Last Fight 4 「お前がシーナか?」 アルフが低くつぶやく。がたんと音をさせて思わず立ち上がったシーナに、アルフは小さく笑った。 「何をそんなに驚いている。ロナウドに頼んだのだろう?俺に会いたいと」 「……ああ…うん…」 アルフはシーナの向かい側に腰を下ろすと、通りかかった店の者にビールを頼んだ。シーナも大きく深呼吸をして、椅子に座った。まさかこんな簡単にアルフに会えるなんて思っていなかったのだ。今夜はアルフの情報程度が手に入ればいいと思っていただけに、突然こんな風に会うことになると、心の準備ができていないだけに戸惑ってしまう。 アルフは懐から煙草を取り出すと火を点け、大きく煙を吐き出した。 「で、俺に何の用だ?」 「………」 シーナはごくりと喉を鳴らした。いざこうして面と向かうと、何から話していいか分からなくなる。おまけに、どうやらアルフはシーナのことを覚えていないようだった。確かにあの時は、部屋の中も薄暗かったし、ほんの少し見ただけのシーナのことなど忘れているのだろう。 「ロナウドに昔のことをあれこれ聞かれた。お前が俺に会いたいという理由は何だ?俺のことを嗅ぎまわっているのは何故だ?」 いつまでたっても話そうとしないシーナに苛立ったようにアルフが声を荒げる。 「お前は何者なんだ?」 「忘れたの?あんたたちに酷い目にあわされたんだけどな、ついこの前」 「………?」 「同盟軍の陣を狙った連中とはまだ一緒にいるの?」 シーナの言葉に、彼が何者か分かったのだろう。アルフの表情が硬くなり、やがて何がおかしいのか、低く笑い出した。 「何笑ってんのさ」 「そうか、あの時のガキか。そういえばヤツらに酷い目にあったようだな。だが、俺が命じたわけじゃないし、あのあと連中は殺されたんだろう?おかしな逆恨みはよしてくれ」 どうやらアルフはあの時のことでシーナが自分のことを探していると思ったらしく、少しばかり警戒心を解いたように見えた。 「仲間が殺されたっていうのに、ずいぶんあっさりしたもんだね」 「仲間?」 こりゃいいとアルフが声を上げて笑う。 「別に連中は仲間でも何でもない。たまたまどこかの酒場で知り合って、ちょうど金もなかったし、話に乗っただけだ。頭の悪い連中ばかりだったから、ちょっと知恵を貸してやった。それだけだ。俺は金さえ手に入ればそれでいい。連中が死のうがどうしようか知ったことじゃない。今までの中じゃあ長く一緒にいた方だが、ヤツらに対して何の感情も持っていない」 何の罪悪感も感じていないその言葉に、シーナは胸の悪さを覚える。 「連中に何をされたか知らんが、運が悪かったと思って諦めるんだな、命が助かっただけでも儲けものだ」 「違うよ。あの時のことで探してたんじゃないんだ。あんた、ハンフリーのことを知ってるみたいだったから」 「………っ」 ハンフリーの名を口にしたとたん、アルフはそれまでとは一変して冷たい表情になった。あの夜に見たような、心まで冷たくなるような鋭い目つき。アルフはぐいっとシーナの手首を掴むと怒りを押さえたような低い声で言った。 「あいつを知っているのか、あの人殺しを」 お前も同盟軍の人間なのか、とアルフはシーナのことを眺める。恐らくどうしてこんな子供が同盟軍の一員なのだと思っているのだろう。けれど、今はそんなことは関係ない。シーナはアルフの手を振り解くと、静かに言った。 「ハンフリーは人殺しなんかじゃないよ。あんたが、そうやってハンフリーのことを誤解してるみたいだから、ちゃんと話をしたいと思ったんだ。だからロナウドに頼んで、連絡をとってもらった」 「誤解?はっ、馬鹿馬鹿しい、何も知らないくせに余計な口を出すな」 アルフは話は終わりだとばかりに席を立つ。 「カレッカのことはハンフリーのせいじゃない」 「………っ」 思わず言った言葉に、立ち去りかけたアルフが足を止める。