The Change 麗らかな春の日の昼下がりのことだった。 同盟軍の本拠地であるノースウィンドウでは、今日も朝からあちらこちらで兵士たちの勇ましい掛け声が聞こえてきていた。それは皆少しでも剣の腕を上げようと必死に訓練をしている証拠であり、活気溢れる同盟軍では特に珍しい光景ではなかった。 カミューとフリックは同盟軍では一、二を争う剣士であり、毎日今まで剣など握ったことのない兵士たちの訓練を見てやっていた。その日も午後から二人揃って訓練場へと出向き、兵たちに稽古をつけたあと、自分たちも一戦を交えて気持ちのいい汗を流した。 「フリックさん、もしよろしければ一緒にお茶でもいかがですか?」 訓練場を出ると、カミューがいつもの柔らかな笑みを見せ、フリックを誘ってきた。3時間近くも立ちっぱなしで稽古をしていたのだ。喉も乾いたし、一休みしてもいいな、とフリックも思ったので深く考えずに同意した。数多の宿星が集う同盟軍でも、フリックとカミューは年齢も近く、おまけにわけの分からない協力攻撃をさせられていることもあって、比較的仲のいい間柄だった。 「どうする?レストランにでも行くか?」 「でもこの時間だと混んでると思いますので、レオナさんの酒場はどうですか?少し早いですが、お茶くらいならいただけるのでは?」 「ああ、そうだな。じゃあそうするか」 フリックがうなづいて、酒場へと向かうべく青いマントを翻した。城の中を歩くより、中庭を抜けて行った方がいい。そう思って先日出来たばかりの扉を押し開いた。 最近急ピッチで増改築が進んでいる本拠地は迷路のごとくあちこちに階段や出入口ができており、ノースウィンドウを当初から知っているフリックでさえ、時々迷うことがある。もっともここで迷うあたり、運の値が低いといえないこともない。 「いい天気ですね」 建物から外へ出ると、暖かな日差しにカミューが手をかざした。そういえば今日のハイ・ヨーの三時のおやつは確か新作のシャーベットだった。ならばやっぱり酒場よりもレストランへ行った方が良かったかもしれない、などと考えを巡らせていたカミューは、中庭に面した窓が、内側から光を放ったことに気づくのに一瞬遅れた。 「伏せろっ!!!」 ぐいっと強い力で腕を引いたのはすぐ隣を歩いていたフリックで、カミューが我に返るよりも早く、力任せにその身体を地面へと引きずり倒した。 内側から放たれた白い光はまるで生き物のように激しい音をさせて窓ガラスをつき破り、二人の上に降り注いだ。眩しさに目を閉じたフリックとカミューは、共にその場に伏せたまま意識を失った。 「困りましたねぇ」 大きな溜息と共につぶやいたのは同盟軍のリーダーであるディランだった。 医務室のベッドに横たわるフリックとカミューを見下ろしているのはディランばかりではなく、医師であるホウアンを筆頭に、ビクトールやマイクロトフ、軍師のシュウが渋い顔をしたまま立ち尽くしていた。 「ちゃんと目を覚ますんですよね?」 「ええ、大丈夫ですよ。幸い命に別状はなさそうですし」 それは一安心と肩を竦めて、ディランはひょいとフリックが眠るベッドの端に腰かけた。 つい先刻、大きな音がしたと思ったら、まるで地震のような振動がして誰もが王国軍が攻め込んできたのかと慌てふためいた。 そんな中、やはりリーダーというべきか、いち早くディランが外へと飛び出した。色めき立つ兵士たちに落ち着くようにと言い放ち、音のした場所へと駆け出すと、ちょうど中庭でフリックとカミューが倒れているのを発見したのだ。 同盟軍きっての戦士と騎士の二人が倒れている姿に、さすがのディランも驚いた。一瞬死んでいるのではないかとひやりとしたが、幸いなことに二人ともちゃんと息はあった。 「フリックさん!カミューさん!!」 大声で呼びかけても、二人はぴくりともしない。ディランがフリックの肩を掴んで抱き起こそうとした時、何か妙な違和感を覚えた。 やけに軽いような気がしたのだ。 「おい、ディラン、フリックは大丈夫か?」 「え、ええ……ちゃんと生きてます……けど……」 遅れてやってきたビクトールが意識を失っている相棒の姿にかけよる。