Last Fight 3


 帝国歴219年、トラン湖北方の小さな村で起こった事件は、あれから5年近くがたとうとしていたが、まだ人々の心の中に暗い影を落としていた。継承戦争の最中、都市同盟軍によって一つの村が丸ごと皆殺しにされたとされるこの事件は、後に「カレッカの虐殺」と呼ばれるようになるが、この事件の真実を知るものはまだ多くはない。
 「カレッカの虐殺」は都市同盟軍によるものではなく、帝国軍による偽装作戦であった。この作戦を実行した帝国軍の一部隊は、最後までこの偽装作戦のことは知らなかった。
 知らずに行なった自分の罪に、今もまだ深く傷ついている男がいた。


 



「シーナ?いや、今日は見かけてねぇな」
 フリックと二人、人気のない酒場の片隅で、シュウに命じられた部隊編成に精を出していたビクトールが問われて答える。
 夜は賑わう酒場も昼間は訪れる人もなく、カウンターの中で仕込みをするレオナの姿があるだけである。静かでちょうどいい、とレオナに嫌がられながらもビクトールたちはよくここを仕事場にしているのである。
 窓から差し込む陽の光だけの薄暗い室内に、慌てた様子で入ってきたのはハンフリーだった。慌てた様子、といっても傍から見ればそんな風には見えないわけで、長い付き合いのビクトールとフリックだからこそ気づく僅かな変化でもあった。
 まぁ座れよ、とフリックが空いた席を指差すと、ハンフリーは渋い顔のままどさりと腰をおろした。間違っても愛想がいいとは言いがたいハンフリーだが、決して怖い人間ではない。
 だが今はぴりぴりとした空気が漂っていて、さすがのフリックも声をかけるのに躊躇するほどだった。
「どうした?シーナがいないのか?」
「朝から姿が見えない」
 ぽつりと言ったハンフリーに、ビクトールはのんびりと答える。
「それがどうした。いいじゃねぇか、あいつが遊びに行くのなんて珍しいことでもねぇだろ。それに遊びに行けるってことはそれだけ元気になったってことだ」
 よし、これでいこう、と書類に大きく丸をつけて、もう見るのも嫌だとばかりにフリックへと書類を押しやる。
 あの事件から数週間。
 あの時、何があったかを正しく知るものは数少ない。その数少ない人間の一人であるビクトールはもちろんシーナの心配もしていたが、それ以上にハンフリーのことも心配していたのだ。言葉や表情には出さないけれど、ハンフリーが今回のことでかなり堪えているように思えたからだ。
「探してくる」
「まぁ待て」
 立ち上がろうとしたハンフリーの手を、ビクトールがすばやく掴む。ちょっと落ち着けともう一度椅子に座らせ、やれやれというように大きく伸びをした。
「なぁハンフリー、お前が心配する気持ちも分からねぇでもないが、あんまり過保護にするのも良くないぜ」
「………」
 そんなつもりはない、と言いたかったが、ここ数日の己の思考や行動を考えると、あながち間違った指摘でもないと思い、ハンフリーは口を噤んだ。しばらく部屋で大人しくしていたシーナだが、身体の調子が戻るにつれ、今までと同じように城の中を歩き回るようになった。シーナの姿が見えなくなるたび、ハンフリーはひどく不安になった。自分の目の届くところに彼を置いておきたくて、何かと理由をつけてはそばに置こうとした。シーナはそんなハンフリーの本音を知るはずもなく、呆れたように笑うだけだったが。
「あいつは子供じゃねぇんだ。それにお前が思っているほど柔じゃない」
 シーナのことはまだほんの子供だった時から知っているビクトールである。だからこそ、彼の成長もよく知っており、その言葉には実感が篭もっている。ハンフリーもそれはよく分かっているので、うなづいた。
「すまん、そうだな……少し気にしすぎていたかもしれん」
「ま、それだけあの放蕩息子のことを大切に思ってるってことだろうが、それにしてもどこ行ったんだかなぁ……」
 ビクトールはしょうがねぇなぁと頭をかく。
「最近ディランとよくつるんでるから、一緒じゃないのか?」
 フリックが手元の書類をまとめ、脇へとよける。
