愛する想い 愛される願い 8


<私を愛しているなら……>


 欲しいのはカミューだ。
 他の誰でもない。
 そう思ったとたん、マイクロトフの頭の中はそのことでいっぱいになってしまった。
 今、カミューには付き合っている人がいるという。
 カミューに、好きな人がいると思うだけで、マイクロトフの胸はきりきりと痛んだ。
 


 もう一人、マイクロトフと同じように胸を痛めている人物がいた。
 カミューである。
 マイクロトフから言われた言葉に、どうしようもなく胸が痛んで仕方なかった。
 頭ではちゃんと分かっている。今のマイクロトフは何も知らないのだ、と。それでも、たとえ16歳であっても、カミューにとってマイクロトフはマイクロトフなのだ。
 愛しているという、その想いが変わろうはずがない。
「まいったな……」
 ハイ・ヨーのレストランのテラスで、カミューは物憂げに溜め息をついた。
 ただでさえ、女性たちの注目の的だというのに、その儚げな様子にその場にいた女性たちはうっとりと目を輝かせた。
「カミューさん」
 ぽんと肩を叩かれ顔を上げると、そこには同盟軍のリーダーであるディランがにこにこと笑みを浮かべて立っていた。
「ディラン殿……」
「どうしたんですか?……って聞く方がどうかしてるか」
 すとん、と隣の席に腰を下ろして、ディランはレストランの手伝いの女の子に飲み物を注文した。
「マイクロトフさん、まだ元に戻らないんだもんね、そりゃ辛いよね……」
「ええ……でも、大丈夫ですよ。彼は少々のことじゃへこたれませんから」
「ああ……んっと、俺が言ってるのはマイクロトフさんのことじゃなくて、カミューさんのこと」
「………」
 カミューは歳若きリーダーの思いかけない言葉に、微かに微笑んだ。
 ちょうど今のマイクロトフと同じくらいの年齢のこの少年は、その身に重い運命を宿して、こうして同盟軍のリーダーを務めている。
 明るくて、いつでも前向きな一面を持っているくせに、時々、彼はどこか悟ったような醒めた目を見せることがある。気づいている人間は少ないかもしれない。けれど、カミューはこの少年の持つもう一つの顔に気づいていた。優しげな表情に安心していると、痛い目に合うだろうことも。
 そして、そんな少年に魅かれている自分がいることも。
 恐らく年齢からは想像できないような経験をしているのだろう。普通の人なら気づかないように微妙な心の機微も、この少年は本能ともいえる敏感さで感じ取っているのかもしれない。
 彼には何も隠すことはないのだ。
「ごめんね、カミューさん。元に戻る方法、もっと早く見つかるかなぁって思ってたんだけど」
「いえ、ディラン殿のせいではありません。……先日、ホウアン先生に指摘されたんですよ。戻らないのは、彼がそう願っていないからではないか、と」
「………」
 思わず口をついた言葉に、ディランが首を傾げた。カミューは自分に言い聞かせるように話し出す。
「マイクロトフが戻りたいと、そう思えば、元に戻るかもしれない。でも、彼はそうしていない。言われてみればそうですよね。わけが分からず、10年後の自分に戻れなどと言われても、どうすれば戻れるかさえ分からないのに、そんなこと思えるはずもない」
「うん……」
「それでも……私は思ってしまうんですよ。どうすれば戻りたいと思ってくれるのだろう、と。彼にとって、どういう未来ならば、幸せだと、戻りたいと思うのだろうと」
 ディランはテーブルに両肘をついて、カミューを覗き込んだ。
「簡単だと思うけどな……。マイクロトフさんの幸せって、カミューさんでしょ?」
「え?」
 きょとんと見返す美しい騎士に、ディランはにっこりと笑った。
「何だ、分かってなかったんだ。マイクロトフさんにとって、カミューさんは特別で、一番大切な人でしょ?カミューさんがいることが、マイクロトフさんには幸せなことじゃないの?」
「…………16歳のマイクロトフは、私のことを必要とはしていません」
「そんなことないよ」
 きっぱりとディランが言い切る。強い口調に、カミューはどきりとした。
「好きな人ってさ、たとえ、どんな形で出会おうとも、きっと分かると思うんだ。それが自分にとっての唯一の人であれば、きっと分かる。そういうのって、理屈じゃないんだよ。自分じゃどうしようもないくらいに、分かっちゃうものなんだ。だから、マイクロトフはカミューさんのことを求めてるよ。今は眠っている26歳のマイクロトフさんがね、カミューさんのこと必要としてるんだ」
「………」
「戻りたいって願わなくちゃいけないのは、マイクロトフさんじゃなくて、カミューさんの方だよ」
「………っ」
 その一言に弾かれたように、カミューは顔を上げた。
「カミューさんがそう思わないでどうするの?カミューさんがマイクロトフさんのこと呼び戻さないでどうするのさ?病気の人ってさ、自分が治りたいって思うことはもちろんだけど、周りの人が治って欲しいって強く願わなきゃ、治るものも治らないんだよ」
 ディランの言葉に、カミューはすっと胸につかえていた何かが消えたような気がした。
「ちゃんと、愛してるって言ってあげた方がいいよ」
「え?」
 突然の言葉に、カミューはらしくもなく躊躇えた。
 自分たちの関係を隠しているつもりもなかったが、こうして面と向かってそんなことを言われると、さすがに気恥ずかしい気にもなる。
「マイクロトフさんの幸せって、それだけだと思うな」
 ディランにっこりと微笑む。きっぱりとした口調。
 そこには何の嘘も迷いもない。
 ああ、この少年はこうして人の迷いを消していくのか、とカミューは思った。
 こうして、導いていくのだ。
 立ち止まる人を、望む道へ、正しい道へ。
 それは、選ばれた者だけができること。
 カミューは眩しいものでも見るかのように、歳若きリーダーを見つめた。
「願うことが大切だと?」
「うん、そう思ってる。願いは、必ずいつか届くって」
 何を思ってか、一瞬、ディランの瞳が翳る。しかし、次の瞬間、いつもの力強い光を浮かべて、カミューを見つめる。その視線に、カミューはふっと笑った。
「………ありがとうございます、ご心配いただき申し訳ありませんでした」
「大丈夫だよ。絶対にマイクロトフさんは元に戻るから」
 ディランのその言葉に、カミューは大きくうなづいた。

