10 years


 数週間前、とあるモンスターの攻撃魔法で、フリックとマイクロトフが10歳若返るという珍事が起きた。共に現在の記憶はなくなり、見た目も中身も18歳と16歳に戻ってしまったのだ。
 シーナはまったくの部外者だったので、
「面白いことが起こったなぁ」
 などと、軽い気持ちで一連の騒動を遠巻きに眺めていた。
 ちゃんと元に戻るのだろうか、と心配されていた二人も時間薬が効いたのか、無事に元の姿に戻ることができた。若返っていた時の記憶は綺麗さっぱりなくなっていたので、大騒ぎをしたわりに、本人たちはけろりとしたもので、周りの人間の方が疲れてしまったのである。
 そんなドタバタ騒ぎも一段落し、王国軍との闘いも小康状態に入ったある日のことだった。


「つまんないよー」
 ぶらぶらと足をばたつかせながら、シーナは中庭の芝生に座り込んで剣の手入れをしているビクトールに文句を言った。
「そんなこと言われてもなぁ」
 ビクトールは苦笑を洩らす。
 あまりの好天に誘われて、ふらりと表に出たシーナは、そこにビクトールの姿を見つけた。
 暇を持て余していたシーナは、これ幸いとばかりにちゃっかり隣に座り込んだ。
 ビクトールもシーナと話すのは頭を使わなくていいので、適当に相槌をうちながら慣れた手つきで剣の手入れを続けていた。
「あーあ、暇だなぁ」
「お前なぁ、そんなに暇なら道場へでも行って、マイクロトフに鍛えてもらえ」
 毎日ふらふらと遊びほうけているシーナは、意外なことにそこそこ剣の腕がたつ。本人がその気になれば、もっと強くなれるだろうに、一向に訓練をしようとはしない。
「えー、あのマイクロトフに付き合ってちゃ身体がもたないよ。本当に訓練が好きだもんなーあの人」
「青騎士団の連中は文句一つ言ってないがな」
「変な集団だよ。団長の言うことは絶対なんだもんなー、盲目的に誰かを信じるなんて、問題あるんじゃないのかなー」
 シーナが首をかしげると、ビクトールはふんと鼻を鳴らした。
「騎士団の連中は馬鹿じゃない。相手が盲目的に信じていい相手かどうかを見抜く力は持ってるさ。マイクロトフもカミューも、そうされるだけの力と人望を持ってるってことさ」
「ふうん」
「大切なものを見抜く力ってのは大事なんだぜ」
「何だよ、それくらい俺にだって分かってるって」
「どうだかな」
 子供扱いされて、さらにシーナがむっと唇を尖らせる。そこへ目にも鮮やかな青いマントを翻してフリックが血相を変えてやってきた。
「ビクトール!」
「お、どうした?」
「大変だ」
「だからどうした」
 はぁはぁと肩で息をするフリックに、ビクトールはのんびりと先を促す。
 フリックは口を開きかけて、シーナがきょとんと自分を見上げているのに気付き、はっとしたように表情を変えた。そしてそれまで叫んでいた台詞をシーナへと向けた。
「シーナ!大変だ」
「ど、どうしたんだよ」
「ハンフリーが…」
 言い終わらないうちに立ち上がり、シーナはぐいとフリックの胸倉をつかんだ。
「ハンフリーが何だって?」



 ばたばたと派手な足音をさせ、シーナは先頭をきって医務室へと走っていた。
 そのあとを追いかけるようにしてビクトールとフリックも走る。すれ違った女性たちに
「廊下を走らない」
 と叱られながらも、三人はばたばたと医務室へ向かう。
「ハンフリー!」
 叫び声と共に扉を開けると、ホウアンとトウタがそろって静かに、と注意をした。医務室の中にはどこか申し訳なさそうな顔をしたマイクロトフが立っていた。
 はーはーと息を切らしたシーナは慌ててベッドのそばに駆け寄る。
 そして、そこに横たわっているハンフリーを見て、呆然とする。
「うわー、ほんとに若くなってる」
 ぜいぜいと息を切らしたフリックが 「だから言っただろう」 と最後まで疑いの目を向けていたシーナに舌打ちした。
 だがシーナが疑うのも仕方のないことだった。