すぐ後からやってきたマイクロトフも飛びつくようにしてカミューのそばにしゃがみこんだ。 「カミューっ!!大丈夫か、カミュー!」 隣で大声で叫ぶマイクロトフは、とりあえずカミューが無事かどうかで頭がいっぱいのようであるが、その肩を抱き起こした瞬間、うっと低く唸った。 「どうした?」 「いや……その……」 急に口篭もった元青騎士団団長に、ビクトールは小さく舌打ちした。二人が倒れてるというのに何をもたもたしているんだとマイクロトフの肩を掴む。 「とにかく二人と医務室へ運ぶぞ。何があったかはそれからだ」 「……そ、そうですね……」 「うん……」 ディランとマイクロトフが何とも言えない表情でぎこちなく頷きあう。彼らの不可解な様子の理由を、ビクトールが知ったのは二人を医務室へと運び込んだあとでのことだった。 フリックとカミューを医務室のベッドに横たえて、トウタにホウアンを呼んでくるように命じたビクトールが、未だ意識のないフリックのマントを取ろうと手を伸ばしたその時、 「わーーーーーっ!!!!!!」 と、ディランがいつにない素っ頓狂な声を上げた。びっくりしたビクトールが何事だとディランを睨む。 「うるせぇヤツだな。何なんだ」 「だ、だから……ビクトールさん、分からないの?」 「何が?」 「だからさ……フリックさん…が…あの……」 いつもふてぶてしいほどにきっぱりとモノを言うくせに、何故かめずらしく口篭もるディランに、ビクトールは付き合ってられないとばかりにフリックの胸元のボタンに手を伸ばした。しかしすぐにその手はぴたりと動きを止めた。何か見てはいけないものを見たかのように、ビクトールの目が大きく見開かれる。 「…………」 固まってしまったビクトールに、やっとディランが小さくつぶやく。 「もう…やっと気づいた?あのさ……フリックさん……女になっちゃってるみたいなんだけど?」 「………」 「えっと……たぶん、カミューさんも、そうじゃないか、と……」 何ともいえない空気が医務室に流れた。 それが半時ほどばかり前のことであった。 「それにしても、よりもよって女になっちゃうなんて……」 すやすやと眠り続けるフリックの顔を覗き込んで、ディランは再び大きく溜息をついた。中庭で抱き起こした時、やけに軽いと思ったのも道理で、フリックは誰が見ても間違えようもない見事な女性になっていたのだ。 もともと男臭さはあまり感じさせないフリックだが、女となった今はさらに細く華奢になったような気がしてしょうがない。おまけに元は美青年と言われるだけあって、その顔つきはこれまた美しいの一言に尽きる。 それは隣で眠るカミューも同様だった。カミューの方こそフリック以上に綺麗な顔立ちをしていたために、女となった今ではそれこそこの世のものとは思えないほどの美貌を惜しげもなく晒していた。そばにいるマイクロトフは真っ赤になったまま、茫然自失といった態で立ち尽くしている。 「しっかし、何だってまたいきなり女になんかなっちまうんだ?」 ビクトールががしがしと髪をかきむしる。それは誰もが知りたいことではあったが、今その答えを持っている者はいない。ホウアンでさえも、原因がわからなければ治療のしようがないと言って、まだ何の処置もしていないのである。とりあえず女になったということ以外は別段外傷もないし、様子を見るしかないのである。 「おい、ちゃんと元に戻るんだろうな?」 「それは私に言われましても……」 困ったようにホウアンが首を傾げたとき、うーんと小さく唸ってフリックが身じろぎした。 「おいっ!!!フリック!!!!フリック!!!!」 ビクトールがフリックの肩を掴んで、大きく揺する。するとフリックはゆるゆると目蓋を開けた。見慣れた青い瞳は潤んでいて、何度か瞬きを繰り返したあと、くそっと低く毒づいた。 「……って……ぇ…何が起きたんだ?」 口調はいつもの通りだが、その声はいつもよりも幾分高い。そのことに気づいていないのは当の本人だけのようで、周囲で見守る誰もがごくりと喉を鳴らした。 片肘をついて半身を起こしたフリックは、心配そうに自分を見つめる相棒に微かに笑った。 