STAY(前編)


「ビクトールさんて、どぉしてそんなに体力あるんですか」
 最後の休憩から早2時間。
 ディランがうんざりしたようにつぶやく。
 長く続いた雨も上がり、ずっと城の中に閉じ込められていた者たちはみな、ディランが外へ行くというのに同行したがった。しかし、メンバーは5人までで、選択権はディランにある。
 ディランにしてみれば、誰でも良かったのだが、酒場に入り浸りでうるさ過ぎるから何とかしてくれ、というレオナの頼みもあってビクトールをメンバーに入れたのだ。
 それが間違いだった。
 何しろ身体がなまって仕方がないというビクトールは、出会うモンスターを逃がそうなどという気はさらさらないらしく、片っ端から始末していく。おかげで金は貯まる一方だが、体力の限界が近い。
「お前は普段から訓練をサボりすぎなんだよ。そんな細っこい身体してちゃあ、ルカには勝てねぇぜ」
 ビクトールが呆れたようにディランを眺める。
「あのですね、筋肉の塊みたいなビクトールさんと比べないで欲しいんですけど。俺はこれでも成長はいい方なんですから」
 我慢しきれず、ディランが休憩〜と叫ぶ。
 残りのメンバーたちもほっとしたようにその場に座り込む。やれやれ、とビクトールは肩をすくめた。
 たった2時間ほど暴れただけで、休憩だなんて情けなさ過ぎる。
「どこ行くんですか、ビクトールさんっ」
「ちょっとその辺りの探索にな。すぐ戻ってくるからよ」
「はいはい、お好きにしてください」
 ディランは大の字になってその場に寝転がった。運動不足解消に、と思っただけなのに、やはりビクトールを連れてきたのは間違いだった、と少しばかり後悔するディランであった。
 一方のビクトールは鼻歌なんぞ歌いながら、林の中を歩いていた。
 確か近くに湖があったはずだ。以前フリックと一緒に見つけ、水浴びをした記憶がある。喉も渇いたことだし、ちょっとそこまで行ってみよう。
 この辺りは比較的強いモンスターも出てこないし、なかなか散歩にはよいコースだ。今度フリックを誘ってピクニックなんてのもいいかもしれない。ハイ・ヨーに美味い弁当でも作ってもらって。うん、なかなかいいアイデアだ。そんなバカなことを考えながらビクトールが湖の近くまで来た時、岩陰に人の姿を見つけた。
 反射的に腰の剣に手をやる。
 しかし、ぐったりと動かないその様子に、剣をおさめて、あわてて駆け寄った。
 近づいてみると、どうやら女のようだった。
「おい、どうした?しっかりしろ」
 死んでるのか?雨に濡れたその細い肩を抱き起こす。
「…おい…」
 血の気のないその白い顔を見て、ビクトールは一瞬自分の目を疑った。


 開店前の酒場の一角で、フリックはカミューと兵士たちのレベルアップのためのカリキュラムを組んでいた。
「あ〜もう、何だって俺たちがこんなことをしなくちゃならないんだ?こういうのは軍師の仕事だろ?」
「シュウ殿も忙しい方ですからね。実際に訓練を行う私たちに任せる、というところなのでしょう」
 カミューは書類をフリックへと渡す。細かく記入された指導要綱にフリックはため息をつく。
 砦にいた頃はこういう仕事は自分に向いていると思っていた。というか、ビクトールがあの調子なので、自分がせざるを得なかったのだ。けれど、こうしてカミューやマイクロトフの細やかな仕事ぶりを見ていると、こういう仕事は自分には適任ではないような気がしてくる。
「私たちはマチルダ騎士団では、これが本職でしたから。慣れてるだけですよ」
 フリックのつぶやきにカミューが苦笑する。
「そうだけど…おいカミュー、このメンバーじゃ無理だ。少なくとも…」
 適任ではない、などと言いながらもしっかりと内容を見て意見してくるフリックに、カミューは微笑む。