 誰が再びモンスターの攻撃魔法で10歳若返るなんて事件が起こると思うだろうか。それも選りにもよってハンフリーが攻撃を受けるなんて。
「いったい何があったんだよ」
 くるりと振り返ったシーナが、今朝ハンフリーと一緒に出かけていったフリックを問い詰める。
 フリックの説明によれば、朝早くに城を出た一行は、予定よりもずいぶん早く目的地に辿り着いたらしい。数日前、同盟軍リーダーの元に、最近モンスターが異常発生していて困っている、何とかしてくれないか、と近くの村人から相談があった。
 ここのところ大きな闘いもなかったので、参加したいという猛者が次々と現れ(みんな力を持て余していたのだろ)今回のモンスター狩となったのだ。
 なるほど現地に着いてみると、見るからにモンスターの仕業だと思われる爪あとがあちこちで見られた。かなりの数のモンスターがいると分かったので、パーティを二手に分けることにした。
 フリックをリーダーとするパーティと、マイクロトフをリーダーとするパーティである。
 ハンフリーはマイクロトフと一緒に行動をしていたらしい。出くわしたモンスターを片っ端から片付けていた二人だったが、気が付くと互いの姿を見失っていた。
 周りにたむろしていたモンスターをすべて始末したマイクロトフがハンフリーの姿を探し始め、やっと見つけた時、すでに彼は…
「若返ってたんだ?」
 呆然とシーナがつぶやく。
 10歳若返ったということは、今ハンフリーは25歳ということになる。
「信じられない」
「申し訳ない、俺が一緒にいながら……」
 マイクロトフがくっと拳を握り締め、肩を落として項垂れる。
「お前のせいじゃねぇだろ、で、そのモンスターは始末したのか?」
 これ以上同じような被害が出ちゃ困るしな、とビクトールが言うと、マイクロトフは大きくうなづいた。
「フリック殿と二人でちゃんと片付けてきました」
「ハンフリー……大丈夫なのかな……」
 つぶやくシーナの肩を、ビクトールがぽんぽんと叩く。
「まぁそう落ち込むな、前例からすりゃあ死ぬことはねぇんだしよ」
「そういう問題かよ!」
「お静かに」
 ホウアンがぴしりと言い放つ。
 そんな周りの騒がしさに気付いたのか、横たわっていたハンフリーが小さく身じろいだ。
「ハンフリー!」
 わらわらとベッドの周りに集まり、みんな不安げにハンフリーの顔を覗き込む。
 ゆっくりと瞼を開いたハンフリーは、自分の周りに大勢の人間がいることに驚き、飛び跳ねるようにしてベッドから起き上がった。一瞬のうちに周囲の状況を読みとったのか、腕を伸ばしてベッドサイドに立てかけてあった大刀を掴み取る。
「ハンフリー!」
 無意識のうちにその手を掴んだシーナの手を強い力で振り払い、いつにない殺気を帯びた視線を投げつける。
「誰だ?」
「……っ」
 低い声は聞きなれたものだった。けれど、シーナの知っているハンフリーの声よりもやっぱり若い。自分を見る視線は赤の他人を見るもので、その居心地の悪さにシーナはのろのろと手を引いた。
 分かっていたこととはいえ、あからさまにそんな目で見られるとショックである。
 そんなシーナの頭をつかんで横へと退かせると、緊張感のない声でビクトールがハンフリーの前へと進み出た。
「あー、ちょっと落ち着けって、本当に突然のことで何が何だかわからないとは思うけどよ、何から説明すりゃいいのかなー。10年前ってことは、25歳か。まだフリックとも出会ってねぇよなぁ。困ったね、こりゃ」
 さして困った様子のないビクトールをシーナが軽く殴る。
「楽しむなよっ!馬鹿熊っ!!」
「分かった、分かった、俺がちゃんと説明してやるからよ」
 まだ警戒心を露わにしているハンフリーに、ビクトールはこの不思議な出来事について説明を始めた。モンスターの攻撃魔法によって10歳若返ってしまったこと、そして現在の状況。
 ハンフリーはこれといって反論もせず、うなづきもせず話を聞いていた。