「よぉ……何て顔してんだ……いったい何が……」 そこでフリックも自分の声がおかしいと気づいたのだろう。何気なく喉元に手をやって、あーっと声を出す。 「あれ……?」 「フリック……だ、大丈夫か?」 「ああ、別に……どこも痛くはないんだけど……俺の声……何か変だよな…?」 変なのは声だけじゃないんだ、とは誰も言えない。ついさっきまで男だったのにいきなり女になっただなんて知ったら、常識人代表のようなフリックがどうなるか想像するのが恐い。 とはいうものの、自分の身体の異変をいつまでも隠し通せるわけもなく。 女になったという事実を誰が告げるのか。それはもちろん相棒であるお前の仕事だろう、という視線を痛いほどに受けて、ビクトールは渋々フリックへと向き直った。 「あ、あのよぉ……フリック……」 「何で俺、こんなに声が高くなっちまったんだ?それに……」 フリックがぺたぺたと自分の顔を触り、一回り以上は細くなった肩を探り、そしてその手が胸元へと滑った。 「…………?」 見事に膨らんだ胸の感触に、フリックの表情が次第に強張る。 「な……んだ……?」 「フ、フリック……驚くなよ……あのよ……」 ビクトールが何とか落ち着かせようと言葉を選ぶが、フリックはむぎゅっと自分の胸を掴んで真っ赤になった。 「な、な、な、何で俺の胸が膨らんでるんだっ!!!!!!いったいこれは……っ」 普通の女性でも巨乳の部類に入るであろうほどの豊かな胸を無造作に掴んで、フリックが信じられないとばかりに身体にかけられていた毛布を剥ぎ取った。 自分の身体を見下ろして、見た目はさほど変わったようには見えないものの、やはりどこか柔らかな女性特有の身体つきになってしまっていることに目をむく。 「じ、冗談だろ……」 言うが早いかフリックは自分の脚の間に手をやった。手っ取り早く自分が男かどうかを確かめるための動作ではあったが、逆にそれは決定的な証拠となってフリックのことを打ちのめすことになった。 「ない……」 それまで驚愕で赤くなっていたフリックの顔色がさーっと青くなる。それはそうだろう。それまで股間についていたものがなくなり、代わりに何もなかった胸が大きくなってしまったのだ、驚かないはずがない。 「…………フリック……?」 「ない……」 「実はよ……どういうわけか知らねぇが…お前……女になっちまったようなんだ」 何がないんだ?、とは聞かずに、ビクトールが今さらのように事実を告げると、フリックはぐいっと男の胸元を引っ掴んで叫んだ。 「……何でそんなことになるんだっ!!!!!!!おいっ!!いったい何の冗談なんだよっ、これはっ!!!!」 いくら怒鳴ってもいつものような迫力はない。むしろ綺麗な女性の声で怒鳴られては痛々しさしか感じられない。ビクトールはよしよしとばかりにフリックの痩せた背を叩いた。 「ちょっと落ち着けって、な?すぐに元に戻るからよ」 「本当だろうなっ!!!」 「た、たぶん……」 たぶんって何なんだー!!とフリックが気も狂わんばかりに叫んでいると、隣で眠っていたカミューがその騒々しさに目を開けた。 「うるさい……」 「カミューっ!!!!!」 今度はマイクロトフが慌てる番だった。ゆるりと目蓋を開けたカミューは、横でぎゃあぎゃあと喚いている傭兵たちを一瞥すると、すぐそばで心配そうに自分を見つめているマイクロトフにはんなりと微笑んだ。 「ああ、マイクロトフ……そんな心配そうな顔をするな……私は大丈夫……だ…」 何があったかは知らないが心配させてしまったなとカミューが言うと、マイクロトフは何とも言えない複雑そうな表情をした。 「カミュー……」 「あれ……?」 カミューもまた自分の声の高さや、身体の異変に気づいたのだろう。それでもすぐには何がどうなったのか分からないようで、ぱちぱちと何度か瞬きをしたて何かを考えているようだった。そんなカミューにフリックが怒鳴った。 「カミューっ!!お前も確かめろっ!!お前、女になっちまってるんだぞっ!!」 フリックの言葉にぎょっとしたように、カミューはぺたりと自分の胸に手をやった。いつも冷静沈着で少々のことでは顔色を変えたりしないカミューだが、このときはさすがにすっと血の気が引いた。