 カミューはこの友人のことをかなり気に入っていた。
 純粋で、真面目で、少し不器用で。剣の腕は抜群にたつし、何より信頼できる。どんなことがあってもフリックは自分の信頼を裏切ることはないだろう。だから、カミューもこの友人のためなら、何でもしてやりたいと思えてくるのだ。
「どうした?何かまずいこと言ったか?」
 まじまじと自分の顔を見ているカミューにフリックがきょとんをする。
「いえ。そうですね、では、マイクロトフの部隊に…」
 その時、城の入口がやけに騒がしくなった。
「おや、ディラン殿たちが帰ってきたようですね」
「ああ…だが、それにしちゃうるさくないか?」
 フリックが立ち上がり、そのあとにカミューが続く。酒場を出たところで、ディランたち一行と出くわした。どういうわけか、周りにはけっこうな人だかりができている。
 フリックが無意識のうちにビクトールの姿を探す。そして、ディランの後ろにその姿を見つけた。
「おらおら、邪魔だ。道開けろ。誰かホウアン呼んで来い」
 ビクトールが大声を上げる。その腕の中に抱かれた女。
 その姿に一瞬、フリックは足がすくんだ。しかし、すぐにビクトールのそばに近寄った。
「どうした?」
「ああ…湖の近くで倒れてたんだ」
 女は同行していたハンフリーのマントにしっかりと包まれていた。ビクトールの胸に埋めるようにした顔はフリックには見えない。
「ビクトールさん、とりあえず医務室へ」
 城中がばたばたと慌しくなる。ディランに言われ、ビクトールが医務室へと歩き出す。フリックもそのあとを追った。
 

 医務室に集まったメンバーはディラン、シュウ、ビクトール、フリック、ハンフリー、カミュー、そしてホウアンとトウタ。その誰もが唖然としてベッドに横たわった女を見下ろしていた。
「これは…嘘みたいに似てますね」
 カミューがぽつりとつぶやく。
 その言葉に誰もが同意しないわけにはいかなかった。
 横たわった女はフリックにそっくりだった。目鼻立ちも、顔の形も、髪の色も。
「俺も見つけた時にはびっくりしたぜ、フリックが倒れてんのかと思ってよ」
 ビクトールが笑う。そんなはずはないと分かっていても、思わずフリックと叫んでしまったくらいだ。
 その女はぐったりとしていて意識はなかった。死んでいるのかとも思ったが、何度か身体を揺すっているうちに、一度だけ薄く目を開けたのだ。しかし、またすぐに意識を無くした。ビクトールはその細い身体をすくい上げ、ディランたちと合流し、すぐに城に戻ってきたのだ。
「お前、妹とかいたっけか?」
 ビクトールがフリックに言う。
「いるわけないだろ。それに、お前たちが言うほど似てるとは思わないぞ」
「いや、それがよ…」
「で、どうなんだ、ホウアン」
 二人の話を遮るように、シュウがホウアンに尋ねる。
「大丈夫ですよ。過労でしょう。雨に打たれたせいか、熱を持ってます。でも注射もしましたし、しばらく安静にしていれば元気になると思いますよ」
 ホウアンの言葉にみんなほっとしたようにうなづいた。
「あ、気がついたみたいですよ」
 トウタが嬉しそうに声を上げた。みんながベッドサイドに集まる。苦しそうに身じろぎして、女がゆっくりと目を開けた。
「あ…」
 その目を見て、さすがのフリックも認めないわけにはいかなくなった。
 綺麗なブルーの瞳。
 目を開けた彼女は、もう誰もが異論を唱えることができないほどにフリックそっくりだった。
 突然大勢の人間に囲まれていることに気づいた彼女はびっくりしたようで、小さく悲鳴をあげた。そんな彼女にビクトールが優しく微笑んだ。
「ああ、大丈夫だ。安心しな、ここは同盟軍の本拠地だ」
「同盟軍?私は…いったい…」