「騒ぎ立てないあたり、さすがハンフリーだな」
 小声でフリックが言うと、マイクロトフもうなづく。
「俺ならもっと取り乱してしまうと思うのですが」
「そうだな」
 ビクトールが一通りの話を終えると、ハンフリーはそうか、とだけ言った。
「それだけか?」
 眉をひそめるビクトールにハンフリーの方が不思議そうな顔をした。
「お前たちが嘘をついているようには見えないからな。それに、今までそんな攻撃魔法を持つモンスターというのは遭遇したことはないが、いてもおかしくはない」
「そ、そうか」
「それに、話によれば、時間がたてば元に戻るのだろう?」
「前の時はそうだった。数週間ってとこだな。それよりも早いかもしれないし、遅いかもしれないが、元に戻らないなんてことはねぇだろう」
 なぁ、とビクトールがホウアンへと振り返ると、そうですね、とホウアンも返す。
「ならば、慌てても仕方がない。今自分ができることをするしかない。で、10年後の俺は、いったい何をしているのだ?」
 あまりにもあっさりとこの異常な状況を受け入れたハンフリーを目の当たりにし、その場にいた全員が思わずフリックとマイクロトフを見た。
「何だよ」
「何ですか?」
 いや、と誰もが首を振る。
 同じ状況に陥った二人とは反応が違いすぎる。このあたり、歳の差なのであろうか、と誰もが口にはせずに思っていた。
 ビクトールが今の状況を簡単に説明すると、ハンフリーはほんの少し眉を顰めた。
「帝国は…滅びたのか……?」
「……まぁ…そういうことだな…」
 ハンフリーはそうか…と目を伏せた。
 元は帝国軍の百人隊長だったことを思い出し、ビクトールはまずいことを言ったかな、と己の迂闊さに舌打ちする。だがいくら隠したところで事実が変わるわけでもない。
「ま、まぁそういうことだからよ、身体の調子さえ良けりゃあ好きにしてくれてていいぜ。あー、ここじゃあ分からないことだらけだろうから、しばらくの間はこいつが…」
 といって、ビクトールがシーナの金茶の頭を鷲づかむ。
「シーナがお前の面倒を見るからよ」
 まぁ当然といえば当然であろう。
 とはいうものの、前回フリックやマイクロトフが若返ってしまったときとは違い、今回は10歳若返ってもハンフリーの方がシーナよりも年上で、おまけにどう見てもハンフリーの方がしっかりしている。シーナが面倒を見る必要なんてあるのだろうか??と誰もが口にはしないが同じ疑問を思い浮べた。
「な、シーナ、それでいいだろ?」
 ビクトールにとんと頭をつつかれ、シーナは顔を上げてハンフリーを見た。
 そして互いの視線が絡んだ次の瞬間、シーナはそれはもうすごい勢いで顔を赤くした。
「な、何だ?」
 あまりにも突然のことに、隣にいたビクトールの方がぎょっとする。
「どうした?」
「え、いや…その…俺、ちょっと先に部屋に戻ってるからっ!」
「あ、おいシーナっ!」
 ばたばたと逃げ出すようにして医務室を飛び出したシーナに、残された連中は唖然としてしまった。一番わけが分からないのはハンフリーだろう。いったいどうしてシーナが赤い顔をして逃げ出したのか分からない。
「恐がられたのか?」
 ぽつりとハンフリーがつぶやく。
 別にこれといって逃げ出されるようなことはしてないんだがな、と苦笑するハンフリーにビクトールはシーナとの関係を告げるべきかどうか迷ったが、結局口にはしないことにした。
 どうせすぐに元に戻るのだ。言えばまたややこしいことになりそうだし、それに自分が言わなくてもあのシーナが黙っちゃいないような気もしたのだ。
「あー、とりあえず部屋に戻るか、案内するぜ」
 ビクトールはぽんとハンフリーの肩を叩いた。


 
 飛び込んできた時と同じくらいの勢いで医務室を飛び出したシーナは、自室に辿り着くとわーっと叫びながらベッドに突っ伏した。
「ど、どうしよう」