それは当然だろう。何しろ女になったのだから。 カミューはフリックを見て、彼も自分と同じような女になっていることを知り言葉を失った。どこからどう見てもフリックは柔らかな女性特有の身体つきをしている。自分もあんな風になってしまったのかと思うとさすがに頭が痛くなる。 さすがに常に冷静沈着なカミューはフリックのようにあからさまな動揺は見せなかった。むしろ動揺しているのは、すぐそばにいるマイクロトフの方である。 マイクロトフはカミューを見るのが居たたまれないのか、半ばパニック状態になっているフリックを気の毒そうに眺めていた。 けれど、マイクロトフの視線が微妙にフリックの胸元にあることに気づいたカミューは、自分も己の胸に手をやった。 「ない……」 「え?」 ぽつりとつぶやいたカミューに、マイクロトフがはっとしたように顔を向ける。 「……胸が……ない……」 「え?」 「マイクロトフ……私は…女になったと?」 「そ、そうなんだ……どういうわけか分からんが、フリック殿と一緒に……その……女になってしまったようなのだ……」 「………」 「大丈夫だっ!!!心配するな!!俺がちゃんと元に戻してやるから、そんな不安そうな顔をしないでくれっ!!!」 必死に慰めようとするマイクロトフに、カミューは低く言った。 「女になったのに……どうして胸がないんだ?」 「え?」 誰もが一瞬聞いてはいけないことを聞いてしまったような気がして我が耳を疑った。 カミューはがばっと起き上がると、素早くフリックのそばへと歩み寄った。そしていきなりフリックの胸をむんずと掴んだ。 「ぎゃああああっ!!!」 いくら男同士とはいえ、いきなり胸を捉まれたフリックは何をするんだとばかりにカミューの手を振り払う。あっけに取られたのはビクトールとマイクロトフで、突然のカミューの奇行に言葉を失った。フリックは今にも泣き出しそうな顔つきでカミューを睨みつけた。その顔は真っ赤で、耳まで赤く染まっている。 「てめぇ……何しやがるっ!!!」 「どうしてフリックさんはそんなに胸が大きいのに、私はぺっちゃんこなんですかっ!!」 その場にいた全員が頬を引き攣らせてカミューのことを見つめた。 論点はそこじゃないだろう、と誰もが突っ込みたかったが、とてもいえる雰囲気ではない。カミューはさらに嫌がるフリックの胸をぎゅうぎゅと掴んだ。 「いてててて、やめろっ!!!お前変態かっ!!!!」 「ずるいじゃありませんか!!!どうしてフリックさんにはこんなに立派な胸があるのに、私にはないんですか!?」 「知るかよっ!!!俺はこんなでかい胸いらねぇんだよっ!!」 必死の抵抗も空しくフリックはベッドの上に押し倒される。美女二人の取っ組み合いをしばらく呆然と見詰めていたビクトールは、がっくりと肩を落として二人の間に割って入った。 「お前ら……いいから少し大人しくしてくれ……」 おらおら離れろ、とビクトールがカミューの身体に腕を回して軽々とフリックから引き離す。カミューが男であったなら、こんな簡単に引き離されたりしなかっただろう。だが今のカミューの華奢な身体は腕に余るほどで、少々暴れてもビクトールはびくともしない。ビクトールはほらよ、とばかりにマイクロトフにカミューを引き渡した。 「マイクロトフ!!!」 荷物のように放り出されたカミューがマイクロトフを見上げる。 「な、何だ?」 「こんなのあんまりだと思わないか!?」 「そ、そうだな」 「私よりもフリックさんの方が胸が大きいなんて……」 「………」 やっぱりそこが問題なのか、とマイクロトフはがくりと肩を落とした。ちらりとフリックへと視線を移すと、なるほどフリックの胸は思わず見惚れずにはいられないほどの豊かなもので、マイクロトフは目が離せなくなる。女になったことが未だに信じたくないフリックは、この現実を拒否するかのように、ベッドに横たわると枕に顔を埋め、「嫌だ嫌だ」とつぶやいていた。 「やれやれだぜ」 何とかしろよ、とビクトールがホウアンへと視線を向けるが、ホウアンは困ったように首を振るだけである。モンスターの攻撃魔法でも、男が女になってしまうような魔法はなかったように思う。