 さすがに声は似ていない。それでもフリックに似ているというだけで、ビクトールは彼女に妙に親近感を覚えてしまう。ビクトールはいつもらしくない優しい声で女に話し掛ける。
「湖のそばで倒れてたんだ。覚えてねぇのか?」
「ああ…雨をよけようと思って岩陰に…私…ハイランドへ行かなければいけないのに…」
 ハイランド。
 誰もがその言葉に黙り、お互い顔を見合わせた。
 ぼんやりとした記憶を追いかけているようで、彼女は小さく頭を振る。ホウアンがまだ話をするのは無理だと言ってビクトールを遮った。少し眠るようにと優しい声で言い、ホウアンがメンバー全員を医務室から退室させた。
 廊下に出た全員がやれやれとため息をつく。
「ハイランドか。どうする。敵側の人間のようだが」
 ハンフリーがシュウを見る。
「スパイかもしれませんね。だいたい、湖の近くで倒れているなんて出来すぎています」
 カミューが冷ややかに言う。
「ビクトール、周りに他に人はいなかったか?」
「いねぇよ。彼女だけだった」
「どうしますか?ディラン殿」
 シュウがディランの意見を聞く。う〜ん、とディランが人差し指を口元へ持っていく。しばらく考えたあとで、ディランは肩をすくめて言った。
「まぁしばらく様子を見よう。ほんとに弱ってるみたいだし、すぐに何かできるとも思えない。ああ、とりあえず責任とってビクトールさんが彼女のそばで監視して。でも、いくらフリックさんに似てるからって襲わないでね」
「お前なっ」
 誰もがディランの心配に同意しないわけにはいかなかった。それほどに彼女はフリックに似ているのだ。当のフリックはというと内心複雑だった。
 確かによく似ている。あれで目の色でも違えば、そう思わなかっただろう。しかし、あの自分と同じ青い瞳。生き別れになった妹だと言われれば認めないわけにはいかないくらいに似ている。
「気をつけてくださいよ。スパイなら、女だからといって油断してると痛い目に会いますからね」
 カミューがすれ違い際ビクトールに忠告する。この男はたとえスパイだと分かっても、フリックに似ているから、というだけで逃がしてしまいそうな気がするのだ。
「へいへい。んな風には見えないけどな、おいおいフリック、どこ行くんだよ」
 カミューと一緒にその場を立ち去ろうとしていたフリックをビクトールが呼び止める。
「部屋に戻るんだよ。ちゃんと監視してろよ」
「俺一人にさせるつもりかよ」
「子供じゃあるまいし、一人で十分だろ。それとも何か、ディランが言ったように、人がいないと彼女を襲うか?」
「へっ、病人襲うほど餓えちゃいねぇよ。それより、あとで食うもん持ってきてくれ、腹減った」
「分かったよ」
 軽く手を上げて、フリックはカミューと連れ立ってビクトールをその場に残し、ディランたちのあとを追った。
「いいんですか?彼女と二人きりにして」
 カミューの質問の意味がよく分からず、フリックは眉をひそめた。
「彼女、ほんとにあなたの血縁のものではないんですか?」
「違う。俺に兄弟姉妹はいないし、親戚がいるなんてのも聞いたことがない」
「まぁ世の中には自分に似た顔が3人はいるといいますけど、あそこまでそっくりだと、ちょっと気味が悪いくらいですね」
「確かに似てるが、元気になればまた印象も変わる。みんなが言うほど似てるとは思わない」
「そうでしょうか。ビクトール殿のあのニヤけた顔、ディラン殿の忠告にもうなづけましたけど?」
 あのばか。
 フリックもそれには気づいていた。彼女を見るビクトールの目は、ほんとに呆れるくらいに興味津々といった感じで、見ているこっちの方が恥ずかしくなるくらいだったのだ。しかし、だからといって、ビクトールが彼女をどうこうするはずがないのも分かっている。