 心から願えば、彼は自分の元へと戻ってくるのだろうか?
 それならば、いくらでも祈ろう。
 何度でも、何度でも。
 愛していると言えば……
 彼は同じ言葉を返してくれるのだろうか?






 マイクロトフは困っていた。
 あの夜以来、カミューが何となく冷たい……と感じるのは気のせいだろうか?
 同じ部屋にいながら、どこかよそよそしい空気を漂わせるカミューに、マイクロトフは居心地の悪さを感じないわけにはいかない。
 もちろん言葉は交わすし、冗談だって口にする。
 けれど、カミューがマイクロトフに向ける笑顔は、カミューが16歳の時に見せていたものと同じ、無機質でどこか他人行儀な空気さえ漂わせている。
 何か気に障ることでもしただろうか?
 マイクロトフは必死に考えてみたが、分からなかった。
 しかし、分からないことがあればちゃんと聞くのが騎士としての礼儀だ。
 一人で悩んでいても、何も変わりはしないのだから。それがマイクロトフのポリシーでもある。それでも無口なカミューというのは、妙な緊張感を漂わせていて、どうも声をかけるのが躊躇われる。
 今は親友同士になれたというのだから、別に何も躊躇う必要はないのだと自らを叱咤して、マイクロトフは口を開いた。
「カミュー」
「うん?」
 ベッドに横たわり、分厚い本を眺めているカミューに、恐る恐る声をかけてみる。返ってきた素っ気無い返事に、やはり一瞬躊躇したあと、ぎしっと音をさせてベッドに腰掛けた。
「……カミュー……その……何か怒っているのか?」
「………」
 ちらりと視線を向け、カミューはぱたんと本を閉じた。
 思いつめたような顔をして真っ直ぐに自分を見つめるマイクロトフに、カミューは何事かと身構えた。
「怒ってるって、私が?」
「ああ……怒っているだろう?」
 はて?とカミューは首を傾げた。
 あの日、ディランからの助言を何度も心の中で繰り返してきたカミューだった。