 何がどうといって、10歳若くなってしまったハンフリーはめちゃくちゃシーナの好みのタイプだったのだ。もともと男に興味があるわけではないのだが、それでも好きになる男のタイプはいつも似ていた。 無口で無骨で、少々のことでは動じないタイプ。
 ビクトールには「ファザコンだな」とからかわれるが、一緒にいて気楽なのだから仕方がない。
 ハンフリーもそのタイプにぴったりだった。うんと年上で、自分のことを目一杯甘やかしてくれる。どんなにわがままを言っても本気で怒ったりしない。
 だから好きになったのだと思っていた。けれど、どうやらそれは違ったようだった。
 いくつであっても、ハンフリーだから好きみたいなのだ。
 おまけに……
「何であんなにかっこよくなっちゃうんだよ」
 火照った両頬に手を押し当ててシーナは泣き笑いする。
 25歳のハンフリーは今よりもっと目が鋭くて、ちょっと近寄り難い雰囲気を漂わせていた。まだおじさんの域には程遠く、若者らしい身体つきとか、声とか、そんなちょっとしたところが、すごくすごくシーナの好みだったのだ。
 ハンフリーのことが好みで、それが若くなっただけなのだから当然といえば当然なのだが、想像していたよりもずっと好みだったので、目が合ったとたん、一気に頭に血が上ってしまった。
 その場から逃げ出してしまうほどに。
「どうしよう」
 シーナがつぶやいた時、軽いノックとともに、ビクトールがハンフリーを連れて部屋にやってきた。びっくりしたシーナが飛び起きる。
「よぉ、連れてきたからな、あとは頼んだぜ」
「え、あ、ちょ、ちょっとー!!!」
 これからリーダーと軍師のところへ報告へ行くというビクトールは、ハンフリーをシーナに引き渡すとさっさと部屋から出て行ってしまった。
「………」
「………」
 二人きりになり、何ともいえない空気が部屋の中に流れる。

(何だか、とっても気まずい)

 シーナは今まで感じたことのない緊張感を感じて心臓が痛くなった気がした。こんな感じをハンフリーに対して持つこと自体が悲しくなる。
「シーナ?」
「え、は、はいっ」
 飛びのくほどの驚き方をしたシーナに、ハンフリーが苦笑する。
「そんなに怯えないでくれないか、別に恐がらせるようなことはしないから」
「あ、ごめん」
 ハンフリーは手にしていた大刀をいつもの場所に置くと、ぐるりと部屋の中を見渡した。適度にモノが溢れた部屋。しかし、わけのわからないガラクタが多いような気がする。
 ハンフリーは足元に転がっていたひよこのおもちゃを手にとった。
「あ、それは」
 貧乏神から奪い取れるアイテムのひよこちゃん。
 ハンフリーが面白半分にシーナに持って帰ってきてくれたものだ。たまに湯船に浮かべて遊んでいるアイテム。
「それは、あんたが俺にくれたんだ」
「………」
「おみやげだってさ」
 ハンフリーはまじまじと手の中のひよこちゃんを眺めた。
 自分がこの少年にこれをおみやげで渡した??自分は10年後にいったいどういう人間になっているのだ、とハンフリーは空恐ろしい気がした。
 今の自分ではとてもそんなことは考えつかないだろう。小さな子供にやるならまだしも、もう青年に近いような彼に渡すものじゃない。
「どうかした?」
「いや」
 ハンフリーはシーナを見た。ビクトールから聞いた話では、3年前に知り合ったとのことだが、いったいどういう経過があって、同じ部屋で寝起きしているのだろう。
 年齢もまったく違う。見る限り、趣味も性格もまったく違うように思える。
 もしかすると、この本拠地には部屋がなく、それで仕方なく同じ部屋で寝起きしているのかもしれないな、とハンフリーは一人で納得した。それならば、この少年がそのことを不満に思っていて、それでこんな不思議な事態になったことに腹を立てているのかもしれない。
 まったく見当違いの判断をして、ハンフリーは再び大刀を手に取った。
「ど、どこ行くの?」
 シーナが思わず立ち上がる。ハンフリーはふと笑うといつものそっけない口調で言った。
