焼くのは、どこか間違っているのではないかとフリックは思うのだ。どう考えてもハンフリーがフッチに何かするとは思えない。
 と、いうかフッチに手を出したら、その時点で犯罪だろう、とフリックは思う。
「おっさんっ!!それは俺のカニだっ!!」
「うるせぇ!早いもん勝ちだっ!!」
「いい加減にしろっ!」
 普通、カニを食べると人は無口になるはずなのに、どうしてこの二人はこんなに煩いのだろう…。フリックは呆れかえった。しかし遠慮容赦なくビクトールを罵倒するシーナと、大人気なく応戦するビクトールは案外相性がいいのかもしれない。
 それにしても、うるさい……。
 フリックはうんざりしながら、一人黙々とカニを食べた。
「よぉ、旦那」
 鍋がほとんど空になった頃、やっとレストランに入ってきたハンフリーに、ビクトールが手を上げた。
 ハンフリーの隣にはフッチがいる。
 ビクトールはいつもの大きな声でこっちだこっちだ、と二人を手招きした。
「お前がいないから、このガキ煩いの、何のって!何とかしろっ!」
 ビクトールがシーナを睨みつつハンフリーに訴える。
「………」
 ハンフリーは、関心ないという素振りでカニを食べ続けているシーナをちらりと見た。その視線をシーナは完全に無視している。
 何とも気まずい空気が流れた。
 それに気づいたのかどうか、ビクトールが頬を引きつらせながら、話題を変えるようにフッチへと話しかけた。
「よぉ、ブライトの具合はどうだ?」
「うん、どこが悪いか分からなくて。ホウアン先生に診てもらおうかなって思ったんだけど……」
「でも人間と竜とじゃ違うんじゃないの」
 シーナがぼそりとつぶやく。
「シーナ」
 フリックがシーナを目で制する。余計なことを言うな、と。
「同席しても構わないか?」
 ハンフリーがビクトールに尋ねる。
「ああ、どうぞ。んじゃもう一皿追加するか」
 通りかかったウェイトレスを呼び止め、追加注文をする。ハンフリーがフッチを促し席に着こうとした時、シーナががたんを音を立て立ち上がった。
「ごちそうさまっ、俺もう部屋に戻るから!」
「え、おいおい、このあと雑炊するぞ」
「いらない」
 シーナは一度もハンフリーを見ることなく、レストランを出て行った。
 その場に残された者としては、何とも気まずい。
「え、っと…僕……ここに来ない方が良かったかな」
 フッチが遠慮がちにつぶやく。
「何言ってんだ。腹減っただろう?たくさん食べろ」
 フリックがフッチへと皿を渡す。ちらりとハンフリーを見るフッチ。ハンフリーがうなづくと、やっと安心したかのように鍋へと手を伸ばした。
「美味しい」
「……そうか」
 良かったな、とハンフリーが微笑む。
 やれやれ、とビクトールとフリックは顔を見合わせた。
 シーナのヤキモチは、本当に見当違いなものなのに、どうして分からないんだろうな、とフリックは思う。ビクトールも同じようで、首を傾げるフリックにふと笑った。


 派手に扉を蹴っ飛ばして、シーナはレオナの酒場を訪れた。まだ時間が早いせいか、まだあまり人はいない。カウンター席に座り、盛大に溜息をつく。
「久しぶりだねぇ、シーナ。ハンフリーはどうしたんだい?」
「知るかよっ!レオナ、酒!うんと強いヤツ」
「およしよ、あんた、酔うと酒癖悪いから」
 カウンター内のスツールに腰を下ろし、レオナがオレンジジュースをシーナに渡す。ちぇっと舌打ちして、それでも素直にオレンジジュースを口にした。そんなシーナにレオナは笑いを洩らす。
 脳天気で、いつも陽気で、人なつこいシーナのことを、レオナはずいぶんと可愛がっているのだ。年齢的にも弟という感じがするというところだろうか。自分用の小さなコップに酒を注ぎ、レオナは見るからに傷心しているシーナへと声をかける。
「どうしたんだい?元気ないじゃないか」
「だって……」
「喧嘩でもしたのかい?ああ、でもあんたとハンフリーとじゃ喧嘩にならないか」
 くすっと笑ってレオナが煙管に火をつける。テーブルにぺたりと頬をつけたままのシーナがぽつりとつぶやく。
「ハンフリーってさぁ……」
「ん?」
「時々なに考えてるか分かんなくなる。俺にわざとヤキモチ焼かせたりするヤツじゃないからさ、あれは本当にただの親切なんだと思うけど、だけどさっ、俺より先に優先しちゃうってどういうことだよ。俺が何とも思わないと思ってんのかな」
「フッチのことかい?」
 何で知ってるの?とシーナが目を丸くする。
 おや、図星かい、とレオナが苦笑する。
 まぁ半分は当てずっぽうだったのだ。ハンフリーがフッチの保護者のような立場にあることは、城の連中なら誰もが知るところだ。とはいえ、やはり自分の恋人が自分以外の誰かを必要以上に親しくするのを、黙って見ているようなシーナじゃない。
 それがただの我儘であっても。