「ディランと?珍しい組み合わせだな」
「そうでもないだろ。歳だって近いし。ディランはああ見えて考えすぎるところがあるからな、シーナみたいに何でも明るく考えるヤツと一緒にいると、歳相応に見えていい」
 明るく考える、とはよく言ったもので、「何も考えていない」もしくは「馬鹿ばかりやってる」と言い換えても十分通るな、とビクトールはこっそりと思った。
 フリックの答えに、ハンフリーはどこか嬉しそうな笑みを浮かべてうなづいた。
「一緒ならいいんだが」
 邪魔したな、と言い、その場を去ろうとするハンフリーを、再びビクトールが呼び止める。
「何だ?」
「話がある。シーナのことじゃない。お前のことだ」
「………」
 ハンフリーの表情が僅かに曇る。ビクトールは構わずに鋭い視線を彼へと向けた。
「お前も最近挙動不審だ。一人で何をやってる?俺たちには言えないようなことか?」
「……そういうわけじゃない」
「じゃあ何だ?」
「………」
「当ててやろうか。お前、あの時の男を探してるだろう?お前に斬りかかってきたあの男だ」
 ずばり言い当てられて、ハンフリーは黙り込んだ。もっとも、いつまでも隠し通せるとは思っていなかったのだ。あの場に一緒にいれば、ビクトールとフリックならば気づくだろうとも思っていた。気づかないわけがない。
「あの男に会わなくてはならない。だから探している」
 至極簡潔に言って退けたハンフリーに、ビクトールとフリックは顔を見合わせる。
「どういうことだ」
「あの男は、俺のことを知っている。恐らく、帝国軍にいた頃の俺のことを。何故ヤツが俺のことを斬ろうとしたのか……」
 あの男の目は今でも鮮明に思い出せる。
 恨みと、怒りの篭もったあの目。冴え冴えと冷たかった視線が、ハンフリーを見たとたんに炎のように燃え上がった。
 その理由を知りたいと、ハンフリーは思った。いや、自分が思っている通りなのかを確かめる必要があると思ったのだ。
「手を貸そう」
 フリックが言うと、いや、とハンフリーが首を振る。
「すまん、しばらく放っておいてくれ。できれば同盟軍の仲間に迷惑をかけずに片をつけたい」
「……ハンフリー・ミンツ」
 ビクトールが正確にその名を口にすると、ハンフリーは初めて表情強張らせた。ビクトールはその表情を見て、自分の考えが間違っていないことを知る。
「あの男はお前をそう呼んだ。だから、お前はあいつのことを探しているんだな。でなければ、王国軍との戦況が緊迫している今、あえて追いかけたりせずに放っておいただろう?」
 そこまで分かっているのならば、なおさら放っておいて欲しい、とハンフリーは思った。もしその想像が正しければ、それは本当に自分一人に問題なのだから。
「……シーナを見かけたら部屋に戻っているように言ってくれ」
 今度こそ本当にハンフリーはその場を去った。あとに残ったビクトールとフリックは重々しい空気に吐息を落とした。
「ビクトール、何を考えてる?」
「だいたいお前と同じようなことだろうさ。ったく、何だって今頃になって」
 忌々しげに舌打ちしたビクトールに、フリックは視線を伏せた。
 ハンフリー・ミンツという名を知るのは、彼が帝国にいた頃の者だけだ。あの男は帝国軍にいたハンフリーのことを何故か憎んでいる。その理由は?百人隊長だったハンフリーは、軍の中でも部下から慕われていたと聞く。そんな彼のことを憎む人間がいるとすれば、自ずと理由は絞られてくる。それは本当に僅かな可能性ではあったけれど、有り得ないことではないのだ。
「カレッカは、皆殺しだったと聞くが」
 何の前置きもなく、フリックがその村の名を口にした。
 あの悲惨な事件。ハンフリーはそれをきっかけに軍を離反した。
 あの男はカレッカの事件に関係のある者なのかもしれない。有り得ないことではない。ないけれど……もしかしたら……
「ハンフリーも同じことを思ってる。だからこそ確かめたいんだろう。あいつは、今でもあの事件のことを忘れちゃいない」
 誰もが辛い過去を背負っている。