「城の中を見てくる。一人で大丈夫だ」
「……ちょ、ちょっと待ってよ、ハンフリー!」
 慌てて止めようとするシーナに背を向け、ハンフリーは無言のまま部屋を出て行った。残されたシーナは突然のことに追いかけることもできなかった。
 けれど一人になったとたん、どっと身体の力が抜けたような気がして再びベッドに倒れ込んだ。
 ハンフリーが出て行って淋しいと思うと同時にほっとしている自分がいることも事実だった。
 すごく緊張していたのだ。
 何しろハンフリーは……
「俺のこと忘れちゃってるんだ……」
 そう思うと、無性に悲しくなる。時間がたてば元に戻ると分かっていても、やっぱり淋しい気持ちはするし、心配だってする。
「ひどいや…」
 元に戻ったら目一杯文句を言ってやろう。
 シーナは涙が出そうになった目元を手の甲で拭った。
 結局、夕食時になってもハンフリーは部屋には戻ってこなかった。
 仕方なくシーナは一人でレストランへと向かった。とぼとぼと俯き加減で歩いていたシーナは、何やら賑やかな歓声が聞こえてくるのに気づいて顔を上げた。城内にある訓練場に人だかりが出来ている。
 いったい何の騒ぎだろう、とひょいと訓練場を覗いてみると、そこは同盟軍の中核を担っている連中でいっぱいだった。
「何やってんの?」
 近くにいた女の子に尋ねると、彼女は紅潮させた頬で答えた。
「練習試合やってるの。若くなっちゃったハンフリーさんの腕試しだって。ビクトールさんが言い出したんだけど、すごいのー、ハンフリーさんすごくかっこいいー」
 シーナはハンフリーの名前を聞いて、ぎゅうぎゅうと押されながらも列の一番前へと割り込んだ。目の前ではちょうどハンフリーがマイクロトフと打ち合っている真っ只中だった。
 どちらも大振りの剣を愛用しており、見目にもその試合は派手に見える。恐らく力では互角なのだろう。練習試合とは思えない白熱した勝負に、見ている連中も興奮気味だった。
 シーナはあまりハンフリーと一緒に戦闘やモンスター狩に行ったことがない。けれど何度かその闘い方は見たことがある。35歳のハンフリーはもっとこなれた動きをした。無駄な動きがなくて、決して力だけで相手を押し切るような、そんな剣の振るい方はしていなかった。
 けれど25歳のハンフリーは、どこかがむしゃらで、どちらかといえば余裕がない闘い方をしているようにも見えた。もっとも、それでも卓抜した腕には違いなく、そう思うのはシーナの気のせいなのかもしれないけれど。
「うわぁ…すごい……」
 思わずつぶやいたシーナに、すぐそばにいたビクトールが気づいて振り向いた。
「よぉ、見に来たのか?」
「いや、ただの通りすがり」
 答えながらもシーナの視線はハンフリーから動くことがない。
 そのうち熱が出たかのように顔を赤くしたシーナに、ビクトールがぎょっとしたように目を見開いた。
「おいおい、今度はどうした?」
「どうしよう、俺……」
「何だ?」
「すごく……したくなってきた」
「……はぁっ!?」
 ビクトールが素っ頓狂な声を上げ、あまりにも頭の悪い発言をしたシーナを睨む。
「お前、こんな時間から何言ってんだ」
「だって」
 だってじゃねぇだろ、とビクトールは赤い顔をして唇を尖らせるシーナの頭を叩く。
 ビクトールに言われるまでもなく、自分でも十分阿呆なことを口走っているという自覚はある。でも感じてしまったのだから仕方がないではないか。
「だってさ、ハンフリー、若くなったらかっこよくなってたからさ……」
 もごもごと言い訳をするシーナにビクトールは首を傾げる。
「そうか?35ん時とあんまり変わってねぇと思うぞ」
 ちょっと細身になって、顔立ちがきつくなったような気もするが、実際に話をしてみると、こいつは25歳の時から妙に落ち着いたやつだったんだな、と思ったくらいだ。
 ビクトールにしてみれば、しゃべり方だってあまり変わらないし、顔を見なければ若くなったなんて分からないくらいだ。