 けれど、ビクトールが彼女を抱いていたあの姿に、どういうわけか足がすくんだ。
 ばかばかしい。フリックはそんな考えを振り払おうとした。
「それにしてもハイランドの人間とは。スパイでないにしても、あまり関わりあいにならない方がいいと思いますが」
「そうだな。とにかく彼女が回復すれば、シュウたちがもっとちゃんと事情を聞きだすだろ」
 彼女がスパイかどうかは、どうでも良かった。
 自分によく似た女性。
 たったそれだけのことが、どういうわけかフリックの心に小さな刺となって刺さっていた。


「まったくビクトールさんも困ったもんだねぇ。よりにもよって、ハイランドの人間を拾っちゃうなんてさ」
 執務室に戻ったディランはどさりとソファに座り込んだ。
 シュウが普段仕事場にしているこの執務室は落ち着いた色調の家具でまとめられており、どこか人を威圧する雰囲気があった。用がない者にとっては近寄りがたいこの部屋に、ディランはまるで遊び場のように入り浸っている。
「行儀が悪い」
 テーブルの上に投げ出されたディランの足を、シュウが振り落とす。ちぇ、とディランが舌打ちした。
「お茶飲みたい」
「ご自分でどうぞ。新しい紅茶が棚にありますから」
 シュウは大きな執務机に向かうと、呼び出されるまでしていた仕事の続きを始める。
「ねぇ、どう思う?さっきの彼女」
 懲りずにテーブルに両足を投げ出し、ディランがシュウに問い掛ける。シュウがちらりと視線を上げた。
「スパイにしてはあまりにも無防備だな。何の武器も持っていなかったようだし。ハイランドの人間かもしれんが、スパイではないだろう。もっとも、どうしてあんな所で倒れていたのかは…」
「そうじゃなくってさぁ、どうしてあんなにフリックさんと似てるんだろぉね」
「………」
「ビクトールさんのあの顔見た?大好きなフリックさんの二乗だもんね、そりゃ嬉しいよなぁ」
「あなたはそんなことを考えていたのですか?」
 怒りを含んだ声に、ディランが笑う。
「だってさ、これからどうなるかと思うと楽しみじゃんか。ひと波乱あるよ、きっと」
「……ディラン殿」
「フリックさんてああ見えてけっこうやきもち焼きだと思うんだけど、どう思う?」
「そんなつまらない話をするなら、出て行ってください。仕事がありますから」
「ん〜、じゃあついでにさ、誰か一人ハイランド近くまで行かせてくれないかな。ちょっと様子を探ってきて欲しいんだ」
「……」
「彼女、ハイランドに行くって言ってたろ。どうせ、あのビクトールさんのことだ、送り届けるって言い出しかねないからね。先に様子だけ見ておこう。まさか、まともに行って入れてくれるとも思えないからさ」
 シュウはやれやれとため息をつく。
「分かりました」
 ディランはシュウの返事に満足すると、いつものようにクッションを引き寄せてソファに横になり、夕食までのわずかな時間、眠りを貪ることにした。


 ビクトールがフリック似の女を拾ってきた、という話はあっという間に城中に広がった。
 医務室の周りには一目彼女を見ようと、いつもうるさいくらいの人が集まっていた。
「いい加減にしてください。他の患者の迷惑ですよっ」
 ホウアンが扉を開けて、一喝する。
「よぉホウアン、どうだい、彼女の様子は」
 あれから2日。そろそろ話も聞けるだろう、と中核メンバーが医務室を訪れた。
「ああ、もうずいぶん落ち着きましたから、大丈夫ですよ。話もちゃんと聞けると思います」
「んじゃ、事情聴取といきますか」
 嬉々としたビクトールを筆頭にメンバーが中に入る。
 ベッドの上で身体を起こして座っていた彼女が振り返る。
「こりゃ…また、えらい別嬪さんだ、な…」
 ひゅうっとビクトールが口笛を吹く。