ゆっくりとシーナを振り返ったその表情はどこか深く傷ついたような、そんな風にも見えて、シーナは少し心が痛んだ。 「あんたは……カレッカの人間なんだろう?今はもうないあの村の……」 「何故それを知っている?」 アルフの冷たい視線を受けながら、シーナは自分の考えていたことを口にした。 「あんたは、ハンフリーのことを「ハンフリー・ミンツ」と呼んだ。あれは、ハンフリーがまだトランの帝国軍にいた頃に呼ばれていた名前だって聞いてる。もう今はその名で呼ぶ人間はいない。あんたがそれを知っていることと、あの夜……あんたがハンフリーに斬りかかったこと、ロナウドからあんたが自分の村を滅ぼされたと話していたこと。それだけあれば俺にだって想像はつくよ」 「………」 「あんたはハンフリーがカレッカの村を滅ぼしたと思ってる。だから……だからハンフリーに復讐をしたいと思ってる……そうだろう?」 それまで黙ってシーナの話を聞いていたアルフは、やがて開き直ったようにそのすべてを認めた。 「ああ、そうだ。俺はカレッカの村で生まれ育った。お前も知っているようだが、カレッカはあの闘いの最中、都市同盟の奇襲にあって全員皆殺しにされ、村は焼き払われた。だがな、全部嘘っぱちだ。本当は都市同盟の仕業じゃない、帝国のやったことだ。わかるか、帝国軍の連中が、戦争の作戦の一つだといってやったことだ。都市同盟のせいにして、士気を高めるために、あんな残酷なことをやったんだ。村を一つだぞ、そこにいた人間を全員……何の罪もない人間をすべて殺したんだぞ、それがどういうことか、お前に分かるか?」 「………」 「小さな子供も、まだ若い女も、身体の不自由な老人も、それまで幸せに暮らしていた人間をただ戦争に勝つためにというだけで、ヤツらは殺した。殺したんだ」 ぎりっと血の滲むほどに唇を噛み締めて、アルフはシーナに消せない悲惨な過去を聞かせる。それらはすべて事実で、シーナには何も言うべき言葉はなかった。実際、ひどい話だと思う。その事実をまだ大半の人間は知らないでいる。そのことの方がひどい話だと思う。 「妻がいた」 「……」 「出稼ぎに出かけていた俺に代わって、俺の両親と一緒に暮らしていた妻がいた。もちろん殺された。腹の中には俺の子がいた」 「………っ!」 ああ、とシーナは全身の力が抜けるような痛みに襲われた。 カレッカに戻ってきたアルフは、姿を変えた村を見てどう思っただろう。焼け崩れた瓦礫の中、両親を、妻を、まだ見ぬ子を探し続けたのだろうか。誰一人として生きてはいない廃墟の中、すべてを奪われいったい彼は何を思ったのだろうか。 想像もできないほどの苦しみがそこにあって、シーナはそれをどうすることもできない。 「ハンフリー・ミンツは俺からすべてを奪った人間の一人だ」 アルフの言葉に、シーナはぎゅっと胸元を掴んだ。 「俺はあの時、村を滅ぼした連中を一人残らず殺してやると決めた。今までに3人、あの時の指揮をしていた人間を見つけ出して殺した。ハンフリーはトランから姿を消したと聞いていた。まさか同盟軍にいるとは思いもしなかったが、あの夜巡り合えたのは運命だな。天は俺に味方してるってわけだ。居場所さえわかればもう殺ったも同然だからな」 「違う……ハンフリーは……」 最後まで言わせず、アルフはシーナの腕を掴むと立ち上がった。そのままぐいぐいと引きずるようにして店を出る。 「何だよ、離せよっ!どこに行くんだよ」 「ちょうどいい、お前のことを利用させてもらう」 「な、何だよ、俺を囮にしてハンフリーを呼び出すつもりかっ?ハンフリーは……俺のためにほいほいやってきたりするもんか!」 「自分の命を助けるためには仲間の命を見捨てるか?なるほどそれならそれでもいい。ヤツが来なければ、お前の首をヤツに送りつけるだけだ」 違う。もし自分が捕まったと知れば、ハンフリーはあの時と同じように飛んでくるだろう。