 マイクロトフ自身に戻りたいと思って欲しい。
 そして、自分自身も戻って欲しいと強く思う。

 ただそれだけを考えていたのだが、そのせいでつい口数が少なくなっていたのだろうか。
 簡単に愛しているなんて言えない。
 そんなことを口にしている自分を想像しただけで、妙に恥ずかしい気になって、カミューは少しマイクロトフと距離を置いていたのかもしれない。
「カミュー、俺は何か気に障ることをしたのだろうか。もし、そうなら、ちゃんと言ってくれ。悪いところがあれば、謝るから」
「………」
 カミューはくすっと笑いをもらした。
「な、何だ?俺は何かおかしなことを言ったか?」
「いや……相変わらずストレートだなぁと思って……」
「そうか?」
 カミューはころりと寝返りを打って、片手を枕代わりにして上目使いにマイクロトフを見上げた。
「怒っているか、なんて…どうしてそんなことを聞く?私は別に、怒ってなどいないよ、何故そう思う?」
「………俺には分かる」
「分かるって?」
「お前が何を考えているか、俺には……すぐ分かる。嘘じゃない。お前は……俺に対して怒っているだろう?怒っているのは分かるが、俺にはその理由が分からない。俺が何か、お前を傷つけることをしたのなら謝るから、だから……仲直りしてくれないか?」
 仲直りしてくれないか?の言葉に、カミューはぷっと吹き出した。
 丸っきり子供の台詞だな、と思ったが、今のマイクロトフが16歳だったということ思い出した。
 友達になろう、とか、仲直りしようとか、そういう恥ずかしい台詞を、昔からマイクロトフはあっけらかんと口にする男だった。その当時は、内心馬鹿にしていたのだが、今なら分かる。
 そんな風に、思ったことを素直に口にするのは、本当はとても勇気のいることだと。口にして、相手から拒絶されることだってあるのだから。誰もがそれを恐れ、そんな風に自分の気持ちを正直に口にすることはできないものだ。
 だけど、マイクロトフにはできるのだ。
 カミューはそんなマイクロトフのことを、尊敬しないわけにはいかない。
 自分にはとてもできそうにないことだから。
 そんな風に、マイクロトフはいつもカミューのことを魅きつけるのだ。
 カミューは少し表情を和らげてマイクロトフに言った。
「本当に、私は何も怒ってないよ。まぁ……そうだな、怒っているとすれば、お前がなかなか元に戻ってくれないことくらいかな」
「そ、それは……」
 からかい気味のカミューの言葉に、俺のせいではないぞ、と言いかけてマイクロトフは口を閉ざした。
「マイク、お前は……元に戻りたいと思っているかい?」
「え?」
 カミューはゆっくりと身を起こすと、先日、ホウアンから言われた言葉をマイクロトフに聞かせた。
 マイクロトフが元に戻らないのは、本当は戻りたいと思っていないからではないか、と。
 心から望めば、元に戻るのではないか、と。
 つまり、治そうという気がないのではないか。
 その言葉に、マイクロトフは怒りを露わにした。
「戻りたくないなんて、そんなはずはないだろう。ここで、いろんな人と話をしていくうちに、この戦いのことも理解できたし、自分が必要とされている人間だということもわかった。もちろん……マチルダでのことがすべて納得できたわけではないけれど、それは、仕方がないことだと思っているし……」
「うん」
「26歳の俺を必要だと言ってくれる人がいるのなら、俺は元に戻りたいと…そう思う」
「……そう……」
「だが……」
 マイクロトフが口篭もる。
 嘘ではない。
 今、カミューに言ったことに嘘はない。
 親身に心配してくれる人々のためにも、一日でも早く元に戻らなくてはいけないと、頭では思っている。けれど、心のどこかで、戻りたくないと思う自分がいるのも薄々感じているのだ。
 今、カミューに「戻りたくないのではないか?」と問われ、一瞬核心に触れられたような気がしてどきりとした。自分の中の闇を見透かされたような気がして罪悪感で胸が痛くなった。
 けれど、戻りたくないなんて、カミューには言えない。
 誰よりも心を砕いてくれているのを知っているから。
 戻りたくない理由がカミューだなんて、絶対に言えない。
 言えば、傷つけてしまうから。
 けれど……
「マイク?だけど、何?」
「すまない……カミュー……俺は……」
 辛そうに眉を寄せるマイクロトフ。戻りたくても戻れないことで、苦しんでいるのだろうとカミューは思い、柔らかく微笑んだ。
「……ねぇマイク」
 カミューがその手をマイクロトフの肩に置き、顔を覗き込む。
「悪かったよ、責めているわけじゃないんだ。ただ……お前に早く元に戻って欲しいと、私は本当にそう思っているから……だから、そのためだったら、何でもしようと思っている。力になれることなら、何でもしようって」
「………」
「私にはお前が必要なんだ」
「……それは、俺が……お前の親友だからか?」
「そう……だね。私たちは、どちらもお互いを必要としているから。少なくとも私は、お前のことをとても大切に思っているし……」
「………」
「だって、私たちは………」
 言いかけたカミューを遮るように、マイクロトフが叫んだ。
「違うっ!!俺は、俺は……。お前はそんな平気な顔をして、俺のことを親友だと言うけれど、俺にはそんなこと信じられないっ!」
「……マイク……?」
 戸惑うカミューの両肩に、マイクロトフが手をかける。ぎょっとしたカミューが思わず身を引いた。身を竦めたカミューに、マイクロトフがさらに手に力を込めた。
「マ、マイク?」
「……嫌なんだ……お前に…俺以外に大切な人がいるっていうのは、とても嫌だ」
「………嫌、って……」
「嫌なんだっ」
 子供っぽい口調に、カミューは戸惑った。いったいマイクロトフが何を言っているのか理解できない。おまけに、赤い顔をして唇を尖らせている男を、いけないとは思いつつ可愛いと思ってしまう。
 嫌だと駄々をこねるマイクロトフなんて初めてで、妙に胸が熱くなった。
 カミューはやれやれというようにマイクロトフに語りかけた。
「どうした?親友を取られるような気がして淋しくなったか?馬鹿だな。そんな心配はしなくていいのに」
 親友と恋人は同じ人物なんだから。
 元に戻れば分かる。
 カミューは肩に置かれた大きな手にそっと白い指を重ねた。
「マイクロトフ、お前は、私のとても大切な人だよ。それは、何があっても変わらない。お前が嫌だと言っても、私は……」
「…………」
「私は、お前の傍から離れるつもりはない」
 俯いたカミューの瞳に、どこか淋しい色が浮かぶ。
 憂いを帯びたその顔に、マイクロトフは息を呑んだ。
 かっと胸の奥が火がついたように熱くなる。