 この酒場にはいろんな連中がいろんな噂を持ってやってくる。城の中で一番の情報通なのは、実はレオナなのかもしれないのだ。シュウでさえ知らないであろう裏の情報を知っていることもある。もっとも、レオナは知ったからといって、決しておせっかいを焼こうとはしないのだけれど。
「フッチにヤキモチ焼くなんて、バカバカしいにもほどがあるね」
 ふぅ、と煙を吐き出し、レオナがあっさりと言い捨てる。
「フッチがどうとかいうわけじゃないんだよっ!いや、そりゃ今のところ、フッチが一番ムカついてるけどさ!あいつ、絶対ハンフリーに気があるに違いない。ハンフリーだって、フッチのことは別格だもんな。何より優先。俺よりも優先。それってさ、一番好きってことだろ?違う?」
 シーナが訴えるようにレオナを見る。
「………」
「前はさ……同じようなこと、フリックにも思ってた。ハンフリー、フリックも別格なんだ。それは、同じ闘う仲間として、一目置いてるってだけなんだろうけど…」
「………」
「……何でそんなにたくさん別格がいるんだろ」
 ぷっとレオナが吹き出す。
「あんたもしょうがない子だねぇ。あれだけハンフリーに愛されてて、いったい何が不安なんだい?」
「愛されてるかなぁ……だって、ハンフリー、そんなこと一言だって言わないし」
「ふうん」
「ほんとに俺のこと好きなのかなぁって……最近、よく分からなくなる…」
 シーナは頬杖をついたまま、小さく溜息をついた。
「ハンフリーって、どうして俺と付き合おうって思ったんだろ。最初はさ、ずいぶん嫌われてたと思うんだ。だけど、どういうわけか抱いてくれた。それからはずっと一緒にいる。でも、好きだなんて言われたことないなぁって最近気づいたんだ。気づいたら、すっごく悲しくなった。いろんなことぐるぐる考えてたら、ハンフリーは別に俺のことなんて愛してないのかなって。俺が一方的に好き好きって言ってるから仕方なく付き合ってくれてるのかなぁって……」
 言ってるうちに悲しくなったのか、シーナは鼻をすすった。
 見るからにがっくりと肩を落としているシーナに、レオナはやれやれと肩をすくめる。
「愛されたい病は子供の証拠だよ」
「何、それ?」
 レオナが妖しげな微笑を浮かべてシーナを見つめる。
 分からないのことが子供の証拠。
 きょとんとするシーナのおでこを、レオナがつんとつつく。
「ほら、お迎えが来てるよ」
「え?」
 振り返ると、店の入口にハンフリーが立っていた。いつもの怒ったような表情のまま近づいてくると、レオナへと声をかける。
「迷惑かけたか?」
「そうだねぇ、ま、可愛い惚気ってとこかしらね」
 誰が惚気だよ、とシーナが小さく毒づく。ふわりとハンフリーの大きな手のひらが、シーナの頭をつかみ、くしゃりと髪を撫でた。
「……帰るぞ」
「フッチは?」
 つい刺のある言い方をしてしまうシーナだが、ハンフリーはまったく気にしていないようで、いつもの堅い口調で「部屋に送り届けた」、とだけ言った。
 レオナがぱんぱんと手を叩く。
「さ、子供は帰った帰った。ハンフリー、あんたももうちょっと思ってることを口にしないと、つまらない誤解されちまうよ」
「………?」
 余計なこと言うな!とシーナが顔を真っ赤にする。そして、すとんとイスから降り立つと、ハンフリーを振り返ることなく、酒場を出て行った。
「ハンフリー」
 踵を返したハンフリーの背中に、レオナが声をかける。
「泣かすんじゃないよ」
「………」
 無言のまま出て行く男に、レオナは仕方ないねぇとつぶやく。
 お世辞にも色恋沙汰に長けているとはいえないハンフリーと、経験だけは豊富なくせに、信じられないくらい純情で子供のシーナ。
 よくまぁ続いているもんだ、と誰もが首を傾げる。
 レオナ自身、正直なところ、続いていいとこ1ヶ月だろう、と思っていたのだ。けれど今となっては、これくらいぴったりと似合う二人もいないんじゃないかと思っている。
 シーナを見るハンフリーの目は、今まで見たこともないくらいに優しいもので。ポーカーフェイスだと言われるハンフリーにも、あんな表情ができるのか、とレオナはびっくりしたのものだ。
 他人にはそれが分かる。
 だけど、案外と当人にはわからないものなのかもしれない。
 シーナがせめてあと10歳でも歳を取っていれば、何も悩むことなどなかったのかもしれない。恋愛に歳は関係ないというが、意外と年齢を重ねることで見えてくるものはあるものだ。
「さて、どうなることやら……」
 レオナはレストランから流れてきた人々の賑やかな声に腰を上げた。


「シーナ」
「………」
「シーナ…」
 いくら呼んでもシーナは振り返らない。さっさと階段を上がるシーナを追いかけ、ハンフリーは後ろから肘を掴んだ。
「離せよっ!痛いだろ!!」
「何を怒ってる?」
 何を、だと〜???