 まだ少し疲れが残っているのか青白い顔をしているが、ベッドの上の彼女は一瞬目を奪われてしまうほどに美しい顔立ちをしていた。吸い込まれそうな青い瞳。やはりフリックと似ている。もちろん、男と女なので、間違えることはないにしろ、兄妹なら間違いなく通るだろう。ぽかんと口を開けたままのビクトールの腕をフリックが軽くつねる。
「いって、何すんだよっ」
「バカ面してるからだ」
「はいはい、痴話喧嘩ならどっか違うとこでしてくださいよ」
 ディランがうんざりしたように二人を制して、ベッドサイドに近づく。
「気分はどうですか?」
「ありがとうございます。もう大丈夫です」
 よく通る綺麗な声。綺麗な女性というのは、声まで綺麗なものらしい。ディランは近くのイスに座ると、いつもの愛想のいい笑顔を見せた。
「えっと、お名前は?」
「マーシアです。あの…ここは、同盟軍の…?」
「そうそう。あなた、南の湖のそばで倒れてたんですよ。覚えてます?で、このビクトールさんが助けたってわけ」
 マーシアがビクトールを見上げる。
 少し怯えたような、それでいてどこか頼ってきているような視線に、ビクトールは思わず顔がニヤけた。
 何しろ、フリックそっくりな顔で、そんな風に見つめられて、いい気がしないわけがない。
「ありがとうございました。おかげで助かりました」
 見せる笑顔は花が綻んだようで。
 ビクトールも思わず微笑んでしまう。
「いやいや。死んでるんじゃねぇかってびっくりしたがな。元気になって良かったぜ」
「で、いったい何があったわけ?あんな所で倒れてるなんて」
 マーシアは少しためらったあと、話し出した。
 ミューズから西にある小さな村出身のマーシアは、ハイランドへ向かう途中だったのだ。幼馴染だった婚約者がハイランドにいるのだが、この戦いの中で怪我をしたということを聞き、一人彼のもとへ向かう途中、道に迷いあの林の中へと入り込んでしまった。体調を崩し、食べるものも尽き、おまけに雨に打たれるという最悪の状態になり、岩陰でうずくまっているうちに意識がなくなってしまったということだ。
「……なかなか涙をそそる話だとは思うんだけどさ、ミューズ近くの村からハイランドへ向かうのに、どうしてあんな所にいたわけ?ぜんぜん方向違いだと思うんだけど」
 ディランが首を傾げる。
「すみません…私、すごい方向音痴なんです…」
「は?」
 真っ赤になって俯くマーシアに、カミューが堪えきれずに笑いを漏らす。彼女が本当にスパイだとしたら、この演技力には拍手喝采しなければならないだろう。マーシアがおそるおそるディランを見る。
「あの…ここからハイランドは遠いんでしょうか?」
「遠いとか遠くないとか、そういう問題でもないんだよなぁ」
 ディランは頭痛がしそうだった。
 何だって方向音痴な女が一人で旅なんてするんだよ、と内心思ったが、顔には出さず事務的に言った。
「とりあえず体力回復するまでは、ここにいていいよ。ハイランドへ行くことについては、その間に考えてあげる。悪いけど、城の中を自由に動き回られるといろいろ困ることがあるから、お目付け役をつけさせてもらうね」
「あの…」
 マーシアは自分よりも、他の誰よりも若いこの少年が何もかも取り仕切っている様子に戸惑いを隠せなかった。その様子に気づいたフリックが小さく笑う。
「こいつが同盟軍のリーダーのディランだ。気の毒だが、俺たちはあんたの婚約者とは敵同士になる。お目付け役っていうのは、まぁそういうことだ」
 敵側の人間を一人にするわけにはいかない。事態を把握したマーシアはこくりとうなづいた。
「んじゃ、ビクトールさん、お目付け役よろしく」
 はい解散、とばかりにディランが立ち上がる。
「おい待て。何で俺なんだよっ」