(キス…したい……)

 ふいにマイクロトフの脳裏にそんな想いがよぎった。
 その柔らかな蜂蜜色の髪に触れたい。
 白い頬に触れたい。
 肩を抱きたい。
 
(触れたい……抱き……しめたい……)

「マイクロトフ?」
 俯いていたカミューが、ふと顔を上げた。
 目が合った途端、もう、我慢できなかった。
「…………っ!」
 体当たりするようにマイクロトフがカミューを手を伸ばす。
 どさっとベッドの上で重なり合うようにして、マイクロトフがカミューを抱き締めた。ぎゅうぎゅうと力任せに抱き締めてくる男に、カミューは驚きで言葉も出ない。
「カミューっ!!!!」
「ちょ、ちょっと待てっ!マイクっ!!」
「嫌だ!!」
 マイクロトフはきっぱりと言い捨てると、カミューの首筋に顔を埋め、その匂いを吸い込んだ。
 カミューの匂いだ。
 知っている。
 いつ、どこで?
 こんな風に、友人に触れたことなどないはずなのに、この感触を知っている。泣きたくなるほどの、甘い匂いを覚えている。
 さらりとした細い髪が頬に触れると、どうしようもなく鼓動が高鳴った。
「カミューっ!!!!」
「この……馬鹿力!!痛いって……」
 言うなり、カミューはマイクロトフの身体を突き飛ばした。
 いつもなら、びくともしない身体は簡単にカミューの上から消えた。どうやら16歳のマイクロトフの力にはまだ勝てるようだ。
 乱れた服に気づいて、カミューは小さく舌打ちする。

(何て手の早いヤツ……)
 
