チュンチュン、チチチ……。
漆黒の闇に包まれていた空に、わずかずつ明るさが戻ってゆく。早起きの鳥達が朝の挨拶を囀り始める頃、神楽坂明日菜もまた目を覚ます。たまたま目が覚めた、というわけではない。彼女には毎朝この時間に起きなければならない理由があった。
「ん……。ふあ〜あ」
 眠い目を擦りながら、ベッドから半身を起こす。彼女は中学生でありながら、自分で学費を稼ぐために新聞配達のアルバイトをしていた。実際には近衛木乃香の祖父でもある麻帆良学園学園長が明日菜の親代わりである為、彼の厚意により黙っていても学園には通えるのだが、それでも自分の力で働いて少しでも返していこうと思う、それが明日菜なりのケジメであった。
 と、明日菜の横で布団にくるまれている何かがもぞもぞと動く。
「ん?……まさか、また」
 明日菜が布団を剥ぐと、その中には明日菜の足にしがみついて眠っている少年の姿があった。明日菜の担任教師でもある、十歳の天才少年にして魔法使い、ネギ・スプリングフィールドである。
「……お姉ちゃん……」
「……まったくもう、このガキんちょは」
 明日菜は苦笑しながら、剥いだ布団をもう一度掛け直してやろうとした。十歳の身で家族と離れて暮らしているのはやはり寂しいらしく、こうして明日菜のベッドに潜り込んでいる事も今回が初めてではない。
「アスナさん……」
 ネギが明日菜の足を抱く力が、わずかに強くなる。ネギの夢の中で自分はどうしているのだろうかと、明日菜のネギを見つめる視線が少し優しくなる。が。
「……茶々丸さぁん……」
 ネギは明日菜の足を自分の両足で挟み込み、腰をくねらせ始めた。明日菜の足に、なにか柔らかなものが押し付けられる感触が伝わる。
「え……うそ……」
 その押し付けられた物が、ネギの腰が動くたびに、少しずつ大きく、固く、熱くなってゆく。
「…………い…………いっ…………」
 それが何なのか脳が知覚した瞬間、明日菜の全身にゾワッと鳥肌が立った。
「……ぃいやあああああーーーーーっっっ!!」
「へぶっ」
 気付いた時には明日菜は思い切り足を振り上げてネギを払いのけ、枕でネギの顔を押し潰していた。
「何考えてんのよ、この、バカネギーーーーーッッ!」

「待ってくださいよー、アスナさーんっ」
「フンッ」
 後ろを追いかけるネギを相手にせず、明日菜はズンズンと学園に向けて歩いていく。朝の通学時間、寮で同室であるネギと明日菜、そしてローラーブレードを履いた木乃香は普段並んで登校しているのだが、今日はいつもの朝とは少し違っていた。先に一人走っていく明日菜をネギが必死で追いかけ、その後ろを困ったような笑顔を浮かべながら木乃香がついていく。
「ネギくーん、おはよー」
「あ、おはようございます、まき絵さん。て、ああっ、待ってくださいってば、アスナさーんっ」
 まき絵に挨拶する為いったん立ち止まったネギだが、その隙に明日菜との差がさらに開いてしまい、ネギはまた慌てて後を追う。
「まきちゃん、おはよーさん」
「おはよー。ねー、アスナとネギ君、どうしたの?」
 木乃香と挨拶を交わしながら、まき絵は様子のおかしい二人について尋ねる。
「あんな、今朝……あ、アカンアカン。ネギ君にゆったらアカンて言われてたんや」
「えー。教えてよー」
「アカンて。ウチがネギ君に怒られてまう」
「ケチー」
 二人がそんなやりとりをしている間も、明日菜とそれを追うネギはズンズン学園へ向けて突き進んでいた。