第一、二人はモンスターと戦っていたわけではないのだ。 それまでことの成り行きを見ていたシュウは、ここへきてようやく口を開いた。 「で、原因は何だ?どうしてよりにもよって同盟軍の精鋭二人を女にした。誰の陰謀だ?誰か分かるように説明してみろ」 怒り心頭といったシュウの言葉に誰もが口を閉ざす。 「ほんと困っちゃうなー、やっぱりフリックさんの運の悪さってのは伊達じゃないよねー」 その場を和ませようと一人明るく振る舞ってみせたディランだが、じろりとシュウに睨まれて、はぁと大きく溜息をついた。 その時、医務室の扉が開き、ルックが姿を見せた。その背後にはハンフリーとゲオルグに抱えられたメイザースがいた。 「お、何だ、どうした?」 「まったくいい加減にして欲しいね。騒々しいにもほどがある。あんたたちの声、外にも丸聞こえだよ」 ルックは医務室の中をぐるりと見渡すと、すっかり姿の変わってしまったフリックとカミューに顔色も変えずに近づいた。そして、まじまじと頭のてっぺんから爪先までを眺め倒して、楽しそうにうなづいた。 「へぇ、すごいじゃないか、誰がどう見ても立派な女だよ」 「嬉しくないっ!!!!!」 「怒鳴らないでよ、あんたたちがそうなっちゃった原因を連れてきたんだからさ」 ハンフリーとゲオルグがぐったりと眠っているメイザースをベッドへと下ろす。二人はフリックとカミューの変わり果てた姿に目を見張ったものの、さすが年の功と言うべきか騒ぎ立てることはなく黙っていた。 「おい、あれが原因なのか?」 「そうだよ」 ビクトールの問い掛けにあっさりと答えて、ルックはどさりと椅子に腰かけた。 「どうやらメイザースが新しい魔術を生み出そうといろいろと試行錯誤していたらしいよ。で、新たに開発した魔術を試したみたらしいんだけど、どうやら上手く抑制できずに暴発しちゃったみたいだね。別に男を女に変える魔術を考えていたわけじゃないとは思うから、まぁ、言ってしまえば失敗なんだろうと思うよ」 フリックががばっと顔を上げる。 「おい!じゃあメイザースなら元に戻せるんだなっ!!!」 言うなりベッドから飛び降りて、フリックは横になったメイザースの胸倉をがしっと掴んだ。そして細い腕で巨体をがくがくと揺さぶった。 「おいこら、メイザース!!!!何を悠長に眠ってんだっ!!くそっ、起きやがれっ!早く俺たちを元の姿に戻せっ!!!」 狂ったように取り乱すフリックを、ディランが慌てて止めた。 「フリックさん!落ち着いて!そんなに揺さぶったりしたらメイザースさんは永遠の眠りについちゃうよっ!!」 「う……」 はぁはぁと肩で息をして、フリックはがくりとその場にしゃがみこんだ。そんなフリックにルックが容赦ない言葉を浴びせ掛ける。 「青雷ともあろう者がみっともない真似するんじゃないよ。暴発した魔術のせいで、メイザースも意識を失ったままだし、しばらくの間はあんたたちもその姿でいるしかないね。目を覚ませば元に戻してもらえるんじゃないかな」 「……ひどい」 「まぁいいんじゃないの?女になるなんて滅多にないことだし、どうせなら楽しめば?」 「できるか、そんなことっ!!」 他人事だと思っていい加減なことを言うなっ!!とフリックが叫ぶが、カミューはなるほどと納得したようである。 「フリックさん、こうなってしまったものは仕方がありません。確かにルック殿のおっしゃる通り、こんなことはもう二度とないことでしょうし、そんなに慌てなくても大丈夫ですよ。永遠にこのままってわけじゃないでしょうし、そのうち元に戻ります。少しは心を落ち着けましょう」 「……これが落ち着いていられるか」 今にも泣き出しそうな顔で途方にくれるフリックは、やはりどう見ても立派な女性そのもので、悲観する姿は妙な色気を醸し出していないこともない。 「と、とにかく原因ははっきりとしたわけですし、お二人ともどこも怪我もされていませんし、普通の生活してくださってけっこうですよ。メイザースさんが目覚められたらすぐに声をかけますから」 ホウアンはほっとしたように二人に告げるが、フリックもカミューもこの姿を人目に晒すのはさすがに勇気がいると内心溜息をついた。 