 たらしの素質充分じゃないか、と少々むっとしながら、カミューはシャツの裾を元通りに直した。
 マイクロトフははぁはぁと大きく肩で息をしていたが、やがてがっくりと肩を落とした。
 うなだれその様子に、カミューは大きく溜め息をついた。
 これはまるで自分の方が悪いことをしたみたいな気になってくる。
「マイク……どうしたんだ……?」
「……き……なんだ……」
「え?何だって?」
「好きなんだ!!」
「………………え?」
 じりっとにじり寄るマイクロトフに、思わず後ずさるカミュー。
 何故か泣きそうな顔をして、マイクロトフが恐々といった風にカミューに手を伸ばす。その指先がカミューの服の裾に触れた。そのとたん、カミューはぎゅっと心臓を捉まれたように胸が痛くなった。
 マイクロトフは真っ直ぐにカミューを見つめたまま、言った。
「………好きなんだ……親友としてじゃない……そんなんじゃない…。違うんだ」
「マイク?」
「お前に、好きな人がいると知って俺は、すごく嫌だと思った。親友を取られて悔しいとか、そういうことじゃないんだ!悔しいのはお前を取られたからだ。お前が俺のものじゃなくなるのは嫌だ。……すまん……男に……お前が大切だと言ってくれる親友からこんなことを言われて……お前が傷つかないはずはないのに……だけど……俺は……」
 マイクロトフはぎゅっとカミューの手を握った。
「俺は、お前と親友になるような未来ならいらない!そんな未来には戻りたくないっ!」
「マイク………」
「好き……なんだ……」
 ぽつりと、今さらながらにその事実に気づいたかのように、マイクロトフがつぶやく。
「そうだ、俺はお前が好きだ。誰にも渡したくない。26歳の俺には付き合っている人がいるとお前は言った。だけど、だけど、それはまだ気づいてないだけだ。絶対にそうだ。何かの…間違いだ……俺にとってお前以上に大切なものなど、ないんだ」
「…………」
「何かの間違いなんだ!カミュー、俺には分かる。お前の相手は俺のはずだ。絶対にそうだ。信じてくれ。俺を………好きだと言ってくれ……」
 言うなり、マイクロトフは再びカミューに覆い被さり、顔を近づけようとした。
 その唇を、寸でのところでカミューの手が遮った。
「………っ」
 素早く阻止された口づけ。
 マイクロトフは傷ついたような、そんな表情でカミューを見つめた。
 やはり、だめなのか。
 親友は恋人にはなれないのか、とマイクロトフは悔しさに低く唸る。
「………マイク……」
 カミューはそんなマイクロトフの肩を、両手で押し返した。
 案外と簡単に、マイクロトフはカミューからその身を離した。
「マイクロトフ………」
 カミューはどこか放心したように、目の前の少年を眺めた。

(好きだと……お前はそう言うんだな)

 16歳。
 まだ二人の間に、何の感情も生まれていない時へと遡っても、お前は私を選んでくれるのか?
 それが……その感情が何なのかさえも分からないというのに、それでも……それでもお前は私を好きだと言ってくれるのか。
 ふいに、カミューは目元が熱くなったのを感じた。
 好きな人がいると言っても、それでも変わらず好きだと言ってくれるマイクロトフに、泣きたいほどの幸福感を感じてしまう。
 こんなにも、マイクロトフのことが好きなのだと、今さらながらに思いしらされてしまう。
「カミュー?」
 不覚にも零れ落ちた涙に、カミューは慌てて顔を背けた。頬に光るものに気づいたマイクロトフは、ぎょっとして、カミューの肩を掴み、正面を向かせようとした。
「カミュー」
「………」
「すまん……怒ったのか?だけど……その……」
 キスしたかったんだ。
 拗ねたように小さな声で言うマイクロトフに、カミューは思わず吹き出した。
 笑われて、憮然とするマイクロトフに、カミューは静かに言った。
「すまない……だけど、お前とキスはできないよ、マイクロトフ」
「…………」
「……私の唇はね、ただ一人の人のためだけのものだから」
「……っ!」
「鈍感で、不器用で、恋愛ごとには本当に疎くて、だけど、私のことを本当に心から愛してくれている唯一人の男のものだ」
「……男……?」
「自分の信じた道を真っ直ぐに顔を上げて進める男だ。……私が誇れるとても大切な親友でもある」
「…………え……」
 マイクロトフは咄嗟に何が何だか分からなくて、目の前のカミューをまじまじと見つめた。
 それでは、カミューの好きな相手というのは……
 辿り着いた答えに、マイクロトフは真っ赤になった。
「カミューっ!!!!!」
「ああ、もう……大声を出すんじゃないよ……」
「お、お、お、俺……なのかっ!!!俺なのかっ!!!」
「…………さぁね……信じられないのなら、元に戻って確かめてみてはどうだい?」
「………っ」
「私が嘘をついているのかどうか、その目で確かめてみろ」
 どこか挑むような口調で、カミューがマイクロトフに告げる。
「私のことが欲しいなら、元に戻ってみろ」
 ずきん、とマイクロトフのこめかみが痛んだ。
 カミューがそっとマイクロトフの頬に触れた。冷たい指先が両頬にかかる。
「……物語では、眠ったお姫様は王子の口づけで元に戻るものだけど、お前の場合は、どうかな」
 ゆっくりとカミューの顔が近づいてくる。
 声を上げる間もなかった。
 カミューの吐息が唇にかかり、ちゅっと小さく音をさせて微かに唇が触れた。
「カ………」
 伏せた長い睫毛がゆっくりと開き、濡れた榛色の瞳がマイクロトフを見上げる。
 数秒後、マイクロトフは見事なまでに真っ赤になった。ぱくぱくと唇を動かして、いきなり口づけてきたカミューを恨めしそうに見る。
「な、な、な、な、………!!!」
「あれ、初めてだったのかい?」
「〜〜〜〜っ!!!!」
「これは…役得だったな。今になって、お前のファーストキスを奪えるとは」
 カミューがくすくすと肩を揺らし、まだ赤い顔をして驚愕に目を見開く男へとつぶやく。
「元に戻ってくれ……」
「………カミュー?」
「………私を愛しているなら……元に戻ってくれ、マイクロトフ」
「…………っ!」
「そして、私のことを早く抱き締めてくれ」
 それは心からの願い。
 こつんとマイクロトフの肩に額をくっつけ、カミューは小さくつぶやいた。