そんなことは誰に言われるまでもなくシーナ自身が一番よく知っていることだ。 アルフは本気でハンフリーのことを殺そうとしている。ハンフリーとアルフを会わせてはいけない。必死に抗うシーナに、アルフが小さく舌打ちする。 「安心しろ、俺にはおかしな趣味はないから、乱暴なことはしないさ」 「………っ」 「お前は、大事な切り札だからな」 シーナを見るアルフの目は、やはり冷え切ったものだった。その理由を知ってしまったシーナは一方的にアルフのことを責める気にはなれなかった。 ハンフリーのことが心配だという以上に、シーナは傷ついたアルフのことも気になって仕方なかったのだ。 同盟軍の軍師であるシュウは、いつも愛想の悪いしかめっ面で黙々と執務をこなす男だが、その日はいつもに増して渋い顔をしていた。 呼び出されたハンフリーは目の前に差し出された手紙を手にすると、ざっと目を通した。 横からビクトールもフリックも覗き込む。 「シーナが捕らえられた」 シュウは大きく溜息をつくと、ぎしっと音をさせて椅子から立ち上がった。 「捕らえられたって、誰に?」 「アルフレッドという名前に聞き覚えはあるか?シーナを引き取りに来いと書いてる。何故か、ハンフリーが指名されている」 その場に集まった3人の男たちは互いに顔を見合わせた。 ハンフリーはもちろんビクトールたちも、アルフレッドというのがあの時の男のことだということはすぐに気づいた。 「シーナ、あの馬鹿……」 ビクトールが忌々しげに舌打ちする。そして、ハンフリーの心配に、放っておけばいいなんて簡単に言ってしまったことを、今さらだが後悔した。ハンフリーは表情を変えずに同盟軍に送りつけられてきた手紙をくしゃりと握りしめた。 「ハンフリー、お前、その男と知り合いなのか?」 シュウが厳しい声で尋ねるが、ハンフリーは黙ったまま肯定も否定もしない。ハンフリーが無口なことはとっくに承知なので、返事がなくともシュウは勝手に続ける。 「その男、トランからのお尋ね者としてのリストに名があった。かつての帝国軍の軍人を、今ままでに数人殺しているそうだ。先の戦争が終わったあと、それもずいぶんと時間がたってからな。物取りではない、怨恨に近いずいぶんとひどい殺し方をしているそうだ」 はっとしたようにビクトールとフリックが顔を上げる。シュウは真っ直ぐにハンフリーに向かって語気を強めた。 「その男が、どうしてお前を呼び出そうとしているのか、俺に分かるように説明してみろ。理由もなく、大事な戦力を行かせるわけにはいかないからな」 「………」 その時、ばたばたと扉の向こうが騒がしくなり、誰かの制止の声と共に大きな音がして扉を開いた。 「おい、ハンフリーはいるかっ」 いきなり入ってきた男が大声を出す。 「……な、何だ?」 びっくりしたフリックが思わずオデッサに手をかける。だが、その手をビクトールが止めた。 あとからやってきた者が「すみません」と項垂れるが、ビクトールが大丈夫だと手を振った。 「ロナウドじゃねぇか」 「お、ビクトールの旦那、久しぶりだな」 はぁはぁと息をしながら現われたのは、シーナがアルフの情報を教えてくれと頼んだロナウドだった。さほど懇意にしているわけではなかったが、ビクトールもハンフリーもロナウドのことは知っている。もっとも同盟軍での仕事をしてもらったことはないので、もっぱら私的にちょっとした仕事を頼むくらいの付き合いしかなかったが。 「どうしたんだ、ロナウド」 「シーナ……シーナは戻ってるか?」 一瞬、その場にいた人間の顔が険しくなる。たった今、シーナが捕らえられたという話をしていたのだから、ロナウドの口からシーナの名前がでるのはあまりにもタイミングが良すぎる。 「シーナがどうした?何かあったのか?」 ビクトールが素知らぬふりをして尋ねると、ロナウドは気まずそうに一度ハンフリーを見て、そして口を開いた。 