「だってあなたが拾ったんだから、最後までちゃんと面倒見てよね」
 当然でしょ、とディランが言う。そして視線をフリックへと移す。何とも複雑そうなフリックの表情に思わずニヤリとしてしまう。自分とよく似た女がビクトールのそばにいるなんて状況に、フリックがどう対処するか。最近これといっておもしろいことがなかったディランにしてみれば、なかなか興味をそそられる実験なのだ。
「悪趣味だな」
 医務室を出るとシュウがディランに毒づく。
「何のこと?」
「わざとビクトールを選んだだろう」
 シュウの問いにディランはにっこりと笑うだけだ。
 いつもいつも仲のいい二人の間を少しくらいかき回すことが何だというのだろう。これくらいで駄目になるようなら、最初から続くわけがなかったのだ。
 どうせならジョウイに似た子でも拾ってくればいいのに。
 そしたら、ずいぶんと楽しめたことだろう。
 ディランはそんなつまらないことを考えてため息をついた。


「えっと、とりあえず部屋がないんでよ、俺の部屋を空けるから、そこを使ってくれ」
 医務室にいつまでもいるわけにもいかず、ホウアンの頼みもあって、マーシアはビクトールの部屋を使うことになった。
「ありがとうございます」
「いや、礼は部屋を見てからにした方がいい。恐ろしく汚いからな」
 フリックがマーシアに忠告する。マーシアはそんなフリックの顔をじっと見つめた。その視線に気づいてフリックが困ったように微笑む。
「似てる、かな?」
「似てます、よね?私、こんなに似ている人と出会ったのは初めてです」
 俺もだよ、とフリック。ビクトールは相変わらずへらへらと笑っている。何しろ両手に花の状態なのだから、ニヤけないわけがない。
「さぁ、着いたぜ」
 ばたんと扉を開けたのはいいが、フリックの予想通り、部屋は荒れ放題に荒れていた。脱ぎ散らかした服が床に散乱していて足の踏み場はなく、起きたままのベッドはシーツがよれていたし、テーブルの上も飲み散らかしたままだ。
 あまりの汚さに、フリックは眩暈がしそうだった。
「…マーシア、俺の部屋を使うといい、隣だから」
「おいおい」
「うるさいっ、お前は部屋を片付けてろっ!」
 フリックがマーシアを連れて隣の部屋の扉を開けた。そこはビクトールの部屋とはうって変わって綺麗に整頓されていた。かといって整理しつくされたものではなく、適度に生活感のある部屋に、マーシアはほっとする。口には出さなかったものの、さすがにあの部屋では落ち着かない。
「あの、フリックさんは?」
「ああ、俺は隣のゴミ溜めに行くよ。ったく、何だってあんなに散らかしてんだかな」
 ぶつぶつと文句をいいながら、自分の荷物をまとめる。
 マーシアはそんなフリックに笑った。
「なに?」
「いえ…、仲いいんですね、ビクトールさんと」
「う…そ、そうだな…古い付き合いだからな…」
 深い付き合いだとは死んでも言えないフリックである。思わず顔が赤くなりそうなのを必死で堪えて、マーシアに背を向けたまま衣類をまとめ、最後にオデッサを手に取る。
「じゃあ夕食の時に迎えにくるから」
「すみません、お部屋…お借りします」
 どこまでも礼儀正しいマーシアにフリックは好感を持った。
 自分と同じ顔ということさえなければ、もっと話をしようという気になるのかもしれない。しかし、いい子だとは思うのだが、どうしても気になってしまう。
 ビクトールの彼女を見る目。彼女のことを気に入っているのは見え見えだ。
 扉を閉めて、フリックはふぅっと息をついて、荷物を持ってビクトールの部屋を訪ねる。中ではビクトールが部屋の真ん中で立ち尽くしていた。
「何やってんだ、さっさと片付けろ」
「いやぁどこから手をつけたものかと思ってよ」