「みなさん、おはようございます」
「おっはよー、ネギくーん」
「オーッス、ネギぼーず」
「ネギせんせ、おはよー」
 朝のHRの時間。ネギが扉を開けて教室に足を踏み入れると、生徒達からの挨拶が乱れ飛んできた。
「おはようございます。ネギ先生」
「おはようございます。いいんちょさん」
 教団の前の席に座る3−Aクラス委員長・雪広あやかはわざわざ席を立ち上がってネギを出迎える。その気品溢れる美しい容姿と立ち振る舞いに、他者の目にはまるで常に花をバックに背負っているように見えている事だろう。
 ネギの挨拶を受け、あやかは感激したようにウットリとネギを見つめる。
「アアン、ネギ先生……今日もなんて愛らしいのかしら」
 あやかにはいつの頃からか少年を愛でる傾向があった。そんなあやかにとって、礼儀正しく見た目もかわいらしい、且つ中にしっかりとしたものを秘めているネギは、まさに理想の少年像である。
 それゆえにいつもネギを知らず見つめているあやかであるから、今日のネギの様子がわずかにおかしい事にはすぐ気が付いた。
「ネギ先生? 何か心配事でもおありですか? 元気がないようですけれど」
「え? ア、アハハハ、いや〜、なんでもないですいいんちょさん」
 ネギは誤魔化しながらも、チラリとある方向に視線をやり、そしてわずかに肩を落とす。その視線の動きを見逃さなかったあやかは、その視線の先にいる人物に問い掛けた。
「アスナさん? ネギ先生と何かあったんですの?」
「……別に」
 明日菜は視線をあやかに向ける事もなく、頬杖をつき窓の外を不機嫌そうな顔で見ていた。
「なんですかその態度はっ。ネギ先生が元気がないようだから心配しているというのに」
「別にいいんちょには関係ないでしょ。さっさとHR始めなさいよ」
「な、なんですってぇっ!」
「何よ、やる気!」
 いつの間にかヒートアップし、二人は取っ組み合いを始める。そんな二人にクラスメイトの反応はと言えば。
「お、また始まった。いいんちょに食券5枚っ」
「わたしアスナに10枚ーっ」
 すでにそんな光景は見慣れたもの、ということで、どちらが勝つかトトカルチョなど始める始末。
「ふ、二人ともやめてくださーいっ」
 そんな中、ネギだけが一人オロオロとしていた。

「このかさん。ちょっとよろしいかしら」
「ん? なに、いんちょ」
 2時間目の休み時間。あやかは木乃香に声をかけた。木乃香の隣の席に座っている明日菜にも当然聞こえているだろうが、まるで興味がないと言わんばかりに窓の外を見つめている。
「ええ、ちょっと聞きたい事が。あちらでよろしい?」
 あやかが廊下を指差すと、木乃香はコクンと頷いた。
「うん、ええよ」
 木乃香が立ち上がってもなんら反応を示さなかった明日菜だが、聞き耳をそばだてているであろう事は長い付き合いであるあやかには手に取るようにわかった。
「いんちょ、ほんで何?」
「ええ。ネギ先生の事なんですけれど」
 あやかが切り出した途端、木乃香は困ったような笑顔を浮かべた。
「あやー。いんちょもか。ウチ、教えられへん。ネギ君に口止めされてるから」
「そうなんですの?」
「んー、まあ、どっちが悪いていうことでもないんやけど。いんちょ、ネギ先生に直接聞いてみたらええと思うえ」
 木乃香は首を傾げながら、あやかに提案する。
「私がですか?」
「うん。ウチも仲直りさせたげたいんやけど、何ゆうていいかわからへんし。ネギ君も困っとるから、いんちょ話聞いたげて。いんちょなら大人やし、アスナの事もよう知っとるからなんとかできるんかもしれんえ」
「わ、私は別に、アスナさんの事なんか……。わかりましたわ。ネギ先生には後で直接聞いてみます」
 明日菜の事を良く知っていると言われたのが少しひっかかったが、それでもあやかはネギの為と、木乃香の指示に従うことにした。
「うん。そーしたげて。……あっ、もう授業始まってまうわ。教室戻ろ、いんちょ」
「ええ」
 席に戻った木乃香に、視線は背けたまま明日菜が話し掛けた。
「いいんちょと何話してたの」
「ん? アスナがごうじょっぱりでホンマ困ってまうわ、ていう話」
「はあ!?」
「冗談や冗談。いんちょ、ネギ君が元気ないから心配しとったんや。ホンマにネギ君の事好きなんやな〜」
「……あっそ」
 一瞬顔を向けたものの、またそっぽを向いてしまった明日菜。なんだかとても、つまらなそうな表情をしていた。

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