 それは分かっていたけれど、ハンフリーの気持ちを考えると助けてやりたいと思わずにはいられない。フリックの考えを見透かしたように、ビクトールは笑う。
「大丈夫だ、いざとなりゃあいつが嫌だって言っても手を貸す」
「そうだな」
 何事もなければいいが、とフリックはぽつりとつぶやいた。







 人探しなどあまりやったことはなかったけれど、その気になれば情報を得ることは簡単だ。酒場へ行けば怪しい噂話があちこちで聞ける。さらに詳しい話が知りたければ、少しばかりの金を用意すればいい。難しいのはどの情報が正しくて、どの情報が間違っているかを見極めることだ。その見極めを誤ると、無駄な金を使ってしまうことになる。
 シーナの場合、そんな金を使わなくても大抵の情報は手に入れることができた。背伸びして出入りしている酒場には顔見知りがたくさんいて、シーナのことを可愛がってくれる連中も山ほどいた。皆、純粋にシーナと飲むことが好きなのだ。底抜けに明るくて、あっけらかんとしたシーナと一緒にいると、それだけで楽しくなる。ハンフリーと恋仲になってからは、それまでのように頻繁に酒場に顔を出すことはなくなったけれど、それでもたまに顔を出すと見知った連中が必ずテーブルに呼んで奢ってくれるのだ。
 その夜、シーナはやっとお目当ての男を見つけてテーブルに近づいた。
「ロナウド」
 許可を得るより早く、すとんと前の席に座ったシーナに、声をかけられた男はあっけに取られたような表情を見せ、次に破顔した。
「シーナか、ずいぶん久しぶりじゃねぇか」
「ははは、ロナウドこそ元気そうで何よりだよ」
 伸ばされた大きな手が、ぐりぐりとシーナの金茶の髪を掻き乱す。ロナウドは大声で酒をもってこいと叫ぶと、とりあえず残り少なくなっていた酒をシーナに注いだ。
「何だかちょっと見ない間に、ずいぶん大人っぽくなったな、お前。まだあの旦那と続いてンのか?」
「当たり前だろ!ハンフリーは俺にメロメロだもん」
「はー、そういうことを真顔で言うかね、普通」
 ロナウドはやってられないとばかりに酒を煽る。シーナは両肘をついてくすくすと笑った。
 ロナウドは元傭兵で、今は一応商人ということになっているが、実は情報屋として、裏の世界ではちょっと名の知れた人物でもあった。酒場で知り合った頃は、そんなことはまったく知らなかったシーナだが、やがてその正体を知るようになった。とは言うものの、ロナウドの裏の商売などシーナにとってはどうでもよくて、いつも気前良く奢ってくれるから、という理由で仲良くなったに過ぎなかった。ロナウドの方はといえば、シーナと一緒に飲むのと楽しいという理由以外にも、彼がトランの大統領の息子だということに一目置いていた。可能性は低いけれど、遠い将来シーナが跡を継ぐようなことがあれば、今から顔を売っておいて損はないというものだ。
「ロナウド、ちょっと聞きたいことがあるんだ」
 ひとしきり互いの近況報告を済ませると、シーナが声を潜めた。
「どうした?何か困ったことでもあンのか?」
「人を探してる」
「ほぉ、どこかで見かけた別嬪さんとかか?」
 シーナの女好きをよく知るロナウドがからかうと、シーナは静かに首を振った。
「名前はアルフ。おそらくトランの出身だと思う」
「………」
「もしかすると傭兵だったのかもしれない、でも今は盗賊だ」
「シーナ」
 ロナウドがずいっと身を乗り出して声を潜める。
「お前、いったい何を調べてる?何かやばいことに首を突っ込んでンのか?旦那は知ってるのか?」
「ハンフリーは関係ない」
「嘘つけ、お前がこんな怪しげなこと、あの旦那に関わることじゃなけりゃあするはずがないだろう。正直に全部吐いちまいな」
 ロナウドの目が鋭くなる。シーナはしばし逡巡したあと手の内を明かすことにした。ロナウドに協力してもらうには、下手に嘘をつくのはまずいと思ったのだ。隠し事をしたまま、欲しい情報だけを聞き出すには、ロナウドはあまりにも手強すぎる。
 シーナはこれまでのことを簡単に話し、ハンフリーのことを狙っているアルフのことを探し出したいのだと告げた。
「探し出してどうする?」