 ビクトールにとってこの部屋は半分以上物置なのだ。ほとんどの時間はフリックの部屋にいるし、夜もフリックのベッドに潜りこんでいる。フリックの部屋はビクトールにとっては自分の部屋も同然で、この部屋を片付けようなどと思ったことはなかったのだ。
「夜までに片付かないと、寝る場所もないじゃないか」
「たまには違う部屋もいいもんだろ?」
 ビクトールがフリックの後ろから抱きつく。フリックはその鳩尾に肘鉄を食らわした。
「いって、お前なぁ…」
 げほげほとビクトールが前かがみになる。
「しばらく何もさせないからな。隣にマーシアがいるんだ、気づかれたらどうする」
「べっつに、いいじゃねぇか。隠すつもりもねぇよ」
「隠せっ!俺は絶対に嫌だからな」
 はいはい、とビクトールはため息をつく。こういうところはやけに潔癖なフリックのことだ、無理矢理やったりすると、あとあとかなり面倒なことになる。ここで言い争っても仕方がないので、素直にビクトールは引くことにした。
「それにしてもよ、マーシアはほんとにお前そっくりだな」
 動かないビクトールの代わりにてきぱきとフリックが部屋を片付けていく。
「そうか?」
「おお。ま、さすがに女だから線は細いがな。それに、なかなか性格も良さそうだしな」
 妙に嬉しそうにビクトールがとくとくとマーシアの話を続ける。
 だから何だというのだろう。
 フリックはイライラと手にした洗濯物をビクトールに手渡す。洗濯をしてこい、と冷たく言い放つと、その殺気に押されたのか、ビクトールはすごすごと部屋を出て行った。
 残されたフリックは八つ当たりなんてしてしまった自分に激しい自己嫌悪を感じていた。そして、どうしてこんなに気分になるのか分からなくて落ち込んでしまう。
 焼きもちなんかじゃない。
 ビクトールはああ見えてかなり女性にはモテるのだ。
 いつも明るく冗談を飛ばして、気前がよく、お祭り好きな性格で、いつも人の中心にいる。そんなビクトールのことを好きだという女性は多いのだ。そんなことにいちいち気を回していたら、とてもじゃないがやっていけない。
 分かっているのに、どうしてこんなに気持ちが騒ぐのだろう。
 フリックはそんな思いを振り払うかのように、部屋の掃除に没頭していった。


 城での夕食はハイ・ヨーのレストランですませるのがほとんどである。
 ビクトールとフリックがマーシアを連れてそのレストランへと向かう。
「まぁ、あれだな、あんたがハインランドへ行く途中だっていうのは黙っていた方がいいだろうな」
 途中、ビクトールがマーシアに言う。
「そうだな。ハイランドに対していい感情を持ってない連中もいるし。そうした方がいいな」
 フリックもその意見に同意する。
 マーシアはすみませんと頭を下げる。
「別にあんたが謝ることじゃないって。それより気をつけろよ、うちの城の連中はみんな美人に目がないからな」
「そんなこと…」
「いや、あんためちゃくちゃ別嬪さんだぜ、うちのフリックにそっくりなだけはある、なぁ」
「冗談ばかり言ってると、いい加減怒るぞ」
 冷たい声でフリックがビクトールを睨む。余計なことを言ってマーシアに自分たちの関係を知られたらどうするつもりなのだろう。
 レストランの中に一歩足を踏み入れたとたん、一斉に視線がこちらを向いた。マーシアのことはすでに城中の知るところとなっていて、みんな一目彼女を見ようと今か今かと待っていたのだ。
 ビクトールとフリックの間にはさまれたマーシアの姿を見たとたん、どよっと歓声があがった。
「すげーほんとにフリックさんにそっくり」
「それにしてもめちゃ美人」
「ってことは、フリックさんが女だったら、あんな感じなんだぁ」
「くそっ、ビクトールのやつ〜」