「お前を愛しているんだ……マイクロトフ」

 するりと、何の躊躇もなく出た言葉に、カミューはほっとした。
 ああ、こんなにも簡単のことなのに、どうして言えなかったのだろうか。
 マイクロトフはおずおずとカミューの背に手を回した。
 まだ夢を見ているような気がして、腕の中のカミューをそっと抱き締める。
 初めて聞く言葉のはずなのに、何故か懐かしい気がした。
 マイクロトフは初めて心から思った。
 戻りたい、と。









「う………ん……っ……」
 カミューは息苦しさに小さく身じろいだ。
 さらりとしたシーツの感触と温かい肌の温もり。
 背中が……温かい。
 思わず寝返りを打って、その温もりに顔を埋めようとして、はっと目を覚ました。
 目の前にあるのは、見慣れた男の顔。
 がっちりとした肩幅と、精悍な顔つき。カミューの身体に回された腕の重みもよく知ったものだ。
「マイク………?」
 戻ってる?
 どこをどう見ても、16歳には見えない。
 カミューはしばらく呆然とぐっすりと眠っているマイクロトフを凝視していたが、やがて手を伸ばして、その頬をつねってみた。
「………っ!!!!!」
 抓られた痛みにマイクロトフが飛び起きた。
「な、何だっ!!」
 低い声。
 マイクロトフだ。
 カミューがずっと待ち焦がれていた26歳の彼がここにいる。
「カミュー……起こすならもうちょっと穏やかに起こしてくれないか?」
 抓るなんてあんまりだろう、とマイクロトフは再び枕に顔を埋める。
「マイクっ!!!!!」
「どうした?まだ早朝訓練には時間がある……」
「お前……戻ったのか……」
 その言葉にマイクロトフは目を開けて、どういう意味だ、とカミューを見つめた。どこか呆然自失といった感じの恋人に、マイクロトフは不審げに目を細める。
 マイクロトフの様子からして、どうやら何もかも覚えていないようである。
 10歳も若返り、カミューのことを忘れたことも……何もかも。
 マイクロトフは覚えていないのか?
「ひどい……」
「おい……寝ぼけてるのか?」
 マイクロトフが何も言わないカミューに小さく笑う。
「ばか……」
「え?」
「馬鹿者っ!!!!!!!私がどんなに心配したと思っているんだっ!!」
「………ど、どうしたんだ…?」
「お前には……いろいろと言いたいことがあるんだぞ」
 言うなり、カミューはマイクロトフの上に覆い被さった。ぎゅっと抱き締め、その首筋に顔を埋める。マイクロトフだ。こうして触れているのは、間違いなくマイクロトフだ。
 カミューは込み上げる悦びに、涙が溢れそうになるのを必死で耐えた。
「カミュー?どうした、悪い夢でも見たのか?」
 ぽんぽんとマイクロトフがカミューの背をたたく。小さい子供をあやすようなその仕種に、カミューはむっとして顔を上げ、マイクロトフを睨んだ。
「……悪い夢を見ていたのはお前の方だろう、マイク」
「俺?……いや、俺はいい夢を見ていたぞ……」
 ゆっくりと目を閉じ、マイクロトフは何か懐かしいものでも思い出したかのように、口元に笑みを浮かべた。大きな掌が、そっとカミューの柔らかな髪を撫でる。
「夢の中で、お前に……愛していると言われた」
「………」
「……とても、いい夢だった……」
 幸せそうな口調で、マイクロトフはゆったりと微笑んだ。


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