「あー、どうすっかなー。とりあえず何でハンフリーのことを狙ってんのか聞くかな」
「呆れたやつだな」
 ロナウドはやれやれというように手を振った。
「アルフレッドはお前の手に負えるようなヤツじゃねぇぞ」
「……っ!知ってんの?アルフってヤツのこと」
 思わず大声を出したシーナを一瞥して、ロナウドはぎしっと背もたれに沈み込んだ。それきり何も言わないロナウドに焦れたようにシーナが先を促す。
「なぁ、ロナウド!」
「お前の言う通り、アルフは元傭兵だ。俺も一時期同じ仕事をしていたことがある」
「………」
 やっぱりという気持ちと、そんな男がどうしてという気持ちが交差する。ロナウドは人差し指で唇をなぞり、しばらく何かを思い出そうとしているようだった。やがて、その表情が固くなる。
「アルフは無愛想な男でな、一緒の部隊にいた時も、誰とも親しくはしていなかった。かろうじて俺とはまだ話をする方だったんだ。そのうちぽつりぽつりとではあったが、自分のことも話すようになった。傭兵なんてやってるヤツの過去なんて、そりゃあロクでもねぇもんばかりだが、あいつの場合はちょっと違った」
 話しているうちに記憶が甦ってきたのか、ロナウドはさらに険しい表情になる。
「あいつは、生まれ育った村を皆殺しにされたと言っていた」
「………っ」
「自分だけが生き残った。たった一人。だから、自分からすべてを奪ったヤツらに復讐するために傭兵になった、と。人を殺せる力を得て、必ず村を滅ぼしたヤツらを殺すと」
「………」
「だが、そのアルフがハンフリーの旦那を狙ってるっていうのはどうもよく分からないな」
 ロナウドは首を傾げるが、シーナにはすべてが分かってしまった。そして、これまで分からずにいたことが分かったような気がして絶望的な気持ちになった。
 アルフはハンフリーのことを殺したいと思っているのだ。それは彼がカレッカの生き残りで、かつてハンフリーが所属していた帝国軍がカレッカを滅ぼしたのだと知っているからだ。
 未だその真実を知る人間は多くはないと聞いているが、何らかの拍子にアルフはそれを知ったのだ。そしてハンフリーを探している。
 それが何を意味するかシーナでなくとも一目瞭然だろう。
「シーナ、何を考えてるか知らないが、アルフと関わり合いになるのはよせ。お前の手に負える相手じゃない」
「だね。できれば一生会いたくない相手だけど、そういうわけにもいかないからさ」
「どうして?」
 ロナウドが厳しい視線をシーナに向ける。遊び半分ならただではおかないという空気に、シーナはことさら明るく言った。
「それはほら、俺、ハンフリーのことをめちゃくちゃアイシテルからさ」
 にっこりと憎めない笑顔でしゃあしゃあと言ってのけたシーナに、ロナウドは何とも複雑な気持ちになった。シーナにここまで言わせることのできるハンフリーを羨ましく思う反面、心のどこかがちくりと痛む。シーナに邪まな感情などこれっぽっちも持ってはしないので、これはきっと子供を取られた親の気持ちに近いのだろう、とロナウドは思う。
「なぁ、アルフとコンタクトとってくれないかなぁ。頼むよ」
 今度は冗談のない真面目な表情でシーナがロナウドに手を合わせる。
「気乗りしねぇな」
「意地悪するなよ。迷惑はかけないからさ」
「そういう問題じゃない。俺が気に入らないのは、旦那が何も知らずにお前にばかりこういうことをやらせてるってことだ。自分の問題なのに一人だけのほほんとしてるのが、な」
「あのさー、これはハンフリーは一切知らないことで、俺が勝手にやってることなんだって。どうしてそうハンフリーのこと嫌うのかなー。ロナウド、もしかして俺のこと好きなの?」
「阿呆らしい。誰がまだ寝しょんべんたれてるようなガキに欲情するかよ」
 ぴんと人差し指でシーナの額を弾き、ロナウドは腰を上げた。寝しょんべんなんてたれてないよっとシーナが唇を尖らせる。ロナウドは片手をついて立ち上がると、小さく舌打ちして言った。
「明日もここで待ってろ、だが、あまり期待はするなよ」
「ロナウド」