「実は昨夜、シーナと約束をしていたんだ。人を探してくれと頼まれて、そいつの情報をもっていくつもりだった。だが、野暮用ができちまって時間よりも遅れて店に着いたんだ。そしたらシーナはもういなかった。店の連中に聞くと、……どうやらアルフがシーナを連れていったようだ」 「アルフ……アルフレッドか?」 フリックが眉をしかめる。 「ああ、すまん、アルフとコンタクトは取ったんだが、……まさかヤツがシーナに直接会いに行くなんて思いもしなかったから……っ」 突然にハンフリーの手が伸び、ロナウドの胸倉を掴んだ。ハンフリーに似合わない乱暴な仕草に、フリックがはっとする。ハンフリーは語気を強めてロナウドに詰め寄る。 「どうしてシーナにアルフのことを話した?ヤツがどんな男なのか、お前は知っていたんじゃないのか?それなのにどうしてっ!」 「あんたのためだと言っていたっ」 ロナウドが大きく怒鳴ると、ハンフリーがはっとしたように手を離した。ロナウドは乱れた衣服を正すと、逆に怒りを滲ませた表情でハンフリーに怒鳴った。 「シーナは、ヤツに会って話をしなければと言っていた。アルフがあんたを狙っているから、そうさせないように、あんたを助けるために話をすると。あんたがシーナのことをちゃんと見ていないから、あんたが……あんたがシーナを危険な目に合わせたんじゃないのかっ」 「……っ!」 「よせっ」 ビクトールが間に入り、ロナウドの肩を叩く。 「今そんな話をしていても仕方がないだろう?で、ロナウド、アルフとは連絡がつくのか?ヤツがシーナのことを捕らえたのは間違いねぇんだよ、さっき手紙が来てな」 ハンフリーを呼び出すためにシーナを捕らえたことを書いた手紙のことを話すと、ロナウドはくそっと毒づいた。 「あのあとすぐにアルフが宿にしていた場所へ行ってみたんだが、もういなかった。どこへいったかは分からねぇ。もしかしてちゃんとシーナが戻ってるならと思ってここへ来たんだが」 「そうか。まぁ、こうして呼び出しの手紙が来てるくらいだ。あいつにとってシーナは切り札だとしたら、そうそう簡単に殺したりはしねぇだろうさ」 ビクトールはそう言うと、シュウに向かってそういうわけだからよ、と肩をすくめた。 「俺たちでちゃんとシーナを取り戻すから、心配しないでいい」 「……で、アルフというのは誰なんだ?」 ただ一人、蚊帳の外にいたシュウは不機嫌そうな表情で、犯人の男が誰なのかとビクトールに尋ねるが、当のビクトールは言葉を濁した。ビクトール自身、フリックと話していたことが正しいことなのかどうかも分からなかったし、当事者であるハンフリーが黙っているのに、勝手に自分がすべてをバラすわけにもいかない。 しかし、シュウの言葉に、今度はハンフリーははっきりと答えた。 「ヤツはカレッカの生き残りだ。俺を探している」 瞬間、部屋がしんと静まり返った。誰も声を出すことができなかった。 「……そうか」 静けさを破ったのはシュウだった。 たった一言のハンフリーの言葉で、シュウはすべてを理解したようだった。かつて解放戦争の中で起きた悲劇のことは、当然シュウも知っている。その真実が何であるかも。 ぎしっと軋んだ音をさせて、シュウは椅子に座り込むと深く背もたれに沈んだ。 「お前の責任で、シーナを連れて帰って来い。せいぜい気をつけることだ。自分の命と引き換えに何かを成し遂げようとしている者には不思議な力がある。それは、そこにいる男もよく知っているはずだ」 そう言ってビクトールへと視線を向ける。ビクトールは小さく舌打ちしてそんなシュウを見返した。 「どんな理由があるにせよ、ヤツは人殺しには違いない。見つけ次第捕縛するようにと、トランから連絡もきている。……おかしな同情で気を抜くんじゃないぞ」 シュウはもう行けと静かに言った。 「俺たちも行くぜ」 執務室を出ると、フリックは当たり前のようにハンフリーに言った。 