シュウは馬鹿馬鹿しいと言い捨てて医務室をあとにし、ディランは女性になった二人は戦闘に出てもらえるのかなーなどとのんびりと考えていた。 「それにしても傍迷惑なことだね。困ったものだ」 カミューはさほど困った風でもなくそう言うと、すくっと立ち上がってまだ立ち直れないでいるフリックの腕をとった。 「さ、フリックさん、いつまでもこうしていても元には戻りませんよ。早く現実を受け入れて、しゃきっとしてください」 「……お前、何でそんなに普通の顔していられるんだよ」 「私だってショックですよ。ただ女性になっただけならまだしも、フリックさんよりも胸が小さいだなんて。信じられませんよ。不公平です」 やはりそこが問題なのか、とフリックはカミューの思考回路はどうなってるんだと訝しんだ。 二人が女性になってしまったという事実は、あっという間に本拠地内を駆け巡った。 夕食時のレストランは、いつも以上の人混みで、そしてフリックは珍獣にでもなったような気持ちがしてろくに食事も喉を通らなかった。 「……もういやだ」 周囲の視線がちくちくと身体中に刺さって気が休まらない。フリックは手にしていたフォークを置くと、ビールを一気に飲み干した。こうなれば飲んで飲んで飲みまくって、この悪夢を忘れてしまいたい。朝起きたらちゃんと元の身体に戻ってることをひたすらに祈るばかりだ。 向かい側に座るビクトールはといえば、最初は何が何だか分からなかったが、こうして女性になってしまったフリックを目の前にすると、さらにどうしていいか分からなくなる。何しろ今のフリックは、それまでのフリックとはあまりにも違いすぎるのだ。 いくら細身とはいえ、男のフリックはやはりちゃんと男の身体をしていて、その服の下に鍛えられた筋肉が隠れていることも十分知っているビクトールである。けれど今はどうだ。 細身というよりも華奢な肩をして、フォークを持つ指先はほっそりと白い。首の細さや、何より見事に膨らんだ胸元にどうしても視線がいってしまい、困ったなぁとビクトールも思っていた。 「………そんな目で見るなよ」 「え?」 フリックは怒りのせいか酒のせいか、頬を赤くしたままじろりとビクトールを睨んだ。 「お前、さっきからあそこにいる連中と同じような目で俺のこと見てるだろ。そういう物珍しそうな目で俺を見るんじゃねぇ!」 「しょうがねぇだろ、俺だってどうしたらいいか分からねぇんだしよー、実際物珍しいし」 「いつもと一緒でいいだろ」 フリックは唇を尖らせると、ふいっとそっぽを向いてつぶやいた。 「お前くらいは、いつもと一緒でいてくれよ。でないと俺、どうしていいか分からないだろ」 「………フリック」 フリックが一番困惑して、不安なのだ。 戦闘中ならどんな非常事態でも冷静に対応できるくせに、こういう珍事には上手く対応できない不器用な男だったな、とビクトールは今さらながらに思い出してふと笑った。 「悪かったよ。男でも女でもお前はお前だもんな。ま、そんな心配するな。すぐに元に戻るよ」 「ほんとにそうであって欲しいよ」 「フリックさーーーんっ!!!」 甲高い雄叫びを上げてやってきたのはナナミとニナである。ぎくりとした時にはもう遅かった。二人は目を爛々と輝かせてフリックの腕にまとわりついてきた。 「きゃーーーーっ!!フリックさんてば何て可愛いのっ!!!!」 「いやーーーん、フリックさんてば本当に女の子になっちゃったんだー」 「すごいねーメイザースさんの魔術って!」 「ねぇねぇ女になった感想はどう?」 「やっぱり美青年は女になっても美女なんだねー」 二人は言いたい放題を言ってはフリックの身体にぺたぺたと触った。 「おいおい、お前ら、フリックがどんなにショック受けてるか見りゃ分かるだろー。あんまりうるさくまとわりつくんじゃねぇぞ」 見かねてビクトールが二人に注意するが、まったく気にせず、ニナもナナミもフリックのことをじーっと見つめた。 「フリックさんてば睫毛ながーい、何だかちょっと悔しい気がしてきた」 「ほんとほんと。それにこの胸っ!!」 言うなりニナがフリックの胸を指さした。 「オウランさんも負けちゃうんじゃない!?