「そうかな……やっぱり違うよ」
 ぽつりと言ったシーナに、ビクトールはふぅんとうなづく。
 なるほど、変わっていないと思うのは、それがさほど親しい仲ではないからなのだろうか。
 ハンフリーはどちらかといえば無愛想な方だし、ビクトールは3年以上前からの付き合いで、まだよく話をする方だ。それでもシーナはビクトールたちが知っている以上に、ンフリーのことを知っているのだ。
 やはり特別なのだろう、と思う。
 ビクトールがまじまじと見つめてくるので居心地の悪くなったシーナがむっとした顔をしてみせる。
「何だよ」
「いやぁ?お前も一丁前なことを言うようになったなぁってな」
「何だよっ!子供扱いするな!!」
「してねぇよ、だいたい子供が「したくなった」なんて言うもんか」
 シーナはからからと笑うビクトールを蹴り飛ばした。
 そんなことを言っているうちに試合は終わったようで、満足したような笑顔でマイクロトフとハンフリーが何やら話をしている。いつも笑わないハンフリーがごくごく普通に笑っている。その笑顔に、シーナはぎゅっと胸を捉まれたような気がして唇を噛んだ。

(ああ、若い頃のハンフリーってあんな風に笑うんだ…)

 あの笑顔は自分だけのものなのに、という子供じみた嫉妬で胸が痛くなる。
 ふとハンフリーがシーナへと視線を移した。
「……っ」
 目が合ったとたん、シーナはさらに盛大に顔を赤くした。どう見ても尋常ではないその様子に、さすがのハンフリーも心配になったのか近づいてくる。
 いつもなら嬉しくて顔がにやけるのだが、今回は本当に本当に困ってしまい、シーナはうろたえた。そんなシーナに気づかずハンフリーがすぐそばで立ち止まり顔を覗き込む。
「シーナ?どうした、具合でも悪いのか?」
 その口調はいつもと同じもので、シーナは一瞬ハンフリーが自分のことを思い出したのではないかと思ったほどだった。けれど、その目はまるで知らない人のもので、やはり淋しくなる。
 黙り込んでいるシーナを不審に思ったのか、ハンフリーが手を伸ばしてシーナの額に触れた。そのとたん、シーナが硬直した。
「……っ!!!」
「?」
「わーーーっ!」
 思わずその手を振り払ったシーナは、ばたばたと逃げるようにしてその場を走り去っていった。
「あーあ、あの馬鹿……」
 ビクトールがやれやれと肩をすくめる。
「俺は…何かまずいことをしたのか?」
 ハンフリーが呆然とシーナの後ろ姿を見送る。
「いや、お前は何も悪くねぇよ、ただまぁいろいろあってなぁ」
 ビクトールはぽりぽりと頭をかいた。
 二人の仲を知らないハンフリーにしてみれば、いきなりあんな風に逃げ出されては嫌われていると勘違いしても仕方のない状況である。余計なお世話だとは思いつつ、ビクトールはそれとなくシーナのフォローなんぞをすることにした。
「あのよ、別にあいつはお前のこと嫌ってるわけじゃなくて、あー、あれだ、やっぱりお前が突然10歳も若返ったんで驚いてるんだと思うぜ。だから少しくらいのことは大目に見てやってくれ」
「ビクトール」
「ああ?」
「俺はシーナとどういう仲だったんだ?」
 深い意味があっての質問ではないとは思うものの、ビクトールはどうしたものかとしばし迷った。何も知らないままではハンフリーも心労が多いだろう。何しろあのシーナが相手だ。ビクトールはそうだなぁと腕を組んだ。
「お前の口からはっきりと聞いたことはないが、俺が知る限りじゃ、そりゃもう可愛くて仕方ないって感じだったぜ?馬鹿な子ほど可愛いってやつかね」
「………分からないな…どうして俺が……」
 あんな子供と……と言いたげなハンフリーに、ビクトールは苦笑する。
「その台詞、そっくりそのまま返すぜ、旦那」
「………」
 ハンフリーはますますわけが分からないと深く溜息を落とした。


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