手紙には一人で来いとは書かれてはいなかった。アルフの元にハンフリーだけを行かせるのはあまりにも無謀だ。シュウの言う通り、覚悟を決めた人間は何をするか分からない。 けれどハンフリーはフリックの申し出に首を振った。 「いや、一人で行く」 「何言ってんだ」 「俺の問題だ、俺が片をつける」 「ハンフリー」 ビクトールがハンフリーの肩を叩く。 「なぁ、ハンフリー、確かにこれはお前の問題なのかもしれねぇがな、別に邪魔しようってわけじゃねぇんだ。お前があの件でどれほど苦しんでいたか、俺たちだって知っている」 「………」 「だから、お前の気持ちが分からないわけじゃねぇが、仲間の助けがいる時もある。シーナのこと無事に助けたいなら、少しでも助けの手はあった方がいい。お前のためじゃない、シーナのためだ。おかしな意地を張るなんて、旦那らしくねぇぜ」 「………」 「それともお前、黙ってアルフに殺されてやるつもりじゃねぇだろうな」 ビクトールの言葉にハンフリーは目を伏せた。 どれほどに償っても、償いきれない罪がある。あれは戦争という中での出来事で、ましてや自分たちはその作戦の本当の意味を知らされていなかった。そんな言い訳はいくらでもできる。本当に糾弾されるべきが誰なのかも、頭では分かっているつもりだった。けれど、割り切ってしまえるほど心は強くなれない。 戦争ならばここまで思い悩むこともなかっただろう。軍人として、戦争の中で人の命を奪うことの意味は少しは分かっているつもりだ。 けれど、あれは戦争ではなかった。 あれはただの殺戮だ。自分は意味もなく、罪のない人間を殺してしまったのだ。 そのことに、ハンフリーはずっと苦しんできた。 「ハンフリー、一人じゃ絶対に行かせないからな」 フリックがきっぱりと言い切った。 場末の酒場の二階にある小さな部屋で、シーナは開け放した窓の外を眺めていた。客引きの女たちが通りすがりの男たちに声をかける。賑やかな通りは夜になっても、いや夜の方が明るく人通りがあった。 シーナは縛られるわけでもなく、アルフによって部屋に軟禁されていた。部屋の窓から飛び降りることも、しようと思えばできたけれど、逃げ出したところでアルフはもうハンフリーの居場所を掴んでいるのだ。いつでも殺しにいくことはできるだろう。 それならば、もう少しアルフと話をして、ハンフリーへの誤解を解きたいと思ったのだ。 (妻がいた) (ハンフリー・ミンツは俺からすべてを奪った人間の一人だ) アルフの言葉が何度もシーナの中で甦る。そうじゃないと叫びながらも、ハンフリーがカレッカの虐殺に関わった人間であることもまた事実であり、その事実を消せるものはどこにもないのだ。 ハンフリーは恨まされるようなことをするような人間ではないと思っているのに、その事実にやはり心が痛む。ハンフリーは悪くはない。けれど、それはシーナ自身がそう信じたいだけなのだろうか。彼が犯した罪は許されるべきことではないが、それはハンフリー自身の罪ではないのだ。アルフに、どう言えばそれを分かってもらえるのか、今のシーナには分からなかった。 彼に伝えるべき言葉が見つからないのだ。妻を、子供を失ったという話は、シーナのことをひどく打ちのめしていた。 「ちくしょう」 じわりと涙が浮かびそうになって、思わずシーナは目元を拭った。その時、鍵が開く音がして、出かけていたアルフが戻ってきた。夕食らしきものを手にして、後ろ手に扉を閉める。 「大人しくしていたようだな」 「逃げるつもりもないしね。お腹すいたな。それ、俺のごはん?」 テーブルに置かれた食事にシーナは目を輝かせる。その無邪気な様子に、アルフは呆れたような笑みを浮かべる。 「度胸があるのか、それともただの馬鹿なのか、分からんヤツだな」 「どっちかというとただの馬鹿かな、後先考えずにこんなことして、絶対にハンフリーは怒ってるだろうし」 ハンフリーの名が出たとたんアルフは口を閉ざし、開けっ放しの窓を閉めた。