いやだー、フリックさんてば、それって願望だったりするんじゃ!」 「そんなわけあるかっ!!!」 耐え切れずフリックが怒鳴った。 本当に本当に誰か助けてくれ、とフリックが両腕で胸を隠す。 「あ、もしかしてフリックさん!!!」 「な、何だよっ!」 ニナがフリックのそばに身を屈め、耳元で小さく囁いた。 「フリックさん、ちゃんとブラジャーつけてます??」 「……………っ!!!!!!!!!」 「だめですよー。そんな大きな胸してるのに何もつけないでいたら!本拠地中の男たちがみんなフリックさんのことを見てるのはその大きな胸のせいですよ!それに、ちゃんとつけてないと、将来胸の形が悪くなっちゃいますから」 できることなら今すぐ気を失ってしまいたい、とフリックは涙目になった。何が悲しくて男の自分がブラジャーなどつけなくてはならないのだ。それに、将来っていうのは何だ。いつまでもこんな姿のままでいるつもりなど、毛頭ない。 それなのに!それなのに!!それなのに!!! 「おいおい、お前らいい加減にしておけよ。それ以上フリックをいじめるとあとでひどいからな」 フリックの気持ちを代弁するように、ビクトールがニナを遮る。 「ビクトールさんは女になっちゃったフリックさんを見てどう?綺麗だなぁとか思ってるの?」 ナナミは笑いを堪えた顔でビクトールの返事を待っている。ビクトールはちらりとフリックを見たあと、ニンマリと笑って言った。 「別に女じゃなくたって、フリックは別嬪さんだぜ、知らなかったのか?」 「ビクトールっ!!!!!」 真っ赤になって怒鳴るフリックを、ビクトールがまぁまぁと宥める。ニナもナナミもやってられないとばかりに、大仰に溜息をついた。そしてフリックに向かってお幸せに、などとおどけてみせる。 「そうよねぇ、綺麗なフリックさんてのは見ていて楽しいけど、でも女じゃあ結婚もできないしなー」 「でもビクトールさんならきっとフリックさんのことを幸せにしてくれると思うなー」 「やぁねーナナミったら!こういう男の方が亭主関白で苦労するものよ」 「そうかなぁ、でもビクトールさんは優しいし。ね、フリックさん」 「…………」 フリックは静かに席を立つと、ぐるりとレストランの中を見渡した。ちらちらとフリックを見ていた男連中が慌てて視線を外す。やはり皆、女に変わってしまった自分のことを物珍しい目で見ているのかと思うと、いたたまれなくなる。 「俺は部屋に戻ってるからな!」 「おいおい」 「元の姿に戻るまでは、俺はレストランには来ない!!」 豊満な胸を揺らしながら、フリックはビクトールを残したまま逃げるようにしてレストランから姿を消した。 「あ、フリックさーん、あとでちゃんとブラジャーをつけてくださいねー」 そんな追い討ちをかけるかのようなニナの言葉がフリックに届いたかどうか。 「あーあ、泣いちゃった」 「お前らなー、フリックのことをいぢめるなよ、あとで宥めるのが大変なんだぞ」 よっこらしょと立ち上がり、ビクトールが厨房にいるハイ・ヨーに声をかけ、まだろくに食事をしていないフリックのために、食べ物を包んでもらった。 すっかり落ち込んでいるフリックをどうやって慰めるべきか、一度落ち込むとうだうだと悩むフリックなので、ビクトールとしてもどうしたものかと思案してしまう。 でもまぁ、女になったフリックを慰めるというのはちょっと楽しいかもしれないなどと、少しばかり邪まな思いを抱えつつ、ビクトールもレストランをあとにした。 一方、フリックと同じように女の身体になってしまったカミューは、マイクロトフと二人、部屋で静かに食事をとっていた。もともと食事中にうるさく話をする二人ではないが、今夜はいつもに増して食卓はしんと静まり返っていた。 「なぁカミュー、いつものようにレストランで食事をしないか?」 マイクロトフがさりげなく切り出すが、カミューはじろりと上目使いに睨むばかりで返事をしようとしない。 「二人きりで部屋で食事というのも悪くはないが、今日のレストランの定食は肉だし…あ、いや別にどうしても肉が食べたいというわけではないのだが、二人きりだとどうしても気分が暗くなるというか……」 「………」 「カミュー、大丈夫だ。