 あまりの騒々しさに怯えるマーシアの背に手を置いて、フリックがいつもの席へと歩き出す。
 2人が並んでいるのを見ると、美男美女のカップルで、思わず辺りからため息が漏れた。
「おらおら、何ぼーっと見てんだよっ、食い終わった奴はさっさと帰れ帰れ」
 ビクトールがうざったそうにしっしと手を振る。
 席に着いて本日の定食を注文すると、ビクトールは向かい側に座ったマーシアを眺めた。
 綺麗な顔立ち。伏し目がちな瞳。ビクトールが愛してやまないフリックと同じ瞳の色だ。もしフリックが女だったら、こんな別嬪だったのかと思うと、ビクトールは自分の趣味の良さにつくづく感心してしまう。
「いやぁこのままずっと城にいてほしいくれぇだな。いい目の保養になる」
 ビクトールは運ばれてきたビールを一息で飲み干し、なぁフリック、と向き直る。
「そうだな。お前がそんなに面食いだとは知らなかったがな」
「おいおい、俺が面食いなのはお前が一番知ってるだろぉが」
 意味ありげにニヤつくビクトールの足を、だんっとテーブルの下で踏みつけ、フリックはそ知らぬ顔でマーシアに話しかける。
「こいつのことは気にしなくていいからな、マーシア」
「いえ、私、ビクトールさんみたいな人、好きですから。大丈夫です」
 くすくすと笑いながらマーシアが答える。
「ビクトール、両手に花じゃないか」
 先に食事を済ませたらしいリィナとアイリがテーブルの脇に立ち、しげしげとマーシアを眺める。何とも迫力のある2人に見つめられてマーシアは居心地悪そうに俯く。
「お前らなぁ、ガンつけてんじゃねぇよ」
「失礼だねっ、あたしたちはこの娘があんたにお似合いかどうかを調べてるんだろ」
 アイリが腰に手を当て、仁王立ちになる。
「似合いって」
「あれ、もっぱらの噂だよ、ビクトールがフリック似の女をどこかから攫ってきて、嫁さんにするって」
「はぁああ??」
 ビクトールはあまりのばかばかしさに反論する気も起こらない。
「確かにフリックさんにそっくりだしね、あんたにしてみりゃ言うことなしだろ?いくら何でも嫁さんは女じゃないともらえないしね」
「あぁあぁ、分かったよ。いいからさっさとどっかに行きやがれ」
 つれないビクトールの対応に、アイリとリィナは文句を言いながらも、その場を立ち去った。
 嫁さん。
 そんな噂があるとは知らなかった。
 フリックはぼんやりと目の前のビクトールとマーシアを見た。
 楽しそうに話をする二人は、こうして見るとなかなかお似合いじゃないか?
 自分とそっくりのマーシア。
「フリック?どうした?」
「え?いや…」
 ああ、そうだ。
 いらいらと八つ当たりしていたのは、別に焼きもちを妬いていたからではなかったのだ。
 自分では永遠になり得ない夫婦という名の伴侶に、彼女ならなることができるのだ。
 彼女だけに限らず、女性であればそれが可能なのだ。
 そう考えたとたん、フリックは愕然としてしまった。
 自分では無理なのだ。
 自分ではどんなに望んでも無理なのだ。
 初めて気づいてしまった背筋が寒くなるような現実に、フリックはぞっとした。
 そんなフリックに気づかずに、ビクトールはマーシアと他愛ない話に花を咲かす。
 彼女を見る、ビクトールの優しい目。
 いつもフリックを見つめる時と同じ目だ。
 そんな風に、簡単に他の誰かに与えることができるんだな、とフリックはぼんやりと思う。
 こんなことは考えてはいけない。
 そう思えば思うほど、ビクトールが自分の知らない他人のように思えていくのだ。
 こんな自分は知らない。
 フリックはぎゅっと強く手を握り合わせた。
 
 
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