外部の音と遮断された部屋は急にしんと静まり返った。 手にしたフォークで肉を突き刺し、シーナは口へと運んだ。正直なところあまり食欲はなかった。それでも無理にでも食べなければいざという時に力が出ないだろうと思うので、柔らかな肉を口へと入れる。 アルフは無言のままシーナの向かい側に座り、持ってきた酒をグラスに注いだ。 「……なぁ、本当にハンフリーのことを殺すつもりでいるの?」 「………」 「あんたの気持ちは……分かるけど……でも、ハンフリーは今まで何も感じていなかったわけじゃないんだよ」 シーナはフォークを置くと、ゆっくりと言葉を選びながらアルフに言った。 「ハンフリーはあの事件の裏側にある真実を知らなかった。すべてが終わってから知ったんだよ。そして帝国軍を離れた」 「………」 「自分が犯した罪を知ってるから、そのことを忘れたことなんてなかった。ハンフリーはあんたが思ってるような極悪非道な悪党じゃない。長い間ずっと傷ついてた。後悔してないなんてこと、絶対にない……」 シーナが必死に訴えても、アルフは表情一つ動かさない。気まずい沈黙が流れ、やがてアルフがとんとグラスを置いた。 「すべてをただ戦争のせいにしてしまうには、その罪はあまりにも大きいとは思わないか?」 「……っ」 はっと顔を上げたシーナから視線を外し、アルフは椅子の背に片肘をついた。 「犯した罪の大きさに後悔をして、それを戦争のせいにする。あれは自分のせいじゃない。自分はただ命じられたから従っただけだ、知らなかったんだ。そんな風に人はその罪から逃れようとする。忘れようとする。なるほど、それは嘘ではないだろう。だが、だからといって許されることではない」 「……それは……」 「例えどんな理由があろうと、俺の妻と子供は殺された。それだけは間違いようのない事実だ。あいつがその場にいた。それも事実だ。俺にとってはそれがすべてで、十分ヤツを殺す理由になる」 「………」 「シーナ、まったくの悪人がいないように、まったくの善人などこの世にはいない。ハンフリーは悪いヤツではないかもしれない。それを否定するつもりはない。俺はそれほどヤツを知っているわけではないからな。だが、俺にとってはそんなことはどうでもいいことだ。ヤツは俺の妻と子供を奪った人間の一人だ、それだけでいい」 シーナはきゅっと唇を噛み締めて、うつむいた。 「ヤツが恥を知ることのできる人間で、罪の意識があるというのならば、ちょうどいい、これを最後にすることができる」 アルフの言葉の意味は、その時のシーナには理解できなかった。ただ、彼を止めることのできる言葉はもうないのだと思い知らされた。 ハンフリーは100%悪くはないと、シーナには言うことはできなかったのだ。どちらが正しいとか、どちらが間違っているとかではない。もしかすると、アルフの方が正しいのかもしれない。けれど、シーナはハンフリーのことが好きだから、だからどうしても彼が殺されるなんてことは耐えられないし、辛かったのだ。 つ、っとシーナの頬を涙が流れた。 こんな風に戦争は容赦なく大切なものを奪ってくのだ。闘いが終わったあとも、傷ついた心は癒されることなく、誰かを憎み、殺したいと思うほどに心を痛め、そしてそれを止めることはできない。 「明日、ヤツと会う」 「………っ」 涙で濡れた頬で、シーナはアルフを見た。 「これで最後だ。ヤツで、俺の復讐はすべて終わる」 できることならいくらでも願っただろう。 ハンフリーを許して欲しいと。 ハンフリーは、どうするのだろうか。アルフのことを知れば、あのハンフリーはいったいどうするのだろうか? 黙って殺されるようなことはないと分かっているのに、不安が胸をしめつける。 シーナはアルフから逃げるようにしてベッドに潜り込むと、押しつぶされそうな恐怖に目を閉じた。 NEXT |