 シーナは怒るのも忘れて唖然としてしまった。
 そうだよな。ハンフリーってそういうヤツだよな。分かってる。分かってたはずだけど、ここまで鈍いと、ほんっと腹が立つ。シーナは大きく深呼吸すると、階段一つ分上から見下ろすようにしてハンフリーを見つめた。
「………俺、あんたの恋人だよな?」
「何だ、いきなり?」
「はぐらかさずに、ちゃんと答えろよ。俺、あんたの恋人?」
「……そうだ」
 それがどうした?とハンフリーは首をかしげる。
 まるで当たり前のことを聞くな、とでも言いたげな表情に、シーナはまんざらでもないようで、両腕を伸ばしてハンフリーのがっちりとした肩の上に手をかけた。
「んじゃ、ここでキスして」
「………」
「今、ここで、キスして」
 階下では賑やかな声が聞こえる。
 いつ誰が階段を上がってきてもおかしくない。こんなところで、そんなことをして、誰かに見られたらどうするつもりだろう。ハンフリーはむっとしたまま、シーナを見上げる。
「部屋に戻ってからだ」
「嫌だね、俺は今、ここで、したいんだ」
 あっさりとハンフリーの提案をはね退け、シーナはいつもの傲慢な笑みを見せた。人の目が何だというのだろう。好きな時に、好きなところで、キスもできない恋人なんていらない。
 そんなシーナの考えが伝わったのか、ハンフリーは小さく溜息をつくと、ぐいっとシーナの胸元を右手で掴んで、自分の方へと引き寄せた。ぶつかるように重なる唇。口づけは一瞬で、すぐに離れた。 次の瞬間、ふわりとシーナの身体が浮き上がった。
「ちょっ…!!」
 軽々とハンフリーの肩に担がれ、シーナは足をばたつかせる。
「ばかっ!下ろせよっ!!こ、恐いだろっ!!!」
 ハンフリーの肩の上から逆さまに階段を見下ろすのは、かなり恐かった。今にも落ちてしまいそうな気がして、シーナは思わずハンフリーの服をつかんだ。
「暴れるな、落ちるぞ」
 大きな荷物でも運んでいるつもりなのか、決して軽くはないシーナを肩に担いだまま、ハンフリーは悠々と階段を上がっていく。向かう先はハンフリーの自室だ。
「続きは、部屋に戻ってからだ」
「だ、だからって、こんな……俺は荷物じゃないぞっ!!」
「荷物の方が文句を言わない分、可愛げがある」
「さ、最低!!」
 シーナが叫ぶ。
 ばんばんとハンフリーの背中を殴るが、びくともしない。
 ちょうど遅い夕食を取りに行こうと部屋を出たところのマイクロトフとカミューが、そんな二人の姿を見て、ぎょっと立ち止まった。
「ハンフリー殿……どうなされたのですか?」
 思わず声をかけたマイクロトフに、ハンフリーは気にしないでくれ、と答える。
「気にしろっ!!くそっ!何考えてんだよっ!!馬鹿ヤロー!!!」
 暴れて悪態をつくシーナを担ぎ、無表情なまま廊下を行くハンフリーはある意味、羞恥心を知らない男なのかもしれない。
「助けた方が良かったのだろうか?」
 マイクロトフが二人を見送りながらつぶやくと、カミューは軽く肩をすくめた。
「余計な邪魔するんじゃないよ。馬に蹴られるぞ」
 さ、早く行こう、とカミューはマイクロトフを促す。
 例え喧嘩をしていたのだとしても、どうせこのあと仲直りをするだろう。
 カミューは簡単にそう思っていた。
 だが、そう簡単にいかないことが、このあと起きることになる。

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