 ぱっとシーナの表情が明るくなる。何だかんだと言いながらも、シーナの力になろうとしてくれるロナウドに感謝の気持ちでいっぱいになる。
「ありがと、ロナウド」
「……いつまでもこんなところでうろうろしてないで、さっさと帰ンな。旦那が待ってるだろ」
「うん」
 ロナウドは手を伸ばして、シーナの頭をくしゃりと撫でた。柔らかな髪を引っ張って、じゃあまたなと笑った。





 深夜になってノースウィンドウに戻ったシーナは、足音を忍ばせて部屋の前までやってきて、はたと足を止めた。扉の隙間から光が洩れている。ということはハンフリーがまだ起きているということだ。こんな夜更けに戻れば今日一日どこへ行っていたのだと問い詰められることは目に見えている。そして勘のいいハンフリーのことだから、シーナがアルフのことを探していることにも気づくかもしれない。
「やばいなぁ」
 こんなことバレたら怒られるに決まってる。下手すれば部屋から出してもらえなくなる可能性もある。シーナは少し考えたあと、くるりと踵を返し、そのまま階段を駆け上がった。この時間でも絶対に起きているであろうヤツを一人知っている。
「ディランー。おーい、起きてるんだろー。入れてくれよー」
 どんどんどんどんと扉を叩く。するとしばらく後に、ばんっと扉が大きく開いた。
「うるさいなー。いったい何時だと思ってんだよっ!」
「あれ、もう寝てたの?」
「普通は寝てるだろー」
 ごめんごめん、とシーナがへらりと笑ってディランの横をすり抜けて中へ入る。そして、そのまま飛び込むようにしてベッドに倒れ込む。
「おーい、シーナ、人のベッド横取りすんなよ」
「今日泊めてくれよ。な?」
「な?…じゃないよ。なに、ハンフリーさんと喧嘩したの?」
 ディランがよっこらしょとベッドの上に座り込む。すでにしっかりと毛布の中にまで入り込んだシーナを今さら追い出すこともできないだろうと諦めて、せめてその理由だけでも知ろうと思ったのだ。
「喧嘩じゃないんだけどさー、今帰るといろいろと問題が」
「問題ねぇ、いいけどさ、あとでハンフリーさんに恨まれるようなことはやだからな」
「あはは、大丈夫大丈夫。ほら、ディランも入んなよ」
 毛布の端を捲り上げるシーナに、俺のベッドなんだけど、とディランは肩を落とす。だいたい何が悲しくてシーナと一緒に寝なくてはいけないのだ。どうせ寝るなら好きな相手との方がいいに決まってる。
 二人で狭いベッドに横になり、しばらく静かにしていたが、やがて何を思ったのかシーナがぽつりと言った。
「なぁ、お前って俺のこと襲ったりしないだろうな」
「………追い出すよ、シーナ」
 頬を引き攣らせてディランが静かに言う。それならいいんだけどさー、とシーナは呑気に笑った。そして、ディランに背を向けたまま、小さく聞いてきた。
「ディランてさ、あっちに好きなヤツいるんだろ?」
「………」
 あっち、とは今は敵国となってしまったハイランド。そしてそこにいる大切な親友。もうどれくらい会っていないだろうか。
「好きな相手とずっと離れてるのってさ、心配にならない?例えばさ、他に好きなヤツできちゃったりしないかなーとか」
「それはない」
「うわー。言い切ってるよ。すごい自信だな。じゃあさ、今はこんな時だから、怪我したりとかそういう心配は?」
 シーナの言葉にディランはうーんと唸った。
「誰かに狙われたりとか、闘いの中で、いつか命を落とすんじゃないかとか、そういうことは考えたりしない?」
「……考えないようにしてる」
「………」
「知れば、助けにいかないわけにはいかないから。何よりも大切な相手なんだ。辛いことがあるなんて知れば、きっと全部捨てて会いに行きたくなる。でもそれは、今の俺の立場ではできないことだし、必要なのはそんなことじゃないんだ。もっと根本的な問題を解決しなくちゃ、結局誰も救うことなんてできないんだよ。だから……そうだな、もし知っても……俺は行かないだろうな。だから考えたくないんだよ」
 ディランは大きな運命を背負っている。自分一人の想いを優先させるには、もうその立場が大きすぎる。好きな相手が苦しんでいると知っても、何もできないでいることがどんなに辛いことか、今のシーナにはよく分かる。