誰もお前が女になったことなど気にしたりはしない。見た目はそんなに変わったようには思わないぞ」 「だから嫌なんだろうっ!!!!」 カミューが真剣な目でマイクロトフに訴える。 「いいか、私は女になってしまったんだぞ。別にそれが嬉しいだなんてこれっぽっちも思ってはいないけれど、女になったのに、見た目があまり変わらないっていうのはどういうことだ?」 「お前はもともと綺麗だから……」 「誰がそんなことを言っている!そうじゃなくて……」 言うなりカミューはばんと自分の胸を叩いた。 「男だった時とほとんど変わらないんだぞ!!!この胸はっ!!!いったいどうなってるんだ!!」 そんなことどうでもいいじゃないか、と言いかけて寸でのところでマイクロトフはそれを飲みこんだ。そんなことを言えば紋章で燃やされてもおかしくはない。 「こんな胸じゃとてもじゃないが外には出られない」 がばっとテーブルに突っ伏して、カミューが顔を覆う。やれやれとマイクロトフは溜息をついてフォークを置いた。 「カミュー、どうしてそんなに胸にこだわる?別に胸がなくてもかまわないだろう?お前は女ではないんだから」 身体が女になってしまったとはいえ、カミューは男なのだ。胸が小さいからといって、そんなに嘆き悲しむことなどないと思うのだ。 「カミュー?」 「……ったくせに」 「何だって?」 「お前はフリックさんの胸ばかり見ていたくせに!!!ニヤけた顔をして見惚れていただろうっ!」 「な、何を言うっ!!」 思いもかけないカミューの発言に、マイクロトフはびっくりして顔を赤くした。カミューはここぞとばかりにマイクロトフに詰め寄る。 「惚けようったってそうはいかないぞ。私とフリックさんが女になってしまった時、お前はフリックさんの胸ばかり見ていたじゃないか!お前、やっぱり胸の大きな女性が好きなんだろう、違うとは言わせないぞ」 「ち、違うと言わせてもらうぞ!!!」 そんないいかがりをつけられ、誤解をされてはたまらない。マイクロトフは必死にカミューの誤解を解こうと口を開く。 「確かに多少は見ていたかもしれないが、それは、ついさっきまで男だったフリックさんの胸が、あのように大きくなってしまったのだから、何というか、びっくりしてついつい目がいってしまっただけだ!それ以上何の他意もないぞ!!誓って言うが、俺は別に胸の大きい女性が好きなわけではないっ!!」 「じゃあ小さい女が好きなのか?」 「別に小さいのが好きというわけでも……む、胸など適度にあればよいっ!」 「適度って何だっ!」 「う……て、手のひらにおさまるくらいだ!!!」 「………」 剣呑な目つきでマイクロトフを見ているカミューに、マイクロトフは大きく溜息をついた。 「カミュー、心配しなくても大丈夫だ。ほら、俺の手のひらにちょうど……」 そういって、マイクロトフはカミューの胸にぴたりと手を当てた。 「………っ」 「………っ!」 確かにカミューの胸は小さいながらも男の手にすっぽりとおさまるほどの大きさであろう。しかし、マイクロトフの手は普通の男性よりもずいぶんと大きかったため、カミューの胸はマイクロトフの手の中ではほとんどその存在をアピールすることはなかったのだ。 マイクロトフは嫌な汗が背中を伝ってくるような気がして青くなった。 確かにフリックの胸よりはずいぶんと小さいとは思ったが、まさか手ですべてが隠れてしまうほどだとは思ってもみなかったのである。 (困った困った困った困った!!!!!!!) カミューの胸に置かれた手を、どうしたものかとマイクロトフは固まってしまった。 「マイクロトフ」 「………う」 「どうやら私の胸はお前の好みからはずいぶんと外れてしまっているようだね」 「そ、そんなことはないぞっ!!!」 「もういい、もう私のことなど放っておいてくれ!好きなだけフリックさんの胸を見ればいい」 別にフリックさんの胸になど興味はない、と思わず叫んだマイクロトフだが、すっかり機嫌を損ねたカミューは聞く耳を持とうとはしなかった。 (メイザース殿、恨みます……) マイクロトフは心底そう思い、深々と溜息をついた。 2へ続く |