 難しい話はよく分かんないけどさ、とシーナが暗闇の中、話し掛ける。
「誰でもそうだよな、好きな相手のことはやっぱり大切だから、何かあれば助けたいって思うし、それは当然だよな。俺はすぐ近くに好きな人がいて、それができるけど、ディランはできないからきっといろいろと思うところあるよな。でも…そうだな、お前にはやらなくちゃいけないことがあって、それが最終的には好きな相手のことも助けることになるんなら、やっぱりいろいろ頑張らないとだめだって思うよな」
「ま、そういうことだね」
「ごめんな、俺あんまり役に立てなくてさ。戦争とかってすっげぇ嫌だとは思うんだけど、たいして強いわけでもないしさ、頭もよくないし、お前の役に立てないよなー」
「シーナ」
 ディランが寝返りを打って、シーナへと顔を向けた。その気配に、シーナも寝返りを打つ。横たわったまま、部屋は暗くその表情は見えないけれど、ひどく間近で声がした。
「シーナ、俺はここに集っている人間の中で、役に立たない人間なんて一人もいないと思っている。それぞれに役割があって、そこに優劣なんてないんだ。俺はさ、人間なんて所詮は一人で生きていくんだから、ってずっと思ってたけど、ここでみんなと出会って、そうじゃないってことを知ったよ。人との繋がりがどれほど大切なものかも、今なら分かる。シーナにはシーナの役割があるんだ。それは闘いの中で果たされることじゃないかもしれないけど、それが必要なんだよ、みんなにとっても、俺にとっても」
 ああ、とシーナは胸が熱くなるのを感じた。
 こいつはこんな風に考えることのできる人間だから、盟主としてこの同盟軍を率いていくことができるんだなぁとシーナはしみじみ思った。真面目そうに見えてずるいところがあって、強いかと思えば思いかけないようなことで弱さを見せる。礼儀正しいのかと思えば、ずいぶんとふてぶてしい態度を見せたりもする。どれもディランの本当の姿で、彼はまだ若いから揺れ動くこともいっぱいあって、それでもこうしてみんながついていこうと思うのは、彼が大切なことをちゃんと見抜く力を持っているからなのだ。
「そっか」
「そういうこと」
 ありがとうなんて口にするのはやっぱり気恥ずかしくて、シーナはおやすみとだけ言って再びディランに背を向けた。
 そのあとすぐに静かな寝息を立て始めたシーナとは違い、ディランは中途半端に眠りを覚まされて、寝相の良くないシーナに蹴り飛ばされたりと、なかなか寝付くことができなかった。
 結局、眠れたのは朝方近くになってからで、次に目がさめた時には、すでにシーナの姿はなかった。テーブルの上に、下手くそな字で、
『サンキュー、助かったよ』
 と、メモが残されていた。
「……いったい何なんだ、あいつは」
 やれやれと苦笑して、あんな気まぐれなヤツと付き合っているハンフリーはやっぱりすごい男だと、ディランはしみじみ思った。
 一方のシーナは朝早くに起き出して、さっさと朝食を食べてしまうと本拠地を出た。そしてロナウドとの約束の時間まで適当にぶらぶらと暇を潰した。
 ここでハンフリーに捉まるわけにはいかなかった。何としてもアルフに会って、ハンフリーに抱いている誤解を解かなくてはならない。ハンフリーのことを恨むのは間違っていると、ちゃんと教えなくてはならない。
 夕刻、昨日と同じ酒場に出向いたシーナは、昨日と同じ席でロナウドが来るのを待った。声をかけてくる連中をどれくらいやりすごしたか。いい加減待ちくたびれて、アルフとは連絡がつかなかったのかと思い始めた頃、シーナのすぐ横に男が立った。
「遅いよ、ロナウド……」
 文句の一つでも言ってやろうと顔を上げたシーナはぎくりと息を飲んだ。
 そこに立っていたのはアルフだった。
 初めて会った時と同じ冷たい目でシーナのことを見下ろす男に、シーナは咄嗟に言葉が出なかった。


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